未来のエネルギー社会は、
「境界」を乗り越える若者たちに託したい
■新しいエネルギーシフトの時代が始まった

――福島原発の事故がまだ収拾しない段階で、世論としては脱原発の方向へシフトしつつあるとはいうものの、産業界にはいまだ根強い原発推進論があり、原発再稼働の動きも始ま っています。2011年8月時点での日本のエネルギー政策の動向をどうご覧になっていますか。
原子力政策が混乱しているのは、政治の中枢にいる人たちに軸となる考え方がなく、はっきりとした方向性がわかっていないから、日々ぶれまくる。浜岡原発を止めるかと思えば、ストレ ステストといってみたり、泊原発の再稼働といってみたり。何かが問題となるとワイワイと人が寄って来て、その場限りで盛り上がり、しっかりと検証しないままにすぐに次の話題に流れていく。 そういうドタバタ劇がしばらくは日替わりメニューで進んでいくのではないかと思います。
とはいえ、その中でも、時代を刻印するような大きな転換が起きていることは事実です。
3.11以前は、圧倒的に大多数の人が、中味を理解しないままに「原子力発電が増えていく」と信じ込んでいました。しかし3.11以降は大きく変わりました。圧倒的に大多数の人が、時期の違 いはあっても「原発は無くなって欲しい」と望んでおり、政治の中でも「これから原発は減らざるをえない」という考えが多数派を形成するようになっています。
奇しくも3.11の歴史的タイ ミングで閣議決定された再生可能エネルギー法案が8月に可決され、自然エネルギー促進の仕組みが法制化されました。原発の時代が終わり、次の時代が始まった歴史的転換点を明確に 示すものといえます。
――日本の原子力導入体制は戦後すぐに始まり、半世紀以上続いているわけですが、それを支えたものは何だったのでしょう。
これまでの日本の原子力政策、エネルギー政策は、私の言葉でいえば、5つの「ない」で塗り固められた空虚な体制の上に、ようやく成り立つものでした。5つとは「事実に基づかない」「 論理的でない」「合理的でない」「科学的でない」そして「規範的でない」というものです。これは原子力にかかわらず、日本の政策立案機能、簡単にいえば政治と官僚システムの根幹にある 根本的な欠陥です。事実に基づかないのだとすれば、それでは、日本の政策はどのような要因で決まるのかというと、それは「空気」なのです。確たる見通しもないままに「行け行けどんどん」 で、戦争にのめり込んでいった70年前と、その構造は基本的に変わっていないような気がします。
――とすれば、これからはたんにエネルギーの種類が変わるだけではなく、日本の政治や官僚体制の変化がともわないと意味がないわけですね。
エネルギーだけをみると、原発のような中央集中型・巨大技術依存型・トップダウン型の技術が、自然エネルギーを活用した、規模分散型・地域分散型・ネットワーク型に大きく変わろう としています。しかし、それはあくまでオモテの変化にすぎません。
もっと大きな変化は、「情報」と「お金」と「エネルギー」という、社会を成立させ、人と人をつないでいる3つの媒介物( メディア)のあり方が大きく変わるということです。その変化には民主主義のあり方も密接に関わってきます。
例えば、これまで政治の本質は情報の集中にあるということが言われて きましたが、これからは情報公開が進み、ウィキリークスのようなものが登場することで、国家機密さえも持ち得ない時代になるかもしれません。国家が情報を独占する時代ではもはやない。 市民一人ひとりに情報が公開され、市民のそれぞれが民主主義原則に立った自己決定権をもち、それを自治体や国家、欧州でいえば、EUのような地域統合体が支えていくという、新しいデ モクラシーのあり方が登場しています。
エネルギーもまた、日本のような民間企業による地域独占体制というのは、過去のものになるでしょう。電力会社がかかったコストをすべて電 気料金に転化できる総括原価方式など、独占体制ならではのものです。市場の論理による電力自由化と、デモクラシーの論理による電力市場のオープン化がこれからは進みます。市場の 論理だけでなく民主主義の論理が共に進むことで、エネルギーがほんとうの意味で私たち市民のものになるのです。今私たちは、そういう変化の入り口に立っているのだと思います。
■知識社会のあり方が変わらなければならない
――つまり、自然エネルギー増大は、これからの日本社会の変化を促すきっかけにもなる、と。
そうありたいと思いますが、ことはそう簡単ではありません。
根っこにあるのは知識社会のありようだと私は考えています。大ざっぱに言えば、欧州社会では知識や知性のありよ うは、開かれたデモクラシーに従属している。アメリカでは知性もまたマーケットやマネーに従属している。日本はどうかというと、先ほども言ったように「空気」に従属していて、ある意味、中味 は空っぽだったんです。それが変わらないと、日本社会は根本的に変わらない。
それは原発の技術でも言えます。日本は福島原発の1号機をアメリカから輸入しましたが、以来五十 年も経つのに、未だ日本のメーカーもアカデミズムも、原子力技術の体系を自分のものにできていません。その証拠に、東芝は原子力技術パッケージを持つために、数千億円も出してウェス ティングハウス社を買収しなければならなかったし、原発を制御するソフトウェア技術のほぼすべてが、いまだアメリカ製のものです。
――日本は技術立国ではなかったのですか。
日本人は器用にものを作れるだけ。原発を設計製造するときに指針となる技術基準や安全性を評価する安全基準など、原発を巡る知の体系すべてがアメリカなど海外に依存した「カー ボンコピー」にすぎません。つまり、原発技術を巡る「知の体系化」が日本の中でできていないのです。そのことが今回の原発事故でも立証されたのではないでしょうか。
地震がおきた 3.11の日の夜には、メルトダウンはすでに始まっている恐れがあるという情報が官邸の中に入っており、当日の夜に官邸のホームページでも公表されていたのです。SPEEDI(緊急時迅速放 射能影響予測ネットワークシステム)は動き続け、そのデータも官邸や保安院に刻々と届いていました。実際にメルトダウンが起きたのは翌3月12日と推測されますが、ともあれ地震・津波の 直後に原発で破局的な状況が進展していたことは明らかでした。
しかしこうした破局的な状況を、あのとき全体的な視野でもってしっかり受け止め、次ぎに何が起こるかを予測し、適 切な対処策を提案できた人が、日本に一人たりともいなかったのです。それがゆえに、避難の指示はわずかに原発から3キロ圏内に過ぎず、しかも避難した人は、適切な放射能防護の対策 もとられぬまま、ベントや水素爆発で発生した大量の放射能をいたずらに浴びなければならなかったのです。
こうした未曾有の危機を、リアリティをもって受け止めることができない。 緊急時にプライオリティをつけて対応することができない。これはたしかに日本の政治や官僚システムの問題であり、安全を慢心していた原子力技術者の欠陥ではありますが、それらはすべ て私たち日本人・日本社会の民度を鏡のように反映したものです。知識や科学によってきちんと裏付けられた社会づくりをしてこなかった、私たち自身の瑕疵でもあると思います。
――知識社会のあり方の問題となると、これは根深いですね。もはや、今の大人たちではなく、若者たちに期待するしかないのかも。飯田さんの研究所には、未来のエネルギー社会を 構想するような、有望な若者たちがやってきませんか。
常時、50~100人ぐらいのインターン生が登録していて、彼らはいま世界中に飛び回っています。これまでの最年少は沖縄の高校3年生でした。アメリカの大学に留学する前に、私のと ころで1カ月インターン生として仕事をしていました。私は別に、これからの人たちが全員自然エネルギーにこだわる必要はないと思っています。健全な好奇心と感覚さえもっていれば、取り組 むべき課題は他にも無数にあります。
――飯田さんご自身は、高校・大学時代どんな学生だったのですか。
人生をあまり実感もって考えていない、ただ数学と理科だけは得意な高校生でしたね。哲学から古典までありとあらゆる読書は好きで、とくにブルーバックスは読みふけっていました。高 校に入ったときから京大理学部に行くのだと心に決め、修学旅行でバスがたまたま京大の前を通ったときに、憧れでぼーっと見とれていました(笑)。最初は、京大理学部で素粒子か遺伝子 をやろうと思っていたんですが、家が貧乏だったのと、山口県全体が実学重視の雰囲気で、理学部なんかにいくと就職できないぞといわれ、工学部のなかで理学部に近いということで、原子 核工学部を選んだだけ。動機は単純でした。
ただ京大に入ってみると、私のような漠然と理学部に憧れた学生と違って、周囲には高校時代から今西錦司や梅棹忠夫を読みこなし、蝶 の生態を研究したいから京大理学部を選んだとか、将来的には文化人類学に進みたいとか、具体的な研究テーマをもった学生がたくさんいて驚きました。そういう連中と一緒に山に登ったり するなかで、私もずいぶん触発されたものです。理科少年の単純素朴な見方とは違う、もう少し違った社会の見方ができるようになりました。
■欧州で学んだ、知のコモンセンスの体系と新しい現実への関心

――飯田さんの著作や発言には、理系的な論理だけでなく、それを踏まえた上での社会哲学的なバックグラウンドを強く感じます。『原発社会からの離脱』(講談社現代新書)の中での、 社会学者・宮台真司氏との対話も大変刺激的なものでした。簡単にいえば、文理双方の知の融合。そういうスタンスでないと、これからの社会問題は解けないのでしょうね。
いつまでも学問を文系・理系の境界で分けていると、日本社会はまずいことになると心配しています。欧州の知識人で、そんな単純な分け方をしている人はまずいない。学生も、哲学と 工学を同時に専攻するような、分野にまたがったダブルメジャーは当たり前のことです。日本風にいえば、経済学と政治学、工学と社会学の融合とかいわれるわけですが、そういうことを意識 すらせずに、軽々と境界を越えながら、自分自身の知の体系をつくっていきます。学問体系として幅広く共有されるべき知をバックグラウンドにもちながら、新しく起きている社会の現実にもみ んな敏感です。
私がスウェーデンに留学した時代は、チェルノブイリ原発事故(1986年)の直後、リオデジャネイロ・サミット(環境と開発に関する国際連合会議、1992年)の直前で、欧 州でも環境意識が高まっていた時代です。ちょうどウルリッヒ・ベック(ドイツの社会学者)の『リスク社会論』(邦題『危険社会』)が出て、広く注目されていました。
私自身、ルンド大学で 興味をもったのは、工学ではなく、政治と社会がどういうふうに成り立っているのかという研究でしたから、ワークショップなどで研究者とディスカッションしていると、誰もがベックのリスク社会 論を挙げ、それがこれからのヨーロッパの思想を変えるのだとまで言うのです。そういうものなのかと思って私もベックを読んだ記憶があります。
つまり、海外で環境問題をやっている 研究者たちには、ベックやその後のアンソニー・ギデンズ(イギリスの社会学者)の思考は、知のコモンセンス(常識)、あるいは「環境ディスコース」(ディスコース discourse は、ある文脈のな かで語られる言説)というものの中に、当然のように位置づけられていたわけです。
例えば、レイチェル・カーソン(アメリカの生物学者。『沈黙の春』1962年)に端を発する現代的な環 境政策や環境原則といったものは、どういう経緯で生まれ、どのような議論を経て蓄積されてきたのかという過程を、みんなが共有している。そのうえで、カッティングエッジ(最新知識)は何か 、今起きている現象のどんなところに関心があるのかという議論を、それこそ老教授から若い学生までが、ともに対等に議論しているのです。
日本だと「新しいことは知らないけれど、 古いことは忘れちゃった」みたいな(笑)、カビの生えたような名誉教授が、ボス的に学会を仕切っているような状況を見かけますが、欧州では、老いも若きもが最前線の場で顔を揃えるという のは、よく見かける光景ですね。
――それぞれの主張に多少の違いがあっても、共通の知識があるので、議論が活性化するわけですね。
そうです。レイチェル・カーソンの位置づけから環境問題における「予防原則」についても、研究者の間に一定の共通理解がある。もちろん、そうした「共通理解」に異議を唱える知識人も 、その周囲に薄い雲のように存在しています。しかし、徹底的な議論を積み重ねるうちに、そうした雲は解消し、「共通理解」がますます多くの人に支持される知のコモンセンスとして固まって きたという経緯があります。そうした前提の上に新しい知識を重ねることで、知識社会がよりたしかなものとして形成されていくわけです。
地球温暖化の主たる要因に人類の活動を挙 げる気候変動説も、最初唱えられたころは、頼りなげな薄い雲のようなものでした。しかし、研究者たちが仮説を出しては検証するという繰り返しを重ねるなかで、次第に確固としたものになり 、今では圧倒的なマジョリティがその説を認めるまでに至っています。欧州の環境政策はそうした歴史的経緯と知の共通基盤の上に組み立てられているのです。
日本では気候変動と いうと、そもそも温暖化否定論が大声で主張し、温暖化を認める中でも、自然起源説を唱える人や日本の温暖化対策を否定する層まで、幅広い議論が混乱したまま共存しています。その結 果、「いろいろな議論があるよね」で話が終わってしまう。それぞれがたこつぼに入ったまま、きちんとした議論や知の積み重ねがないから、問題が発生するたびに、あわてて対処し、しかもそ のたびに中途半端な対応しかできない。あたかも、賽の河原で石を積み上げては壊され、また一から石を積み上げているような。あるいはテレビゲームで急に敵がでてきて、みんなでワッと 撃って、敵が退散したのでホッとしていたら、また別のところから敵が現れて、というのを際限なくくり返しているようなものなのです。
■自分の中の壁を壊し、軽々と境界を越えていけ
――知の蓄積と再構築がつねに行われていなければ、新しい危機には対処できないですね。そうではあっても、今の高校生たちもいずれこの社会に出て行き、知識社会の形成に寄与 することを求められます。どうしたらよいのでしょうか。
3つあると思います。一つは徹底的に、事実、ファクト、原点にこだわる姿勢を身につけることですね。世の中に流通している話の多くは、井戸端会議レベルの噂にすぎません。もちろん 、その噂の大元では何かが起きていることはたしかですが。そこに足を運び、それをちゃんと自分の目で確認することが大切です。
二つ目には、自分の中に確かな物差しを持つこと。 そのためには古典に触れることが欠かせないでしょう。エネルギー・環境の分野でいえば、先ほど挙げた『リスク社会論』もそうだし、エイモリー・ロビンスの『ソフト・エネルギー・パス』やエルン スト・フリードリヒ・シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』、「サスティナブル」という言葉を初めて使った、ブルントラント委員会のレポート『アワ・コモン・フューチャー』など、いずれも 70~80年代の著作ですが、現在の世界的な環境問題研究の原点がここにあります。こういうものを読み倒して、自分の物差しを作ることが肝心です。
三つ目は境界を越えるというこ とでしょうか。国境を越えることもその一つ。日本を外からみると全く違って見えてくるもの。理系と文系を隔てる境界なども軽々と乗り越えていってほしいですね。たかだか大学の卒論を書い たぐらいでナニナニ専門と名乗るのは、恥ずかしいことなのです(笑)。
最も乗り越えがたい境界は、実は自分の中にあります。「自分はこれしかできない人間だ」と思い込んで、壁を作 ってその中に自分を閉ざしてしまうこと。あるいは、あいつは敵だと決め込んで、その人の話を一切聞かない偏狭な精神も、境界の一つでしょう。そんな境界線は壊してしまえ。壁を乗り越え、 突き抜けたところに、広々と広がる地平がきっとあるはずです。そこで若者たちが何を見るのか、何を考えるのか。私も一緒にそれを見ていきたいと思います。

【profile】
いいだ・てつなり●1959年山口県生まれ。京都大学大学院工学部原子核工学専攻修了、東京大学大学院先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。神戸製鋼に勤務後、 スウェーデン・ルンド大学に留学。自然エネルギーや省エネルギーの推進のための国政への政策提言を行うNPO法人環境エネルギー政策研究所を設立し、所長に就任。自然エネルギー政 策研究と実践で、国際的に活躍する第一人者。近著に『原発社会からの離脱』(宮台真司氏と共著)『「原子力ムラ」を超えて』(佐藤栄佐久・河野太郎氏と共著)などがある。
(初出日:2011.10.07) 取材・文/広重隆樹 写真/冨永智子
※会社名、肩書等はすべて初出時のもの




