高校トップが語る「明日の学校」

Vol.4 英明高校(香川・私立) 校長 真部卓一先生

2001年、女子校から男女共学になり、校名変更した英明高校の初代校長に就任。以後、学校再生の舵取り役を務めてきた真部校長。その原動力となっているのは、同校の前身・香川県明善高校時代から陸上部監督を務め、前人未到の県総体43連覇を果たすなど、生徒の才能を見出し、開花させてきた豊富な経験である。今年で教師生活54年目を迎える真部校長に、「ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ」をモットーとした英明スタイルの生徒育成についてうかがった。


真部卓一先生

【Profile】まなべ・たくいち●1938年、香川県生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業。1961年より香川県明善高校講師、62年に同校教諭となる。92年より学校法人香川県明善学園事務局長および評議員、2000年より同学園理事。01年男女共学となり、校名を改めた英明高校の初代校長に就任。08年からは同校を運営する明善学園の理事長を兼務。97年日本陸上競技連盟より功労賞、98年山陽新聞体育賞、2013年私学振興により旭日小綬章受章。



納得できる目標をたて、目標に近づいてゆくことに喜びを見出す。
陸上指導で得たモットー「ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ」が英明スタイルに。

 明善学園は2017年に創立100周年を迎えます。私自身、この学園で教員人生をスタートして、今年で54年目を迎えます。ひとつの学校に半世紀以上勤めるというのは、極めて珍しいことかもしれません。その間には、少子化の影響から学校存亡の危機に直面したこともありました。女子校から男女共学に変え、校名を明善高校から英明高校に変えて学校再生に踏み切ったのは2001年。私は校長に就任しました。教員生活は長くても、まさか校長になるとは思ってもいなかったことでした。責任の重さを痛感しました。

 私は、最初から教員を志してこの職に就いたわけではありません。大学を卒業する年に父親が病に倒れ、東京での就職を諦めて故郷に戻りました。親の介護をしながらできる仕事を探して、この学校の非常勤講師になりました。マスコミ志望でしたが、高校社会科教員の資格を取っていたことが役に立ったのです。

真部卓一先生 高校時代に陸上の選手だった私でしたが、写真部の顧問から始めて、富士フイルム の全国コンテストで優秀校に。ついで陸上部の監督になりました。監督就任2年以後、陸上部は連続して県大会で優勝。四国地区大会、全国大会でも優勝して全国でも有数の陸上強豪校に成長しました。教室で教えるだけでなく、陸上競技を通してゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ、生徒とともに進歩向上を実感できたこと。それが私の喜びであり、半世紀以上も教師を続けてこられた理由の一つかもしれません。

 陸上の指導ばかりしてきた私が校長になったのは、学校再生に際して、私の考えに賛成してくれる人たちが少なからずいたからです。当初は、進学校を目指して学校再生を図るという構想がありました。多くの学校が進学実績をあげる指導へ移行していくからといって、それに追随することは安易にすぎると考えました。新しいスクールモデルにチャレンジしようと思いました。勉強のできる生徒も平凡な生徒もいる学校。進学する生徒も就職する生徒もいる学校。生徒一人ひとりの個性や可能性を、ゆっくり、着実に伸ばしていく普通の高校でいい。むしろ、今はそういう高校が必要だというのが私の考えでした。学校を再生するために考えた窮余の一策でもあったのですが、今は、いい方針だったと思っています。

  

生徒の実力を伸ばすには、過大な期待をかけず、
プレッシャーを掛け過ぎないこと。
一人ひとりの生徒が成長できる可能性を示してあげることが大切。

真部卓一先生

 「英明スタイル」は、スポーツの指導の経験からたどり着いたものですが、学問や人間育成にも通じるものだと私は考えています。生徒に「ベストを尽くせ」「○○を目指せ」というのは勇ましいが、目標達成か、失敗かという安易な二者択一は生徒にプレッシャーを与えて萎縮させるだけで、本来の力や可能性を広げることにはなかなかつながりません。本来、高校教育の要点は、多くの生徒を統計的に平均化した進学率や合格率の目標達成ではなく、一人ひとりの生徒が成長・進歩できる可能性を生徒に示してあげることです。

 スポーツの世界では、No.1は一人だけ。残りの人間は全て負け組です。それだけに「No.1を目指せ」と言われたら、選手は本当にきつい。1964年の東京オリンピックで、男子マラソン銅メドルに輝いた円谷幸吉選手。ゴールの国立競技場に2位で入ってきたのに、後続の選手に抜かれて3位になった。その屈辱を晴らそうと、次のメキシコオリンピックでの優勝を目標にして厳しいトレーニングを重ね、結果、さまざまなプレッシャーから自殺に追い込まれてしまった。

 普通の高校生でも、プレッシャーを与え過ぎれば、そういうことは起こります。一回失敗したら、立ち直れない生徒もいる。勝つか負けるか、成功(達成)か失敗かではなく、私は、「目標や夢に向かって進めば、達成できなくてもいい。目標に近づければそれでいい。今の自分よりベターな人間になる努力をしたら、やがてベストに近づく」と指導をしてきました。高校の3年間で生徒なりの納得できる目標を立て、ゆっくりでいいから目標に近づき、快い喜びを見いだしてくれたら、その経験は必ず、将来の自信につながっていきます。そうした現実的で着実な生き方を教えることが大切だと思います。志半ばで倒れても、ベストに少しでも近づいたことに満足する生き方も悪くない。

  

英明高校には自由がある。それは選択の自由。

 英明高校では、特進、進学、情報、総合の4つのコースと多くの系、40余の運動部と文化部からなるクラブ活動を用意して、生徒たちの能力・才能を伸ばせるように考えています。修学旅行や制服にも選択の自由があります。生徒たちにより多くの選択肢を提示することで、自ら選び取る力を身につけてほしいからです。選択することは難しい。選択した道に向かって努力をし続けることはさらに難しいことですが、高校時代にそこまでの人間的な基礎力を身につけてほしいと考えて指導をしています。そうした取り組みから、進学についても近年は男子では東大、阪大、慶應、早稲田、女子はお茶の水、奈良女子大など、トップレベルの大学に合格する生徒も出てきました。無理が少ない状態でこれが継続できればと思っています。

真部卓一先生
 他校でもより速く実績を上げようといろいろな取り組みをしていますが、生徒が成長していくには時間がかかるものです。1972年の山形インターハイで陸上競技総合優勝をしたときは、6年計画で取り組み、計画の上限の達成には失敗しましたが、優勝という結果は残しました。幸運に恵まれたからだと思います。野球部は創部6年で甲子園に出場することができましたが、甲子園に応援に行くバスの横断幕には「必勝」でも「優勝」でもなく、「できれば一勝」と小さな目標を掲げてのぞみました。そして現実に一勝を挙げたのは翌年でした。また、生徒指導に関しても、今の高校生に携帯電話やスマートフォンを学校に持ち込むなと言っても無理な話です。なるべく教室内では使わないように指導するしかない。先生たちは大所高所から将来の大きな目標を考えろと指導するだけでなく、小さな目標から始めることも大切です。

 生徒たちは大小さまざまな可能性をもっています。どんな生徒にも小さな目立たないいいところがあるかもしれません。それを引き出していくには、「生徒に寄り添う」こと。また大きな才能とすばらしい素質をもっている生徒もいます。しかし文武両道とかの美辞麗句に踊らされ、県レベル、地区レベルで終わる生徒の多いことも確かです。低いレベルの文武両道にこだわらず、二兎を追わず、一兎に狙いを定め努力すべきだと思います。二兎めは後年いつか手に入るでしょう。先生は生徒の才能・素質に合わせて指導する努力をすべきだと思います。



Personal file

真部卓一先生●趣味/スポーツ(陸上・登山)、美術・音楽鑑賞、囲碁。
●好きな言葉・モットー/「ゆっくり、ゆっくり、少しずつ」
●人生の師/中村 元(インド哲学)。
●好きな本/絵画・陶磁器などの美術全集。
●教師をしていてうれしかったこと、辛かったこと/1972(昭和47)年の山形インターハイ(全国高等学校総合体育大会)での陸上競技総合優勝。英明高校の創立。



英明高校

【School Data】
特別進学コース・進学コース・情報コース・総合コース 男女共学
URL   http://www.eimei.ed.jp/index.html
香川県高松市亀岡町1-10


(初出日:2014.4.8)取材/キャリアガイダンス編集長 山下真司・まとめ/丸山佳子・撮影/杉原歩
※肩書等はすべて初出時のもの