大学を強くする「大学経営改革」[45] 人文・社会科学の教育研究について考える 吉武博通

学部学生の半数は人文・社会科学を専攻

 平成24年度の学校基本調査によると、我が国の学部学生256万人のうち社会科学系学科に在籍する者は86万人、人文科学系学科は38万人で、両者を合わせた数は全学部学生のほぼ半数(48%)に達している。

 その一方で、大学院については、専門職学位課程こそ社会科学を専攻する学生が8割を占めているものの、修士課程・博士課程とも人文・社会科学を合わせた専攻分野別学生比率は2割弱(18%)にとどまっている。

 これらの数値から3つの視点が浮かび上がってくる。一つめは、学部教育の質を論じる場合、人文・社会科学の教育にフォーカスした議論は避けられないということ、二つめは、我が国における人文・社会科学の研究水準や大学教員の育成環境をどう評価するかということ、三つめは、人文・社会科学の教育研究と社会の関係をどう考えるかということ、である。

 三つめについて補足すると、博士号取得者の専攻分野別構成において、日本は欧米先進国に比べて人文・社会科学の比率が極端に低いことが指摘されている。日本の場合、博士号取得者の約9割は医・保健、工、理、農などのいわゆる理系であり、人文・社会科学は1割に満たない。人文社会科学分野で育成された人材や創出された知を社会が活かしきれていない、または社会がそれらを切実に求めていないと考えることもできる。

 このような視点から、人文・社会科学の教育研究について考えてみたのが本稿である。

企業の期待と大学の教育面での注力に相違

 平成24年8月の中教審答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」では、我が国の学部学生の学修時間が、大学設置基準が想定する一日8時間に対して、その半分の4.6時間にとどまり、米国の大学生と比較して極めて短いことが指摘されている。なかでも社会科学分野は0時間の者が2割を占めるなど特に短いとしている。

 また、同答申が関連データとして取り上げている平成16年日本経団連「企業の求める人材像についてのアンケート結果」では、文系に対する期待として「知識や情報を集めて自らの考えを導く訓練をする」が64%でトップ、次いで「理論に加えて、実社会とのつながりを意識した教育を行う」が42%となっている。

 これに対して、大学・大学院(文系)が教育面で最も注力しているのは「専門分野の知識をしっかり身に付けさせる」となっており、企業の期待と大学の教育面での注力に相違が生じていることがわかる。

 理系においても相違があるものの、企業も大学も「専門分野の知識をしっかり身に付けさせること」をトップに挙げており、文系の方が齟齬の程度が大きいといえる。

 企業の期待に大学教育を合わせるべきか否かは慎重であるべきだが、双方が対話を重ねることなく、その相違を放置した場合、大学教育の意義に対する社会的合意を形成することは容易ではあるまい。

 人文・社会科学を学ぶことが、個々の学生の生き方にとって、受け入れ先となる企業・組織にとって、さらには社会にとって、いかなる意味を持つのかについて問い直してみる必要がある。

世界ランキングや欧米との比較を通して考える

 次に、2012年QS社世界大学ランキングの公表データから学問分野別の動向を見ると、工学、生命科学・医学、自然科学では上位200位以内にランクインする日本の大学が平均10校程度であるのに対して、人文・社会科学分野では哲学、歴史学、社会学、法学が該当校なしとなっていることもあり、平均4校弱にとどまっている。

 このことをもって人文・社会科学の教育研究力が劣ると考えるのは早計であり、現代語、地理学、言語学、経済学、会計・ファイナンス、情報・メディアなどでは、東京大学が上位20校に入っているのをはじめ4校から10校が200位以内にランクインしている。法学のように学問の性格上、研究成果の発表が日本語主体にならざるを得ないものもある。個々の学問分野の特性や状況を丁寧に見ながら評価していく必要がある。

 コロンビア大学で学位を取得、同大のポスドク研究員などを経た後、エクス・マルセイユ大学において行動・実験経済学の研究で活躍する花木伸行教授は「日本の研究大学における経済学の研究水準は世界的に見ても高い。なかでも数理分析中心の理論経済学の方が、英語で発信するという語学の壁が相対的に低い分、応用経済学より評価が高いように思う。また、ゼミという形で学部段階から少人数の指導を行っているのは高く評価されていい」と語ったうえで、日本の研究者について「英語による口頭でのコミュニケーション力が低いことと、最先端の論文を読み込んで知識を得ることが十分にできていない」と指摘する。

 MITの客員研究員を務めるなど海外の研究者との交流も深い、国際経営が専門の立本博文筑波大学准教授は「アメリカは研究業績にセンシティブであり、ペーパーにならない研究を避ける、大学が論文生産工場と化すなど、厳しい競争が歪の原因になっているように感じる面もある。その一方で、全米大学の教員構成のマジョリティは非米国人であり、グローバル化が進展している。大学教員のバックグラウンドも多様化しており、MITのスローンスクールを例にとれば、経済学・経営学、OR・理工学、実務経験者(大半が博士号取得者)がおよそ3分の1ずつを占めている。このような厳しい競争と多様性が高い教育研究力の源泉になっている」と語る。

3度の学術分科会報告から読みとれること

 人文・社会科学の現状と振興の在り方については、科学技術・学術審議会の下の学術分科会が過去10年間で3度の報告を取りまとめ公表している。

 2002年6月「人文・社会科学の振興について─ 21世紀に期待される役割に応えるための当面の振興方策─」では、国際社会が直面する諸問題や身近な世界における人間の生き方に関わる諸問題の現出を背景に、人文・社会科学の批判的役割、文化の継承と発展、現代的諸問題の解決への貢献、知の組み換え、の4つを21世紀の人文・社会科学の使命と謳っている。

 そのうえで、振興方策として、①分野間・専門間の協働による総合的研究の推進、②若手研究者の育成、③国際的な交流・発信の推進、④研究基盤の整備、の4点を挙げている。

 2009年1月「人文学及び社会科学の振興について」では、3つの課題(研究水準、研究の細分化、学問と社会との関係)、学問的特性(対象、方法、成果、評価の観点から)、学術的な役割・機能と社会的な役割・機能、を整理したうえで、振興の方策として、①対話型共同研究の推進(国際共同研究、異質な分野との対話としての共同研究)、②政策や社会の要請に応える研究の推進、③卓越した学者の養成、④研究体制・研究基盤の整備・充実、⑤成果の発信、⑥研究評価の確立、の6点を掲げている。

 直近では、東日本大震災を受ける形で、2012年7月「リスク社会の克服と知的社会の成熟に向けた人文学及び社会科学の振興について」が公表された。

 その中で、「個別の分野の精緻化に固執するあまり、急速に進む専門化を優先させて細分化に陥り、知の統合や分野をこえた総合性への視点を欠落させることにより、結果として人間・社会・自然の全体的理解を等閑に附しがちであった」と述べて、①諸学の密接な連携と総合性、②学術への要請と社会的貢献、③グローバル化と国際学術空間、という3つの視点を提起している。

 3つの報告は表現こそ異なるものの、その問題意識の多くは一貫している。同じ指摘を繰り返してきたが実態はあまり変わっていないという見方もできる。徒に時を浪費することなく、その方向に着実に向かうための具体的で実践的な方策が求められている。


図表 科学技術・学術審議会学術分科会における人文・社会科学の振興に関する報告(文部科学省HP掲載の報告書から作成)


諸学部に開かれた基礎学としての人文科学を目指す

 これら3つの報告書のタイトルが「人文・社会科学」から「人文学及び社会科学」に変わったことからも窺えるように、人文科学をどう性格付けるか、社会科学と一緒に論じてよい部分とそうすべきでない部分をどう切り分けるかという点にも配慮が必要である。因に科学技術基本法はこの法律でいう科学技術について、人文科学のみに係るものを除くと明記している。

 人文科学については、実学志向、競争的資金へのシフト、評価制度の導入などを背景に、人文科学の危機として警鐘を鳴らす研究者も少なくないが、人文科学の意義や立ち位置をあらためて明確にしつつ、自らも変革することが必要と主張する論考もある。

 ドイツ文学者の高橋義人京都大学名誉教授は、「教養を身につける場所として大学が位置づけられていた時代が文学部のひとつの全盛期だった」と振り返った後、「科学の進歩とともに、科学と人間、自然科学と人文科学はますます乖離していった。(中略)人文科学がすべての学の基礎学、真の意味での教養学であることを忘れてはならない。基礎学としての人文科学は、個別科学を基礎づけ、意味づけることができる」と述べている。

 特に、国内外の諸問題を考えるうえで、人間とは何か、人間はいかにあるべきかという視点を欠くことができず、また、国際化の時代こそ異文化を理解することや自国の文化を知悉していることが必須であることを指摘する。

 その上で、「学生たちの真の心の糧となるような基礎学を提供するために、人文科学系の諸学部は全学に向かって開かれ、学生たちの心の声に耳を傾けられるようにならなければならない」と自己変革が必要なことを説いている。(高橋義人「文学と人生観─基礎学としての人文科学」『学術の動向』2007.4,p10-15)

考え抜く力をどのようにして鍛え上げるか

 我が国の大学の教育研究に何が不足しており、何を強みとして活かせるか、さらに掘り下げるために、比較経済史が専門でケンブリッジ大学客員教授も務めた齋藤修一橋大学名誉教授に話を聴いた。以下はその要旨である。

 大学教育においては、「本当にわからせる」ことと「スキル・方法論を身につけさせる」ことの両方が必要だが、日本は後者に偏り、腑に落ちない事柄を深く考え抜く訓練が不十分だと思う。「心からわかっている」からこそ応用が利くのであり、そのことは研究にも通じる。

 アメリカのディベートやイギリスのチュートリアルでは、読む力、理解する力、表現する力、が試される。理解が不十分だとすぐにぼろが出る。ただ、ディベートは相手を負かすことに関心が向きがちという面もある。

 イギリスでは伝統的に歴史学に優秀な学生が集まるが、歴史学のチュートリアルでは、全体のバランスをみる、抜けている穴を探す、自分の意見をきちんと述べる、ことを身につけさせる。教師は常に、議論しろ、自身のアーギュメントを示せ、それを支えるエビデンスを示せと強調する。歴史学という人文科学出身者でも幅広い分野で活躍できるのはそのような訓練を受けているからだろう。

 但し、このようなチュートリアル教育を行っているのはケンブリッジやオックスフォードなど一部の大学であり、エリートとそれ以外が截然と分かれているのがイギリスの教育である。

 日本の大学のゼミ制度は海外にあまり例がない。スキル・方法論を身につけるのにフィットした方式だと思う。経済学の研究については、日本は層も厚く、バランスのとれた配置になっているが、大きさのある歴史観や新たなコンセプトを示すことが十分にできていないのは、深く考え抜く力が身に付いていないからではなかろうか。(以上がインタビュー要約)

人文・社会科学の本質や今日的意義を多角的に検討

 本稿の冒頭に示した学生数や学修時間は人文・社会科学を学ぶ学生全体に関するデータであり、3人の研究者のコメントは世界のトップ水準の大学との比較に基づく評価や課題を述べたものである。

 人文・社会科学系の学部・研究科を有する大学でも、教育と研究の比重の置き方、教員の意識や活動、学生の意識や能力などにより状況は大きく異なるだろう。

 しかしながら、同じ種類の学部・研究科であれば大学設置基準上求められる要件は同じである。人文科学や社会科学の教育を通してどのような人材を育てようとしているのか、そのためにいかなる方針に基づいて教育課程を編成するのか、その基盤となる教育研究力をどう強化するのかなどを考えるにあたり、人文・社会科学の本質や今日的意義を、歴史的経緯、社会との対話、諸外国との比較などの観点から多角的に検討しておくことは重要である。

 特に、 実学志向と教養重視が交錯する状況の中で、人文科学と社会科学を自校の教育上どう位置づけるかについて、教養教育や他の学問分野との関係を含めて十分な検討を行う必要がある。その際に、学問を通して学生が鍛えられ成長するためには何が必要かという視点が極めて重要になってくる。

 大学院教育や研究については、専門の細分化やたこつぼ化といわれる状況を脱し、知の統合、分野をこえた総合性、多様性を、どう実現するかがポイントになる。ケンブリッジではほぼ毎週セミナーが学内のあちこちで開催されており、MITでもワークショップが開かれているという。競争的資金を用いて共同研究やプロジェクト研究を促すだけでなく、院生・ポスドク・若手研究者が研究室を出て、学内外の多様な分野の研究者とフランクに交流する、そのような育成環境やオープンな場づくりを行っていく必要がある。

 最後に強調したいのは、大学院生や研究者が国境を越えて自由に行き来し、国際的な研究コミュニティに積極的に入り込み、その一員になることである。立本准教授は「日本にいてジャーナルを読んでいるだけでは3年遅れてしまう」と話す。そのためにも、英語でのコミュニケーション能力は不可欠である。大学をあげて学部段階から英語力の強化に取り組む必要がある。

 東日本大震災と原発事故を経て、人間と社会と自然をトータルで理解することの重要性がより切実に実感されるようになった。

 自然を理解することに対して大学が大きな役割を果たしていることは明らかだが、人間や社会を理解すること、あるいは自然を含めてトータルで理解することにおいて、大学がどれだけの役割をいかなる方法をもって果たしうるか、少なくとも筆者は、腑に落ちる答えを見出せていない。

 そのような文脈においても、本稿のテーマをさらに検討し、その枠組みを明らかにしていきたい。



(吉武博通 筑波大学 大学研究センター長 ビジネスサイエンス系教授)


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