ダイナミック・アジアⅡ(7)ミャンマーの高等教育改革と今後の方向性 上別府隆男

写真 ヤンゴン郊外のダゴン大学正門
ヤンゴン郊外のダゴン大学正門


 ミャンマーはASEANに属する発展途上国であるが、最近は、東南アジア最後のフロンティアと呼ばれるほど、今後の発展が期待されている。同国は日本の2倍近くの国土に約5,500万人(2016年国連推計)の人口を持ち、平均年齢(中央値)が29歳(日本は49歳)と若い国である。また、135の民族を数える多民族国家でもあり、ビルマ族が約7割、シャン族やカレン族等の少数民族が約3割を占める。人口の約9割は仏教徒であり、少数民族にはキリスト教徒やイスラム教徒が多い。

 ミャンマーは、1948年に宗主国イギリスからビルマとして独立を果たし、1962年の軍によるクーデター後のビルマ式社会主義政権、1988年以降の軍事政権を経て、1989年にミャンマーに国名が変更された。1988年に起きた民主化運動の軍による弾圧に対しアメリカ主導の経済制裁を受けたため、1962年以来半鎖国状態であった。しかし、アウンサンスーチー氏主導の民主化運動の高まりを受けた国際社会からの圧力や中国の影響力拡大への軍政の懸念等を背景に、2010年総選挙が行われた。しかし、当時の最大野党国民民主連盟(National League for Democracy: NLD)がボイコットしたため、旧軍政系の連邦団結発展党(USDP)が一方的に勝利することとなった。2011年3月には23年ぶりに不完全ながらも「民政」に移行し、元陸軍大将のテインセイン氏が大統領となり、開放政策を強く打ち出すとともに諸改革を本格的に開始し、それに伴い、欧米の投資も急増した。

 2016年4月には、前年の総選挙での勝利を経て、NLDが政権を取り、国家顧問(兼外務大臣)に就いたスーチー氏が事実上の国家元首として政府運営を行ってきている。しかしながら、治安と国防を担う国軍が強い影響力を保っているため、スーチー氏が最優先事項とする少数民族との和平合意交渉は一進一退であり、またNLDの行政経験不足や人材不足に加え、スーチー氏への過度の権力集中等により、行政も停滞しがちである。政権発足当時の熱狂と大きな期待に応えているとは必ずしも言えず、今はそれが幻滅に変わろうとしており、NLDに満足しないグループは新党結成に動く等政局は流動化しつつある。この手詰まり感から、同氏は、前政権時代から距離を置いてきて来た中国に対し、経済支援や少数民族への影響力を期待し、再接近を図っている。2017年に入り大きな国際問題となったイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの扱いを巡っては、国際社会の懸念や圧力の高まりを受け、難民の帰国に向け、避難先のバングラデシュと協議を進めている。

教育改革と高等教育改革

 「開国」に伴う諸改革がほぼ全ての分野で進むなか、高等教育を含む教育部門の改革は、前政権が発足した2011年から進められている。改革のステークホルダーとしての連邦議会、大統領府、教育管轄省(教育省・科学技術省など)、国際ドナー、市民社会団体等が協議を重ねながら、全国教育法(National Education Law)、その下位法である基礎教育法、高等教育法、技術教育・職業訓練法、私学教育法等の法律制定や教育政策策定を同時並行で進めてきている。

 高等教育改革に関しては、全体的オーバーホールを一気に進めようとするあまり盛り沢山であり、ガバナンスの大幅な見直し、高等教育機関への自治権付与と権限移譲、高等教育機関運営体制の効率化のための管轄省の統合と高等教育機関の整理統合、授業料増等が挙げられる。高等教育には多くのステークホルダーが関わること、また、過去の経緯から政治性が非常に強いこと等から改革には非常に時間がかかっている。

 教育改革のプロセスでは、2011年の民政発足後、それまで長らく軍政により政治活動を禁じられてきた大学生が開放・民主化の流れの中で政治的活動を始め、全国教育法案に対し、大学への完全な自治権付与、独立した学生組合結成の自由などを強く要求した。このような学生の要求を一部入れ、全国教育法は2014年9月連邦議会で一旦成立し翌月に施行されたが、なお大学自治権の程度が不足しているとして学生は運動を続けた。その後、2015年初めに行われた大規模な学生デモの要求を受けて、テインセイン前大統領が連邦議会に同法の修正を求め、同法は2015年6月に修正された。この修正後に各大学は大学憲章(University Charter)の策定を開始し、自治権の行使に向けた準備をしている。しかし、高等教育法など下位法(その他、基礎教育法、技術教育・職業訓練法、私学教育法)は調整に時間がかかっているため、2018年3月現在施行されていない。高等教育法が施行されると大学憲章は確定することになる。


写真 学長対象高等教育改革ワークショップ(2014年)
学長対象高等教育改革ワークショップ(2014年)


高等教育の抱える課題

 そもそも、ミャンマーの教育セクターにおいては、基礎教育・職業技術教育は教育省や労働省が管轄しているが、高等教育分野の管轄は歴史的な経緯から複雑である。同国の高等教育機関は全て国立で現在計169校あるが、近年は教育省、科学技術省、保健省、国防省等による13省管轄体制であった。この複雑な体制は、1990年代に多くの省の管轄下での大学設置を多数認可すると同時に、1996年に元々教育省管轄であった高等教育機関を分野ごとにほかの関連官庁の管轄に移すことによりでき上がった。しかし、2014年の全国教育法制定により、国防省などの管轄の大学を除き、教育省の管轄となっている。

 1988年の学生の反政府・民主化運動及びその弾圧後、当局は、学生の政治運動を鎮静化する目的で、一般大学の閉鎖と再開を繰り返し、また言論などに多くの制限を課してきた。その一方で、高等教育機会を補完するための遠隔教育大学(University of Distance Education)が1992年に設立され、社会人が働きながら高等教育を受けることを可能とした。2000年には高等教育機関は全面再開されたが、歴史的に政治運動の中心だったヤンゴン大学とマンダレー大学をはじめとするエリート大学の学部は、学生の非政治化目的で、都市部から遠く離れた所に移転された。これらの大学は大学院のみの大学になったため、どうしても都市部で学びたい学部生は学部が残された大学等に進学することになり、学生と教員は長距離の通学・通勤を強いられ、疲弊し、必然的に教育の質は低下したのである。

 大学教員の待遇はといえばかなり厳しく、長い通勤による疲弊に加え、多くの授業の担当や研究費不足により研究が満足にできる環境になく、また給与は極めて低いため、副収入がないと生計を立てられない状況にある。さらに、大学教員には政府による異動制度により数年ごとに全国規模で動くため、1か所で落ち着いて仕事をすることが難しい。

 2017年時点での高等教育機関の在籍学生は約60万人であり、通学型大学に約20万人、遠隔教育大学に約40万人在籍しており、後者が3分の2を占める。通学型大学における教育の特徴としては、講義中心、暗記・試験重視、軍政の言論規制による学生の受動性と低い参加度等が国際機関により挙げられている。また、授業では英語を使う必要があるが、教員・学生とも英語力不足のため内容の理解が不十分となることからくる暗記・試験依存も問題とされる。なお、高校卒業資格試験の成績で振り分けられる専攻と学生の関心のずれにより学習意欲が低下してしまうことも指摘されている。さらに、大学の教育内容が理論に偏りがちで、社会や就職に必要な知識とスキルを得られず、実践的なキャリア教育や指導がないに等しいことから、大学在学中、中退後あるいは卒業後に語学学校、専門学校等で補足する傾向がある。教員の短期異動制度も質の高い教育の実現を難しくしている。しかしながら、学歴重視社会であるため、家族は実学よりもステータスとして大学を志向する傾向がある。遠隔教育大学の卒業生に対する政府や社会の評価は通学型大学と同程度か低いようである。2014年のミャンマー人の最終学歴は、男女とも8割強が高卒以下、男女とも2割以下が大卒以上であった。

 このように、ミャンマーにおいて知識やスキルを身につけるためには、複数の学校に同時にあるいは継続して通うという、言うなれば「教育のカスタマイズ」状態が存在する。この状態は通学型大学も遠隔教育大学に共通している。

教育改革の成果

 ミャンマーではこれまで小中高5+4+2制の11年間教育が行われてきたが、2017年度よりASEANや他の国際標準に合わせるため12年制に延長された。従来の制度では、高校生は高校最後の学年度末の3月に行われ高校卒業試験を兼ねる全国一斉大学入学試験(セーダン試験または10年生試験)を受ける。そこで得た全教科の合計点に従って進学希望の分野を申請し、申請者の得点の高い順に難易度に従い大学・学部・専攻に振り分けられ、定員分だけ入学が許可されるという仕組みになっている。8月頃に合格発表後、12月に大学入学と進み、16~17歳で入学となる。近年のセーダン試験の合格率は3割程度であり、残り7割程度は高校を卒業できず、従って大学にも進学できない。セーダン不合格者は職業技術教育訓練、外国語教育などによりキャリア形成を行うことが多い。それ以前の高校中退者、中学校中退者、小学校中退者にもそれぞれ職業技術教育訓練のルートがある。なお、2016年3月実施分のセーダン試験から受験者の志望の自由度が増すことになった。


写真 チャウセー大学でのビルマ語の授業の様子
チャウセー大学でのビルマ語の授業の様子


 2018-19年度には、都市部のヤンゴンとマンダレーの主要な大学11校が、全国の大学に先駆けて、試行的な大学別の入学試験を行う予定である。この試みは、今後、選抜権限の教育省高等教育局から各大学への移行、そして高校卒業試験と大学入学試験の分離につながると考えられる。

 最近の政策の動きを見ると、2017年2月、スーチー氏は国家教育戦略計画(National Education Strategic Plan:NESP)を公表した。これは、前政権が国際ドナーの支援を受けて始めたプロジェクトである包括的教育セクター調査(Comprehensive Education Sector Review: CESR、2012-16)の最終成果物であり、幼児教育から高等教育をカバーする計画(2016-21年)である。NESPにはASEAN他の国際基準を意識した改革項目が挙げられており、基礎教育の11年制から12年制への延長、児童中心学習や双方向型学習アプローチの導入が打ち出され、高等教育分野でもガバナンス(自治や透明性)、質保証、アクセス等の改善が示されている。NESPはミャンマー教育の近代化への重要な第一歩との評価がある一方、必要とされる予算の確保の実現可能性の低さ、策定過程に市民社会組織や少数民族等の意見が十分反映されていないこと、高等教育より基礎教育重視が鮮明であること等が指摘されている。

日本企業における人材の需要と供給

 一方、ミャンマーへの海外投資を見ると、民政移管後の2012~15年の期間で7倍増となっており、資源型から製造業・通信業への投資分野のシフト、投資セクターの多様化がみられる。投資累積額では、中国、シンガポール、タイ、香港の順であり、日本は11位である。日本の投資は、2016年度5位であり、2011~16年の期間で80倍と飛躍的に増えている。2016年度の日本の投資額は、製造業、サービス業、ホテル・観光、石油・ガス、不動産の順であった。進出日本企業数は2011年当時の50社から2017年3月時点での340社へと7倍近くに急増しており、分野別では製造業が6割近くを占めている。

 このような日本の投資・進出企業の急増により、ミャンマー人人材の需要も拡大している。2016年のヤンゴン日本商工会議所による調査によれば、ミャンマーの日本企業が求める人材は、幹部候補、専門家・技師、長期勤務者、日本語話者の4類型に分けられ、特に、日本の投資分野の過半数を占める製造業において、幹部・マネジャークラスの人材不足が深刻である。業務に必要とされる知識・スキルの吸収能力に問題があることがこの不足の主因とされ、企業間で人材の争奪戦や囲い込みが起き、とりわけマネジャークラスで賃金が急騰中である。高い日本語能力を持つミャンマー人に対する需要は高く、売り手市場となり、給料が増加している。拡大する需要状況を反映し、日本企業就職の人気は上昇し、日本語力があることは就職に有利に働くため、必然的に日本語熱が高まっている。日本語学習者数は急増し、日本語学校進学や日本への留学は増加傾向である。

日本語学習ブームと日本留学

 国際交流基金が2015年に行った世界の日本語教育機関調査によれば、ミャンマーの日本語学習者は2012~15年の間で3,000人から11,000人に増加している。日本語能力試験の受験者をみると、2014年の4,434人が2015年には8,000人へと大幅な増加を見せ、特に、初級レベルのN4やN5の受験者が急増している。日本企業就職に有利であること、外国の証明書に信頼性があり「箔がつく」ことがこれらの増加の要因とされる。同国では公的機関による資格や証明書が少ないことが背景にあると指摘されている。日本語学校は全国で約130校(2016年)あり、学生数が100人を超える大規模校は数校のみである。ちなみに、ミャンマーでの日本語教育の最高峰は大学の日本語科であり、全国でヤンゴン外国語大学とマンダレー外国語大学のみに設置されている。

 この日本語学習ブームは、日本の投資や進出企業増加に加え、現地での日本側の活動、日本の就労ビザ緩和、日本製品の質の高さ、日本人観光客増加等の相互作用が原因と考えられ、日本留学や日本企業就職が大きな関心を集めている。そもそも、日本留学は、独立の英雄アウンサン将軍やその娘であるスーチー氏も経験しており、1970~80年代の軍政時代・経済制裁時代の留学先は西独と日本のみであったため、現在の政府高官や大学幹部には日本政府の元国費外国人留学生が実に多く、強いつながりを保っている。西側諸国が経済制裁を課すなか支援を続けた日本が持つ貴重な人的ネットワークとなっている。

 ミャンマーにおける留学希望者の学習言語は英語が1位であり、日本語はそれに続く。ミャンマーからの留学傾向としては、信頼できるデータで正確な確認はできないが、やはり英語圏が多く、アメリカやイギリス、オーストラリアやシンガポールに人気があり、隣国タイも増加中である。オーストラリアとシンガポールは地理的に近く、奨学金や授業料免除も充実していることが要因である。日本は出稼ぎとしてのイメージが強く、他国にはない週28時間までのアルバイト制度が魅力に映るようである。図1は2012~16年の期間のミャンマーから日本への留学生数の変化を示す。大学や専門学校への留学も増えているが、それ以上に日本語学校への留学の伸びが顕著であることが分かる。


図1 ミャンマーからの日本留学生数推移


今後の高等教育改革

 1988年から軍事政権の下トップダウンで動いてきたミャンマーの大学は、2011年以降の急激な教育改革により大きな転換点に立っている。多くの法律が制定され、教育政策や制度が続々と作られるなか、大学には自治権が付与されようとしている。しかし、自治権の行使には自由と責任が伴い、自由と責任を担うには様々な能力や資源が不可欠であるが、改革状況を見るに、政策・制度作りが先行し、制度の血となり肉となる大学教員の能力開発・向上に十分な焦点が当てられていない。突然自治を与えられても大学側は右往左往するだけであり、旧来の教育を行ってきた大学教員は、適切な訓練なしには新しいシステムに対応できない。良くも悪しくもこれまでの大学教育の在り方・特徴を踏まえて改革を徐々に行うことが現実的である。

 民間の調査によれば、ミャンマー経済の牽引役は、現在、農業、インフラ整備、製造業、エネルギー・採鉱の順であるが、2030年までに製造業、農業、インフラ整備、エネルギー・採鉱の順に変化すると予測している。これらの分野に必要な熟練・半熟練・非熟練労働者の不足は現在も起きているが、今後より深刻化すると予測されている。必要とされる熟練・半熟練労働者については、高等教育レベルの人材へのニーズはあまり変化がないが、中等教育により養成される人材は3倍以上必要とされ、逆に小学校卒業レベルの人材のニーズは半減すると予測されている。高等教育の現状から、教育改革を待っていては急拡大する人材ニーズに対処できないのが現状である。このスキルギャップに対応するために民間部門による実践力のある産業人材育成が焦眉の急とされ、ミャンマーへの企業進出が活発なドナー国や進出企業が独自に職業訓練校を設置して育成する動きが活発になってきている。

 現段階のミャンマーの発展及び将来予測を見れば、高等教育は、伝統的な学問領域に基づく理論中心・暗記中心の受け身型教育から、産業や社会が必要とする人材育成を目指すものへと重点を移行すべきであり、高等教育改革では、通学型大学と遠隔教育大学両方において、産業ニーズに対応できるように職業技術を重視したキャリア教育を位置づける必要性がある。地理的移動が難しいミャンマーにおいては、特に、大学生の3分の2を抱える遠隔教育大学により焦点を当て、ICT環境の整備とともにe-learningの可能性を探ることが喫緊の課題に対応する近道だと考えられる。

【主な参考文献】
日本学生支援機構(2013. 2014, 2015, 2016, 2017)「平成24年度外国人留学生在籍状況調査結果」
【外部リンク】http://www.jasso.go.jp/about/statistics/intl_student_e/index.html


上別府 隆男 福山市立大学 都市経営学部 都市経営学科 教授

【印刷用記事】
ダイナミック・アジアⅡ[7] ミャンマーの高等教育改革と今後の方向性 上別府隆男