工学教育の実質化を目指して、進化を続ける組織文化/芝浦工業大学

 芝浦工業大学は、1927年に有元史郎が開設した東京高等工商学校として始まり、現在では豊洲、大宮、芝浦の3キャンパスに、3学部17学科、約7000名の学部学生をもつ伝統ある工学系大学である。近年、システム理工学部やデザイン工学部などの学部・学科設置や豊洲キャンパスの開校など存在感を一層増している。どういった戦略に基づくのか、今後はどのような発展を考えているのか、柘植綾夫学長にお話をうかがった。

学部・学科の改編とキャンパス移転

 大学としての大きな動きを整理すると(図表1)、豊洲キャンパス開校、システム理工学部やデザイン工学部の設置など、この数年間の動きがとくに目立つ。こうした変化している部分に注目が集まりがちだが、変わらないところが重要だと学長は言う。変わらないものとは建学の理念「社会の諸相を教材とし、社会の問題の解決に貢献する人材育成」である。これは82年も前に書かれたものであるが、今なお生きているし、科学技術の成果が社会に深く浸透した現代の社会においてますます重要性が高まっている。この理念に基づいて、21世紀の社会ニーズに対応した工学教育を行うべきであり、その実現に向けた改革を「実践型技術者・研究者の育成を目指した工学教育の実質化」と位置づけ、この20年継続的に取り組んできた。この一環として伝統的な工学部も様々な改革を行い、同時に、それだけで対応できない領域に対し新しい学部・学科を作ってきた。


図表1 学部学科改革の動き


新しい学部の目指す工学教育

 最初の変化は1991年のシステム工学部の設置である。複雑化する社会では、ひとつの専門領域にとどまらず、複雑な事象の要素関係を総合的、系統的に把握して組み立て直す、問題の発見や構造化、システム的な発想が重要になってくる。従来の工学のような専門領域の分析的(analytic)な教育研究だけでなく、システム志向で総合的(synthetic)な教育研究を行うために、新しい学部が作られた。2008-09年にかけて、システム工学部がシステム理工学部に発展し、新たに生命科学科、数理科学科が設置された。科学技術が深く浸透した21世紀の社会において、工学と理学、生命学との融合が不可欠になったためだ。たとえば、バイオテクノロジーやクローン技術など生命体に関する技術が開発され、これを工学分野に応用する試みがなされているが、最も複雑で難解である生命を解明し、その工学的支援を目指す分野が重要であり、生命科学科が設置された。また、生命現象などの自己組織化を模したシステム設計では、複雑系のシミュレーション技術や理論的基礎づけが不可欠であり、数理科学的手法との融合から、数理科学科が設置された。

 さらに多様化、グローバル化が進む現代社会では、機能や生産重視という観点だけでなく、消費者・利用者である個人を満足させるものづくりが求められている。安く壊れないものを作れば売れる時代ではなく、安心・安全など人の心の問題も考慮しなければならない。こうした視点から、ものづくりをとらえ、それを具現化できるデザイン能力(単なる設計図面制作ではなく、意匠力、設計力、構想力、計画力を併せ持つ能力)を備えた技術者を養成するために、2009年デザイン工学部が設置された。

 このように社会の変化をとらえ、如何に新たな問題を解決できる人材を養成するのかを模索している点で「変わっていない」と学長は強調する。

教育方法の改善も模索

 3学部それぞれで時代の要請にあった工学教育を行うために、内容だけでなく、教育方法の面でも様々な工夫をはじめている。たとえば、デザイン工学部の導入教育のための教材「社会をデザインという目でみよう」という取り組みは典型的である。社会をデザインという目で見る人材を育てようとしても、社会を見る機会が十分にないままに大学に入学する高校生に対して導入教育は不可欠だ。そこで、昨年の夏から半年くらいかけて教材を作り、入学内定者に読んでもらった。この教材を読む前に社会を見た時にデザインをどこまで認識できるか、テストをして、教材を読んだあとの入学後に同じ設問をして、見方がどう変化したのか、効果を測定可能な形で捉えようとしている点もデザイン工学部らしい工夫だ。

 また、導入教育以上に重要なのは、入学後の教育である。工学を学ぶ意識があいまいな学生も入学してくるため、工学と社会との連関について皮膚感覚を持って理解し、工学の専門教育がどうそれを支えているのかという基本的なものの見方と考え方を理解させる教育を強化する必要がある。そのために、しばしば言われる「教養教育か、専門教育か」という二元論では済まなくなっており、2つの改革の方向性を導入すべきだという。ひとつは1、2年生の教養教育の中に、理工学的な教養、たとえば生命はどうなっているのか、インターネットシステムの光と陰などの要素をもっと加えるべきだという点、もうひとつは3、4年生、そして大学院生になってもたえず工学の専門教育研究と社会との関連を思考回路にいれるような新しい工学の教育研究の必要性であり、こうした2つの視点からのカリキュラム改革にも挑戦している。こうした導入教育の実施と専門工学教育の実質化のために、教材(共通の雛型)は不可欠で、これを作り始めている。

教学改革の推進体制

 このような新しい学部、あるいはカリキュラムや教材を作るためには構想力が求められるが、誰を中心に行っているのか。また教育現場を担う数多くの教員にこうした考え方をどのように共有させ、実行させているのか。

 改革は学長の工学教育思想だけで進めているわけではなく、建学の精神に基づくものであると学長は強調する。目指すべき工学教育の方向性や改革の必要性について、3学部長、学部長室メンバーだけでなく、かなりの割合の現場教員も賛同してくれているという。たしかに伝統的な工学教育の先生はこうした教育改革の必要性を感じにくい面もあるし、実際にどう取り組んだらよいのかわからないという面はあるかもしれない。しかし、同大学の場合、半数近くの教員が、企業の研究機関や国立研究所など社会との関わりをもつキャリアを歩んできており、産業界出身の学長と認識が同じ人が多いという。同大学では、全専任教職員の選挙で学長を選ぶので、柘植学長が選ばれたことは目指すべき教育の方向性が広く共有されているひとつの証拠と考えてもよいのかもしれない。

 ただ、こうした教学改革は1、2年でできるものではなく、教え方も含めて熟成し、文化として定着させていくには時間がかかる。そこで、学長は赴任後、2008年4月から「チャレンジSIT-90作戦」をはじめた。折しも創立80周年を終えた時期であり、10年後の創立90周年に向けて実行するための教学ビジョンの再確認という位置づけのものだ。教育、研究、イノベーションへの参画という互いに深く関連している活動を三位一体的に進化させるための包括的な内容になっており、これら3つの活動の推進を絶え間なく行う組織文化にしていくのが狙いだという。

 この推進のためのしくみは図表2のとおりだ。教学改革は、教学部門の長である学長のリーダーシップのもとで行うことが法人全体のコンセンサスになっている。チャレンジSIT-90作戦推進室は、副学長を室長としたプロジェクト型の組織である。メンバーとして推進室をつくった教員のほかに、職員では企画室からリーダー格が2名、それ以外の部署(広報、入試など)からもテーマごとに兼務で参加している。

 作戦は2本立てになっている。一方で、今まで各部署で行ってきたことを自律的に見える化し、より太くする過程が重要である。これが各教学機関推進項目である。他方、各部署の最適化だけでなく、全学最適化の視点に立った全学の取り組みも不可欠であり、こちらについては学長室がリードして行う。これが学長室推進項目である。学長室推進項目は7つあるが、7名の学長補佐がそれぞれの責任者を務め、いくつもの事務部門との協力のもと、推進している。たとえば、このうち、③④の項目に対応して、「SIT総合研究所」を作った。教員は個人の能力を生かして教育研究を行うとともに、社会の諸相に学び、教育に生かすには組織的な教育研究活動が不可欠であり、これを行うためのプラットフォーム(場)としての組織である。専任教員自体は2名のみであるが、テーマごとに各学部・研究科の先生が集まって研究とイノベーションへの参加をするものであり、学内助成制度もあるが、多くは産業界や政府の競争的資金を獲得して行う。そうした意味でテーマは社会のもとめるテーマとなっている。⑤⑥については、社会との接点として、従来の知的財産本部の機能・サービスを拡大させ、複合領域産学官民連携本部を立ち上げ、学長を本部長としてSIT総合研究所と社会とのゲートウェイ活動を強化している。東京ベイエリア産学官連携フォーラムというネットワークも創設した。

 各部署の取り組みを尊重しつつも、学長のリーダーシップを発揮できる体制を構築しているように見えるが、着任早々、副学長や学長補佐などの主要メンバーをどのように集めたのか。2年前に産業界から赴任した時点では学内の誰が適任者であるか、わからなかったが、当時の理事長(教学部門の長出身)にこういうことをやりたいと話したら、全面的にサポートし、適材を紹介してもらった。理事会と教学部門は、責任は異なるが両輪一体でうまく機能しているという。


図表2 チャレンジSIT-90 の推進体制


志願者増という成果

 建学の理念を目指した不断の改革を行っている成果は、入学志願者数にも表れている(図表3)。この3年ほどの伸びが特に激しいが、10年ほどのスパンで見ても、安定的に志願者を増やしてきたことがわかる。新しい学科を増やしたシステム理工学部や新設のデザイン工学部だけでなく、既存の工学部の人気も高まっているのも特徴的だ。10年という長いスパンで伸びてきているのは、新しい学部やキャンパスを作るといった表層的な改革の効果だけではないことを示しているという。

 キャンパスの移転にしても相当の時間をかけて学内で議論して決定したことだという。社会に学び、社会に貢献する人材育成をするために、都心に立地する芝浦キャンパスはきわめて大事であったが、70年以上の時を重ねた芝浦校舎は老朽化し手狭になったことから4倍の広さをもつ新しい地に教育研究拠点を確保した。芝浦の地をどうするかも理事会で時間をかけて検討した。すべてを売れば莫大な資金が入るが、発祥の地ということもあり、3分の1を残し、新しい校舎を建て、デザイン工学部を創設し、街づくりと一体化したキャンパスづくりを進めている。

 中長期計画などを立てているのかもたずねてみた。10年後の現在の志願者数や就職のパフォーマンスを向上させるという大目標はあるし、収支バランスなどの経営的な数値目標はあるが、教育に関しての中長期計画は特にないという。建学の理念という軸をずらさず、それを実行しようと日々教育の改善をすることで、足りない点を常に考え、その結果、次の課題が見えてくる。こうした教育改善の試行錯誤を繰り返すことしかできないのではないかと学長は述べる。何を教えるのかだけでなく、どのように教えるのかについても様々な試みを始めている。


図表3 学生数と志願倍率の推移


成功の秘訣──組織文化醸成の重要性

 最後に、学長自身は何を成長の理由ととらえているのか、たずねてみた。過去10年間、とくにこの3年間、志願者が伸び続けている理由を、理事会でも検討しているという。豊洲キャンパス新設など、いくつか表層的な要因は考えられるが、本質的に最も重要な点は、教員職員が総力戦でやってきたこと、すべての部署にたゆまなくパフォーマンスをあげる文化があったことが大きいのではないか、ということであった。10年以上も続くトレンドはこういう一見、目に見えにくいものの力が大きいと思うと述べ、その中でも特に職員の優秀さを強調した。

 確かに筆者も数多くの私立大学を訪問する中で、成長している大学に見られる共通点は高い職員力だという感触はある。職員力が高い理由も大学によって異なるため、なぜ、彼らが優秀なのかをたずねたところ、3つの理由があるそうだ。

 1つ目の理由は、幸か不幸か、学園が存亡の危機を体験したことである。学費値上げ反対からはじまった大学紛争で1971年には裁判所の手により、大学の運営が理事会から破産管財人に移るという前代未聞の事態を経験した。これをきっかけに、職員自身がしっかりしないといけないという危機感やそれにこたえる法人体制といった風土が長期的に形成されてきた面があるという。2つ目には、経営と教学のトップが教員力だけでなく、職員力が重要だと理解し、リーダーシップを発揮していることである。トップの思想と理解をなくして良い循環が生まれるのは難しいという。3つ目には、中途採用と新卒の割合が約半々で、新卒採用に対するSDもうまく機能している点である。ベテラン職員が新しいことをやれと理解し、積極的に助けてくれる中で、新卒人材もより良く育つという。こうしたサイクルがうまく機能している一例として、4年前から始まったSOS(Support OfSIT)というユニークな活動がある。若手職員が自主的に結成した活動で、学生生活の充実のために何ができるかを考え、各部署に戻って実践しようというものである。こうしたボトムアップの活動により、若手職員自身の能力アップという副産物もあり、興味深い取り組みだ。

 成功する学部学科の再編、キャンパス移転などの表層的な所に目がいくが、一発勝負ではなく、絶え間なく進化する組織文化を構築し醸成していくことの重要さを再認識させられた。こうした組織文化をどう構築し、深めていけるのか。知恵と経験を共有していくことが、一見遠回りに見えるがとても大事ではないだろうか。


(両角亜希子 東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策コース講師)


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