「スーパー拓大生」養成を目指す教養教育/拓殖大学 「桂太郎塾」

トップを引き上げる

 2009年4月、拓殖大学に「桂太郎塾」と命名された小さな塾が誕生した。塾長は森本敏教授、塾長補佐として丹羽文生助教、塾生は2~3年生30名ほどの小所帯である。これからの日本を担うリーダーを拓大から輩出する、という目的のもとに設立された。

 その設立理念について、渡辺利夫総長は、「高校卒業生の半分が大学に進学するという大衆化の時代において、うちの大学も、学生の知的レベルの向上のために、さまざまな形で教育に力を入れています。だが、それらはどちらかと言えばボトムアップの改革です。しかし、他方で、うちの大学にも、非常に知的レベルが高く、また、志のある学生がいることも確かです。そうした学生を、そのまま埋もれさせてはいけない。彼らの知的レベルをさらに引き上げることも大学の役割です。そのために学内に塾をつくり、リーダーを養成しようとしたのです。」と語る。

 「また、リーダー養成にとどまるのではなく、塾で育った学生は、教室の授業に戻ったとき他の学生に影響力を与え、学生全体のモチベーションが上がるという、波及効果も期待しているのです」。総長は、長年の教育経験に裏付けられて、このように話す。トップを引き上げることで、ボトムアップも可能になるというわけである。

 理事長の決裁から開塾までに1年、実際の準備は半年という、非常に短期間での事の運びであった。

 ちなみに、塾名の「桂太郎」とは、明治期に陸軍大臣や首相を歴任した桂太郎であり拓殖大学の創設者である。長州藩出身の桂太郎は、松下村塾を率いた吉田松陰を生涯にわたって敬愛し続けていたという。その桂太郎の思いは、1世紀を経て、自身の名がついた塾となって結実したということができよう。

アジアへの視野・地の塩となるリーダー

 では、この桂太郎塾においては、どのようなリーダーを養成しようとしているのだろうか。塾是は、「『公共精神』と『開拓精神』をもつ次代の牽引役たる俊英」と、端的に表現している(図1)。これは、拓殖大学の建学の精神と歴史を知らねば理解できない。台湾協会学校を前身とする拓殖大学は、創設以来、アジアの開発を担う人材の養成を目的としていた。事実、戦前期の卒業生は、台湾、朝鮮、満州(現在の中国東北部)などの外地で働く者が内地で働く者より多く、それらの地域の地方行政や経済開発に大きく関わっていたという。現代的な表現を用いればグローバル人材となろうが、そうした意気込みをもったリーダーを養成したいというのが「開拓精神」なのである。

 もう1つの「公共精神」とは何であろう。それについては、丹羽文生助教の明快な説明が教えてくれる。「われわれが考えるリーダーとは、何も組織のトップや表舞台に立って活躍する人物だけを意味するのではありません。『地の塩』となって社会に貢献する人材、多くの他者の利益に奉仕する人間の育成こそが課題なのです」。草の根的な活動に従事したり、中堅として組織を支えたりすることも、リーダーとして重要な資質と考えられてきたのである。これも大学の建学の精神である。その精神は、人間関係上の礼儀や礼節を重んじることで培われるという。丹羽助教は、時には場所をわきまえた服装についてまで、さまざまなマナーを厳しく指導すると言う。マナーは、公共精神の涵養に通じるのである。

 塾是や塾訓に限らず、大学の歴史や建学の精神は、さまざまな場面で塾生に説かれる。それは、リーダー養成という目的と表裏一体となった、もう1つのねらいがあると、総長は話す。すなわち、学生が拓殖大学に入学し卒業していくことに、誇りをもてるようにするためでもあるという。どこの大学においても、そこを第一志望としていた学生とともに、第一志望ではなかった不本意入学者がいる。そして、不本意入学者には、得てして知的レベルの高い学生が多い。建学の精神や大学のこれまでの歩みを知ることで、それらの不本意入学者は、その大学に入学して良かったと思うようになるという。在学する大学に誇りをもち、学生生活の満足度が高まることで、リーダーとして活動しようという志気も上がるのであろう。

図1 塾是

アジアへの視野・地の塩となるリーダー

 塾のプログラムは、卒業単位とは無関係である。しかし、学期開講中のほぼ毎週、木曜日18:15~19:45の講義と土曜日10:35~12:05のゼミナール(集団討論・ディベートなど)を基本として、年間22週(40回強)開講される。塾生は、加えて論文の執筆・発表が課されており、当然のことながら、相当の自学自習が求められる。2〜3年生に限定されたプログラムであるが、その多くは八王子キャンパスで学習している。必修科目も多い中、ほぼ毎週2回、塾が開講される文京キャンパスまで通ってくることは、決して容易ではない。それだけの意気込みと継続力がなければ、塾生にはなれないということである。

 また、夏季には国内での合宿、冬季には海外研修がある。ちなみに、過去3回行われた夏季合宿は松下村塾のある山口県萩市で実施し、冬季研修は韓国を予定している。いずれも大学と深い関わりをもつ地域である。ここにも建学の精神を重んじた教育をみることができる。

 2011年度の招聘講師を挙げれば、天田要治(衆議院憲政記念館長)、出田善蔵(大阪ガス顧問)、原口一博(元総務大臣)、中静敬一郎(産経新聞社取締役・論説委員長)、香山リカ(精神科医)など、各界のそうそうたる人物が並んでいる。講師の人選には、基本的には教員があたるが、時に、塾生側からの強い要望によることもあるそうだ。そのような場合も含めて、講師に直接コネがなくても、主旨を伝えてお願いすることで、これまでおおむね引き受けていただいているという。

 塾生にすれば、目の前でこれら各界のリーダーの話を聞くことは、この上ない刺激であろう。「鉄は熱いうちに打て」ではないが、大学入学から早い時期にこうした経験を重ねることは、まさに魂を揺さぶられることになっているのではないだろうか。

読み・書き・話す

 塾生が力をつけるためには、「読み・書き・話す」というトレーニングの繰り返しだと、丹羽助教は話す。「読み」とは文字通り、書籍を読むことである。これまでに課された主な図書リストを列挙しよう。多様な分野にまたがっているうえ、2~3年生が読むにしてはやや難しい書籍が並んでいる(表1)。

 これらの書籍を読むにあたっては要約を記していくことが課され、そうすることで内容を理解し、書籍を素材として議論ができるようになるのだという。昨今の大学生が本を読まないことは、誰もが指摘するところであるが、そのなかでもやりようによっては、読みこなしていくことができるという証左である。

 「書き・話す」という作業は、書籍の要約をつくるということ以外に、議論をまとめる、体験をまとめる、課題について議論する、論文を執筆する、論文をプレゼンするなどの一連の作業をいうが、ここで重視されているのは、体験したこと、思ったこと、考えたことをすべて言語化するというプロセスである。文字に記す、言葉で説明するというプロセスには説得性が要求され、そこでの反芻を経て言語化することで、論理的思考力が身についていくのだという。

 リーダーたるべき者は、多様な分野について幅広く知ることが不可欠であり、そのことで、言語化という作業も進捗するととらえられている。塾生は、広く浅くではなく、広く深く学べと叱咤激励されているそうだ。

 これらの作業のほとんどが開塾日に備えての予習、および、その後の復習になる。ついていくのが容易ではないという実態が、ここでさらに明らかになる。

表1 2011年度主たる課題図書

厳しい選抜

 塾生で「いる」ことも容易ではないが、塾生に「なる」ことも容易ではない。定員はわずか30名であるが、志願者が定員を超えても基準を満たした者しか合格させていない。2009年度32名、2010年度20名、2011年度23名の合格者であるが、志願者は2009度は約70名、2010、2011年度は40名強である。一般常識の筆記試験と小論文、さらに面接を経て、志願者の半分以下しか合格しない厳しい試験である。

 早くも学生間では、塾生選抜試験はハードルが高い試験、それに合格した塾生はエリートという評判があるらしい。

 これだけ厳しい試験をクリアしているためか、脱落者は少ない。初年度こそ5名が脱落しているが、その後の脱落者は1名である。他方で、塾にはまって2カ年度にわたって継続する学生もおり、2010年度は5名、2011年度は8名に及んでいる。

 選抜の基準は、基礎学力とともに、どれだけ「志」があるかということにかかっているという。面接でその志が問われるわけだが、担当教員の間で受験者に対する面接の点数が異なることはほとんどないそうだ。すなわち、志というと抽象的であいまいな基準のようだが、教員の間では同等の評価基準があるということだ。

輝きを増す学生

 1年間を経過して、学生はどのように変化するのだろう。それについては、渡辺総長も丹羽助教も口をそろえて、「塾生が輝いてくるんです。輝くというとわかりにくいかもしれませんが、大人になるというか、物事を深く考えるようになるというか、大きな変化を遂げるのです」と言う。

 これだけだとリアリティをもって理解することが困難だが、次の塾生の言葉は部外者を納得させるものである。

 「私は、桂太郎塾と通じて、自分の考えが浅かったことを再認識しました。そして、自分を成長させるにはどうすればいいのかを考えさせられました。桂太郎塾は、そういった自分を見つめなおす場でもあります」(政経学部)

 「普段の大学生活とは違った見識を広げることができ、私も無知であったことに気付かされ学問への意欲が高まりました」(国際学部)、「桂太郎塾は、「理論」と「実践」を両立させた授業で自分自身の見識を高め、志ある仲間とお互いに切磋琢磨することができます。さらに、人としてのマナーを学び、 『徳』を高めることができます」(商学部)(出典:「第3期桂太郎塾塾生からのメッセージ」)

 これらからは、学生が、一旦は自信を喪失するが、もがきながら成長したと感じていること、知識を得たという以上に、人としての成長を実感していることがうかがえる。

 刺激を受けて、魂を揺さぶられ、そのことで塾生はリーダーとしての自覚を強くし、その役割を果たしていけるという自信をもつのだろう。それを他者がみたとき、「輝く」という表現が用いられるのである。

 教育プログラムの効用を、客観的なデータで示せば、卒塾生の進路になるのかもしれない。第1期生が2011年3月に卒業したが、その進路の一例を示せば、教員・地方公務員、一部上場企業、東大や拓殖大学の大学院など多様である。いずれもこれまでの卒業生が就職できなかったようなところだという。しかし、「それをもってのみ成果とは言いたくありません。あくまでも、結果にすぎません。成長は、もっと幅広いものです。」と、総長も助教も強調した。

まだ投資の段階

 この塾を運営するためのコストが、大学の持ち出しであることはいうまでもない。塾は無料である。しかも、塾生は年間20万円の奨学金を支給されている。国内の研修旅行は大学の支弁であり、海外研修は一部学生負担があるとはいえ、大学が多くを負担している。講師への謝金も、回数が重なれば相当の額になろう。

 このコストに関しては、総長は、「幸いなことに拓殖大学の経営はきわめて健全であり、問題はない。ただ、今後、塾の修了生が増加して、社会にその効用が認められるようになり、たとえば冠講座や寄付講座のようなものになったり、学友会が支援をしてくれるようになれば、塾の意義も大いに高まるというものです。」と、将来に対する希望を語る。

 それというのも、塾生間の結束力は高く、塾のOBは時々ボランティアで後輩指導に来ており、先輩と後輩とのいい関係ができはじめているからである。近年、学生間の結束力、凝集力が徐々に弱くなっているそうであり、そのことを総長は危惧している。従って、将来、塾生のネットワークが根を張り、大学内外での認知度が高くなるのではという期待は大きい。

 認知度という点では、大々的な広報はかけていないにもかかわらず、この塾に入るために拓殖大学に入学したという学生がいること、他大学の学生から授業料をはらうので入塾させてほしいという問い合わせがあったことなど、少数ながらこの塾の存在を評価する声が上がっていることも、総長の期待を膨らませる。

 今後、塾の定員を増やすつもりはない。規模を拡大すれば、現在のような環境を維持することが不可能になり、目的を達成できなくなるという。しかし、この塾の存在意義を認めての入塾者が、力をつけて社会に出て、各方面のリーダーになってくれることが、長い目でみれば大きな波及効果を生むと考えられている。その意味では、まだ、効果を云々する評価の段階ではないし、コストをとやかく言う時期でもない。そう、まだ、投資の段階なのである。人の育成には、時間がかかるのだ。

教養教育の日本的現代版

 日本では、教養教育というと、専門教育の前段階の教育、あるいは、知識や品性(いわゆる教養)を身につける教育であると考えられることが多い。しかし、歴史をさかのぼれば、教養教育(=liberal education)とは、支配者、言い換えれば社会のリーダーに必要とされる教育であり、リーダーの育成が教養教育の目的であった。リーダーとなるためには、知識やスキルを習得するだけではなく、品性を磨き、選ばれた者としての責任を理解することが求められた。そして、少人数で密度の濃いコミュニケーション環境が、目的に適う環境だとされた。

 この桂太郎塾は、まさに教養教育の現代版しかも日本版を体現しているように思う。リーダー育成を目的とし、それに必要なカリキュラムと環境を設定し、知識とともにマナーを身につけ、精神を喚起する。歴史の源流にさかのぼった教養教育をみるようだ。ただ、こうした環境を構築するには多大なコストがかかるうえ、大規模に実施することは不可能である。

 しかし、この効果を塾に限定しない方法は2つある。1つは、塾生が他の学生に波及効果をもたらすことであり、もう1つは、長期にわたって継続して卒業生のネットワークを作ることである。いずれも、塾への期待として明言されているが、実現には、それなりの時間を要しよう。

 3年が経過し4年目に入る今は、試行錯誤が落ち着いた段階といえよう。教養教育の日本的現代版が、5年後、さらに10年後にどのような展開をみせているか、楽しみである。


(吉田 文 早稲田大学教授)


【印刷用記事】
「スーパー拓大生」養成を目指す教養教育/拓殖大学 「桂太郎塾」