国籍や人種のカベを超える日常―APハウス/立命館アジア太平洋大学

理念に魅せられて

 立命館アジア太平洋大学(APU)が2000年に開学した頃の、APUに対する周囲の目は、やや冷やかであった。というのは、少子化時代に都市から離れた場所で、しかも留学生と日本人学生を同数にして日英両言語の教育をするような大学がどこまでやっていけるのかと、少なからずの大学関係者が思っていた。場所は大分県別府市、キャンパスはやや人里離れた十文字原という山の上、そこに留学生400人、日本人400 人を集め、日英両言語で教育するという計画は、やや無謀にみえた。特に、留学生を400人もどこからどのように集めることができるのか、心配された。周囲の心配をよそに10年余、APUは大きく発展してきた。そこには、いくつかの隠された鍵がある。これまでの歩みについて山神進副学長に話を伺った。

 その1つ、APUの理念を実現させた財界からのサポートについて記しておきたい。日本の大学にアジア・太平洋地域を中心として世界からの留学生を招致するためには、何よりも留学に伴って生じる経済的な負担をできるだけ軽減することが重要である。そのための寄付を、財界に仰いだのであった。今でこそ、グローバル人材の育成は、大学においても財界においても合言葉になっているものの、1990年代半ばは、まだ日常用語ではなかった。そうしたなか、APUの理念に賛同した財界の面々によるアドバイザリー・コミッティが設立され、初代の会長には経団連名誉会長の平岩外四氏(当時)が招かれた。外国人学生と日本人学生が共に4年間過ごすグローバルな大学を設立するという心意気に共鳴する財界人は多く、総額41億円にのぼる寄付が集まった。これが、留学生奨学金の原資になったのである。恐らくこの原資がなければ、APUの設立は困難であったろう。壮大な理念が勝っての大学の出発であった。

APハウスのあらまし

 留学生を招致するためには、まず居住場所を確保せねばならない。しかし、当時の日本は、文化的な差異を嫌って外国人の居住を認めない不動産物件が多かった。当時外国人との接触頻度が高くはなかった別府では、なおさらであったろう。外国人にとって、日本の家賃は高い。また、留学生には英語の修得は入学要件としているが、日本語の修得を要件にしていないため、来日当初の日本語でのコミュニケーションはおぼつかない。これらの課題を前にして首脳陣は逡巡した結果、キャンパス内に留学生用の寮(APハウス)を設立することで対応することになったのである。開学時、424室から出発したAPハウスは、その後の学生の増加に合わせて、2001年に508室を、2007年にさらに378室を増築し、現在はAPハウス1、APハウス2 の2棟で1310人が居住するまでに拡張した。ここに国際学生(APUでは留学生をこのように称している)は、1年間居住することが義務付けられている。また、今では、国内学生(APUにおける、在留資格が「留学」ではない在日外国人、および日本人学生の呼称)の希望者も居住が可能であり、国際学生、国内学生の比は、7:3である。2013年には56カ国・地域から700名弱の国際学生が居住している。

 寮には、トイレや洗面台がついた個室タイプと、可動式間仕切りで個室にもなるシェアタイプとの2種類があり、どちらも、机・椅子、ベッド、本棚、クローゼット、冷蔵庫などが備わっている。キッチン、シャワー、ランドリーは、すべて共用である。1人当たりの広さは約13平方メートルであるから、まずまずである。

 共有設備としては、和室、学習室、ラウンジ、ホール、会議室、インターネットルームなど、多数の学生が集まって多目的に使える場や、学習の場がある。また、屋外にはバスケットコートが、屋内にはピアノや卓球台も用意されており、余暇を楽しむことができる。APハウスと教室とを往復するだけでも学生生活が満足に送れるほどに、施設・設備は完備している。実際に寮内を見学して、開学して10年余になるとは思えないほどに、どこもきれいであることに驚いた。

APハウスの見取り図

学生主体の自治生活

 このAP ハウスは学生の責任と共助のもとに運営されている。それを担っているのが、RA(レジデント・アシスタント)と呼ばれる学生であり、2年次の志望者は研修を受けてRAとなる。RAは国内学生と国際学生のペアで各フロアに2名配置される。

 RAは、日本に到着する外国学生を空港まで出迎えることから始まり、キッチンの使い方、ごみの出し方、トイレ、シャワー、ランドリーの使い方など、寮生活の基本ルールとマナーと日本の習慣を新入生に教えて管理する役割が一つ。新入生が困ったときに相談にのるのも仕事の一つ。こうした日常生活をスムースに送るための調整役に加えて、もっと大きく、かつ、やりがいのある役割は、各種の企画の実施である。入寮式や歓迎会、フロアごとにRAと寮生が料理やパーフォーマンスを行う年1回の寮祭「ワールド・フェスティバル」、それ以外の各フロアの独自企画の実施など、寮の行事は盛りだくさんである。これらの仕事を遺漏なく推進するための、毎月1回のフロアの寮生全員とのフロアミーティング、毎週火曜日の全RAの集合によるオールミーティングと、RAは多忙である。「人間関係の調整にぶつかると大変だと思うけれど、なんとか解決できたときにはほっとするし、それで皆が変わっていくことを見ると、うれしいです。RAをやることが、自分自身の勉強になっていると思います。こうやってAPUが好きになっていきます。」と、APハウスを案内してくれたRAは活き活きと話してくれた。

 寮生の独自企画に加えて、国際学生を主な住人とするAPハウスでは、寮生が日本社会を知るための教育プログラムを数々用意している。大分近隣の企業・工場の見学や観光地を訪問するフィールド・トリップ、京都の立命館大学の学生とともに国際平和ミュージアムや長崎を訪問して平和について考えるピース・ツアー、別府地域の住人から日本文化を習い、また、それぞれの国の文化を伝達する地域交流プログラムといった教育プログラムも盛りだくさんである。各人の部屋に孤立せず、皆が協働する機会へ引き出される場が、数多くつくられていることが特色である。

 意外なことに、寮生の人気は個室ではなくシェアタイプにあるという。シェアタイプの場合は、国際学生と国内学生の同性のペアである。間仕切りになるドアは、次第に開放する傾向があり、最終的には70% 程度は開け放しになるという。学生が集うことができるキッチン、ホール、ラウンジは、いつも賑わっているそうだ。RAの努力と各種の交流プログラムによって、国際学生と国内学生とが日常を共にすることで、相互が異文化を持つことを踏まえてお互い友人になっていくのであろう。そして、これが国際学生にとっては、日本語の修得のよい機会になっている。

APハウス(学生寮)の様子

絶えない苦労話

 とても楽しい寮生活のように見えるが、大学からすれば、特に開学当初は難問の連続であったという。それは多くは、文化と生活習慣の違いによるものであるが、日常となれば大きなノイズとなる。

 例えば、大学にとって最も困ったのは、寮費の未納であった。各月の寮費は、国際学生3万9000円、国内学生4万9000円であり、特に国際学生の未納は頻繁であり、それが年度決算に大きく響いたという。しかし、この点は、丁寧な督促や、場合によっては寮からの強制撤去勧告という対応によって、2010年頃にはようやく年度末決算に響かないようになったそうだ。

 これは、時間を守るという習慣とも関係しているという。日本で生活する以上、時間の厳守は当たり前であるが、それが緩やかで許容範囲が大きい国も多い。国際学生に「時間通り」ということ、時間に遅れることは許されない行為として咎められることだということを教えることも大変であったという。

 共同のキッチンでは、食習慣の違いが際立つ。自国では当たり前の料理の匂いが、他国出身の学生には耐えられないものであったり、宗教上の違いから、使えない食材があったりと、小さいいざこざがそれなりに起こる。トイレやシャワールームの使用についてもしかりである。

 もう1つ重要な問題が、それぞれの宗教の違いである。宗教に寛容であろうとすれば、特定の宗教活動を公式には排除するしかない。APUでは、日本では半ば生活行事であり宗教性があまりないようなお正月、クリスマスなどの行事は禁止である。また、ムスリムには欠かせないお祈りは、自室内、あるいは人目につかない場で行うことが許されている。

 きれいごとではすまされない日常を積み重ねて、一定のルールのもとで共同生活を送ることが可能になるのである。幸いなことに、先輩と後輩との関係は、ルールの浸透に欠かせない。ルールを体得した先輩たちは、後輩に厳しく指導するようになるのだという。こうやって、当初は面食らった事件も、次第になくなっているという。

思いがけない効果

 「実は開設時は、仕方なく寮を建設するという、どちらかと言えば後ろ向きの議論でした。寮の運営経験がないうえ、様々な国からやってくる外国人学生が、寮のなかで問題を起こさずにやっていけるのかも心配でした。寮がAPUの教育理念の実現に、これほどまでに大きな貢献をするとは思ってもいませんでした。しかし、2007年の増築の頃には、APハウスの教育効果をはっきり認識し、それを法人本部への申請書にも記したほどです。」と、村田陽一事務局次長は、当初、国際学生の居住の場の確保の意味しか考えていなかったことを吐露されている。

 具体的にどのような効果があったのだろう。教室とAPハウスとの往復生活であるため学習時間が長く、寮生相互に刺激しあって勉強する雰囲気が生まれる。国内学生と日常生活を共にすることで日本語の熟達も早い。それだけでなく何よりも、国際学生と国内学生とが混住し、異文化の存在にとまどい、しかし、それを認め合いつつ、友人関係を構築することの意義は大きい。学生はAPハウスの諸活動に引き出されて積極的になり、自分たちで問題を解決する習慣を知らず知らずに身に付けていく。

 教育学には「潜在的カリキュラム」という用語がある。教室内の授業として提供される顕在的なカリキュラムとは別に、学生間の各種のコミュニケーションが教育効果をもつものを「潜在的カリキュラム」と言う。この学生寮は、まさに潜在的カリキュラムの役割を果たしている。

 こうした効果に着目したのは、保護者であり企業であった。国内学生の入寮希望者は増加している。その理由は、APハウスは日本に居ながらにして、国外へ留学しているのと同じ状況をもたらすからだ。また、企業は社員の研修の機会として、たとえば海外赴任予定者を入寮させてほしいなどの問い合わせが増えており、それには可能な範囲で対応しているそうだ。

 山の上にあるキャンパスは、学生の間では「天空」と呼ばれているそうだが、天空のグローバルな環境は、キャンパス留学の場であり、グローバル人材育成の場なのだ。これが認められてかどうか、APUの志願者は、近年、回復傾向にある。


図表1 2000~2013年度 国内学生志願者数の推移

グローバル・ネットワークの構築

 APハウスで過ごすことで、学生は人一倍APUに思い入れが強くなるという。24時間を共に過ごし、いわゆる同じ釜の飯を食うことで、同朋意識は高まること必須である。相互に兄弟のようになって、巣立っていく。卒業生は、APUを再び訪問することを、「別府に帰る」と言うそうだ。APUは、帰るべき実家であり、いつでも優しく迎えてくれる家族なのである。

 国際学生に関して言えば、APUには、これまで131カ国・地域(2013年5月1日現在)から学生を迎えており、2012年度においては、卒業生の数は1万人を超えた。卒業後の居住地域は、日本、母国、あるいはそれ以外の地域と世界に多様に広がっていく。これは、アジア・太平洋地域を中心に世界の各地に、APUの卒業生がいるということを意味する。これら卒業生は、世界各国で校友会と称する同窓会組織を設立し、国外における校友会組織は、16カ国・地域にのぼる。さらに、学生の保護者を中心とした父母会も、日本以外の7カ国・地域に置かれている。こうした幾重にも重なるグローバルなネットワークは、学生生活や学生の就職活動の支援などAPUを支える活動を行う組織となっている。

 APハウスにおいて、人種や国籍の壁を超えて人間関係を構築する術を体得したこととこうしたネットワークが形成され発展していくこととは、どこか関係しているように思えてならない。窮余の策として設立されたAPハウスであったが、今や計り知れない価値を生む、APUには欠かせないものとなったということができよう。


(吉田 文 早稲田大学教授)


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