「指導者育成」を軸にしたマーケット拡大/日本体育大学

新たな方向への拡張児童スポーツ教育学部と保健医療学部

 日本体育大学(以下日体大)といえば、わが国の著名なアスリートを各分野で輩出してきた数少ない伝統的な大学として知られており、今後もその地位に揺るぎはないだろう。それにも拘わらず、2013年には定員200名の児童スポーツ教育学部を、2014年には定員170名の保健医療学部を新たに開設した。従来の体育学部1学部から一挙に3学部となり、かつ、定員も1060名から1430名へと急増した。児童スポーツ教育学部にはスポーツという名称はあるものの、児童という点ではアスリート養成の体育学部とは異なり、保健医療学部に至っては、一見体育学部との接点は見えず、なぜ今、異なる領域の学部を新設したのか、少子化の時代におけるこのような学部拡張はやや無謀にも思えた。谷釜了正学長のお話を聞くまでは、皆目その理由が分からなかった。

図表1 Vision に基づく多彩な学問領域

 谷釜学長は、新学部を設置した理由を次のように語られる。「これまで体育ということで青年世代を対象にした教育、またその世代を育成する指導者の育成を行ってきました。しかし、確実に高齢化社会が進行している現在、高齢者の心身の健康を考え、それに向けて指導する人材が必要になっています。また、生涯にわたって健康であるためには、12歳くらいまでの発育期に体を鍛え造っておくことが重要なのですが、そのための方法に知悉した指導者は十分に存在していません。いわば、生涯にわたって健康であるためにはどうしたらよいか、それを指導する人材を養成することが、これからの社会の不可欠なニーズと考え、2つの学部を新設するに至ったのです」

 確かに、生涯にわたる健康は誰しも願うことであり、そのための指導者は必要である。青年期から生涯へ、健康問題をライフコースに拡大することは時代の要請でもある。また、そうした指導者は、社会の各領域、例えば、学校をはじめとする教育機関はもちろんのこと、保健医療の分野・福祉・行政、あるいはビジネスや栄養方面へと、あらゆる領域で必要とされる。もともとの体育やスポーツを基軸として、「健康に生きる」という人間の生存の根本的な問題へと大学のビジョンを掘り下げていけば、一方で高齢者、他方で幼児に健康の対象を拡大するというのはスムーズな流れなのである。

 また日体大は、学長の言葉や図表1にあるように、「指導者育成」を大きなビジョンとして掲げてきた。指導者即ちリーダーシップ育成はスポーツ分野に限らずどんな分野でも必要なことであり、その点でも時代を読みつつ指導者育成が必要な領域に学部を新設したともいえるのである。

学部設置の方法既存組織か新設か

 この理念をどのように学部の設置として実現していくか。学部新設の方法は、2つの学部で対照的である。

 児童スポーツ教育学部のもとになったのは、もともとあった女子短期大学である。女子短大は、これまで中学校と幼稚園教員と保育士の育成を目的としていた。しかし現実問題、短期大学で中学校教員の免許は取得できても、今の時代、採用にまで到達することは極めて困難になっている。また、高校を卒業した女子の進学先としては、短期大学ではなく4年制大学が主流になって久しい。こうした状況を鑑み、短大を4年制大学とし、さらに共学化することで、マーケットを拡大しようとしたのであった。加えて、従来の各種の教員免許に加えて、新たに小学校教諭一種免許状の取得も可能な課程編成とした。

 幼少期からスポーツに親しませて丈夫な体を造るのはこれら学校教員の役割だが、それ以外にジュニアスポーツ指導員・障がい者スポーツ指導員もその役割を担うことができる。理念を活かし、かつ、志願者のマーケットも、卒業者のマーケットも拡大が見込めるということで、新学部の設置に踏み切った。

 実質的には女子短大のスタッフが中心になって新学部を立案したが、形式的には体育学部からの分離独立という形態をとり、既存の体育学部の教員も一部異動し、文部科学省への届出制度を利用して学部を設置した。

 他方、保健医療学部は整復医療学科と救急医療学科の2学科を設置したが、そのうち整復医療学科に関しては、実は、同一法人化下に柔道整復師養成を掲げる日体柔整専門学校が関連する教育機関として存在している。しかし、これをベースに新学部を設置したわけではなかった。むしろ、専門学校はそのままにして、それとは別形態の新学部をというのが理事会の方針であった。理事会では、専門学校はこれまでのところ定員は充足していることもあり、専門学校はそれとして別な形で拡充したいという意図があったという。従って、新学部設置はゼロに近い形から始めた。施設も専門学校のそれを利用するのではなく、横浜の青葉台にある健志台キャンパスに新設し、教員も一部は学内からの異動によったが、多くは新規募集・採用を行った。当然ながら届出制度ではなく、文部科学省の大学設置審査(認可申請)を受けてスタートを切った。

 それにしても2年度にわたる新学部設置を、決定してから開設まで1年から1.5年でやり遂げたそうだが、そのスピードは驚異的である。

学生マーケット現状の要望と先取り

 今の時代、新学部の設置にあたって何よりも留意するのは、学生募集の見込みである。児童スポーツ教育学部に関しては、比較的安心していたそうだ。というのも、教員養成に関してはこれまでの伝統があり、都下の小学校の校長になっている卒業生は多い。彼らは在学中に小学校教員の免許が取得できなかったため、卒業後、玉川大学の通信教育などを利用して小学校教員になった人々であり、そうした層からの小学校教員の養成課程を設置してほしいという20年来の要望が強くあったからである。この要望に応える形での設置でもあり、わけても体を造ることをメインとしているため、今後の需要も多いと判断した。

図表2 志願者数と志願倍率

 他方で、保健医療学部は、教員養成を掲げていない初めての学部である。また、柔道整復師や救急救命士の資格取得が可能ではあるが、そうしたキャリアが高校生にとってどこまで魅力があるのか、疑問に思うところもある。それに対して、学長は「確かにその側面は否定できませんが、超高齢社会は確実に進行し、高齢者の健康問題に従事する人材に対する需要は確実に増えていきます。従って、今、すぐにというわけではありませんが、今後人気が高まる学部・学科であることを見越しています」と、中長期的なスパンで学生マーケットを捉えておられる。募集初年度にあたる2014年度は、同一法人下にある4つの高校に対して併設校推薦枠を設け、こうした領域へ高校生を誘い、それを誘い水として今後の志願者増に結び付けようと策を講じた。

 まだ、開設後まもない2学部であるが、図表2を見ると、学部増設は志願者の増加・志願倍率の上昇をもたらしていることが分かる。特に、児童スポーツ教育学部の2年度目の志願倍率は4.9倍であり、小学校教員免許が取得可能な課程に編成したことはポジティブに働いている。保健医療学部の場合は、志願倍率は1.5倍程度であるものの、推薦による志願者よりも一般入試の志願者が上回っていることは、1つの安心材料である。今後、一般受験者にどの程度アピールできるか、それが鍵である。

卒業後の進路見込みとさらなる改革案

 このようにスタートした両学部であるが、学生の卒業後の進路については、どのような見通しを立てているのだろう。

 児童スポーツ教育学部は、小学校教員になる道を開いたことが学生募集においてメリットとなった。しかし、学部定員は200名である。その全てが小学校教員になることは無理な話である。そこで、児童スポーツ教育学科という1学科の中に、幼児教育保育コースと児童スポーツ教育コースを設け、このうち150名の児童スポーツ教育コースにおいてのみ、小学校教諭の免許の取得を可能とした。そして合わせて幼稚園教諭の免許の取得も可能な課程に編成し、たとえ小学校教員として採用が叶わなくても幼稚園教諭としての就職が可能なルートを設定した。

 学長はこれに満足しているわけではない。というのは、小学校教員としてのキャリアを歩みたいと強く願う学生を、就職が容易だとして幼稚園教員に進路変更させることのないように、対策を考えておられるのである。具体的には、大学院における小学校教員養成である。近年、学校教員の養成における修士化が議論されていることを踏まえ、それに備えてこの学部に接続する大学院修士課程を設置し、6年間かけて資質の高い教員を養成するプログラムを構築することを念頭においている。「30名程度が小学校教員として採用されれば」と目標は控えめではあるが、そのために6 年一貫の教員養成課程とすることにも視野を広げている。

 また小学校教員の場合、一旦JICAの青年海外協力隊へ派遣し、海外ボランティアを経験させ、その経験を経て国際感覚を持った骨太の小学校教員として送り出すことも考えているという。そのために、カリキュラム外で、学生支援センターと国際交流センターが英語の授業などを開講し、JICAへの応募を進めようとしているそうだ。

 保健医療学部の場合、まずは、高校生に魅力のあるキャリアであることを知ってもらうことが重要であるが、卒業後の進路に関しては今のところ安心材料が多い。例えば整復医療学科では独立開業可能な柔道整復師の資格が取得でき、救急医療学科の場合は、取得できる救急救命士の資格に対する消防関係・病院関係からの需要は高い。

 しかしそれだけではない。保健医療学部の学生には医療関係の資格に加えて、日本体育協会の資格であるアスレティックトレーナーの資格を取得させたいと考えている。その資格取得は容易ではないが、スポーツ選手の応急処置に限らず、高齢者の健康づくりなど職域が確実に拡大しているため、そこにフォーカスをあてて、医療資格と合わせて取得させることで卒業生の活躍の場を広げるとともに、高校生にとって魅力的な学部にしていきたいと、学長は語られる。

次なる改革伝統の体育学部にメスをいれる

 なぜ、トップアスリート輩出というこれまでのブランドにこだわらない矢継ぎ早の改革を進めているかといえば、その背後には2018年問題が危機感として迫っているからである。18歳人口が再び急減を始める2018年問題そのものはどの大学にとっても死活問題であるが、日体大のように体育学部単科の大学にとってはより大きな試練になると関係者は考えているそうだ。それまでに何とか手当てをしておくことが、日体大が生き延びる道だという。

 そのための次の改革は、体育学部である。伝統ある体育学部になぜ改革のメスを入れねばならないのか。学長は次のように語られる。「体育学部の定員は拡大を重ねて1060名にものぼります。健康学科・社会体育学科・体育学科・武道学科の4学科ありますが、これは1学科が1学部になってもおかしくない規模であり、どうしても学科ごとの特色を活かしたきめ細かい教育ができないことが課題になっています。従って、体育学部をいくつかの学部として改組して、それぞれ特色ある教育課程を編成することで飛躍を図りたいと考えています」

 特色ある教育課程の1つはこれまでのトップアスリートや体育教員の輩出であり、これを外すわけにはいかない。これをこれまで通りきちんと維持することが体育大学としての役割である。

 第2は、体育に健康を加味し、その対象を障がい者に拡大した内容の教育課程である。折しも同一法人下において、2017年に網走に特別支援高校が開設される予定である。ここでは自閉症の子どもを対象にスポーツに親しませ、国民体育大会(国体)やインターハイを目指すような生徒を育成することが狙いとされている。ここを実験校として、特別支援学校の教諭の育成に取り組みたいと考えている。

 第3は、武道の国際発信である。いうまでもなく武道は日本固有のスポーツであるが、だからこそ、それを国際的に発信して知名度を高める取り組みを、ここ20年程度実施してきた。具体的には、これまで武道学科の学生を3年次にオーストラリアやハワイに送り出し、そこで武道の実演をさせ、日本の武道の理解を促進するとともに、武道を専攻する学生を国際人として養成することを課題とし、異文化理解や英会話などもカリキュラムの一環として組み込んできた。この取り組みをもとに、国際スポーツ関係学部のような新学部の設置を構想している。先述の小学校教員の資格取得者のJICA への送り出しと同様、ここでもJICA への積極的な送り出しをしたい。そのために、2014年4月には国際交流センターを事務局として設置し、準備を始めている。

 2013・14年度の2つの新学部の設置は創立125周年事業の一環であり、次なる体育学部の改革もその一環として企図されており、学生数の確保という事業計画に位置付けられている。その点からいえば、これまで一般入試でも運動能力の試験を課してきたが、それを外すことでさらに優秀な全国の学生のマーケットに広く働きかけることも計画している。

 「体育」というと特殊な領域のように見えるが、実は指導者育成の1つのモデルケースであり、健康や福祉といった人間の生活にかけがえのないものと接続している。そこへの領域拡大が今後どのようにして実現するか、興味深い挑戦である。


(吉田 文 早稲田大学教授)


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