Vol.73 埼玉西武ライオンズ 人財開発担当/伊藤悠一

伊藤悠一

【Profile】いとう・ゆういち●1987年、静岡県生まれ。高校入学後1年で中退し、御殿場南高校へ転学。卒業後、慶應義塾大学環境情報学部に進学。2012年、NHKに入局し、番組ディレクターとしてドキュメンタリーや報道、スポーツ番組の制作に携わる。2022年11月、BCリーグの茨城アストロプラネッツの監督トライアウトに応募。99人の中から選考され、監督に就任。1年間監督を務めた後、埼玉西武ライオンズにヘッドハンティングされて2023年末から人財開発担当として活躍中。

埼玉西武ライオンズの人財開発担当として、2、3軍に所属する若手選手の育成に携わっています。

 中学生の頃から、何でも逆算して考える子どもでした。まず目標を立てて、それを実現するための方法を考え、実行するという性格だったんです。そのため、当時の夢だった、テレビ局の番組ディレクターになるためにはどうすればいいかを考えた結果、早稲田大学への入学を目標に設定しました。
 さらに、もう一つ夢がありました。中学から続けていた野球で甲子園に出場することです。そのため、早稲田大学合格と甲子園出場を狙える公立高校を第一志望にすえました。しかし、受験に失敗し、第二志望の私立高校に入学。気持ちを切り替えて、野球と勉強に打ち込みました。しかし、特に勉強面で思い通りの結果が得られないかもしれないと焦りを抱くようになり、散々悩んだ結果、野球と勉強の両立が100%できる公立高校に入り直すのがベストだと決断。高校中退し、再び受験勉強に打ち込み、静岡県立御殿場南高校に入学しました。悩んでいた時期は苦しかったですが、自分と向き合い、人生について深く考える時間をもてたので、高校中退が僕の人生における最大のターニングポイントですね。
 高校時代もテレビ局のディレクターという夢はもち続けていたので、早稲田大学を目指して勉強したのですが、現役、一浪共に不合格だったため慶應義塾大学に入学。第二志望ながら授業を通して問題を発見して解決する癖がつき、その後の人生に大いに役立ちました。

テレビ局のディレクターからプロ野球チームの監督に

 卒業後はNHKに入局。第一志望ではなかったのですが、中高時代からの夢が叶ったので嬉しかったです。入局後は10年間、ディレクターとしてドキュメンタリー・報道・スポーツなどあらゆるジャンルの番組を手掛けました。先を読みつつ、カメラマンや編集スタッフ、アナウンサーなどいろいろな職種の人たちを束ねて一つの番組を作るという仕事は天職だと思うほど楽しくて、やりがいも大いに感じていました。
 そんなある日、野球の独立リーグの茨城アストロプラネッツが新監督を公募することを知りました。実はもう一つ、野球の監督をやりたいという夢をもっていたので応募。NHK時代に身につけた、目標達成のために必要なことを考え、リーダーとしていろいろな人を率いる能力は、監督になっても活かせるはずだ。そう考え、面接でアピールしたところ、99人の応募者の中から選考を経て合格。2023年1月に監督に就任しました。
 実際に監督として仕事を始めてみると困難の連続でしたが、前職で身につけたスキルや、選手やコーチとの密なコミュニケーションなどで1シーズン、乗り切ることができました。
 その後、僕のキャリアや選手育成についての考え方などに興味をもった埼玉西武ライオンズのチーム統括部長から声を掛けていただいて、2023年11月に人財開発担当として入団しました。

第一志望が叶わなくても問題ない

 これまでの人生を振り返って高校生に一番伝えたいのは、まず目標を達成するためにやるべきことを考え尽くすこと。そのうえで、成功が見えている道よりも、「この先どうなっちゃうんだろう?」とワクワクする方を選ぶ方が最終的にはリターンが大きくなるということです。
 僕の場合は、高校を中退したときや未経験の独立リーグの監督の道を選んだときも、正直その先どうなるかまったく見えなかったのですが、だからこそがむしゃらにがんばれました。その結果、今は想像すらしていなかったプロ野球チームという舞台でやりたい仕事ができています。
 それと、これまで高校受験から大学受験、就職に至るまで、第一志望に落ち続けたことがよかったですね。もちろん落ち込みますが、今の自分に足りないものに自然と気づけるようになったからです。うまくいかなかったことたちのおかげで、今の自分の軸が作れたのです。


高校時代は野球と勉強の両立に尽力。野球部の練習は朝練と放課後でキツかったけれど、好きなことだから全然苦ではなかった。(本人提供)


NHKに入局後、まずは和歌山支局で5年間、パンダやドキュメンタリー、報道などを経験。
その後、東京で3年間スポーツ番組を手掛けた。取材を通じてさまざまな人と交流したことで成長できた。(本人提供)


茨城アストロプラネッツの監督として最も重視していたのは、選手のその先の人生を考えること。
壁もたくさんあったが、楽しさの方が勝った。(本人提供)


(取材・文/山下久猛 撮影/竹内弘真)


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