ダイナミック・アジアⅡ(5)質の向上に取り組むカンボジアの高等教育 北村友人

写真 王立プノンペン大学
王立プノンペン大学


 カンボジアは、1970年代から続いた内戦がようやく終結した1990年代後半から急速な経済成長を遂げ、2000年代には8~10%前後の経済成長率を記録した。その後、リーマン・ショックの影響で一時的に落ち込んだとはいえ、2010年代に入ってからも7%前後の高い水準を維持している。こうした経済の着実な成長は、カンボジアの高等教育にも大きな影響を及ぼしている。例えば、これまではごく一握りの富裕層の子弟や非常に高い資質を持った生徒達しかアクセスできなかった高等教育の機会が、少しずつではあるが都市部を中心に中間層へも開かれつつある。2015年の高等教育機関への就学率は13.1%(男性:14.3%、女性:11.8%)であり、2000年の2.1%や2005年の3.6%から大幅に上昇していることが分かる(※1)。大学の数も、初めての私立大学(ノートン大学)が設立された1997年には9校(うち8校が公立大学)であったのが、2016年末の時点で119校(公立:46校、私立:73校)と過去20年間で急速に増えている。


図1 カンボジアにおける大学数の変遷


 しかしながら、カンボジアの高等教育は、依然としてアクセス、質、資金調達、管理運営等の面で大きな問題に直面している。高等教育就学率は、上述のように過去10年間でかなり向上してきたとはいえ、ほかの東南アジア諸国が20~40%台であるなか、ラオスの16.9%、ミャンマーの13.5%と並び、低い水準に留まっている。そこには、階層間、地域間、男女間の格差が厳然としてある。こうしたカンボジアの高等教育に関して、近年、教育・青年・スポーツ省(以下、教育省)を中心にカンボジア政府も改革のための様々な施策を積極的に打ち出している。とりわけ、急速に進展する社会経済開発の担い手となる人材の育成は、カンボジア高等教育にとって最も重要な課題である。そこで小論では、カンボジア政府がどのような高等教育改革を進めており、そのなかでどのような問題に直面しているのかを概説したい。

高等教育改革への取り組み

 カンボジアの高等教育改革は、2010年代に入ってから活発化している。なぜ近年、積極的な改革が行われているのか、その理由を理解するにはカンボジアの高等教育の歴史を振り返る必要がある。1953年にフランスから独立したカンボジアでは、1960年にクメール王立大学が設立されたことを皮切りに、1960年代には7つの王立大学が設立される等、高等教育セクターの拡充が目指された。しかし、1970年代後半のクメール・ルージュ政権時代に教育システムが破壊され、高等教育機関も全て閉鎖された。その後、ベトナムの支援を受けてカンプチア人民共和国が成立し、1980年代初頭に高等教育が再開した時には、わずか2つの高等教育機関(高等師範学校と外国語学校)から始まった。クメール王立大学を前身とするこの2つの機関は1988年に統合されてプノンペン大学となり、1996年には王立プノンペン大学と改称し、今日のカンボジアの高等教育における中核的大学となっている。そして、1990年代まで続いた内戦を終結するため1991年に和平協定が結ばれ、1993年にはカンボジア王国が誕生し、現在の高等教育制度が整備された。先述のように1990年代は1桁台の大学数であったのが、2000年代に入ってから急速に拡大し、2010年代になると質保証などをめぐって多様な議論や取り組みが積み重ねられている。

 しかしながら、急激な大学数の増加に対して、教育・研究の充実が追いついていないのが現状である。例えば、未だに学部卒で教壇に立つ教員が多く、博士号を取得している教員に至っては非常に少ないといった状況のなか、十分な質の教育や研究を行うことができていない。加えて、多くの大学で限られた種類と数の専門分野しか開講されておらず、その多くがビジネスや情報技術(IT)などの実務的な科目に偏ってしまっている。この傾向は特に私立大学において顕著であり、「大学」という名に実態が伴っていないケースが散見される。さらに、恒常的な資金難のために、教員の待遇や大学の施設・設備を改善することが思うようにならず、とりわけ公立大学ではそれらが教員の教育や研究に対するモチベーションの低さの要因となっている。その一方、潤沢な資金を持つ一部の私立大学が、それらの公立大学教員を非常勤講師として雇用するため、本務校(=公立大学)での教育が疎かになるといった弊害も生じている。

表1 ヴィジョン2030で掲げられた優先課題

 こうした状況を鑑みて、教育省は2014年に「高等教育のヴィジョン2030へ向けた政策(Policy on Higher Education Vision 2030)」(以下、ヴィジョン2030)を発表し、高等教育改革を積極的に進めていくことを表明した。これは、2013年に就任したハン・チュオン・ナロン教育大臣が主導してまとめたものであり、もともと政府内では経済産業関係の要職を歴任してきたナロン大臣が畑違いの教育分野でどのような改革を推し進めるのか、同国の高等教育関係者達の大きな注目を集めた。このヴィジョン2030は8つの優先課題(表1)を掲げ、それらの課題に取り組むために、行動計画の策定と教育省・関連省庁・大学等の連携を進める体制整備が必要であると強調している。

 ヴィジョン2030が示した方向性を具体化したものが、「カンボジア高等教育行程表- 2030年とその先へ(Cambodian Higher Education Roadmap: 2030 and Beyond)」(以下、行程表)である。これは2017年9月に最終版が完成し、今後、この行程表に沿って具体的な改革が加速していくと期待されている。

台頭する私立大学

 先述のように2000年代以降に私立大学が急激に増えてきた要因としては、経済成長とともに、政治的な「安定」を指摘することができる。1990年代半ばから後半にかけて権力を掌握したフン・セン首相が率いるカンボジア人民党は、政治的に大きな影響力を保持してきた。このことが、民主化の停滞という深刻な問題を引き起こしつつも、ある意味で社会に「安定」をもたらしてきたと言える。そうした政治的・経済的に安定した環境が、企業経営者等による私立大学の設立への意欲を促してきた。経済成長に伴い、産業構造も徐々にではあるが転換しつつあり、未だ労働集約型の産業(農業や縫製業など)が主であるとはいえ、より高度の技能や専門性を持った労働者を必要とする産業が生まれつつある。そうした新しい産業への人材供給が高等教育にも求められるなか、それに応えるための私立大学が次々と設立されてきた。

 そうした私立大学として、パンニャサストラ大学やカンボジア・メコン大学などを挙げることができる。パンニャサストラ大学は、カンボジアにおいて全ての教科を英語で教えることを始めた最初の大学(※2)であり、首都プノンペン以外に地方都市(バッタンバンとシェムリアップ)にもサテライト・キャンパスを設けている。また、カンボジア・メコン大学は2003年の大学創設時から人文・外国語学部に日本語ビジネス学科を開設している。多くの私立大学がビジネスに関連した学科(経済、経営、金融等)を中心とする傾向にあるが、観光、情報技術(IT)、医・歯・薬学、看護といった分野で特徴を打ち出している大学も見られる。さらに、外国資本による私立大学の設立も近年のひとつの現象であり、カンボジア大学やキリロム工科大学といった日本人実業家たちによって設立された大学もある。

 このように多様な特徴を持った私立大学は増えてきたが、それと同時に、多くの大学で学生達は主に経済学・経営学をはじめとする人文社会科学分野を専攻しており、必ずしもカンボジアの労働市場で求められている人材の需要を満たしているとは言えない。特に産業を発展させるうえで必要な工学系の人材の育成に関して、実験設備や施設への投資が財政的な制約となり、工学分野の教育プログラムを開設している大学の数は未だ限られたものでしかない。なお、この問題は公立大学に関しても同様であり、一部の工科大学やポリテクニクを除いて、十分な工学教育を提供することができていない。

大学教員達の現状

 ここまで指摘してきたように、カンボジアの高等教育が抱える課題は多岐にわたる。なかでも、カンボジアの高等教育セクターが拡大を続けるなかで、教育・研究の両面における質を向上させていくことが不可欠であり、そのために大学教員が果たす役割は極めて大きい。しかしながら、大学教員を取り巻く環境は厳しいものがあると言わざるを得ない。そこで、カンボジアの大学教員の現状に関して筆者が国際協力機構(JICA)と共同で行った研究の成果を紹介したい。この研究では、カンボジアの主要大学10校(公立7校、私立3校)に所属する531名の教員から質問紙調査の回答を得ることができた。なお、調査は2013年に行ったため、データとしては少々古いのだが、その時と較べて2017年現在の状況が大きく改善されているわけではないため、ここで得られた知見は今でも十分意味を持っている。

 この研究を通して、カンボジアの大学教員が置かれている労働条件や教員の満足度に関して、主に次の4点が明らかになった。1点目は、公立大学のほうが私立大学に比べて労働条件及び教育・研究環境が良く、教員の現職に対する満足度が高いことである。特に、都市部の公立大学は労働時間の内訳に関して比較的バランスがとれており、学術的貢献の面でも優れていることが分かった。

 2点目は、若手教員の間で教育活動を中心とした労働時間が長く、現職への満足度が比較的低い点である。週単位の教育にかける時間数を年代別に見ると、20代から60代までの全ての年代で10時間以下と答えた教員が多数(42.7%)であるなか、比較的若い教員は長時間を教育活動に費やしている。特に20代の教員に至っては、週11~20時間を教育にかける教員が46.3%と最も多く、なかには51時間以上を費やしている者もいることが明らかになった。

 3点目は、工学・農学の分野において教員の現職への満足度が低く、教育の質向上や国際的な学術誌へのアクセス等にも問題がある。分野別に教員の満足度を見ると、社会科学、自然科学、保健科学・医療、美術の諸分野では自らの職に対して「非常に満足している」と回答した教員が多数であったにも拘らず、工学と農学の分野ではその割合が17.5%と23.8%であり、教員の満足度が低い。

 4点目として、カンボジアの多くの大学では、研究時間や研究に必要な資金、施設、人員等の面で、研究が活発に行われるための体制が整っていない状況が明らかになった。例えば、私立大学では研究活動よりも教育活動に費やす時間が長く、地方の公立大学でも教員が大学の事務作業や社会貢献活動に多くの時間を費やしていることから、研究に十分な時間をかけることができていない現状が窺える。

 ここで紹介した研究結果が示唆するように、カンボジアの大学教員達が置かれている状況には多くの課題があり、教育と研究の質を向上させることは容易ではない。もちろん、経済状況への過度の不満や研究活動への低い動機等、教員自身にも問題がある。しかし、厳しい現実に直面しつつも、多くの大学教員は教育者や研究者としての役割を果たすために日々努めていることも事実である。

今後の高等教育改革の方向性

 小論で概観したように、近年、急速に拡大しているカンボジアの高等教育セクターにとって、教育と研究における質の向上が喫緊の課題である。それは、カンボジアの労働市場が求める人材の育成に対応していくことにも繋がる。しかしながら、高等教育の担い手である教員達は厳しい環境に置かれており、十分な改革を進めていくことが難しい。

 このような現状ではあるが、改善の兆しも見えている。例を挙げると、先進諸国の開発援助機関や大学からの支援を受けながら、2000年代から徐々に教育環境の整備が進められている。一部の大学では、学部レベルのみではなく、大学院レベルでもそうした環境整備が行われており、新しい大学院プログラムが次々と開設されている。また、社会で求められている人材という観点からは、上述の工学系人材が代表的な職種ではあるが、それ以外の分野でも、例えば学校教育の拡充に伴い質の高い教員に対する需要が拡大している。そうしたなか、日本の国際協力機構(JICA)は現在、教員養成大学(Teacher Education College)の設立支援に取り組んでいる。また研究面でも、特に公立大学のなかには独自の研究資金を確保し、教員達が自主的な研究活動を行うことを支援しているところが出てきた(例えば王立プノンペン大学や王立工科大学にこうした研究資金制度が設けられている)。

 2015年末に設立されたASEAN共同体の3本柱の一つである社会・文化共同体の『ブループリント2025』の中で「アイデア、知識及び技術の自由な流れの促進、科学技術・創造的分野における教育カリキュラムやシステムの強化、クリエイティブ産業への支援、高等教育機関の質と競争力を高めるための地域的・世界的な協力強化」が謳われており、カンボジアとしても高等教育改革を進めることによってASEAN地域で必要とされている人材の育成を促進することが欠かせない(ASEAN日本政府代表部、2016)。今後の高等教育改革を通して、ヴィジョン2030やASEAN共同体のブループリントで掲げられている理念へ向かって、行程表で示された計画を着実に実現していくことができるのか、見守っていきたい。

<参考文献>
ASEAN日本政府代表部(2016)『ASEAN社会・文化共同体(ASCC)ブループリント2025』
Yuto Kitamura and Naoki Umemiya (2013).“ Survey on the Academic Profession in Cambodia”, The Changing Academic Profession in Asia: Teaching, Research,Governance and Management. Hiroshima: Research Institute for Higher Education, Hiroshima University, pp.71-88.


  • ユネスコ統計研究所のデータベース(【外部リンク】http://data.uis.unesco.org/)よりデータを入手した。
  • 政府の認可を受けた「大学」という意味である。大学を名乗りつつも、政府の認可を受けていない教育機関のなかには、パンニャサストラ大学よりも前に全ての講義を英語で教えていた機関もあるが、それらは小規模な専門学校等である。

北村友人(東京大学大学院教育学研究科 准教授)

【印刷用記事】
ダイナミック・アジアⅡ[5] 質の向上に取り組むカンボジアの高等教育 北村友人