大学を強くする「大学経営改革」[85] 米国大学との比較を通して大学改革を問い直す── 石井クンツ昌子 お茶の水女子大学教授に聴く 吉武博通

米国をモデルに推進される日本の大学改革

 日本の大学改革は米国の大学をモデルに進められているといわれている。ティーチング・アシスタント(以下TA)、シラバス、授業評価等はその象徴であるが、制度導入以来様々な問題に直面している法科大学院も米国に倣ったものである。

 いうまでもなく、制度やシステムは、社会、経済、文化等の背景と深く結びついており、より大きな文脈のなかで考察することが重要である。これらの理解なしに他国で有効とされたものを導入したとしても、実効ある形で根づかせることは難しい。

 それにも拘わらず、米国発の概念や方法が注目されては、改革の名の下にその導入が促され、熱心に取り組む教員がいる一方で、大多数は困惑か無関心というのが多くの大学の実情ではなかろうか。

 米国と日本の両国で教育研究に携わった経験を有する大学教員は現在の状況をどう見ているのだろうか。日本家族社会学会会長を務めた社会学者である石井クンツ昌子お茶の水女子大学教授にインタビューを行った。

 石井教授は、カリフォルニア大学リバーサイド校(以下UCR)で助教授、准教授として19年勤務した後、お茶の水女子大学で13年間教授を務めており、現在も日米両国の学会で活動を続けている。

 一人の教員の経験に基づく見解ではあるが、現場での肌感覚を通した率直な感想や意見を聴くことができた。

 以下、その要旨を記載するが、発言のニュアンスが伝わるように記述は丁寧体によることとした。


石井 クンツ昌子 お茶の水女子大学教授
石井 クンツ昌子 お茶の水女子大学教授
【略歴】
1987年 ワシントン州立大学 大学院博士課程(社会学)修了(Ph.D取得)
1987年 カリフォルニア大学リバーサイド校 社会学部 助教授
1993年 カリフォルニア大学リバーサイド校 社会学部 准教授
2006年 お茶の水女子大学 生活科学部 教授
2007年 お茶の水女子大学 大学院人間文化創成科学研究科 教授
2015年 お茶の水女子大学 基幹研究院人間科学系 教授、ジェンダー研究所 所長
【主な学会活動】
全米家族社会学会、全米社会学会、国際社会学会日本家族社会学会(2016年~2019年会長)、
日本社会学会(2015年~2018年理事)


徹底されている「インブリーディング※を避ける」

 米国の大学が日本の大学と決定的に異なるのはインブリーディングを避けるという点です。

 米国では、卒業生が同じ大学の教員を目指すこともなければ、大学も卒業生を採用しようとは決して思いません。これは制度でもルールでもありません。オープンな公募ですから誰でも等しく応募できますが、米国では、大学を発展させるためには、内部の人達で固めるのではなく、外部から人材を得て、常に異なる発想や新たな視点を取り入れるべきとの考えが徹底されているのです。これらのことは学長選考についても同様で、優れたリーダーを全米のみならず世界中に求めようとしています。

 それに対して日本の大学はインブリーディングを避けようとしないばかりか、むしろ出身者を採ろうとする傾向も見受けられます。UCR時代に何度も人事面接に関わりましたが、卒業生は一切応募してきませんでした。教員達も優秀な卒業生であればあるほど外で活躍してほしいと思っています。この点が日本の大学と根本的に違います。

 日本では公募形式を採りながら、予め採用予定者を絞り込んでいるということもあるようですが、米国では差別として許されず、発覚すれば大学の評判を落とすことになります。その一方で、カリフォルニア大学の場合、アファーマティブ・アクション(affirmative action=積極的格差是正措置)により、能力・業績など全く同等の条件ならば女性やマイノリティを優先します。それを監視するための全学的な委員会が置かれ、全ての案件について厳格なチェックが行われます。

“Publish or Perish(出版か死か)”

 大学が、研究に重点を置くか、教育に重点を置くかで明確に分かれているのも米国の特徴です。

 カリフォルニア州を例にとると、同じ州立の大学でも、バークレー校やロサンゼルス校等University of California(UC)を冠する10校は研究大学です。私が勤務したUCRもその1校です。他方、California State University(CSU)を冠する23校は教育に重点を置く総合大学です。このほかに2年制のコミュニティ・カレッジがあります。

 私は研究をしたかったので、UCRでテニュアトラックの助教授の職に就きました。5年間の研究業績を基に、テニュア審査を受けるのですが、着任後最初に言われたことは「研究に対する強いプレッシャーを覚悟しなさい」ということです。いわゆる“Publish or Perish(出版か死か)”、論文を発表し続けない限り、研究者としてはやっていけないという厳しさを覚悟しなければなりません。

 先輩教員からは、「委員会の仕事を断り、学生の授業評価も気にしなくていいから、とにかく研究、研究、研究」と言われ、毎年メンター教員とサポート教員による厳しいアニュアルレビューを受けました。そこでは論文の書き方等かなり実践的な指導・助言も受けます。

 そして、5年目にテニュア獲得の可否を問うテニュアレビューが行われます。審査には学部内の教授だけでなく、学内他分野の教授や学外の教授も加わりますが、この審査に漕ぎ着けるまでが大変で、アニュアルレビューの段階で「これ以上頑張っても無理」と退出を促されることもあります。

 大学院生も同様で、一つでもBがつくと修了が難しくなり、教員は見込みがないことを学生に告げます。それだけに成績評価を行う教員の責任も重くなります。

 他方、CSU各校では、研究より学生による評価や授業内容・方法の工夫等、教育にウェートを置いたテニュア審査が行われます。教育の質という面からみると、これらの大学の方が研究大学より高いといえるかもしれません。教育力の高さが大学の存在価値になるのですから当然です。

 日本の大学教員は、教育も研究も同じように求められ、管理運営に関する負担もあります。強いプレッシャーを受けながら研究に集中する米国の研究大学の教員と競っていけるのか疑問も感じています。

優れた大学院生獲得のための弛まぬ努力とTAシップを中心とする手厚い支援

 研究大学は優れた研究を行うことで優秀な大学院生を集めることができ、その大学における研究を通して鍛えられた院生が様々な大学に赴いて活躍することで、米国全体の研究力が向上するという好循環ができあがっています。

 また、米国の研究大学では全米のどこに優秀な学部学生がいるかを予め把握し、自分の大学院に勧誘することが当たり前のように行われています。論文表彰を受けた学生の情報を集め、教員間のネットワークを駆使し、優秀な学生を発掘して、手厚い支援を提示して入学を促します。

 米国の院生支援は日本とは比べものになりません。UCの場合、4年間のTAシップ(奨学支援制度)が入学してくる全ての院生にオファーされます。私が在職した頃でも月額1500ドル程度の支給があり、世帯用も含めて宿舎も用意されています。加えて、優秀な学生には授業料免除もあります。生活が成り立つ程度のTAシップを受けられる米国に対して、日本のTA報酬はごく少額にとどまります。有力な研究大学であっても、待っていれば優秀な院生が集まるといった安易な姿勢は許されないのです。

 UCRはクォーター制を採り、教員はサマースクールを除く3クォーターにおいて、2,2,1または2,3,0等の形で年間5科目程度を担当します。1科目は週4時間、うち3時間は教員が授業を行い、残り1時間の討議セッションはTAが受け持ちます。私が担当した社会学概論は約500人の履修者がいましたが、10人のTAが付き、1人が50人の学生を相手に討議セッションを行います。これ以外に、サマースクールに責任を持ち全ての講義を担当するTAもいます。

 こうして実質的な教育経験を積ませます。米国のTA制度は奨学支援に加えて、大学教師になるための訓練機会の付与という側面も有しています。

 日本の大学もTA制度を導入していますが、前述の通り奨学支援としてはあまりに少額で、実際の業務も教員業務の事務的補佐にとどまっています。

 ちなみに、教育に重点を置くCSU各校の教員は、UC各校の教員の倍くらいの科目を受け持っています。また、CSUの多くは修士課程までで、博士課程はUC各校が担うという機能分担が明確です。多くの大学が修士課程を置き、さらに博士課程も持とうとする日本とはかなり違います。

 日本でも大学の機能別分化が求められていますが、院生確保に苦労しながら大学院を維持するよりも、学士課程の教育に資源を集中し、教育の質の追求を徹底する大学がもっと増えてきても良いのではないかと感じています。

シラバスは教員と学生の契約

 教育面については、日本でもシラバスが定着しつつありますが、米国の場合、シラバスは教員と学生の契約です。授業の目的、スケジュール、学生が準備しておくべき事柄、成績評価等を予め具体的かつ明確に示す必要があります。シラバスに沿った授業をやっていなかった、シラバスに示された基準で評価されなかったということで学生に訴えられるリスクもあるため、裁判費用保険に加入している教員も少なくありません。

 成績を出した途端に交渉に訪れる学生もおり、特に女性やマイノリティの教員ほど交渉に来る学生が多かったように思います。私は一度付けた成績を決して変えませんが、説明はしっかり行っていました。特に、メディカルスクールやロースクール等のプロフェッショナルスクールへの進学を目指す学生のGPAスコアへの拘りは強く、企業も採用にあたってGPAを重視します。この点は日本と大きく異なります。

 一方で、ルーブリックやポートフォリオ等、UCではあまり重視されていませんでした。そもそも米国の大学は学生にそれほど親切ではなく、勉強は自分でやるものとの意識が強いように思います。

 また、FDという言葉もあまり聞きませんでした。シラバスの書き方を教え、授業方法を教員に指導する等はアカデミック・フリーダムを侵すことになりかねません。FDに出席するくらいなら研究したり、自分の授業を良くすることを考えたりするほうがよほど生産的であるとの考えが強いのだと思います。

 教育に重点を置く大学であっても、どのような内容をどう教えるかは個々の教員の創意工夫にかかっています。シラバスも教員がそれぞれのユニークさを出しながら書けばいいという雰囲気があります。

 ただ、研究大学でも総合大学でも学生による授業評価の結果は重視され、徹底的に活用されます。特に総合大学ではテニュア審査において大きな要素となります。

高い専門性を有するプロフェッショナル

 大学運営面では、日本の大学の事務職員に相当する人々が高い専門性を持ったプロフェッショナルとして活躍していることが、教育研究や学生サービスの質に大きく寄与していることを強調したいと思います。

 アカデミックアドバイジングも、学部生担当からスタートし、次に院生を担当し、チーフマネジャーになるといったようにそれぞれの専門領域でキャリアアップし、役割にふさわしい報酬も得ているので、誇りを持って自分の仕事をやっていけます。

 日本の場合、特に国立大学では、事務職員の専門性がどのように育まれているのか分かりません。この点は大きな課題だと思います。

 日本では、事務職員が教員を「先生」と呼びますが、私は学生にとっての教師であり、職員の先生ではありません。米国の場合、地域による違いもあるかもしれませんが、UCRでは、ファーストネームで呼び合い、互いにリスペクトし、感謝し合って一緒に仕事をしていました。

 また、教員間も、仲の良し悪しは当然ありますが、分野に関係なく自宅に集まってパーティーを楽しむなどプライベートの交流は盛んでした。教員人事においても、この候補者はコリギアリティ(collegiality=同僚間の関係)面で問題ないかといった点が議論されます。

 会議についていえば、私の学部ではほぼ毎週教授会が開かれていましたが、教員だけでなくスタッフも院生も出席し、ヒートアップすることもありました。でも、1時間過ぎるとみな席を立ちます。それまでの間、日本のように居眠りしたり、PCで別の仕事をしたりする人もいませんでした。

日本の学部ゼミは優れたシステム

 日本の大学の良さももちろんあります。特にゼミは学部生の時に研究の仕方をきちんと教えられる優れたシステムだと思います。私の学生に対するフィロソフィーは「勉強も遊びも一生懸命」ですが、大学はそれらを通して探究心を育てる場所だと思います。ゼミは学生同士の親睦の場であると同時に、そのフィロソフィーを直接に伝えられる場なのです。

 日本の入試には批判があり、いまその改革の在り方が大きな議論になっていますが、学力で選抜することで一定の水準の学生が入学し、能力のばらつきは米国より小さいため、学生の学力に合わせて教員として様々な試みができます。

 少人数教育が可能な国立の女子大学という恵まれた面は確かにありますが、日本の大学の良さを見つめ直し、それを活かしていくという発想も必要です。(以上が石井教授のインタビュー要約)

米国の高等教育システムの卓越性と脆弱性

 ハーバード大学で20年にわたり学長を務めたデレック・ボック博士は、その著書Higher Education in America(2013 [宮田由紀夫訳『アメリカの高等教育』玉川大学出版部、2015年])において、米国の高等教育システムの特質として、他の国々と比べて、大学の数が極めて多くかつ多様であること、政府からの監督が緩いこと、州立でも私立でも伝統的にどこからでも自由に資金を求めることができたこと、大学の活動のほぼ全ての分野で競争が激しいこと、の4点を挙げている。

 石井教授の米国での経験はこのような特質を有するシステム下でのものであり、ボックもそれらの特質が米国の大学の卓越性や優位性に大きく寄与してきたとの認識を示している。

 同時に、ボックはシステムの脆弱性にも着目し、大学が明確に測れる成果に集中し、目に見えにくい活動を犠牲にすること、激しい競争が学生や多様な利害関係者の要望への過剰な対応につながること等の危険性を指摘している。

 米国ほどではないが日本の大学も多様である。また、それぞれの大学には資金面でも人的・物的な資源面でも制約がある。このような事実を踏まえることなく、米国をモデルにした改革を一律に推し進めても、大学がより良い方向に向かう保証はない。むしろ、ボックが危惧する問題のほうが大きくなる可能性もある。

 米国の高等教育システムの何をどう学ぶべきか。石井教授のインタビューを契機に深く問い直してみたい。



※アカデミック・インブリーディング。大学人事において自校出身者を優先的に教員として採用する慣行。



(吉武 博通 公立大学法人首都大学東京 理事)


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