【リカレント教育】社会人が学生と共に学ぶことで得られる「授業への寄与」とは/金沢工業大学

【主任研究員 現地レポート】リカレント教育の挑戦【4】

18歳の入学者を社会へと送り出すことに注力してきた日本の大学にとって「新規事業への挑戦」といえるリカレント教育。先行大学の事例を、学ぶ社会人の視点で現場からレポートしていく。
【取材・文/乾 喜一郎 リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域)】

授業料は「授業への貢献」。最前列で真剣に学ぶ社会人の姿が伝える「その科目を学ぶ意義」
■金沢工業大学 「社会人共学者」

目指すのは『世代を超えた』共創の実現

 2025年1月27日(月)、4限。教室に入ると、教壇のそば、最前列に座る社会人共学者、Kさんの姿が見える(ご希望により匿名)。この科目は、電気電子工学科・横谷哲也教授が担当する講義科目「情報通信システム」。これまで14回にわたり、情報通信技術やデータ通信、ネットワーク等をとりあげ、今日は最終回の授業である。

 授業冒頭、横谷教授が提示した本日のアジェンダの最上段には、「受講してみて…社会人共学者Kさんからのお話し」とあった。受講する学生はKさんのことを知っているため、特別の紹介は不要。Kさん自作のPowerPointによるプレゼンテーションが始まった。


写真 プレゼンテーションを行う社会人共学者のKさん
◆プレゼンテーションを行う社会人共学者のKさん


 後ほど聞いたところ、普段人前で話す機会はそう多くはないため緊張されていたとのことだが、全くそんなことを感じさせない話しぶりである。これまでのキャリア、プライベートで関心のある海外事情等を紹介しながら、なぜ学びに来たのか、そして授業を通じて考えた今後の情報通信に対する意見を述べていく。

 「私見ですが、それなりに自分の知識を使って仕事をしている人にとって、大学で勉強したことは今使っている内容の5%くらいじゃないでしょうか。卒業したら学ばなくてもよくなるかというと決してそんなことはないんです」。

 「業務以外の知識が仕事に生きることもある。学校の成績とは関係のない能力が生きることもある。だから、経験の幅を広げてほしい」。

 寝ている学生などいない。皆しっかり頭をあげてKさんに注目している。プレゼンテーションが終わると、拍手が沸いた。


写真 プレゼンテーションを行う社会人共学者のKさん


 金沢工業大学が「社会人共学者」という制度を創設したのは2016年。学生が普段受けている授業を開放し、社会人は無料で受講することができる。

 制度の狙いとそのメリットについて、この制度を担当する学長補佐・宮里心一氏に話を聞いた。

 環境土木工学科の教授である宮里氏自身、これまで自らの授業に何人もの「社会人共学者」を受け入れてきたという。


社会構想大学院大学 川山竜二氏
◆宮里心一 氏
金沢工業大学 学長補佐
工学部 環境土木工学科 教授

 「現在の大澤学長が就任された際、『世代・分野・文化を超えた共創教育』を掲げられたことで『世代を超えた』共創を実現するため社会人を積極的に受け入れていこう、と方針が定まりました。社会人を対象としたリカレント教育プログラムの開設に加え、学生と社会人が通常の授業の中で学びあうことはできないかを検討。そうしてスタートしたのがこの『社会人共学者』の制度です。授業料は思い切って無料とし、そのかわり、受講する社会人には『授業運営の協力者』になってもらおう、というわけです」(宮里氏)。

 募集する科目一覧にはそれぞれ、科目名、担当教員、授業内容、参加に必要な知識等に加え、「社会人共学者に求める役割」が明示されている。


表 募集科目と設定された「社会人共学者に求める役割」の例(2024年度後学期)
◆募集科目と設定された「社会人共学者に求める役割」の例(2024年度後学期)


 「教員は各科目のシラバス作成時に社会人共学者を受け入れるかどうか、受け入れるのであれば求める役割は何か、それぞれ設定します。最初は戸惑う教員もいたと思いますが、建学の綱領の一つでもある『雄大な産学協同』や、目指す姿である『世代を超えた共創』を実現する手段となるということもあり、今ではすっかり定着しています」(宮里氏)。

 これまで社会人共学者を受け入れた科目は累計で100科目以上になるという。受け入れる際に混乱はなかったのだろうか。

 「学期の終了後、社会人共学者ご本人に加え、教員にも学生にもアンケートをとっているのですが、これまで特に困ったことはありません。逆に、教員にとっても学生にとってもメリットが非常に大きいと感じています。

 私自身は社会インフラのメンテナンスを専門にしているのですが、3年生を対象とした演習の授業でこれまでの複数の年度に10人以上の社会人共学者が参加されていました。演習では彼ら自身にもチームを作って発表してもらい、学生の発表の講評もお願いしました。実際に社会で困っていること、現場でどのように取り組んでいるか、例えば能登半島の橋梁の問題についての話題等様々なコメントを頂けました。学生達には、授業の内容がどのように社会につながっているのか、非常に理解が深まったと思います」(宮里氏)。


写真 社会人共学者の参加の様子(2024年度前学期)
◆社会人共学者の参加の様子(2024年度前学期)


 教員や学生にとってのメリットは、それだけにとどまらない。

 「第1回のガイダンスで現場から見たその科目の意義を語っていただいたり、ケースの一つとして自社の課題を紹介いただいたり…。そういう授業への貢献もあるのですが、最も大きいのは社会人共学者自身の学ぶ姿勢を目の当たりにできることなのではないかと感じています。社会人の方は仕事の合間に時間を空け、どうしてもこの科目が学びたいといらっしゃっている。毎回最前列に座って、当然ですが教員の指示などなくても熱心にノートを取られている。その姿がもたらす影響力は、教壇にいても強く感じています」(宮里氏)。

 一方、社会人共学者の側はどのようなメリットを感じているのだろうか。冒頭紹介した授業でプレゼンテーションされていたKさんに改めて伺った。

 「大学での授業は、『かたまりで学べる』というのが大きなメリットだと思います」(Kさん)。 知識だけならネットにも転がっているし、本を読んだり単発のセミナーに出ることでも手に入る。しかし、一つのテーマについて、15回の授業で体系的にまとまった知識が得られることが大きいのだという。

 「全部が理解できるかというとそんなことはありません、まずは、吸収できる分だけ吸収すればいい。前学期は別の授業に参加しましたが、どちらも今の業務と直接の関係はありません。何より楽しくて来ているのですし、まわりまわってきっと役に立つ、そういうものだと思っています」(Kさん)。

 「社会人共学者の方々からは、『現場の文脈とは異なる観点だからこその学生の意見から新鮮なヒントが得られた』、『学生の学び方を通じて振り返りの機会となった』、『学生に助言することで基本が確認できた』など、様々な声を頂いています」(宮里氏)。

 社会人と学生が共に学ぶ社会人共学者という制度は、学生にとっても、教員にとっても、もちろん社会人自身にとっても、それぞれに大きなメリットをもたらしているが、そのために大きな役割を果たしているのが、受講前に教員と社会人共学者との間で必ず行っている事前の面談だ。

 「まずは応募された方の希望と授業のレベルが合っているかどうか。私が担当していた授業の場合は『鉄筋コンクリートはり(梁)の挙動が分かる』というふうに設定しています。それが合わない場合は、例えば一段階基礎の科目を案内することもありますし、一方で、面談して詳しく話をしてみるとその方にとっては既に分かってることだ、ということもあります。そのうえで、それぞれの授業で社会人共学者に求める役割をお話ししている。お金じゃなくて、授業へ貢献していただくことが対価なわけですから、そうやって『期待値』をすり合わせていくわけです」(宮里氏)。

 こうしたプロセスを経ることで、社会人共学者は、「自分もこの授業に寄与するんだ」という思いで参加することになる。学ぶメリットが大きくなるのも当然ではないだろうか。

「学生の多様性」を実現していくための大切な手段

 「海外に行くと、キャンパスにはいろんな年齢の方がいます。でも日本では20歳前後の人しかいない。今工学系ではようやく女性が増えてきていますが、さらに現役世代、シニア世代を含めて、学生の多様性を実現していきたい。『共創』が生まれていくためには必須の条件ではないかと思います」(宮里氏)。

 今後は中小企業に対する働きかけを強化し、社会人共学者の拡大を図っていきたいと宮里氏は言う。

 「金沢、石川県では中小企業の存在が非常に大きい。例えば繊維産業で活躍されている化学専攻の方、企業としては機械も学んでもらいたいけれど会社では用意できない。そんな時に、15回全てではなくても、今必要なこの回とこの回だけ学びに来る、そんな形で利用してもらえればいい。学生からすると、化学専攻の人がそうやって会社に入ってから学びに来るということを見て、自分達の学びの意義が分かるし、また一つ自分の強みを持ったうえで他の分野と融合していくことが大切だと分かる」(宮里氏)。

 「今はまだ、前学期・後学期それぞれ十数人ずつしか受け入れられていませんから、社会人と学んだ経験のある学生は限定されてしまっています。まずは、どの学生も4年間で1度は社会人共学者と学んだことがある状態、そしていずれは、毎年必ずどれかの授業で社会人共学者と学ぶことができる姿を目指したいと思っています。そのためにも、受け入れ科目数を増やし、企業への広報にも積極的に取り組んでいく心づもりです」(宮里氏)。