【リカレント教育】岩手の農業者一人ひとりの課題に即したプログラムを提供/岩手大学
【主任研究員 現地レポート】リカレント教育の挑戦【3】
18歳の入学者を社会へと送り出すことに注力してきた日本の大学にとって「新規事業への挑戦」といえるリカレント教育。先行大学の事例を、学ぶ社会人の視点で現場からレポートしていく。 【取材・文/乾 喜一郎 リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域)】「同じ作物でも土で全然育ちが違ったり、収量が違ったりするっていうのは当然、それが前提」多様性を糧に開学からの理念を実現
■岩手大学 いわてアグリフロンティアスクール
「宮沢賢治の母校」が提供するリカレント教育プログラム
「まず、歴史的なところからお話しいたします」。
岩手の農業者を対象に、2007年の開設以来安定的な運営を続け、修了生、さらに地域からも高い評価を得ている岩手大学の履修証明プログラム「いわてアグリフロンティアスクール」。その成功の理由について伺うと、校長を務める岩手大学農学部長・伊藤菊一教授はそう口火を切った。
◆伊藤菊一氏
いわてアグリフロンティアスクール校長
岩手大学農学部長 教授
岩手大学の前身は1902年、国内初の官立高等農林学校として設立された盛岡高等農林学校。宮沢賢治の母校としても知られる同校は、東北地方の農業振興と技術革新、そして地域に根差した農業指導者の育成を設立の理念としている。
「本学農学部は盛岡高等農林学校時代から『農業別科』を設け(1918年~2009年)、また1975年に『営農技術講座』を開講するなど、以前から農業の実践者を対象とした教育を行ってきています。リカレント教育プログラムは、大学のミッションを実現するための、本来の仕事の重要な一環なのです」(伊藤氏)。
開設時には文部科学省「社会人学び直しニーズ対応教育推進プログラム事業」の一つとして採択。その実績が評価され、事業終了後には岩手県農林水産部、JAいわてグループと共に「いわてアグリフロンティアスクール運営協議会」を設立し開講を継続。文部科学省の「職業実践力育成プログラム」(BP)にも制度創設当初より認定されている。
「スクールの目標は、経営感覚・企業家マインドを持って経営革新、地域農業の確立に取り組むことができる先進的な農業経営者を育てること。これは設立当初より変わりません。そのうえで、2016年にはそれまでの『農業経営』に加え『6次産業化』・『農村地域活動』をコースとして新設、また遠隔地や繁忙期の受講生のため一部科目でオンライン講義をするなど、常に更新を加えています」(伊藤氏)。
表1 教育プログラムの構成
プログラムには実習や現地研修を含む40の講義(1講義6時間)が用意され、120時間以上の履修と「戦略計画」の策定をもって修了となる(修了生のうち同計画の評価を受け合格した者には岩手大学より「アグリ管理士」資格を授与)。県・JAと連携して支援し、受講料は2万1000円と低額に抑えられているが、9カ月にわたって週1~2日の受講を続けるのだから受講生にとってはかなりハードだ。かつ、受講生は県内各地から集まっており、片道2時間かけて通学している人もいるという。選択科目の一つ、「地域マネジメント論」を見学させてもらった。
講師自身が携わった事例に、受講生が高い当事者意識で応える
2024年10月9日(水)。正門を入ってすぐの農学部一号館、2階の会議室を訪ねる。
「地域マネジメント論」を担当するのは広田純一岩手大学名誉教授。
13時、午後の講義が始まった。
室内の受講生は男女12名。20代から60代まで幅広い。
広田氏はNPO法人いわて地域づくり支援センターの代表理事として県内各地の地域コミュニティーの活性化のため奔走しており、講義では広田氏自身が携わった事例が具体的な経緯までリアリティを持って紹介されていく。「○○の案件ではいろいろあって本当に大変でした、そのぶん勉強にはなりましたが…」。「皆さんの中にもこうした取り組みを進めようという方がおられると思います。私も手伝いますから実際に動くときにはぜひ声を掛けてください」…。文字にしてみるとリップサービスのように見えるかもしれない。しかし、広田氏も受講生も、まとう雰囲気は違う。ほんとうに来年、再来年のうち、実際に活動することが想定されての発言なのだと感じられる。
◆写真1・2 「地域マネジメント論」授業風景 講義を踏まえたグループワーク
14時半ごろより、4人ずつ、3つのグループに分かれてのワークショップが始まった。
A4の紙を4つ折りにして、氏名、仕事、住所、そして4つ目は「このメンバーならこんな質問にしましょうか、『他県から知り合いが来た時に連れていきたい場所』を記入してください」。「ほかにこんな質問も設定できますよ」など、受講生が自分でワークショップを実施する担い手となることも想定して説明がなされていく。
ワークショップのテーマは、受講生それぞれが感じている地域コミュニティーの課題について。「若い人が少ないから、いちど手を挙げてしまうとずっと抜けられない」「言われてみたらうちの地区もですね、小さな時から住んでるから当たり前すぎて問題と思えなくなっていた」…最初はあっさりしていた模造紙がどんどんにぎやかになっていく。5月の開講から既に半年、最初は戸惑いがあった人もいたとのことだが、広田氏のファシリテーションもあり、発表内容をどうするかについても対話が重ねられていく。どの受講生も、本当に積極的だ。
「皆さん本当に意欲的で、質問もどんどん出てきます。内容も若い大学生とは全然違っていて、『こういう場合だとどんな風に応用できますか』といった、学会などでの議論とは異なる角度からのもの。さすが現場の当事者という鋭い観点で、私にとっても勉強になります。
また、受講生同士での教え合いが活発なのも特徴です。農業やっている方は、もともと横のつながりを大事にされる方が多いんですよ、協力し合わないとできないですからね。新しい情報にも貪欲で、受講生同士で休憩時間に新しい品種や農法について情報交換されていたりします」(伊藤氏)。
岩手の農業の持つ多様性は、受講生にとっても大きな財産
ワークショップでは、受講者の自己紹介の「仕事」や「住所」のパートが印象的だった。「仕事」のパートでは「水稲と大豆が中心」「りんご」「トマト」等中心とする品目までが、「住所」では「一関です」「花巻です」で終わるのではなく、「一関の藤沢地区です」「花巻の石鳥谷地区です」と地区名まで語られるのだ。皆が最初からそこまで具体的に示そうと思うくらい、一人ひとりの農業者のバックボーンは千差万別なのだろう。
「岩手県は北海道に次ぐ面積を持つ大きな県ということもあり、エリアによって違いが非常に大きいんです。県南、県北、沿岸部で気候が違うだけではなく、同じ市でも地区によって土壌も水も違っている。土が違えば必要な肥料も収量も全然違ってきますし、十把一絡げにはできません。
さらに、品目も多様化しています。スクールの設立当初はやはり、まずはみんなコメを作っていて、それでプラス野菜だとかいう状況でしたが、今では受講生一人ひとり全く異なっています。
経営形態も多様化しました。家族経営でも法人化していたり、受講生の中にも大きな農業法人に入職して(岩手には1000ヘクタール以上の規模を持つ日本最大級の農業法人があるのです)、職員として法人の人材育成の一環で受講されている方もいます。
多様な受講生同士が共に学ぶことで、自分の強みは何か、あるいは克服しなければならない弱みは何かということも明確になる。新たなビジネスのヒントにもなる。多様性は財産なんです」(伊藤氏)。
◆写真3・4 3回にわたって実施される現地研修では県内各地の先進事例を訪問
スクールの講師陣は、岩手大学の教員だけでなく、農業技術や営農指導、労務管理、デザインなど、多様な領域で農業現場を実際に支援してきた専門家を招聘している。
「講師の側も、各農村の特徴、あそこだと水はどう、土はどう…だとか、社会的な背景だとか、そういうことがおおよそ頭に入っているので、皆さんの話がピンとくるんですね。最後に作成する『戦略計画』についても、担当の講師が各受講生の課題に応じた計画づくりをそうやって個別に支援していくのです」(伊藤氏)。
受講環境が厳しい、新しいことに戸惑いがあるなどといった理由で思うように計画づくりが進まない受講生に対しては、長年、県の農林水産部で営農指導をしてきたベテラン講師がマンツーマンで対応。また、今回授業を見学させてもらった広田氏はオンラインを用いて個別指導を行ったという。
「農業経営体の数が全国的に減少傾向にあるなかで、岩手の農業の持続性を確保し、成長・発展させていくことができるかどうかは、先進的な農業経営者をどれだけ育成できるかにかかっています。ほかから何か持ってくるのではなくて、自分たちで育てて長続きさせていく…農業はそういうあり方でこそ価値があるのですから」(伊藤氏)。