ダイナミック・アジアⅡ(11)豪州における高等教育改革の30年 杉本和弘

メルボルン大学
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豪州社会の成功とリスク

 英エコノミスト誌は、2018年10月27日号で「オージールールズ(Aussie rules)」と題する特集を組んだ。オージールールズとは、そもそもは豪州で人気のスポーツ「オーストラリアンフットボール」の愛称だ。もちろん、同誌が豪州スポーツの強さを特集したわけではない。「豪州が世界に教えられること(What Australia can teach the world)」という副題が付けられているように、近年好調と安定を謳歌しつつあるように見える豪州社会の強さと、その裏に見え隠れするリスクの実態に迫ろうとするものだ。

 豪州は戦後、地下に眠る鉱物資源の対外輸出を梃に繁栄を享受する幸運に恵まれた。そんな幸運な状況が持つ危うさを、皮肉や警鐘の意味も込めて"Lucky Country"(1964年)と呼んだのは歴史家でジャーナリストのドナルド・ホーンだった。1970年代のオイルショックを機に、1980年代にかけてマイナス成長・高インフレ・高失業率による景気後退を経験したものの、その間の関税引き下げによる貿易自由化や公共部門の民営化といった経済政策が奏功し、世界最長記録と言われる27年連続のプラス成長を維持することに成功している。現在でも、ポピュリズムやトランプ現象に揺れる欧米諸国と比べ、豪州は依然毎年19万人の移民を受け入れる寛容さを維持する一方、新興国の経済成長を背景に資源輸出によって好調を維持し、政府債務残高もGDP比41%と低い状態が続いている。

 ただ、こうして"Lucky Country"であり続ける豪州の強さの裏に、世界的な資源ブームを牽引してきた中国経済の存在があることは衆目の一致するところだ。地理的近接性や中国からの投資やヒト(移民・留学生・観光客)の流入増を背景に、豪州・中国関係は強まりつつある。確かに、同盟国米国との軍事的紐帯が弱まる気配があるわけではない。しかし最近では、習近平よりむしろトランプのほうに脅威を感じる豪州国民も少なくない。そんな世論調査の結果を紹介しつつ、エコノミスト誌は、着実に忍び寄る中国の影響力が豪州社会にリスクをもたらしかねないことに警告を鳴らしている。

高等教育における改革・拡大・多様化の30年

 こうした地政学的分析が導く豪州社会の成功とリスクの構造は、高等教育を考えるうえでも役に立つ。豪州の高等教育は、過去30年間に断続的に実施された改革プロセスを経て、成功を収めつつリスクも孕むようになっている。リスクについては後述するとして、まずはここ30年の歩みと到達点を確認しておこう。

 豪州は1980年代末、それまで理論的・学術的な教育や研究を主とする「大学」と、実践的・職業的な教育を中心とする「高等教育カレッジ(Colleges of Advanced Education)」から成っていた二元的高等教育システムを機関統合によって一元化し、「大学」のみから成るシステムへと転換を図った。それは、連邦政府主導で高等教育の規模拡大や多様化を促し、機関間の市場競争によって効率化を実現すること、ひいては社会への大卒者供給を増加させて豪州経済を活性化することを目指すものだった。

 1990年代以降も、連邦政府によって改革を志向する多くの政策立案や法整備が進められてきたが(DET 2015)、これら一連の高等教育改革は、次の2つの点から見て一定の成功を収めてきたと言っていい。

 第一に、高等教育の量的拡大が図られたことである。戦後ほぼ一貫して、高等教育機関の在籍者数は基本的に右肩上がりで増加を続け、2016年には国内学生・留学生合わせて約148万人に上っている(図表1)。近年は国際的に熾烈を極める留学生獲得競争において、豪州の大学は、中国・インド・ネパールといったアジア地域から留学生を惹きつけることに成功するとともに、アジアにおける分校設置や海外機関との提携を通して高等教育のオフショア展開も積極的に推進してきた。その結果、2017年時点で留学生数は約43万人(うち約12万人が豪州外のオフショアで学ぶ留学生)で、学生全体の約4分の1強を留学生が占める計算になる(DET 2018b)。さらに、国内学生に限ってみれば、19歳時点の高等教育就学率(2016 年)は1980年代末から倍加して41%に達する等、高等教育機会は着実に拡大してきた(Norton & Cherastidtham 2018:22)。


図表1 高等教育在籍者数(1950-2016年)


 第二に、そうした高等教育の規模拡大(マス化)が多様化をもたらしていることである。豪州には2018年現在、高等教育レベルのプログラムを提供する教育機関として、「大学」が42校、「非大学型高等教育機関」が127校存在する。前者のほとんどが州立大学(公立大学)であるのに対し、後者は営利団体を含む私立機関等の多様な機関から成り、その多くは自律的な学位授与権を有していない。そこには、例えば(日本の専修学校に近い)技術継続教育機関であるTテイフAFE(Technical and Further Education)が含まれており、とりわけ近年ビクトリア州所在のTAFEは、大学で提供されないニッチ分野において高等教育プログラムを開発・提供するといった新たな動きを見せ始めている。さらに、同じくビクトリア州を中心に、同一機関内で大学教育と職業教育訓練を提供する二元制大学(dual-sector university)が設置されており、ディプロマから博士号まで広範なプログラムを柔軟に提供する教育機関も登場している。

 この30年、豪州では大学数が40校前後で推移しほとんど増減が見られないものの、非大学型機関が市場参入することで「高等教育」の内実は多様性を高めてきたのであり、機関競争の中で多様な教育・学習需要に対応し得るシステムが整備されてきたと言える。

政策課題としての「財政」と「質保証」

 しかし、こうして高等教育の拡大と多様化を推進するためには、高等教育システムが持続可能性を担保し得る基盤整備が不可欠であり、事実、この30年間連邦政府の高等教育政策は「財政」と「質保証」をめぐって展開してきた側面が強い。現況がどうなっているのか、まず高等教育財政について概観しておきたい。

 現在、公立大学の財源はその半分以上を連邦政府が負担しており、中心をなすのは各大学の教育活動(teaching)に対して拠出される連邦政府補助金(CGS)である。ただ、連邦政府が高等教育費を丸抱えするわけではなく、一部は受益者たる学生が負担する。

 1974年から授業料無償化を続けていた豪州政府は、1989年に受益者負担重視の観点から高等教育費分担制度(Higher Education Contribution Scheme:HECS(ヘックス))を導入した。HECSとは、高等教育の私的便益を直接受ける学生が入学時に授業料として支払うのでなく、卒業後一定の所得額(repayment threshold)に達した段階から税制を通して学費の一部を、所得に応じた返済率に基づいて返済していく所得連動型融資制度だ。なお、HECSは、2005年に高等教育融資制度(Higher Education Loan Program: HELP)として授業料全額負担の学生に対する融資制度等も含んだ制度に再構築され、HECS-HELP(以下では、便宜上HECSと表記)として継承されている。

 さて、同制度の要諦は、HECSのC、即ちcontributionが示唆する通り、高等教育に要する経費について受益者たる学生が一部負担(貢献)し、残りを連邦政府が財政補助するという点にある。連邦政府による補助比率は専攻分野で異なるが、平均して60%である。

 HECSは、我が国の高等教育においても同様の制度導入が政策課題に上がるなど広く知られるようになっている(例えば「新しい経済政策パッケージ」2017年12月)。しかしながら、本家豪州の制度が必ずしも万全に機能しているわけではなく、近年はむしろ問題が深刻化しつつある。その一つが、学生自身が卒業後に返済すべき負担分(HECS debt or HELP debt)が、卒業生の所得が規定額に達しない等の理由から返済されないままになってしまう債務不履行問題だ。連邦政府が負担するHECS関連の負債額は年々上昇を続けており、2017年には約540億豪ドルに上っている。政府負債額は今後も増大が予想され、このうち最大25%が債務不履行に終わる危険性があると試算されている。

 こうした状況は制度の持続可能性を大きく揺るがす要因として認識され、連邦政府は2017年から、大学補助金の削減と学生負担増を目指す法律改正を展開し、漸く今年に入って法案が成立した。HECSに関しては、卒業生の負債支払い開始所得額が2017年度の5万5874豪ドルが、2019年度からは1万豪ドルも低い4万5881豪ドルに引き下げられる予定だ。さらに、高所得者の返済率も従来の8%から10%に引き上げられ、できる限り広い層の卒業生債務者から債務回収していくことになった。

 HECSをめぐる問題悪化の背景には、連邦政府が2012年から、医学分野を除く学士課程の全分野で大学入学志願者のニーズに応じて入学者を受け入れることを可能にする学生需要主導型システム(demand-driven system)が本格導入され、連邦政府による学生定員管理が取り除かれたことも影響している。同システムは社会経済的地位の低い層への高等教育機会の拡大を促し、これまで以上に豪州経済に大卒者を供給することを目指すものであったが、HECS利用者が大幅に増加したことに加え、大学入学基準が下がってこれまで大学に進学しなかった層が増えることで大学修了率が下がるといった結果を招くことにもなっている。

質保証アプローチの転換と強化

 こうして見てくると、高等教育システムの持続可能性を高めるための財政問題は「質保証」の課題とも不可分なことが分かる。

 振り返れば1990年代以降、拡大と多様化を進めた豪州高等教育にとって「質保証」の整備充実は重要な政策課題であり続けている。1995年には世界に先駆けて豪州学位資格枠組(AQF)が構築され、学校教育・職業教育・高等教育の各セクターで授与されていた学位・資格が整備された。その後2011年には、当時の国際的動向を踏まえ、16の学位・資格を①知識、②技能、③知識と技能の応用の3つの学修成果で整理し直し、10段階で構造的に示した新たなAQFに改訂がなされている。2018年に入ってからは、近年急速に普及する教授方法・技術の発展やさらなる資格枠組の国際的展開等を踏まえ、改めてAQFを見直す動きが進んでいる(Noonan 2018)。

 さらに、高等教育質保証システムの整備も、90年代の試行錯誤を経て2000年代に大きく進展した。2000年、「豪州大学質保証機構(AUQA)」が連邦政府主導で設立され、各大学内部の自律的質保証メカニズムの有効性を検証するオーディット方式の質保証システムが構築・運用された。その後、高等教育の拡大や新規機関の市場参入に対応すべく、より厳格な質保証体制として、明確に規制機関(regulator)と位置づけられた「高等教育質基準機構(TEQSA)」が設立された。

 TEQSAは、図表2にあるように高等教育の教育研究等に関して明示的な基準を設定し、それらをクリアした高等教育機関の登録(再登録)を促すことで豪州高等教育全体の質を保証し、国際競争力を維持することを目的としている。その意味で、大学の自律性や主体性を重視したAUQAのオーディット型アプローチとは性格が大きく異なると言ってよい。ただ同時に、TEQSAによる規制は、潜在的リスクのある高等教育機関や教育プログラムを重点的にチェックするリスクベース・アプローチが採用されている点に特徴がある。学生保護や財政的実行可能性・持続可能性が損なわれる危険性の高いところに必要な対応をとることで、より効率的・効果的に高等教育の質低下を防ごうとしていると言える。

図表2 TEQSAが設定する基準(2015年高等教育基準枠組)

国際教育の可能性とリスク

 豪州高等教育システムの持続可能性を考えるうえで、国際教育(international education)が有する可能性とリスクについて最後に見ておきたい。

 2017年度における国際教育による輸出額は303億豪ドルで、鉄鉱石(630億豪ドル)、石炭(571億豪ドル)に次いで第三位に位置づいている。これはサービス分野だけで見れば輸出額全体の36.4%を占め、観光等の旅行業212億豪ドルを凌いでトップに位置している。国際教育サービスにおける稼ぎ頭は依然として、207億豪ドルの輸出額を誇る高等教育セクターであり、全体の68.4%を占めるに至っている(DET 2018a)。この結果、留学生からの授業料収入は2017年時点で90億豪ドルを超えており、大学にとっては最大の収入源だ。

 こうして拡大を続ける国際教育の質保証は、留学生を受け入れる各大学自身はもちろん、豪州政府にとっても重要課題だ。連邦政府は、留学生のための教育サービス法(Education Services for Overseas Students: ESOS)を整備すると同時に、留学生の受け入れ体制がしっかり整備された教育機関を審査し登録管理するCRICOS(Commonwealth Resister of Institutions and Courses for Overseas Students)を運用してきた。

 他方で、驚くことに、国全体として明確な「戦略」が存在したわけではなかった。かかる状況を受け、連邦政府は2016年「国家国際教育戦略2025」(National Strategy for International Education 2025)を策定している。①基盤の強化、②変革的パートナーシップの構築、③グローバル競争への対応の3つの柱(pillar)で整理され、全部で9の達成目標と19の行動目標で構成されたものだ。さらに、同年には「2016-2020年グローバル同窓生エンゲージメント戦略」(Global Alumni Engagement Strategy 2016-2020)も策定され、世界で活躍する豪州高等教育の留学経験者を繋ぎ、活用していこうという動きも始まった。

 これまで蓄積してきた国際教育の可能性を伸長させようとする動きがある一方、近年拡大を見せる高等職業教育セクター(VET)も含め、留学生マネーへの依存は着実に高まっており、それ自体がリスクを孕んでいる。豪州高等教育の30年に及ぶ発展は、次代も持続し得る高等教育システムをいかに構築するかという新たな課題のフェーズに入りつつあると言える。

【参考文献】
Department of Education and Training (DET), (2015), Higher Education in Australia: A review of reviews from Dawkins to today .
Department of Education and Training (DET), (2018a), Export income to Australia from international education activity , Research Snapshot, June.
Department of Education and Training (DET), (2018b), Offshore delivery of Australian higher education courses in 2017, Research Snapshot, October.
Noonan, P. (2018) Review of the Australian Qualifications Framework:Discussion Paper , Australian Qualifications Framework Review Panel,December.
Norton, A & Cherastidtham, I., (2018), Mapping Australian higher education2018, Grattan Institute Report No.2018-11, October.


(杉本和弘 東北大学 高度教養教育・学生支援機構 教授)


【印刷用記事】
ダイナミック・アジアⅡ[11] 豪州における高等教育改革の30年 杉本和弘