Turningpoint 卒業生が語る 「今の私をつくった高校時代のターニングポイント」
Episode 1
数学好きが経済学部へ
学外活動と日常の授業がリンクして
やりたいことに確信がもてた
咲くやこの花中学校・高校に入学咲して部活動を選ぶ際に、数学研究部の体験入部がとても面白くて入部したんです。小学校までは科学の方が好きだったのですが、部活で数学に目覚めた感じです。顧問の先生は普段の授業もわかりやすく、中学生の頃は、何となく将来は学校の先生になれたらいいな、くらいに思っていました。
中学・高校と数学にのめり込んでいて成績も良かったのですが、大学で数学を学ぶことは研究職になるイメージが強く、自分がしたいのはそういうことなのか、高校2年になって進路に迷いを感じ始めてモヤモヤしていました。それで、学校で募集していた「犬島サマーキャンプ2017」に参加することにしました。学校の任意活動に参加するのって、大変だし、目立ちたくないので勇気がいることだったのですが、自分の進路を一旦リセットしたい気持ちだったので、何かを見つけられるかもと思ったんです。
「犬島サマーキャンプ」は複数の学校が集まった横断プロジェクトで、瀬戸内海にある犬島の社会課題を現地の人との交流のなかで見つけて、解決策を考えるものでした。それまで都市部でしか生活したことがなかったので、キャンプに参加したことで本で見聞きしていた高齢化や過疎化が「本当にあるんだ」と肌感覚で掴めたのです。高齢化だけでなく、社会課題というのは本の中ではなく現実に存在することなのだと初めて腹落ちした感じでした。
それ以来、自分は数学が好きだけれど、その力は社会問題を解決する方向に使えないだろうかと、視野を広げて考えるようになりました。犬島から帰ってから、自分の迷いをふっきるために、家にあった『学問事典』で数学に関係する学部で社会にも近い学部がないか探しました。そこで見つけたのが経済学部だったのです。
そのときふと、現代社会の授業を思い出しました。経済史に哲学が関係していたり、「こういうことを考えるのは面白い!」と思える授業でした。数学が好きな自分は理系で、経済学部は文系の学部だと思い込んでいましたが、もともと地歴公民科にも興味があったんだな、といろんなことがリンクしていきました。
今の自分をつくった大きなターニングポイントは、数学研究部との出会いと「犬島サマーキャンプ」だったと思います。でもそれ以上に、咲くやこの花高校の先生方が、自分が興味をもてるような授業をしっかりとしてくださっていた日常の積み重ねからの影響が一番大きかったと思っています。「生徒のやりたいことが授業の中にある」っ て、本当はすごく大変なことなのだろ うと今思うと感じますが、自分自身は広がった視野が授業での学びとつながったことで、本当にやりたいことに 確信をもつことができました。
2001年生まれ。小学校の頃から科学系に興味があり、中学から専門的な学びができることから、咲くやこの花中学校・高校に入学。得意な数学を社会で活かしたいと経済学部を志し、2019年京都大学経済学部に入学。
Episode 2
何でも「やりたい」と言うと
「行ってこい!」と背中を押し
先生たちが見守ってくれた
どこかで、自分は変わりたい気持どちをもっていたのかなと思います。私はもともと、自分中心で悪目立ちするくせに、人目をすごく気にしてしまうタイプ。育った小国は小さな町で、高校も同学年が人しかいませんでした。保育園から人間関係がほぼ変わっていないので、「あの子はこういう子」と誰もがお互いに思っていて、新しいことをするとヘンな目で見られる環境だったんです。
自分の転機は、小国高校がホストとして開催した「全国高等学校小規模校サミット」(以下、サミット)。その時先生たちから「ファシリテーターをやってみないか」と声をかけてもらったんです。
サミット開催に向けての事前の準備段階や、参加校の他校の人たちとの関わりのなかで、少しずつ自分が変化していったように感じます。まず、指導協力をしてくれた東北芸術工科大学のコミュニティデザイン学科の先生から「地域創生」という考え方や学問について教えてもらい、興味をもちました。それまでは将来の夢は保育士や考古学者と思ったこともありましたが、真剣ではなかったですね。でも、「地域創生」を知り、サミットの準備に町の人からも協力いただき、地域のために何かしたいという気持ちが湧いてきたんです。
サミットには全国からもの学校が参加してくれました。同じ小規模校として自分たちと似たような思いや課題を抱えている同世代の仲間がたくさんいることや、うちの学校とは全然違う多様な学校運営や行事をしている高校の存在など、広い世界があることを知ることができたのが大きかったです。SNSの時代に人々と直接関わることの意義を心に刻めた経験となりました。
その後、先生からNPO主催の「マイプロジェクト」のことを教えてもらい、「行ってみたい」と行ったら「行ってこい!」と。興味を示した友人がいなかっ たので、スタートアップの企画や発表会の見学に一人で参加してみました。行ってくるたびに先生が「どうだった?」と聞いてくれて、「こんなでしたよ」と嬉しくてフィードバックしていました。
狭い世界から外に出て行く経験を積み重ねることで、周りを見られるようになったり、違う生き方をしてもいいんだと殻を破れたと思います。そして、地域創生というやりたいことを見つけ ることができました。一方で、一人で目立つことをやりすぎてクラスから孤立しそうになり悩んだこともあります。そのときも先生たちが親身に相談に 乗ってくれて、「前に出すぎると孤立す ることもあるけれど、出ないとダメな ときもある」と言われ、一人でも大丈夫と思える力を与えてもらえました。 だから、もし同じように一歩踏み出し たい後輩がいたら、私も「なんでもやっ てみた方がいい。いいことしかないから」 と背中を押してあげたいと思います。
*小国高校主催の「全国高等学校小規模校サミット」の詳細については、小誌429号で紹介しています。
2001年生まれ。2017年、全校生徒が80人規模の山形県立小国高校入学。同校が主催した「第1回全国高等学校小規模校サミット」でコアメンバーを務めた。2020年米沢女子短期大学日本史学科入学。地元の歴史を学ぶことで、将来は地域創生に関わりたいと考えている。
Episode 3
外に出てショックを受けたことで
自分に足りないものを見つけ
がんばるモチベーションになった
高校1年生ぐらいまでは、自分の将来について「英語が得意だから英語の先生か航空会社に勤務」と、漠然と考えていました。でも積極的にそれらになりたかったわけではなかったんです。部活動は中学から6年間ブラスバンドをがんばってきたものの、部長などを務めるわけではなく、友人たちがボランティアに参加していても私は興味がもてない、どちらかというと消極的な方だったかも。唯一やりたかったのは、留学すること。それで、高校2年の時に、学校で募集していた短期留学で最も費用が安かった1週間の「カンボジアワークキャンプ」に参加したのですが、それが自分のターニングポイントになりました。
まず、事前学習で学んだカンボジアの歴史に大きな衝撃を受けました。わずか数十年前の大量虐殺の歴史と、それによって現在のカンボジアが抱える教育者不足やいびつな人口構成などの課題が発生したことを知りました。実際のワークキャンプでは現地の学校を訪ねるなど、事前学習したことを五感で体感。この経験で、それまで教科書で知ってはいても人ごとだった発展途上国のことが、一気に現実味を帯びて自分ごとになり、何とかしたいと思うようになりました。
ワークキャンプを契機に、学校のポスターで見つけた「模擬国連」にも参加しました。そこでは、課題について自分たちで調べて解決策を考えるというプロセス自体の面白さを知るとともに、出会った他校の友達のパワーやリーダーシップに圧倒されました。自分との違いがショックでしたが、自分ももっとやりたいことを突き詰めていきたいという好奇心に火がつきました。
高校3年になって、「国際理解」の授業で途上国支援のプロジェクトを自ら立ち上げ、リーダー経験が皆無だったにもかかわらずプロジェクトリーダーを務めました。以前は殻に閉じこもっていた私でも、やりたいことが見つかったことで、主体的にリーダーシップが取れるようになれたことを実感しました。
その頃から、「英語を学びたい」というより「英語を使って何かをしたい」と考えるようになりました。オープンキャンパスで「貧困問題は自然発生している訳ではなく、歴史や経済の仕組みによって発生している。だから解決にはバックグラウンドを知る必要がある」と話し てくれた先生に魅かれ、上智大学の総 合グローバル学部を目指し、学校推薦で入学することができました。 消極的だった私が「あれもやりたい、これもやりたい」と行動するようになったのは、ワークキャンプや模擬国連によって全身に衝撃が走った経験をしたことで、当事者意識と好奇心という強力な内的エンジンが生まれたから だと思います。そうした知識と現実のギャップ、今の自分に足りないものに気づく機会を、学校や先生がたくさん用意してくれていました。高校でのそれらの経験が自分の原点であり、 今の私をつくってくれたと思っています。
1997年生まれ。小学校から啓明学園に入学。高校2年時に学校の「カンボジアワークキャンプ」に参加し国際協力に目覚め、上智大学総合グローバル学部在学中に「トビタテ!留学JAPAN」の奨学金を得てアメリカと南アフリカに留学。青年海外協力隊でチュニジア赴任の予定がコロナ禍で中止となり、大学院進学準備中。
取材・文/長島佳子