Introduction 高校生に経験してほしい「越境」とは

「先行きが不透明で、将来の予測が困難な社会になる」と言われてもまだ先のような気もしていましたが、コロナ禍が世界中のすべての人をその当事者にしました。政府も企業も学校も、そして生徒たちも、これまでの当たり前が通用せず正解もないなかで初めてのことや新しいやり方に取り組む経験を経て、困難や不安とともに、何かが変わっていく兆しも感じ取っているのではないでしょうか。
本特集では、そんな高校生が自分の“当たり前の枠”から1歩踏み出すことでこれまでになかった見方・考え方・価値観と出合い、一回り大きく成長していく、そんな「越境」について紐解いていきたいと思います。

見えない「枠」に気づき、越えてみる経験が
さらなる「成長のチャンス」を生み出す

研修などでよく話される、「飛べなくなるノミの話」をご存じの先生も多いかもしれません。ノミは1m以上ジャンプする能力があるらしいのですが、瓶などに入れて蓋をすると、次第にその蓋の高さまでしか飛ばなくなり、蓋を除けてもその高さ以上には飛ばず、外に出ることができなくなるそうです。つまり、自分で自分の限界を作っている状態です。  

ではこの「飛べなくなったノミ」を再び飛べるようにするには、どうすればよいか? それは「その限界を越える仲間の姿」を見せることだそうです。限界を越えて高く飛ぶ仲間を見て、他のノミたちも、自分が高く飛べることを思い出す。  

人間も同じように、過去の経験や思い込みが、知らず知らずのうちに自分を制限する「枠」となっていることがあるのではないでしょうか。それはある意味、生徒たちが経験のなかから学んできたことではあるのですが、それが〝ねばならない〞という固定概念や閉塞感、新たなチャレンジを妨げる見えない壁になっているとしたら…。
高校時代に、身の回りにあるさまざまな「枠」や「境界」をあえて越えてみる〝越境経験〞をすることが、学びの幅を拡げてさらなる成長のチャンスにつながっていき、そしてその成長や変容は、生徒から生徒へ伝播していく、そんな可能性があると思うのです。

高校生に必要な「越境」は、コンフォートゾーンの外へ踏み出し
新しい何かに出合ったり、苦労や葛藤を乗り越える経験

〝越境経験〞と言っても、環境をがらっと変えたり、大きなチャレンジをするだけがその手段ではありません。ミシガン大学ビジネススクールのノエル・M・ティシー教授が提唱したコンセプト(下図)では、自分が安全・快適に過ごせる「コンフォートゾーン」の外側に「ラーニングゾーン」、さらにその外側に「パニックゾーン」の3つのゾーンがあるとされています。ラーニングゾーンは別名ストレッチゾーンとも呼ばれ、これまでの自分の力だけでは通用しない未知の領域ですが、そこで新しい知識や価値観と出合ったり、初めての状況のなかで苦労や葛藤を乗り越える経験こそが、人を成長させる。さらにその外のパニックゾーンまでいくと、負荷が大きすぎて対処できず、成長どころか心身に不調をきたしかねない領域になるといいます。本特集ではこの考え方に基づき、越境経験=自分のコンフォートゾーンから外に踏み出し、自分のこれまでの「枠」を越える経験、と定義したいと思います。  

外に出ると、想定外のことが多々起こります。が、それを覚悟して勇気をもって踏み出し、自分なりに対処し、何らかの結果を得る経験は、失敗も含めて成長の原動力になりえます。また踏み出してみて何とかなった、という経験は、コンフォートゾーンを少し拡げ、次の越境に挑戦するハードルを下げることにもつながるでしょう。  

もうひとつ大事なことは、初めてや想定外にさらされることで、自分が何に本当に興味があり、何ができて何ができないか、何が嬉しくて何を許せないか、自分自身をメタ認知しより深く理解することができるという点です。新しいことや成功する確証がないことにも挑戦してみようというマインドセット、そして自分自身への多面的な理解は、越境経験によって得られる成長の大事なベースになります。  

そして成長には、価値観や尺度は同じで、能力や視座が上昇するいわゆる垂直な成長と、価値観や尺度すら変わっていく水平な成長があるといわれています。越境経験によっておこる学びは、まさにこの後者。価値観や世界観がまだ柔らかく可変性の高い高校生だからこそ、新しい経験によって自らの認知や周囲の世界を何度も再構築することができ、それが非連続な成長へとつながっていくのです。

学校という安全な場だからこそ、
生徒は思いっきり越境できる

では、高校の教育活動において、どのように生徒の越境経験を支援できるでしょうか。

まずは下の、ワークショップレポートをご覧ください。こちらは、日常のなかからささやかな越境を試みる、まさに1歩目の踏み出しを支援する取組です。野球選手のイチローも「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」と言っているように、こうした身近なところから始めて、徐々にラーニングゾーンに踏み出しやすい状態を作っていくのもひとつの手です。  

そのほかにも、探してみると高校には、あらゆるところに越境の機会がありました。今回の特集では、そのなかから「」「教科」「ルール」「同質性」「場所」の5つを取り上げ、その境界を越えることが高校生の将来に良い影響を与えると考え、その機会を創り出すことに取り組んでいるナビゲーターと、高校を取材しています。  

越境の機会を創り出すだけでなく、それを単なる〝よかった〞で終わらせず、また失敗した経験も含めて成長の糧にするために、先生方ができることもたくさんあります。例えば事前には、外に踏み出す幅の調節、その挑戦を自分ごと化できるような声がけ、何を学ぶかなどの目的意識の醸成。越境中は、体験がより良いものとなるフォローに加え、さらなる成長を後押しする負荷の設定。そして越境後には、経験から得たものの言語化や自分のなかへの落とし込み、得た力を発揮する場の設定など。事例では、各校のそういった工夫も聞いておりますので、ぜひ参考にしてください。

学校というある意味安全な場で、先生のフォローも受けながら思い切り越境し、その経験によって考え方や行動が変わったり、好奇心が刺激され、もっと知りたい・やってみたいという意欲が生まれ、成長モードに入っていく…。一人でも多くの生徒にそのスイッチを入れたいと願っている、たくさんの先生方のヒントになれば幸いです。

文/林 知里(本誌 デスク)


【ワークショップレポート】

日常のなかから、「昨日の自分を越える歩」を始める

ささやかな越境体験で、変わり始める生徒たち

  

1カ月間「ちょっとやってみた」を継続したら
コンフォートゾーンから抜け出すことで異なる考え方に出合い、変化や成長へと繋がっていく。―それでも、日常から離れて新しいことに挑戦するのは難しいものです。まずは生徒たちにとって日常のなかから、ささやかな越境体験を促すことはできないでしょうか。「昨日の自分と比べてちょっと踏み出す」程度の小さな行動から始めるのです。  

その一例として、「スタディサプリ」で実施されたワークショップの取組をご紹介します。

昨年2月、リクルートマーケティングパートナーズ(現リクルート)とリクルートマネジメントソリューションズによる、高校生約15万人を対象とした調査※が行われ、「目標設定と振り返りのサイクルが主体性育成に大きく寄与する」ことが示唆されました。この調査結果を受けて同年12月の1カ月間、「スタディサプリ」では40名の高校生を対象に、主体性向上のためのワークショップを実施。週に1度、小さなチャレンジ目標を自ら設定し、振り返りを行うサイクルを続けてもらいました。  

ワークショップのコンセプトは「ちょっとやってみた」。冒頭の導入授業では、生徒も知る偉人や著名人の、意外な「始まりの1歩」が紹介されます。例えば、アップルの創業者、スティーブ・ジョブス氏。彼の最初の1歩は、興味の赴くままにカリグラフィー(書法)の授業に潜り込んだことでした。  

ジョブス氏は、将来起業することを考えて授業に出たわけではありません。「ただ気になった授業に、ちょっとだけ潜り込んでみた」程度のことが、彼の世界を変え、のちに美しいフォントをもつ革新的なコンピューター、マッキントッシュの開発へと導きました。この例のように「『ちょっとやってみた』が、みんなを想像もできないような世界へと誘うかもしれない」と講師が生徒に伝えたのです。  

導入授業の内容を聞いて「小さな行動がきっかけで、予想もしない変化や、好きなこととの出合いがもたらされるのかもしれない」と気づく生徒たち。  

その後は週1回のペースで、記事と問いかけを生徒たちに配信しました。記事では、身近な高校生から大人まで、さまざまな人が「ちょっとやってみた」を繰り返して、どんなふうに人生が変わったかを紹介します。記事を読んだうえで、生徒たちは自身の1週間の振り返りと、翌週の目標設定を行います。このサイクルを繰り返しながら、日々の生活に「ちょっとやってみた」程度の自主的な行動を織り交ぜてもらうよう呼びかけました。  

1カ月間継続した生徒たちからは想像を超えるほどの良好な感想が。全体で「振り返る力」の向上が見られたほか、約9割が、「取組が自分に良い影響を与えた」と回答しました。

小さな行動が、
次の行動のハードル下げに
「『ちょっとやってみる』くらいなら、と今までできなかったことに挑戦できた」「ちょっと行動した結果、自分と周りとの関わり方が変化していくのが楽しい」「自分の固定概念が消えて、他のことにもチャレンジできそうだと思えた」…。  

こうした高校生の感想からは、「挑戦」「新たな行動」といった言葉に対して、高めのハードルを想定してしまいがちな傾向もうかがえます。小さな行動から始めること、また、振り返りの問いかけを通じて自身の行動を認知することによって、次の行動が促され、好循環を生んだともとれるでしょう。日常のなかから始める「越境」。そのささやかな1歩が、生徒の変化につながっていくのです。

仲良くなりたいクラスメイトに自分から話しかけてみたR.W.さん。
「失敗がこわかったけど、ちょっとだけ新しいことをすればいい、
と思うと一歩踏み出せたし、どんどん挑戦できた」。

いつもより早い電車に乗ってみたM.N.さん。
「『余裕をもって学校に着こう』など、目標をもつことでうまくいった。
一度行動してみたら、次は何をしようと考えるようになりました」。

文/塚田智恵美