地域と共に考える地方大学の未来 平成期に急増した公立大学の設置政策が示すもの

一般社団法人公立大学協会 常務理事・事務局長 中田氏



 公立大学は、平成期に39大学から93大学までその数を一気に増加させた。現在は専門職大学も加わり総計98大学に達している。東北6県を例にとっても、福島県立医科大学ただ1校だったものが、6県全てに計11大学が設置されるまでになった。本稿では、こうした公立大学急増における政策背景から、地方大学の未来を考えるためのヒントを示したい。


戦後の年度ごとの公立大学設置(廃止・移管)数


 まず、戦後の公立大学設置の全体像を確認しよう。グラフに示した上に伸びる棒は新規の公立大学設置数である。グラフ左端には、戦後の新制大学発足時に30以上の公立大学が旧制公立大学・専門学校を母体として一気に設置された状況が示されている。

 特筆すべきは、太平洋戦争の戦況悪化の中、銃後の医師養成のために設立された合計20に及ぶ公立(女子)医学専門学校である。中には開学直後に空襲により校舎が消失したものもある。大きな国難の下での医療人材の養成を引き受けた後、それらの多くは戦後、公立医科大学となった。

 一方、グラフで下向きに示された緑の棒は、国立移管による廃校を示している。戦後の自治体の財政危機の中で、特に医・農学部を中心に、少なくない数の公立大学が国立大学に設置者変更される。その後、自治体財政への影響を懸念した自治省(現在の総務省)が、新たな公立大学設置を強く抑制した結果、昭和期の公立大学数は、ほぼ横ばいに推移せざるを得なかった。

平成前期における公立大学の集中的設置

 ところが平成期に入ると、グラフ右半分に示す通り、公立大学の集中的な設置が始まる。地方自治体にこれらの政策決定を促す「追い風」となったものは何か。筆者なりの推論を3つの「変化」から説明したい。

  • 人口動態の変化
  •  まず、18歳人口の急増から急減局面への転換、そして高齢化社会の到来という、2つの人口動態の変化である。

     18歳人口は、平成4年のピークに向けて急増した後、急速な減少へと転じた。減少局面を迎えても大学の入学定員は増え続け、結果として大学は18歳人口に対して過剰となり、淘汰の時代を迎えた。これが一般的な理解であろう。しかしながら、地方の理解は必ずしもそうではない。18歳人口の急増期に特に都市部で膨れ上がった過剰な収容力は、18歳人口急減期には、地方の若者を引き寄せる強力な吸引装置と化した。地方の立場から見た18歳人口の減少とは、地域で育つ若者自体の減少であり、加えて地方からの人材流出を加速させるという二重のインパクトを持つ。それを何とか押しとどめようと、地方において公立大学設置を促す政策圧力は高まった。

     もう一方の高齢化社会の到来。これに対しては平成元年、大蔵・厚生・自治3大臣の合意を得た「ゴールドプラン」が策定された。同プランは冒頭、消費税導入との関連も示しながら高齢化社会への対応を以下のように述べた。

     我が国は、いまや平均寿命80年という世界最長寿国になり、21世紀には国民の約4人に1人が65歳以上の高齢化社会となる(中略)。このため、消費税導入の趣旨を踏まえ、高齢者の保健福祉の分野における公共サービスの基盤整備を進めることとし、在宅福祉、施設福祉等の事業について、今世紀中に実現を図るべき10か年の目標を掲げ、これらの事業の強力な推進を図ることとする。

     このプランを踏まえ、平成4年に「看護婦等の人材確保の促進に関する法律」が制定される。同法は、看護職員の確保に必要な措置を講ずることを地方公共団体の責務とした。それに対し自治省は、これまでの抑制政策を転換し、看護系の公立大学の新増設などの施設整備に関して起債を認め、その償還に対し手厚い財政支援を講じた。高齢化社会という平成期の国難を受け止めた医療人材の養成が、再び地方に委ねられたのである。

  • 経済状況の変化
  •  このように2つの人口動態の変化が、地方自治体に対しては公立大学設置を強く促し、国に対してはその支援政策を用意させた。これらの動きをさらに強めたのが、同時期に発生した「バブル経済の崩壊」という経済状況の変化である。どういうことか。

     バブル崩壊は平成初期において、平成期が衰退の時代であることを強く印象付けた出来事である。これに対し、冷え込んだ景気を回復させるために、地方に対する大型のインフラ投資が行われる。本格的な景気対策の皮切りとなった平成4年8月の総合経済対策は、この時点だけでも総事業規模10兆7000億円に上り、地方単独事業のための地方債の追加1兆8000億円や、地方の公共用地の先行取得のための1兆円などをその内容としたという。こうした経済対策により、看護系だけでなく、幅広い分野の公立大学の設置に対しても財政支援を行うことが可能となった。

     またバブル崩壊は、人口動態の変化そのものにも影響を与え、地方からの人材流出を加速させた。即ちバブル崩壊による地域経済の疲弊は、高卒生に好条件となる就職先を減少させ、高卒求人倍率の低下がもたらす高卒初任給の低下や高卒無業率の上昇は、進学率の上昇圧力となる。こうして生まれた新たな進学者を都市部に奪われることを容認できない地方自治体は、公立大学設置によって地域の大学収容力の向上を図ろうとしたのである。

  • 国・地方の役割分担の変化
  •  これらの人口動態、あるいは経済状況の変化に対し、地方が機敏に対応できた政策背景には「地方分権」がある。平成5年に衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」が行われた。この流れに向けて、公立大学をめぐる自治省内での議論にも変化が起こったという。元自治省関係者は、筆者のインタビューに対し、以下のように述べた。

     大学はなにも国だけのものではなく、地方自治体にもっと広く設置を認めていいのではないか。旧帝大クラスならさすがに国であろうが、地域の大学をわざわざ国でやるものではないといった議論が自治省の中にもあった。すなわち、地域の中でコンセンサスがあって、設立目的が明確ならば自治体による大学の設立はあるということだ。確かに自治体に大学運営の専門性はないが、その代わりに地域振興と大学を結び付けて考える力がある。

     地方分権の進展は自治体行政を活性化させる。その結果として、自治体に必要となる新たな施策が生まれれば、自治省はそれを支援する。ここには国と地方との間における政策の役割分担の変化が見て取れる。

平成中期以降の設置政策の多様化

 しかしながら追い風は長くは続かない。公立大学設置の際の自治省の財政支援は概ね平成12年度をもって終了し、13年度以降の財源確保は地方自治体が単独で賄うこととなった。こうした「逆風」の中でも、関係者の努力と工夫は続き、その政策パターンを3つに分化させながら、公立大学の設置政策は継続する。「短期大学の四年制化」「大学統合」「私立大学の公立大学化」である。

  • 短期大学の四年制化
  •  平成中期以降、公立短期大学を四年制化する手法で、名寄市、新見市、福山市などの基礎自治体を含め、多くの自治体において公立大学が設置された。もちろん、平成前期においても短大の四大化の例はある。しかしながら、この時期の四大化については、短期大学の存廃をめぐる短大と設置自治体の厳しい攻防が各所で生じたのである。

     即ち公立短期大学は、特に女子の四大志向によりその存在意義が問われた。それに対する四大化構想が、既存の教員組織の温存を図るだけのものと設置自治体に理解されれば、財源確保が困難化した中にあっては、単なる短大廃止の議論の方が先行する。そして、短大の実績と今後の可能性について、設置自治体から一定の評価が得られた後に、四年制化の決断はもたらされるのである。

  • 大学統合
  •  公立大学の統合は、平成16年度からの6カ年度に集中的に行われ、東京都、大阪府、兵庫県等において、17大学が7大学に統合された。これらの大学統合はちょうど公立大学の法人化の始まりと歩みを同じくした。

     公立大学法人制度は、設置自治体の判断による法人化を可能としたが、発足時の国立大学法人制度とは内容に異なる点が多い。理事長・学長の別置型、一法人への複数大学設置を可能としているほか、法人化後の最初の学長についても、設置自治体は自身が望む人材を自由に任命することができる。こうした法人化により公立大学政策は設置自治体の強いイニシアチブの下に置かれるようになり、それに伴うように進んだ大学統合は、当時自治体に強く求められていた行政改革を行うための絶好のターゲットにもなったのである。

  • 私立大学の公立大学化
  •  平成21年度以降、高知工科大学、名桜大学、山口東京理科大学など10校を数える私立大学が、その設置者を変更して公立大学となった。それまで、自治体の出資によって多くの私立大学が地方において設置されてきた。確かに18歳人口の急減は、地方大学の必要性を高めたのだが、これらの大学にとって18歳人口のさらなる減少は志願者減に直結した。そしてこの政策は「経営困難に陥った地方私立大学の税金による救済」との文脈で繰り返しマスコミに取り上げられ、そこにはこれらの政策を問題視する識者による解説が添えられた。

     もちろん、これまでみてきた通り、平成中期以降の公立大学の設置は、単純に前向きな政策という側面だけでは語れない。中でもこの設置者変更政策はまさに危機的局面への対応という性格を有する。そこでは地域の大学の存続が、その地域の誰の目から見ても確実に必要とされる課題であるのかが強く問われる。そして公立大学の設置をあえて引き受けることが「地方自治の判断」として行われた場合にのみ、設置者変更政策は実施される。

地方大学の未来を開く「政策アクター」の信念

 ここまで平成前期と中期以降に、合計4つの政策パターンをみてきた。特に中期以降の逆風の中では、地方自治と大学の自律性との間に、厳しい葛藤を見なければならなかった。そろそろ紙幅も尽きつつある。最後にやや唐突とは思うが、地方自治と大学政策を結びつけ、平成期の公立大学集中設置の扉を開いた2人の政策アクターに登場願い、今後の地方大学の向かう方向について考えてみたい。


鰐淵俊之氏(左)と仙賀ますみ氏(右)
鰐淵俊之氏(左)と仙賀ますみ氏(いずれも故人)
出典:釧路公立大学沿革史、兵庫県立看護大学5周年誌


 左の写真は、釧路公立大学の設置に尽力した鰐淵俊之・元釧路市長である。平成改元前年の昭和63年に事務組合立により設置された同大学は、平成期の集中設置の先駆けとなるものであり、鰐淵氏はまさに自治省の政策転換を促したアクターであると筆者は考えている。もちろん地方自治を司る制度官庁たる自治省の政策方針が、一市長の熱意だけで転換することはない。前述のように、地方分権に向かう大きな流れがそこにはあった。とはいえ、地方分権をそのまま公立大学と結びつける必然性は自治省の中にはない。地域にふさわしい大学が必要という信念を持つ鰐淵氏の粘り強い働きが、公立大学政策を自治省の視野に入れる「きっかけ」となったと考えることは決して不自然ではない。

 右側の写真は戦時色の深まる昭和15年、保健婦として兵庫県政に参加し、後に全国初の看護系公立大学設立の最大の功労者となる仙賀ますみ氏である。戦後になり仙賀氏は努力の末、県政の中で医師の指定席と言われた職に就くようになる。そしてとりわけ戦前期に看護職に向けられた不当な処遇を振り返る中で、大学教育による看護職養成が必要との信念を持つようになる。仙賀氏は、専門職の立場から県政への積極的な働きかけを開始するが、こころざし半ばに病没してしまう。しかしその願いは、兵庫県看護協会により継承されたことにより、昭和を超え平成に至り、ついには若き日に仙賀氏の薫陶を受けた県庁職員の手で「県政課題」として取り出される。そして、高齢化社会という時代状況との整合を得て、平成5年の兵庫県立看護大学の設立に実を結ぶのである※。

 これらを単に傑出した人物のエピソードとして見るべきではない。米国の政治学者ジョン・キングダンは、次のように述べた。政策変化を理解しようとする際、社会科学者は構造的変化をみようとし、ジャーナリストは適切な時・場所に適切な人物がいたことを強調する。そして、それは両方とも正しい。政策を実現させるものは、もちろん個人のレベルを超えた社会的な要因であるが、その機会を活用するのは個人としての政策アクターだからである。

 これまでに「高等教育のグランドデザイン」答申や「地方創生に資する魅力ある地方大学」に関する報告などにおいて、貴重な示唆が地方大学に対し示されている。ただし、これらを拠り所にしたとしても、18歳人口減少下における需給バランスだけからは、地方大学の将来像は見えてこない。大学に求められる役割も一様には語れない。さらには、これまで見てきたように、様々な時代状況の変化に公立大学は翻弄されてきた。多くの地方大学も同様であろう。そして言うまでもなく、時代の変化というものは予測不能である。

 今年になって再度、公立大学協会が実施した学長アンケートには、コロナ禍の中で設置自治体の理解を求めながら学生の学びを守ってきた、いわば格闘の経緯が示された。命を守る医療や新しい社会デザインを先導する責任にも言及された。それらの回答の中に、設置自治体政策の可能性について「地域住民の課題を国よりも熟知し、それらを高等教育へ反映させていく動機があり、潜在力を有している」と評価する声があった。同時に「高等教育のプロではない自治体職員が大学のあるべき姿を描くのは現実的ではなく、大学側からの主体的な提案が欠かせない」との決意も示された。

 この評価と決意を結びつけるヒントを先の2人の政策アクターは教えてくれる。地方大学の未来を拓くのは、自治体、大学、住民を問わず、大学の未来について地域と共に考える政策アクターの強い信念であろう。そして「どうあるべきか」ではなく「どうするのか」を考え続けることのできる政策アクターは、時代の大きな変化や、それがもたらす危機の中に出現する。筆者はそう考えたい。



  • これらの経緯の詳細、あるいは論述の出典等については、拙書『可能性としての公立大学政策 なぜ平成期に公立大学は急増したのか』(2020年、学校経理研究会)を参照いただきたい。

可能性としての公立大学政策 なぜ平成期に公立大学は急増したのか



一般社団法人公立大学協会 常務理事・事務局長
中田 晃



【印刷用記事】
地域と共に考える地方大学の未来 平成期に急増した公立大学の設置政策が示すもの