上田安子服飾専門学校 校長 田島 等 氏

社会に対する正しいあり方は
多くの学生を集めるのではなく
教育のクオリティーを守り続けること


服飾界の泰斗、上田安子氏が設立した専門学校
 本校は1941(昭和16)年に設立された「上田安子服飾研究所」を前身とし、約80年にわたり日本のファッションの成り立ちとともに歩んできた歴史と伝統をもつ学校です。創立者の上田安子先生(1906−1996)を語るうえで欠かせないのは、日本で初めてオートクチュール技術を紹介した業績です。1950年代にパリ・オートクチュールの第一人者であったクリスチャン・ディオール氏(1905−1957)に師事し、その技術を持ち帰って日本のファッション界に一大センセーションを巻き起こしたことはよく知られています。
 私が校長に就任した際、まず実行したのは上田安子先生の足跡をたどることでした。国内では戦後、上田安子服飾研究所を再開させた場からその後の移転先、海外ではフランスをはじめイギリスなどの諸国を経巡り、当時の安子先生と同じ情景に接して、その思いを追体験しようと試みたのです。最も腑に落ちたのがフランス西部のグランヴィルという街を訪れたときでした。ここにはかつてクリスチャン・ディオール氏の生家だったディオール美術館があり、安子先生はその生家にたびたび招かれていました。この土地に足を踏み入れたとき、安子先生が感じていたことに合点がいき、先生と気脈が通じたような感覚をおぼえました。本校では例えば、学科増設、改組、教室のリニューアルといった大きな仕事に際して「安子先生ならどうするか」という判断基準を教職員が共有します。先生の足跡を追ってみたことで、今はその答えを導きやすくなっています。

伝統の手縫い、手描きは決してやめない
 本校の教育はオートクチュールを基本としています。だから手縫いにこだわります。入学後しばらくはミシン、CADには一切触れさせません。手縫いと手描きのパターンを徹底して修得させ、その後プレタポルテ(既製品)にスイッチするというストーリーで教育しています。この方法は教員側に大きな負担が掛かるとともに、学生にも粘り強さが求められます。だから本校の教員は本当に辛抱強く学生と関わってくれています。ではなぜ、早期からミシンとCADで服づくりをさせないかといえば、それでは原型が理解できず、結局は社会で通用しないからです。手縫いを修得した展開の一つとして、省く作業を見通せることがあります。ルイヴィトンとH&Mではジャケットの作り方が異なるのは誰でもわかります。本校で学んだ人間ならルイヴィトンのジャケットサンプルからH&M用に加工するテクニックがわかります。つまり、どの作業を省けば外面を保ったままコストカットが可能なのかが判断できるのです。最初から機械に依存していたのでは絶対に体得できない知識です。
 本校にはシューズ、バッグ、雑貨のものづくり系コース、ビジネス系のコースもありますが、教育理論はすべてオートクチュールの考えに基づきます。最初は手仕事を覚え、それからプレタポルテへ。販売系では自らの手で愛情を込めて接客する土台を築き、そこから数をこなすことを学ばせています。今後新たな学科・コースを設置しても、この方針を変えることはありません。

各分野の世界最高峰に触れる海外学習
 近年、海外ネットワークの拡充を加速度的に進めてきました。性急ではないかという声も内外から挙がっていましたが、現在世界のファッション、経済、工業などの動きが非常に速まっています。本校としては世界最先端の動向を機敏にキャッチする波に乗りたかった。一度乗ってしまえば流れはわかります。そのために急ピッチで海外の提携校・機関を広げていきました。基準は知名度ではなく、その分野で世界の最高峰であることです。一部例を挙げますと、シューズ、バッグづくりならイタリア・ミラノのアルス・ストリア校やフィレンツェのパラッツォプッチ校。指導法が抜群です。デーンマークではコペンハーゲンのデーンマーク王立芸術アカデミーが提携校です。日本における東京藝大にあたる大学で、ドイツ式とイギリス式を盛り込んだジャケットの肩の製作法が特に優れています。アメリカにはニューヨークやロサンゼルスに提携校があります。カルフォルニア芸術大学はウォルト・ディズニーが創設した美術大学で、舞台衣装専攻の学生が短期留学しています。同じくロサンゼルスのFIDM校はパタゴニア社との提携で作り出したサステイナブル素材など、繊維について造詣が深められます。
 このように分野ごとに緻密にセグメントした提携先に毎年学生を送り出しています。大学ランキング上位校で学ばせたほうが履歴書映えはするかもしれませんが、大切なのは身になっているかどうかです。事実、参加した学生はめざましく変貌します。目つき、行動、ものの見方、芸術に対する関心——まるで変わります。世界的なブランドであっても商品だけなら大阪の百貨店で容易に見ることができます。クリスチャン・ディオールならパリの本店、ラルフローンならニューヨークの本店を学生に見せるのが我々の考え方です。通りの環境、店の空気感、スタッフの動きなどをみずからの五感を通して体感させます。そこにはインターネットではわかり得ない本物を体験する肌感覚があるはずです。

パリコレの「トライノ」で学生商品を出展
 トップクリエイター学科の学生が、パリコレクションに出展して既に5年を超えました(2020年現在)。パリコレは世界の高級ブランドや世界的デザイナーが新作発表と受注会を兼ねて開催する一大イベントで、世界各国のバイヤーやファッションジャーナリストらが来場します。数多くの展示会場があるなか、本校が出展しているのは最もハードルの高い「トライノ」です。厳格な条件を満たすブランドだけが出展を認められ、本校としてもハードルをクリアするために3年を要しました。今では本校のブースに初日から世界各国のバイヤーが集まり、着実に顧客が定着している様子が見て取れます。トライノ側には学生作品であることは当初から伝えていますが、消費者には公言されていません。バイヤーは日本のブランドだと信じて買い付けに来ているのです。だから学生にもスタッフとして売ること、オーダーシートはすべて英語で作成することを指導しています。帰国後は生地、ボタン、付属品などを手配して工場に発注し、量産に入ります。海外からの発注ですので、デリバリーの際にインボイスを発行する必要があります。為替をチェックしてインボイスまで作らせる学校は、本校ぐらいでしょう。学生たちは卒業後、自分でこうした仕事を進めていかなければなりません。学生のうちに、しかもパリコレという舞台で、超の付くプロフェッショナルを相手に一連の仕事を経験しておけば、社会に出てからも迷うことがありません。
 2020年のパリコレでは、世界20カ所での販売を勝ち取ってきました。我々の学生商品を扱うメルボルンのセレクトショップを視察したとき、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、ディオールと学生商品が横並びに陳列されていました。これを目にしたときは、鳥肌が立ちました。

数よりもクオリティーを守り続ける
 本校の大きな目標はテクニックでアジア一番ですが、実際、国内外のさまざまな場所で教員と学生が腕を試してきた実感として、あらゆる意味で近づいているのではないかと思っています。今後このレベルをより高いステージへと上げていくことに努めなければなりません。
 AI、IoTが進化するなかファッション業界もDX化が加速し、作業の効率化が進んでいくことでしょう。しかし本校では、申し上げた“手仕事”の部分をなくすことはありません。これを手放すとUEDAではなくなるのです。もちろん時代の変化に対応することは不可欠であり、その柱となるのは十数年来取り組んできた産学官連携プロジェクトです。実社会との乖離を埋めるために行っており、大小合わせて年間に百以上のプロジェクトが動いています。仮に10年後の本校の姿を想像すると、海外学習も産学官連携プロジェクトも継承しながら、超デジタルと超アナログを組み合わせた教育を展開しているのではないでしょうか。
 重要なことは、数の論理に走らないことです。学生数に一喜一憂することなく、教育のクオリティーを維持することが何より重要です。本校には現在1000名ほどの学生が在籍していますが、仮に半分になったとしてもクオリティーさえ保たれていれば、社会に対して正しいあり方ができていることになります。これからも本校が守り続けるのは、数ではなくクオリティーです。


並河克彦氏

【Profile】

田島 等(たじま・ひとし)氏

日本を代表する最大手企業での勤務時代に、日本で初めて「マーチャンダイジング」の概念を確立。クリエイションとビジネスを両立させ、数々のヒットブランドや商品を創出した。創立者である上田安子の理念と想いを大切に継承しつつ、産学官協同による学科創設や、単なる国際交流を超えた画期的な海外戦略などを次々に打ち出す。
現在、台湾嶺東科技大学とモンゴルCITI大学の名誉教授、大阪芸術大学、マレーシアMSU大学、中国大連工業大学の客員教授、および立命館大学大学院非常勤講師に就任中。上田安子服飾専門学校事務統括を経て、2016年より現職。

【上田安子服飾専門学校の情報(スタディサプリ進路)】

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