Interview 「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)から読む高校へのメッセージ」一人一人の生徒を主語にする、もっと自由で魅力ある学校づくりを

コロナ禍への対応、新学習指導要領、大学入試改革、ICTの導入…
時代の転換点にいる今、高校はどのように次のステージを目指せばいいのか。中央教育審議会初等中等教育分科会長ほか、多数の部会の委員として「令和の日本型学校教育」の構築を目指して〜全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現〜(答申)の審議に関わった荒瀬克己氏に、新学習指導要領とのつながりも踏まえ、これらをどう捉え、これからの学校づくりに活かしていくことができるか伺いました。

新学習指導要領の着実な実施に向けて
整理したのが今度の答申 
新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う臨時休校は、学校関係者に難題を突きつけるとともに、多くのことを考えるきっかけを与えました。2019年4月に文部科学大臣から「新しい時代の初等中等教育の在り方について」諮問を受け、議論を進めていた中央教育審議会の関連各部会の委員に対しても同様です。

一つは、学校の存在意義を改めて考えさせられたこと。また、今がまさに予測困難な時代のただ中にあることを痛感し、新学習指導要領にもうたわれている、主体的に考え多様な他者と協働して納得解を見出す必要性を実感したことなどです。

他方、ここ数年重ねてきたICTの利活用に関する議論が、GIGAスクール構想という形になっていたのは不幸中の幸いでした。形があっても大変だったのですから、何もなければ、一斉休校時の混乱はもっと深刻なものになったのではないでしょうか。  

コロナ禍中、それも新学習指導要領の全面実施を前にした時期になぜ新たな答申を、と思われた方もいらっしゃるでしょう。ただ、教育を支える基盤的ツールとしてICTが不可欠になるなどの変化も見据えて、新学習指導要領の着実な実施を期するためには、考え方を整理し、条件を調える必要がありました。義務教育9年間を見通しての小学校高学年の教科担任制導入にしても、高校のスクール・ポリシー策定にしても、教師が生徒の伴走者であるという考えにしても、新学習指導要領による具体の取組を支えるものです。

答申の「はじめに」に、「一人一人の子供を主語にする」という表現がありますが、新学習指導要領においても前文や総則から一貫して︑学ぶ側に視点を置くことの重要性が強調されています。もちろん、以前から「生徒主体」と言われてはきましたが、きちんとできていたかというと疑問です。教科書を予定通り消化できないと嘆く先生の誠実さは大事だと思います。ただ、先生が教科書を終わらせることと、生徒が内容を理解することは別ではないでしょうか。生徒を主語にして考えると、先生の計画の先にあるはずの、生徒自身がその教科を学ぶことで見方・考え方を身につけることこそが重要だという点に気づくことになります。

答申総論解説資料より
https://www.mext.go.jp/content/20210329-mxt_syoto02-000012321_1.pdf

  

教師が教科書を終わらせることと、
生徒が理解していることは別

カリキュラム・マネジメントその
ものといえる「スクール・ポリシー」
詳しい内容は答申をお読みいただくとして、答申の副題にもある「個別最適な学び」も、従前の学習指導要領で語られてきた「個に応じた指導」を学習者視点で整理し直したものです。

もちろん「個別最適な学び」が孤立 した学びに陥ってはいけません。そのため、多様な他者との「協働的な学び」も大切であり、これらを一体的に充実させていく。そうした観点で学習活動を捉え直し、これまで培ってきた工夫や、ICTなども活かすことで、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげることが期待されています。

高校に関しては、特色化・魅力化 を推進するべく、「スクール・ミッション」の再定義と、「スクール・ポリシー」の策定を求めています(図2)。「そんなものとっくにある。何を今さら」とお叱りを受けるかもしれません。確かに、校是・校訓や教育理念・目標のない学校はないでしょう。だからこそ、そうした理念や目標を実質化できるよう、そこに向けた手立てを確立するのは、至って当然のことだといえます。
「育成を目指す資質・能力に関する方針」から逆算し、「教育課程の編成及び実施に関する方針」、そして「入学者の受入れに関する方針」までを、つまり入口から出口までと実際の中身を、体系的に計画し取り組む。無論、一度決めた方針が未来永劫続くわけもなく、常に見直しが必要という点を含め、カリキュラム・マネジメントそのものではないでしょうか。  

普通科改革(図2)も、スクール・ポリシー策定の範疇の話だと思っています。これまで普通科にはさまざまな法律上の制約がありました。年前に堀川高校が人間探究科と自然探究科という新たな専門学科を設置したのも、縛りを解いて新しいことにチャレンジするためでした。  

今後は、「うちはこういう形の普通科をやります」「学校設定科目と総合的な探究の時間で独自性を出すため学科名を変えます」ということも可能になるわけです。もちろん、するしないは設置者の判断。そうしたことも含め、今回の答申は、学校の置かれた状況に応じて特色を強く打ち出すなど、各校が思い描く教育活動を自由に進めることを後押しするものです。

答申の一言一句には意味や
込められた思いがある
新学習指導要領「前文」には「学習指導要領とは、こうした理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるものである」として、「各学校がその特色を生かして創意工夫を重ね、長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かしながら、生徒や地域の現状や課題を捉え、家庭や地域社会と協力して、学習指導要領を踏まえた教育活動の更なる充実を図っていくことも重要である」と述べています。プロフェッショナルとしての誇りと責任をもって、どんな学校にするか考え、取り組んでいく際に、学習指導要領の示すものを教育活動に役立てる。まずは学校という現場に立脚することを重視すべきだと私は考えています。  

ただ、そのための手がかりや自己点検のツールも必要になるわけで、それが今回の答申と捉えていただければ。よって、時間はかかるのですが、できれば答申だけでなく、基になった多くの部会等の「審議まとめ」や議事録の一部でもお読みいただければ理解が深まると思います。  

例えば、「個別最適な学び」と「協働的な学び」に関して、当初はそれらを「往還」するという表現がなされていました。しかし、「それぞれが独立した存在に映り、二つの型と捉えられかねない」と考えて、「一体的に」充実という言い回しになった経緯があります。同じくスクール・ポリシーの議論では、「卒業の認定に関する方針」という名称について、「単位数等の卒業認定に係る規定を想起させてしまう」という意見により、「育成を目指す資質・能力に関する方針」に落ち着きました。このように一言一句に意味があり、思いが込められています。  

とはいえ、時間的制約もある答申は、その時点での合意を示したものに過ぎません。生徒や学校の現状に基づいて具体の中身を完成させるのは、現場の教職員だと思っています。

答申はあくまでその時点での合意。
完成させるのは現場の先生方

話し合うことからがスタート。
組織としてのメタ認知を
繰り返しますが、「生徒が主語」になる学校をつくるのは現場の教職員です。例えば進路指導について2016年月の中教審答申では脚注にこう書かれています。「進路指導とは、生徒の個人資料、進路情報、啓発的経験及び相談を通じて、生徒が自ら、将来の進路を選択・計画し、就職又は進学をして、更にその後の生活によりよく適応し、能力を伸長するように、教員が組織的・継続的に指導・援助する過程であり〜」(傍点は編集部)。「生徒が」という主語を成り立たせるために、「教員が」という主語が表れるつくりになっているのです。やはり先生方の存在が欠かせません。  

大切なのは、その先生同士が話し合うことです。コロナ対応にしろ働き方改革にしろ、昨今の課題を突き詰めていくと、結局は「学校とは何をする場なのか」という原点を問い直すことが多かったはずです。「何のために学校はあるのか」「教職員の務めとは何か」といった根本について話し合うことから「生徒を主語にする」学校はスタートすると思います。  

もちろん難題であり、答えは一つではありません。だからこそ多くの教職員が見聞きしたことや感じたことを出し合う。それによって、一人では気づかなかったことが浮き上がってくるでしょう。いわば組織としてのメタ認知。生徒、学校の現状を共有して取り組むためには、組織としてのメタ認知のできる学校にすることが必要です。  

以上、いろいろと述べてきましたが、条件整備が整わないことには何も始まりません。それは国や行政の問題であり、社会全体の課題です。

京都市教育委員会の「学校教育の重点」に「一人一人の子供を徹底的に大切にする」という文言が示されています。元は次のように3文だったと聞きました。

● 教職員は、一人一人の子供を徹底的に大切にする。
● 校長は、一人一人の教職員を徹底的に大切にする。
● 教育委員会は、一つ一つの学校を徹底的に大切にする。

生徒が主語の学校をつくるために教師が、
そして全ての大人も主語にならなくては

生徒が主語の学校をつくるためには教師が主語でなければならないし、そのためには校長、さらには教育委員会が主語でなければならない。もっといえば家庭や地域の人々や、国も、自ら主語となって生徒と学校を支える。学習指導要領前文のいう「全ての大人に期待される役割」が機能してこそ、真に生徒を主語とする学校は形づくられていくのだと思います。


独立行政法人教職員支援機構 理事長
第11期中央教育審議会 副会長
荒瀬克己
あらせ・かつみ●1953年生まれ。京都市立高校教諭、京都市立堀川高校 校長、京都市教育委員会教育企画監等を経て大谷大学文学部教授、兵庫教育大学理事、関西国際大学学長補佐等。05年以降、中央教育審議会初等中等教育分科会ほか数多くの委員を歴任。21年4月独立行政法人教職員支援機構理事長に就任。第11期中央教育審議会では副会長、初等中等教育分科会長、教育課程部会長、「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会 部会長代理などを務める。

取材・文/堀水潤一 撮影/平山 諭