Opening Massage 「エンパシー」×ブレイディみかこ

自分の靴を履いていない人は、
他者の靴を履くこともできない。
自分が自分であることを、大切に。

2019年に出版した著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で触れた「エンパシーとシンパシーの違い」について、日本では大きな反響がありました。当時中学生だった私の息子が、学校のテストで出た「エンパシーとは何か?」という問いに対して、「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えた…という逸話を紹介したのですが、それが多くの人にとってスッと腹落ちする表現だったことも大きかったようです。
「エンパシー」は日本語では「共感」と訳されることが多いため、「シンパシー」と混合されがちです。シンパシーは、「いいね!」「わかる!」といった直感的な感情。SNSなどを見ていると、シンパシーの嵐です。一方、エンパシーは、わからないものを理解してみようとする知的作業。「この人はどうしてこういう言動をとるんだろう」「どういう背景があるんだろう」と、相手の立場に立って想像する・理解するスキルであり、訓練すれば身につけられるものです。オバマ元大統領は、エンパシーという言葉をよく使っていました。テロや紛争を起こす人たちに共感はできないが、なぜそういうことをするのかを理解しようとしなければならないと。これが、エンパシーの発動です。 「他者の靴を履く(To put yourself in someone’s shoes)」というのは英語の定型表現ですが、エンパシーの概念を端的に表しています。他者の靴を履くためには、自分の靴を脱がなければなりません。ところが、そもそも自分の靴を履いていない…という人が少なくないのです。自分の靴を履く、つまり、「自分は自分であり、自分の人生を生きるんだ」という軸をもっていないと、自分とは異なる他者の軸も認められなくなります。そうなると、同調圧力が強まり、シンパシーを得られない状況では言いたいことが言えない、非寛容で息苦しい…という空気感が生まれてしまいます。これはまさに、今の日本社会ではないでしょうか。唯一無二の自分というアイデンティティをもちつつ、時には自分という境界を越えて他者の立場に立って理解しようとする。教育においては、これらを両輪で育てていく必要があると思います。  

みんなが自分の靴を履いている社会では、衝突も多発します。そのなかで、時には自分の靴を脱いで他者の靴を履いてみながら、とことん話し合い、本音をぶつけ合い、「まあこれでやっていくか」という落とし所をみんなで決めていく。この合意形成のあり方こそ、本当の意味での民主主義だと思います。まずは、「自分の靴ってなんだろう」「あの人の靴はどんな靴だろう」と生徒と共に考え、話し合うことから始めてみるのはいかがでしょうか。

ブレイディ・みかこ●1965年福岡県生まれ。福岡県立修猷館高校卒。1996年からイギリス・ブライトン在住。イギリスで保育士資格を取得し、働きななながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテテテンの無料託児所から』で新潮ドキュメント賞、2019年『ぼくはイエローでホワイイイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクションン本大賞を受賞。近著に『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』。

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ(文藝春秋)

取材・文/笹原風花 撮影/Shu Tomioka