子どもたちが大好きな国民的飲料を、大人の課題解決に役立てたことで空前の大ヒットに /ヤクルト本社 中野正理
世の中を動かすようなアイデアは、高校生から見れば「特別な人」がつくったものに見えるかもしれません。 しかし案外、その出発点は、身近な気づきや問いの中にあるもの。 半径5メートルで見つけた気づきを“はじめの半歩”にした人が、私たちの身近にある商品やサービスを生み出すまでの物語をお届けします。
誰もが知っている『ヤクルト』の高付加価値商品が爆発的にヒット日本に住んでいれば一度は飲んだことがあるであろう『ヤクルト』。そんな国民的飲料ブランドから2019年に発売された『Yakult(ヤクルト)1000』(店頭商品は『Y1000』)は、一時、宅配でも店頭でも入手困難になるほど全国で売り切れが相次ぎました。
長く親しまれてきた『ヤクルト(商品名:Newヤクルト)』よりも控えめな甘さであるものの味は大きく変わらず、これまでの「ヤクルト」と比べ高価格であるにもかかわらず大ヒット。その裏には失敗を恐れない技術開発と新しいマーケットの開拓がありました。
『Yakult1000』誕生の道のりについて、ヤクルト本社・開発部の中野正理さんにお話を伺いました。
今までにない高密度の「乳酸菌 シロタ株」が入ったヤクルトを作れるか?
―― ヤクルトがもっている力とは
そもそもヤクルトとは、創始者である代田 稔博士が発見した「乳酸菌 シロタ株」(以下「シロタ株」)が含まれた乳酸菌飲料のこと。腸内環境を改善する「シロタ株」のはたらきにより、飲み続けるとおなかの調子が良くなること、何より子どもをはじめ、家族みんなから好まれるおいしさで、日本だけでなく世界でも長く愛されてきました。
1本の中の「シロタ株」を増やすことを目標とし、当時の『ヤクルト』が150億個の「シロタ株」を含んでいたことに対し(現在の『Newヤクルト』では200億個)、400億個含んだ『ヤクルト400』が1999年に発売。
「『ヤクルト400』が発売になった当時から、次は1000億個という目標がありました。数を増やすこと自体は割と早い段階から成功していたのですが、1本に1000億個のシロタ株が入ったヤクルトを発売するためには2つの課題がありました。1つは乳酸菌の密度が高くなると乳酸がたくさん作られるため、酸味の強い味になってしまう課題です。ヤクルトは継続して飲んでもらうために、おいしさも非常に大事な要素と考えています。酸味を抑えるために菌数が多くても乳酸ができる量をコントロールする技術があるか。もう1つは、今までのヤクルトにはない魅力や機能を見出すことができるかでした」
味を損なわずに高菌数・高密度の商品をつくるために、温度や時間などの培養技術、原料の選定など、さまざまな試行錯誤が続けられてきました。『ヤクルト400』発売以降、実に20年近くかかったことになります。
どんな健康課題に役立てられるか、若手を中心に仮説を立てた
―― 長年の歴史をもつヤクルトですが、どのようにアップデートしていったのでしょう?
技術開発の研究と並行して、従来のおなかの調子を整えること以外で、新たに消費者に提案できる魅力や機能の検討が始まりました。
「シロタ株は、生きたまま腸内に到達して良い菌を増やし悪い菌を減らすはたらきがあり、そのことで健康に貢献できるさまざまな可能性があると考えていました。
その可能性について、研究開発本部の若手のグループに検討してもらったのです。シロタ株について考え尽くしてきたベテランよりも、自由な発想が出てくると期待したからです」
当時、脳と腸は互いに影響をおよぼし合っているという「脳腸相関」についての研究が始まっていました。例えば、緊張すると下痢をしてしまう理由などを、科学的に解き明かそうとする考え方です。また、ヤクルト本社内でも、高密度のシロタ株は神経系に影響を与えるということが基礎的な研究の中で明らかになってきていました。
若手グループは、こうした研究内容と、世の中で求められている健康課題を結びつけられないか、仮説を立てるための情報収集を続けたそうです。
「グループからはたくさんの仮説の候補が出されました。候補を絞り込むときに着目したのが、現代の慢性的な社会問題であるストレスと睡眠でした。2017年には『睡眠負債』という言葉が流行語にもなったほど多くの人が睡眠に関して不満を感じている状況でした。そこで、ストレスや睡眠に高菌数・高密度のヤクルトが貢献できるのではないかと、仮説を立てました」
仮説を立てた後、大学と共同研究を行い、医師になるための重要な学術試験前にストレスを抱えている医学部生を被験者とした飲用試験を行ったそうです。1本(100ml)にシロタ株を1000億個含む飲料を飲用するグループと、味や外見は同じでシロタ株を含まない飲料を飲用するグループに分けて、学術試験の8週間前から3週間後まで毎日飲用していただきました。その結果、シロタ株を含んだ飲料を飲み続けたグループで、一時的な精神的ストレス状況下におけるストレスが緩和し、睡眠の質が向上することが認められました。
課題であった技術と新しい魅力の両方を解決した商品ができる道筋が、ようやく見えたのです。
「今までのヤクルトは、どちらかというと子どもの飲み物というイメージがある商品でした。しかし、ストレスや睡眠の悩みを抱えているのはビジネスパーソンが中心です。大人向けの新商品であることをイメージづけるために、商品名のヤクルトの表記を英字、パッケージをメタリック調にしました」
発売後間もなく、実際に飲んだ人たちからSNSで「よく眠れた」などのつぶやきが聞こえ始めました。芸能人がテレビで「眠りが良くなった」と語ったことをきっかけに、放送直後から店頭で欠品が発生するようになりました。その後、機能を体感した人たちからのクチコミで愛飲者が爆発的に増えていきました。
―― ご自身はシロタ株を高密度にする技術研究に携わってきたという中野さん。諦めずに研究を続けられた理由は何だったのでしょう。
「もともと発酵食品が好きで、好きな仕事ができているからでしょうね。高校生のときは物理と数学が得意で、大学は電気・機械を専攻しようと思っていたのですが、進路面談で担任の先生から『本当に好きなことは何?』と聞かれたのです。物理の先生なので、私が物理は得意でも好きとは違うと見抜かれていたのかもしれませんね」
先生からそう問われ、自分と向き合ったとき「微生物が関わる食品がおいしいことが面白い。発酵食品が好き」と気づいたそうです。でも生物は履修していなかった中野さんに、先生は「物理と化学で生物工学科を受験できる大学がある」と教えてくれたそうです。そこから好きなことを学び、仕事にする進路が開けたそうです。
「夢中になれることは、いつも頭の片隅にあるものです。シロタ株の密度を増やす研究をしていたときも、お風呂の中などで『こういう条件ならできるかもしれない!』とアイデアが浮かぶことがありました。忘れないようにメモしておいて、次に出社したときにその実験をやってみる。やってみてうまくいかなくても、今までとの違いは必ずあります。振り返って気づいたことを次に活かせばいい。失敗が続いても腐らずに、チャレンジと振り返りの繰り返しを続けることが大事だと思います」
昨日より今日、今日より明日が少しでも進んでいればいい。そう考えてチャレンジし続けることが中野さんのはじまりの半歩なのかもしれません。
取材・文/長島佳子 撮影/早坂卓也●プロフィール
株式会社ヤクルト本社 開発部 開発一課参事
中野正理さん
1996年株式会社ヤクルト本社入社。生産部門での品質管理担当を経て、2000年に開発部 商品研究課に異動し、「ヤクルト」類の商品開発に従事。2022年より現職。
発酵食品に興味をもったきっかけは、父が飲んでいたお酒が発酵でできていると知ったこと。「鹿児島出身なので、地元においしいお酒がたくさんあったんですよ(笑)」。特に日本酒ができる過程での微生物のはたらきに感銘を受けたとか。
※本品は、疾病の診断、治療、予防を目的としたものではありません。効果には個人差があります。