俳人・夏井いつきさん「確かな実感を伴って紡がれた言葉は『みんなの言葉』になる」

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キャリアガイダンスVol.448では、「私にしか言えない言葉」と題して、言葉にする力をテーマに特集を制作しました。Opening Messageにご登場いただいたのが、俳人の夏井いつきさんです。自分の体験や身体感覚と言葉を結びつける力は、いかにして伸ばせるのか。誌面には掲載しきれなかった、夏井いつきさんからの言葉をお届けします。

Opening Messageは こちら をご覧ください。


「赤とんぼ」の言葉がもつ奥行きを知る

――自分の気持ちを表現するというと「嬉しかった」「悲しかった」というような大きな括りの言葉しか出てこない高校生も多いです。自分が見たもの、感じたことの細部を描写するのと、「自分の気持ちを言葉にする」という行為が結びつかない人も多いような気がするのですが…。

夏井さん:それはアウトプットの問題のように見えて、実はインプットの力が弱いこととつながっているんですよね。俳句はたったの17音だけど、季語や光景を通じて、読み手の五感をゆさぶってくるでしょう。花火の句は、花火の色や、上がっていくときの静寂が切り取られています。そこに「綺麗だった」「感動した」といった言葉はなくて、具体的な映像しか書かれていない。でもそれを読んだときに、自分の胸がツンとしたり、切ないなあと感じたりしますよね。

赤とんぼが飛んでいる光景に寂しさを感じる人もいるし、懐かしさを感じる人もいるんだと知ると、「赤とんぼ」という季語がはらむ、光景の奥行きや感情の深みがわかってきます。そういう読み手としての経験をたくさん重ねることで、言葉と身体感覚を結びつける力が育っていくわけです。

――言葉と身体感覚が結びつくとはどういうことか、もう少し詳しくお聞きできますか。

夏井さん:例えば「虎落笛(もがりぶえ)」という冬の季語があります。冬の強い風が、柵に吹き付けてヒューヒューと笛のように鳴る、あの音のことです。名前は知らなくても、ああそういう音があるなってわかるでしょう。

この言葉を知った、当時小学生だった男の子がこんな俳句を作ったんです。

もがりぶえひょうはくざいのにおいかな  水野結雅 
(2019年「第一回おウチde俳句大賞」台所部門 最優秀賞)

「あのヒューヒュー鳴る音は『もがりぶえ』と言うんだ。聞いたことがあるな」と、言葉と体験が結びついたとき、この作者にとって何気ない日常の光景が思い起こされたのでしょう。彼は、日頃から台所でふきんを洗うのが自分の仕事だったので、漂白剤のつんとした香りの感覚が、虎落笛の音の感覚とつながったんですね。

難しい言葉をただ覚えるだけではなく、自分の確かな感覚を伴って知るから「この言葉を使ってみたい」という知的好奇心になっていくんです。そして言葉が、記憶のなかから体験を引っ張り出す。具体的な体験、そのとき味わった感覚が、季語と合わさって“結球”していくんです。


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言葉を「身体感覚」で捉えることで、想像力が育つ

――言葉から得られる「身体感覚」に敏感になることで、同時に、自分が身体で感じたことを言葉にしていくことができる。

夏井さん:そう。それでね、言葉を「身体感覚」として捉えるようになると、例えば誰かにひどい言葉をかけたらどんなふうに思うだろう、どんなに傷つくだろうといったことを感じ取れるようになっていくんです。つまり、想像する力を手に入れることにつながっていくの。

「バカ」「アホ」という言葉を投げかけられたときの感覚は、虎落笛の肌を切り裂いていくような冷たさに近いかもしれない、なんてリアリティをもって感じ取れるようになります。五感プラス第六感を通して、人の気持ちが理解できるようになっていくんです。

つまり言葉を操るのも、人の気持ちを想像するのも、トレーニングで鍛えていける力だということです。

――一つの俳句からさまざまな心情を読み解けるのも、読み手の想像力があるからこそですね。

夏井さん:さっきの虎落笛の俳句も、読んだ大人はさまざまに解釈したんですよ。「この句に描かれているのは、家事をしない夫にうんざりしながら、ふきんを漂白している妻の様子ではないか」とか、「仕事でむしゃくしゃしたとき、ふきんを真っ白に洗いたくなることがある。あの感覚と漂白剤のツンとした匂いが重なっているんだ」とかね。でも、実際に作ったのは小学生の男の子ですからね。

俳句には正解がないから、作り手の意図しないような解釈が広がっていくわけです。「もがりぶえ」「ひょうはくざいのにおい」と書かれた言葉がもつ、あの感覚を、みんなが共有して、個人の体験と結びつけていくんですよ。作り手がたった一人で感じたことが、みんなのものになる。それってつまり、「あなたは、たった一人でいるわけではない」と俳句を通じて知っていくことなんです。俳句を作る。その数だけ、思いをつなぐことができる人が増えていくんじゃないかな。

言葉はリスにとっての木の実。集めれば冬を越す力に

――言葉の力、また言葉と身体感覚を結びつける力を伸ばすために、高校ではどんなことができるでしょうか。

夏井さん:ある先生が、生徒の何気ない話を聞いて「今の話、俳句のタネになるね」と声をかけてあげたらしいんです。すると、その子はノートに気づいたことをメモするようになった。時々先生に見せにくるから、先生のほうも「また貯金ができたね」と言ってあげるようになったと。

これ、すばらしいですよね。「良い俳句にするために、指導してやらないと」なんて構え方は要らないんですよ。

自分が気づいたことを書き留める。30分経ったら忘れてしまうような、でも少し心が動いた情景をメモしていく。「真っ二つに割れているどんぐりが落ちていた」「学校で飼っているヤギが、何かへんな鳴き方をしている」、その程度のことでいいんです。

その習慣がどれだけ、言葉の力を伸ばしてくれるか。言葉は、リスにとっての木の実のようなもの。コツコツ集めることが、冬を越すための力になる。そのことを生徒に示唆してくださると、良いのではないでしょうか。言葉の“採集”を楽しむことから、ぜひ始めてみてください。


●プロフィール
なつい・いつき●1957年生まれ。松山市在住。俳句集団「いつき組」組長。第8回俳壇賞。第72回日本放送協会放送文化賞。第4回種田山頭火賞。俳句甲子園創設に携わる。松山市「俳句ポスト365」等選者。初代俳都松山大使。『句集 伊月集 鶴』等著書多数。

取材・文/塚田智恵美 撮影/後藤さくら