Vol.75 流しのビリヤニ/奈良 岳
【Profile】なら・たかし●1991年、東京都生まれ。調布北高校、東京都市大学都市生活学部都市生活学科卒。幼稚園児の時に入ったボーイスカウトで野外での自炊を経験。その後も腕を磨く。大学では建築や都市について学び、地方への旅行を通じて街を面白くしたいと思い、2015年、北山創造研究所に入社し、都市構想などに従事しつつ、流しのビリヤニをスタート。2019年、食のニューススタンドCOMINGSOONに転職。イベントディレクターとして働くも2022年、コロナ禍で退職。同年、自身のビリヤニ専門店、流しのビリヤニの拠点として流しのビリヤニ STANDをオープン。2024年6月から「ビリヤニすいさんしつ」に改名。現在は、同店の経営、全国への流しのビリヤニ出店、イベントの企画・運営などを行っている。12月ごろに2店舗目を静岡に出店予定
|運命を変えたビリヤニとの出会い
皆さんはビリヤニという料理を知っていますか? インドやパキスタンの郷土料理で、現地のお米に肉や野菜、スパイスなどを合わせた、スパイシーな炊き込みご飯です。僕はこのビリヤニ専門店のオーナーシェフを務めています。
ビリヤニとの初めての出会いは5歳のころ。叔母のパートナーのパキスタン人が作ってくれたビリヤニを食べたとき、これまで体験したことのないおいしさに大きな衝撃を受けました。それ以来ビリヤニにハマってしまったのですが、しばらくして叔母がドバイに移住してしまって。それから長らくビリヤニとは疎遠になっていました。
その後、ビリヤニと再会したのは約20年後。建築関係の会社に就職した年に、建築仲間と一緒に三軒茶屋に古い一軒家を借りて、リノベーションして暮らし始めました。僕は子どもの頃から料理を作っていたので、そのシェアハウスでも料理を作ることに。何を作ろうかと考えたとき、幼稚園児のころ大好きだったビリヤニの記憶が蘇ってきたんです。せっかくだからみんなにも食べてもらいたいと思い、仕事終わりに試行錯誤を繰り返して、同居人やシェアハウスに来る人たちにビリヤニを振る舞っていました。
|「流しのビリヤニ」デビュー
そんなある日、たまたまそのシェアハウスに遊びに来た人が僕のビリヤニを食べて「このビリヤニうまいね。うちのバーで出してよ」と言ったんです。23、24歳の夏のことでした。二つ返事で引き受けて、そのバーに行ってビリヤニを作りました。お客さんからも好評で、これをきっかけに、多くの人から依頼が来るようになり、月に1、2回、いろいろな場所に出かけてビリヤニを作る、「流しのビリヤニ」をやるようになったんです。
|「すべては「まち」を面白くするため
高校時代は興味をもったことに対して、より面白くするための遊び方を自分で考えてトライして楽しんでいました。例えば、放送部に入って、放送機材で創作音楽を作ったり、部室を自分たち好みの居心地のいい空間に変えたり。この時の経験で、居心地のいい空間を作ることに興味をもち、大学では都市計画について学んだり、旅行先で地元の人たちと一緒にお酒を飲んだりしているうちに、「まちを面白くしたい」という目標が生まれました。
それを実現するため、卒業後は建築プロデュース会社に就職。5年ほど都市構想などの仕事に従事した後、イベントの企画運営を手掛けました。その間も流しのビリヤニを続け、2022年にはその拠点として日本橋に「流しのビリヤニSTAND」をオープン。2024年には腰を据えてビリヤニを追求するために、店名を「ビリヤニすいさんしつ」に改名しました。12月ごろには静岡に2号店をオープンする予定です。
現在もビリヤニやイベントの企画・運営など、いろいろな仕事を同時並行で行っています。それぞれまったく関係のない仕事に見えますが、すべて「まちを面白くしたい」という目的で繋がっているのです。これらいろいろな活動の相乗効果で、僕自身もとても楽しく、充実した毎日を送れています。
僕は高校時代から、少しでも興味をもったことは調べたり、誰かに教わったり、実際にやってきました。言うなれば、子ども時代から現在に至るまで勝手に自由研究をしてきたようなものです。
高校生の皆さんも、自分だけの視点で、みんなが目もくれないようなテーマを見つけて自由に研究して発信すれば、高校生活が楽しくなるし、将来に繋がるかもしれませんよ。
仕事や遊びの時間も含めて、誰かと関わるときに大事にしているのは、「常にナイスな存在でいたい」ということ。具体的には常に上機嫌で誰にでも優しく、気遣いができるという人間です。
そうすれば自分を含めてみんなを幸せにできるし、まちを面白くすることもできると思うので。
|Change in myself
(取材・文/山下久猛 撮影/竹内弘真)
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「希望の道標」Vol.75 流しのビリヤニ/奈良 岳