ボトムアップ方式に基づく中期計画が切り拓く大学の新たな将来像/福井工業大学〈中期計画〉

福井工業大学キャンパス


 国立大学が法人化されたのが2004年。それ以来、各国立大は6年ごとに中期目標・中期計画を策定し、それに基づく諸活動と評価のサイクルを廻してきた。法人化が国立大学の自律的なガバナンスを促し得たのかについては、マイクロマネジメントに傾きがちな高等教育政策を前提に懐疑的な声も聞かれる。

 片や、私立大学においても中期計画の義務化を前にして各大学で対応が進む。中期計画のデフォルト化といった様相を呈するが、「やらされ感」から形ばかりの整備を進めることはあまりに無意味だ。中期計画は、うまく運用すれば、数値目標があることで計画が学内に浸透しやすい、進捗管理がしやすい、各部署の責任が明確になると評価する向きもある。ここは腰を落ち着けて先行事例に学び、中期計画の実質化を図りたい。

 そこで本稿では、福井工業大学(以下、福井工大)を取り上げる。後述する通り、福井工大はかつて志願者数の減少に苦渋を味わった経験を経て、今や安定的な学生確保を維持できるまでになっている。その裏には既に第3次に入った「中期計画」の策定・運用がどう影響しているのか。福井キャンパスに掛下知行学長を訪ねた。

工業大学から「総合大学」へ

掛下知行 学長 福井工大の来し方をたどると、その沿革が戦後日本の発展と軌を一にしていることが知れる。教育機関としての淵源は1949年の夜間電気学校の創設に始まるが、電気はまさに終戦後の日本社会の復興・発展を象徴する「三種の神器」や「モータリゼーション」に欠かすことのできないインフラだった。福井工大は、その基本理念「健全な人格を身に付けた実践的な技術者を育成し社会に送り出すことを通して社会の発展と繁栄に寄与する」が示唆するように、創立当初から、折々の社会的ニーズに即応した人材育成を旨としてきた大学だ。

 大学開学は、ちょうど高度経済成長期も半ばに差しかかった1965年のこと。1学部2学科からのスタートだった。電気工学科と機械工学科という、高度経済成長を支える「工業大学」らしい学部学科構成だった。さらに翌1966年には建設工学科、1973年には応用物理学科が設置されるなど、工業大学としての教育インフラ充実が図られている。

 しかし、福井工大がこうして長く掲げてきた「工業大学」という像は近年確実に変化しつつある。その契機となったのは創立50周年(2015年)を目途に実施された学部学科改組だ。図1が示す通り、新たに「環境情報学部」と「スポーツ健康科学部」が設置され、3学部8学科体制へと組織構成が拡大・多様化した。

図1 福井工業大学の学部構成(2015年~)

 機械、電気、建築、土木、原子力技術といった工学の基盤及び先端領域からなる「工学部」に加え、情報、経営、デザインといった文理融合領域を包摂した環境情報学部が設置されたことの意味は大きい。かかる組織改組が福井工大にとって開学以来の画期をなすターニングポイントになったことは間違いない。そのことは、2015年度入試で使用された志願者向けキャッチコピー、「工業大学、だけど、総合大学」にいみじくも表現されている。福井工大は、3学部8学科体制への移行を通して、伝統的な「工業大学」から、より多様な人材ニーズへの対応力を持つ「工科系総合大学」へと大きく舵を切ることとなったと言っていい。

苦難の低迷期を経て回復・安定期へ

 変化の背景にあったのはとりわけ少子化だったと掛下学長は説明する。18歳人口は10年後には15%減少する。福井工大は、入学定員が1学年500名、教員も100名強の小規模大学であり、少子化の影響がとりわけ大きく作用する。しかし同時に、福井工大が所在する地域は、地銀や自治体はもちろん、ニッチな分野で業績を上げる中小企業が多く存在する所でもある。少子化が進行する中でそんな地域ニーズに応えられる教育研究体制を構築すべく学部改組が実施され、その結果、福井工大は文系指向の生徒や女子生徒からも選ばれる大学へと変容しつつある。

 こうした福井工大の変化は実際のデータでも確認可能だ。図2に見るように、福井工大は2000年代後半から2010年代前半にかけて志願者数が低迷し、その結果入学定員割れに苦しんだ経験を持つ。この苦難の期間に入学定員の調整も行われ、617名だった定員は2009年度には530名に、530名だった定員は2010年度には510名に、そして2012年度からは500名まで削減されている。

図2 志願者数・入学者数の推移

 そんな縮減状況にただ手をこまぬいていたわけではない。デザイン学科(2009年度)や産業ビジネス学科(2011年度)の設置がなされているし、センター試験利用やインターネット出願導入といった、志願者に訴求する新たな入試戦略も展開されている。そうした取り組みが奏功し、状況が好転し始めたのは2013年度入試からだ。さらに2015年度には前述の3学部8学科体制へと踏み切った。結果的に、現在まで11年連続で志願者数が増加し、2013年度以降の過去7年ほどは定員割れを起こしていない。2019年度入試では4,062人の志願者を集め、志願倍率も約8倍を確保できるようになった。加えて、出口においても高い就職率を誇り、2018年度には99.6%を達成していると掛下学長は胸を張る。

 確かに、図2からは2008年度入試を底とするV字回復と近年の安定基調を読み取ることが可能だ。それは、定員確保に象徴される近年の好調が過去10年以上に及ぶ継続的な営為が実を結んだものであり、一朝一夕に実現したわけではないことを示すものでもある。

 その意味からも、福井工大の継続的な営為を支えてきたと思われる「中期(経営)計画」の役割に注目しておく必要がある。恐らく企業経営がそうであるように、「中期計画」の策定・実施が直截的に大学経営の改善や安定を保証するものではないだろう。大学経営は、人口動態や高等教育をめぐる政策や市場の動き、機関の戦略や行動が複合的に作用する「複雑系」だ。しかし、私立学校法改正(2020年4月)による中期計画策定義務化を受け、既に中期目標・中期計画制度を導入している国公立大学と合わせ、「中期計画」が大学経営の共通ツールとなっていくことは確実であり、その機能や意義を先行するグッドプラクティスから学ぶ意義は大きいと言える。

若手教職員がボトムアップで中期計画を策定

 福井工大について見れば、設置者である学校法人金井学園の「第1次中期経営計画」が始動したのは2009年のことだ。同学園の中期計画は1期5年のサイクルで策定・実施されていて、2014~18年度の「第2次中期経営計画」を経て、2019年度からは3期目に入っている。ただ、各中期計画の内容や構造を精査してみると、その流れは必ずしも継続的に積み重ねてきたものというだけでないことが分かる。特に第1次・第2次中期経営計画と第3次中期計画とを比較すると、そこには名称変更―「中期経営計画」から「中期計画」へ―にとどまらない、ドラスティックな転換が生じたことが指摘できる。

図3 第3次中期計画策定委員会

 「第3次中期計画」(2019~23年度)の特徴は、第一に、策定プロセスの違いに見ることができる。もちろん、現行の第3次中期計画は、第2次までの振り返りを通して策定されたものだ。掛下学長によれば、第2次における最大の成果は、きちんとした教育を構築して人材育成を行い、社会に人材を送り出すべく「3学部8学科体制」への移行を実現させたことにある。その組織的基盤に基づいて第3次中期計画が策定されている以上、第3次が第2次の延長線上にあることは確かだ。

 しかし本質的な違いもある。第1次・第2次が法人主導のトップダウン色が強かったのに対し、第3次中期計画が現場からのボトムアップで策定されているからだ。中心的役割を担ったのは、10年後20年後に大学運営の中枢を担っていくことになる30代後半から40代半ばまでの若手教職員。法人を構成する大学・学校・本部から若手教職員が数名ずつ、理事長直下に置かれた策定委員会もしくは策定小委員会に参画し、2017年10月から2019年4月までの約1年半にわたって、隔週のペースで会合を開催して策定作業を進めていったそうだ(図3)。経営企画部長をリーダーとする委員会では、若手のコアメンバーが「中期ビジョン」とそれに基づく「戦略分野」の各項目を策定し、それらを学校種ごとに「中期計画」に落とし込んでいったという。

 こうした若手起用によるボトムアップ方式の中期計画策定は理事長の発案だそうだ。次代を担う若手教職員の能力育成や責任感醸成の必要性が認識された結果だった。2018年4月就任の掛下学長は、このプロセスに直接関わったわけではないが、第3次中期計画が「福井工大をどのような大学にしていくのか、どう変えていくのか」の意思表明だったと考えれば、将来の大学像を当事者として大胆に「地域協創×総合大学」と打ち出すに至った若手の力を高く評価する。さらに、ボトムアップによるプロセスを通して「自分たちの目標」という意識が醸成され、団結力も高まったのではないかと述べる。

 第3次中期計画の第二の特徴は、中期計画が「戦略分野→行動目標→KGI→実施計画」の順に構造的に整理されるとともに、その中で、特にKGI(Key Goal Indicators、目標達成指標)を設定して「数値目標」に基づく検証を組み込んでいることだ。

図4 第3次中期計画における福井工大の9つの戦略分野

 第2次中期経営計画では、学校種ごとに中期計画は策定していたが、戦略分野は全て同じであり、数値目標も明確でなかった。その反省を踏まえ、第3次では大学・学校・法人本部それぞれで戦略分野を定め、例えば大学であれば図4に見るような9分野が設定されている(学校は6分野、法人本部は3分野)。さらに、各戦略分野が複数の行動目標に細分化され、各行動目標に複数のKGIが設定されるという作りになっている。例えば、「教育の深化」を謳う戦略分野1には、KGIとして「能動的な学習ができる講義において100%導入」「学修環境整備(ICT化)100 %」といった数値目標が並ぶ。

 こうして設定されたKGIに基づいて年に1回各学科・各課が検証を行い、その結果は報告書にまとめられることになる。それは、大学であれば学長を議長とする「大学運営協議会」に上げ、さらに最終的には法人の「理事会」に上げていく仕組みが整備されている。

 第3次が始まってまだ1年経っていないこともあり、ボトムアップで策定した数値目標に基づく初の中期計画がどう機能していくかは、今後注視していきたいと掛下学長は語る。ただ、数値目標の設定自体が今回初めてだったこともあり、KGIそのものに設定上・達成上の問題がある場合には柔軟に見直しながらやっていくことにしているという。

オンリーワンの魅力作り

 掛下学長の言葉を借りれば、福井工大は小さいけどピリッとした、特徴のある大学だ。近年の「総合大学」化を基盤に、文系を含む基礎学問を扱う教育研究機関として、福井県や北陸地域がうまく回るよう人材育成を推進していきたいと学長はいう。

 基本理念に「すべてを学生・生徒のために」を掲げ、教育第一主義を標榜してきた福井工大の教育は一定の成果を上げてきていると掛下学長は見る。例えば、先述の高就職率が達成できているのは、学内で500社が参加する企業研究会を開催し、学生一人ひとりに教職員が付き添うような形でケアしているからだ。さらに、2016年度にはタイとベトナムで現地進出している地元企業等と協力し、学生が3週間海外でインターンシップを通して就業経験を獲得し、文化や英語を学ぶプログラムも開始した。こうした取り組みを踏まえ、「小さくまとまっていて面倒見のいい貢献度No.1の大学と誇っていいのではないか」と掛下学長は自信を覗かせる。

 そんな教育力を前提に、掛下学長は、次のステップとしてオンリーワンの研究活動と産学連携を構想・展開し、学生に福井工業大学に来たいと思ってもらえるようにしたいと語る。例えば、2019年4月に立ち上げたAI&IoTセンターがある。福井での導入はAIが1%、IoTは7%にとどまる現状を踏まえ、知の拠点として人材育成や地域活性化に貢献していきたいと学長は語る。もう一つは、地域社会の学習ニーズを踏まえたリカレント教育だ。デザインや経営等の分野でも展開できるのではないかと期待を寄せる。

 掛下学長が思い描く今後の大学像は、のびのびと研究できる体制、企業が自由に出入りできる、地域に開かれ、地域に還元していける大学にすることだ。それを通して、人材育成、研究、そして地域連携で貢献していきたいという。確かに、これらの種々の取り組みは第3次中期計画において網羅されている。だとすれば、福井工大の当面の成否は、当の中期計画を単なる作文に終わらせず、実質的に展開できるか否かにかかっているはずだ。数年後また福井工大を訪ねてお話を伺ってみたい。

(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)



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