学校法人東京理科大学 山口東京理科大学 学長 森田 廣氏

(2016年1月18日更新)

公立化の公式発表を受けて激動の年となった2015年
変化を恐れず、大学本来の使命である
教育と研究、そして人材輩出に注力していきたい

「公立理工系大学」として存在意義を発揮する

山口東京理科大学は今、大きな変化の中にあります。2015年には、ある予備校入試予想で偏差値が2014年と比べて10ほど上昇し、志願者数も例年の350~400人から1500人近くに増加。さらに学生だけでなく地域からも期待と注目を一層集めるようになりました。それまでも地道な努力によって少しずつ志願者増などの成果を出してはいたのですが、2015年はまさに「はじけた」とでもいうほどの変化が起こりました。起点となったのは、2014年12月末に公式発表された大学の公立化です。現在は県や文部科学省に設置認可申請中であり、2016年4月からの公立化を目標として最終の準備段階を迎えています(2015年11月現在)。

公立大学への移行後も、共同研究や学生編入といった東京理科大学との強い連携はそのまま維持されます。つまり、行政の強みと東京理科大学の教育と研究の強み、2つの強みが新たに結合されるわけです。理工系の大学はもともと地方に少なく、私学であれば学費が高くなりがちです。大都市圏の国公立の理工系に行けば学費はおさえられますが、生活費がばかになりません。公立化した山口東京理科大学は、地方では希少ともいえる学費の低い「公立理工系大学」として、独自の存在意義が発揮できると考えています。これからも、寄せられる期待にしっかり応えていきたいですね。

使命感に基づいた運営方針に転換する時期が来た

当学はもともと、旧・小野田セメントと宇部興産という地場大手企業が、「この山陽小野田・宇部の地にぜひ理工系の大学を作りたい」と声を上げ、その要請に東京理科大学が応えるかたちで誕生した学校です。1987年に短大としてスタートし、4年制大学となったのが1995年。それからわずか20年しか経っていません。歴史は浅いけれど、そのぶん大変若い大学ですから、硬直化したシステムや制度がほとんどありません。だからこの機会に、変化を恐れずどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

なかでも力を入れていきたいのが、大学本来の使命である教育と研究です。今までは18歳人口の減少や若者の工学離れに対応するために、安定した入学者数、確実な進級、安定した就職といった実務的な課題中心に取り組みをしてきましたが、公立化によって、かなりの部分、課題が解消されると思っています。そして今後は使命感に基づいた運営方針に転換する時期が来たと思っています。

一方、変わらない大切なものもあります。当学は建学の精神として東京理科大学の掲げる「理学の普及をもって国運発展の基礎となす」を受け継いでいます。そしてものづくりの企業がたくさんある山口において、機械、情報、電気、化学と、産業界が求める知識を身につけられるよう改組を行い、人材を送り出してきました。学生自体も、背伸びして東京や大阪に出ていくよりも、地元での就職を希望するケースが多いですから、これからも地元を中心とした産業界に、人材輩出を続けていきます。

地方にある大学としてこの街ならではの活動を表

また、地元の小学校・中学校に当学の先生方が科学実験のお手伝いに出かけたり、科学博覧会を開催したりと、地元の理科教育をサポートし、科学への興味を引き出す活動を行っています。これも大学だからこそ果たせる役割ですね。正科の授業でも、山口県立大学と山口学芸大学と当学の3学が一緒になって地域のことを学べる地域学という講座を行っており、さらに地域社会学、地域技術学も立ち上げます。例えば地域社会学では、地元の企業や商工会議所から困っていることや課題を出していただいて、学生たちが調査・議論・問題解決を行います。学生はその過程で社会と仕事を知り、企業はアイデアを得ることができますから、互いに得るものが大きいでしょう。

さらに先のことですが、薬学部を新設予定で目下準備中です。山口県には有力な医療メーカーが多いのにもかかわらず、今まで薬学部をもつ学校がありませんでした。ここに薬学部が誕生すれば、県内メーカーとネットワークを結び、当学がその中心となって新しい価値が生み出せるのではないかと考えています。どこの街でも通用する一般的なものではなく、この街ならではの貢献を今後も計画していきたいですね。他にも大学が地域に貢献できる場面はさまざまありますが、即効でなく時間をかけなければ実現しないものが多いのも事実。私としては幕末の長岡藩の故事「米百俵」の心得で取り組んでいきたいと考えています。

本州の西端に位置する山口は東京からも遠く、まさにローカルです。明治維新を成し遂げた志士たちも、それゆえの不自由さや苦労があったでしょう。それらをなんとかしようという意思がエネルギーとなり、自ら立ち上がり、挑戦し、偉業を成し遂げたのだと私は解釈しています。学生もそれにならって、力を養い、社会に出て活躍してほしいですね。現在、この地は過度な喧噪もなく、地に足をつけて学べる環境が整っています。学生を教える教師陣は多士済々で、中央から離れていても一流の学びに取り組めるようになっています。


理科教育こそ文系の素養を土台として大切にすべき

今の理工系大学は、単位取得におけるシステム上の制約もあって、文学や哲学といった分野を勉強することが難しくなっています。学生自体も将来に直接役立ちそうな実践的な勉強や資格取得に注力しがちです。しかし、私は理学を目指す人こそ文系の素養を土台としてほしいと思っています。将来、例えばメーカーに入ってものづくりをするにしても、開発した製品を人がどう使うかという想像力不足、使われる自然環境への配慮不足があれば、業務上の専門能力のみがいかに優れていても問題を起こしてしまうケースが出てくるのです。私は37年間の東芝での会社生活で、そういう例をたくさん見てきましたし、それを若い人に伝えたいという思いから、大学で教える道を選びました。

機械、電気、情報、化学といった専門分野だけでなく、関係ないジャンルの本を読んで、人とコミュニケーションをして、感受性を磨いてほしいですね。そこで学んだ経験や知識は、心を強くしてくれます。最近はすぐに折れてしまう若い人材が問題視されていますが、その課題解決にもつながるものです。。


高校の時から将来を考える指導を

私は高校の先生方を尊敬しています。大学も最近ではずいぶん変わってきまして、学生との関係性をより深く、距離感を縮める努力をしています。しかし、高校の先生と生徒さんのようにはなかなかできないのが現状です。私たちはそこに追いつきたいんですよ。

また、キャリア教育については、少しずつ高校時代からでも始めていただければと思っています。と申しますのも、大学のキャリア教育の現場では、学生が2極化していく現実にぶつかるからです。1年次あるいは2年次に真剣に将来を考えた学生は、3年次になって始める就職活動もしっかりしています。しかし、そうでない学生の就職活動は何がやりたいのか本当にバラバラです。だから将来を真剣に考えるのは早ければ早いほど有効で、それは高校からでもいい。それが私の持論です。

高校の時は、さすがに明確な進路は描けないかもしれません。それでも大まかな方向性だけでももっていれば、大学入学後のパフォーマンスがまるで変わります。人間、なんらかの頑張る方向性や目標があれば自然と一生懸命になれるものですから。だから、本でもいいし、勉強でもいい、先生方のお話を聞くのでもいい。高校の先生方には、担当される生徒さんになんらかの形で将来を考える機会をもたせてあげてほしいと思っています。


森田 廣氏

【Profile】

森田 廣(もりた・ひろし)氏
東京都大田区出身。1969年東京都立立川高等学校卒業。1974年東京大学教養学部卒業。工学博士(東京大学)。1974年東京芝浦電気株式会社入社(事業本部、技術研究所にて37年間勤務/研究開発部門、生産技術部門、技術企画部門の部門長を歴任)。専門分野は電子デバイス、半導体、ディスプレイの研究開発

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