【教科で対談】国語
国語の授業を通して社会に出て必要な力をどう身に付けるのかを伺いました。
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福島高校(福島・県立)進路指導主事
浜田伸一先生
2学年の現代文、3学年の古典を担当。教員歴34年目。
白河旭高校(福島・県立)2学年担任
阿部貴仁先生
高校時代に触れた「伊勢物語」をきっかけに古典の道へ。教員歴17年目。
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作品の作者、もしくは登場人物と対話できるのが国語の面白さ
浜田:現代文、古文、漢文いずれも作者と対面はできないものの“対話”できる面白さがあります。
例えば、その作者の考えを想像しながら理解しようとしたり、作品に登場する人物の心情に寄り添ったり。そんなふうに他人の気持ちを思いやることは普段私たちがしていることでもあります。そういう意味で、国語は想像力を鍛えると同時に、とても実生活に密接な教科です。
阿部:私はどちらかというと古典が専門なのですが、古典の魅力は、1000年の時空を超えてその作品の世界へ行けるところ。しかも読み解いていくうちに、価値観は時代によって違っても、案外、人の根底に流れる喜怒哀楽の感情はそんなに変わっていないことがわかります。ただ、作品への理解度は語彙力によって差がついてしまいます。語彙の豊富な生徒の反応はいいのですが、そうでない生徒の反応は今ひとつ薄くて。
浜田:それはありますね。例えば、英語も読み取った後には要約力が求められます。要は英語を通しての国語力が試されているわけです。数学、物理、化学にしても長文問題がしっかり読み取れなければ、解けません。つまり、国語力がすべての教科の基盤といえます。ところが生徒たちは、母国語だから勉強しなくても何とかなると、どこか甘く見ているところがある気がします。
阿部:古文・漢文を口語訳するときでも、語彙力がないと、何となく雰囲気はわかってもズバッと言い当てる言葉が見つからずに、結局もやもやした気分のままになってしまいます。日常のコミュニケーションでも言葉を豊富にもつ生徒の方が自分の感情を相手に伝えられるから、意思の疎通も上手です。また、語彙力がある生徒は「自分だったらこうするかも」と自分と他者を比較する力も備わっている気もします。ただ、語彙力を増やす特効薬はなく、良質の本をたくさん読むのが一番の近道。でも、そもそも読書しないという生徒も増えていて。どう本に親しんでもらうかが悩みの種です。
自分の思いを言語化でき、
自分を表現できる人を育てたい
浜田:「考える」って、自分の思いを言語化することなんです。言葉を数多く知っていることで実感をこめて自分の考えを語れる。それが大事だと思います。書く行為もイコール「考える」です。授業中、書かせることもあるのですが、私自身は考えたことを書かせるのが目的ではなく、考えるための手段として書かせているととらえています。
阿部:私も現代文の授業で一作品が終わるたびに400字の意見文を書かせます。「作者はこう言っていますが、あなたの意見は?」という感じで。自分の実体験に落とし込んで想像したり、自分と作者の世界を比較したりしながら自分の考えをまとめさせます。そして互いの意見をシェアし合う。そこからさらに考え直すと、自分の考えに新たな視点が加わり、より深い段階まで自分の意見を落とし込んでいくことができます。いろんな意見や考え方を読み取り、相手のことを思い、いかに円満に自分の考えを正しい言葉で伝えられるか。その力こそがこれからの社会に必要で、その疑似訓練の場が国語の授業だと思っています。
浜田:私が育てたいのは「考え続ける力」です。身の周りの正解のない問いを自分のこととしてとらえ、思考し続けることができる力を国語の授業を通して養いたいですね。考え抜いた先に判断や選択があって、阿部先生の言う「それをいかに相手に伝えるか」につながっていくのだと思います。
そして、伝えたことを自分の成長の糧にして次の段階へ進んでほしい。考え続けたことを伝えるだけでなく、最終的に行動に結びつけば最高です。東日本大震災からの復興など正解のない課題、自分が生きている間に解決しそうもない社会問題って多々あるじゃないですか。でも解決できないからと言って考えることを諦めないでほしいし、今を生きる自分がそのことを少しでも考えることが、そんな果てしない課題の解決に向かう一端担っているという意識をもてる人を育てていきたいなとも思います。