相模女子大学 学長 風間誠史氏
社会との約束は、「見つめる人、見つける人」を育てること。
紡ぎ続け、積み重ねてきた思いと情熱を
新しいかたちで具現化する
学校には永遠の命がある
相模女子大学の歴史は、実業家の西沢之助が1900年に設立した日本女学校に遡ります。日本の将来のためには、女性も男性と同等の高い教育を受けるべきだとの信念から私財を投じての建学でした。その後、帝国女子大学の建学を申請しましたが、当時は女子大学の名称を用いることが認められなかったため、1909年に日本で4番目の女子専門学校として帝国女子専門学校を設立しました(これが相模女子大学の直接の前身です)。この20世紀初頭は、女性のための高等教育機関が相次いで誕生した時代でした。その多くは当時の先進的な、著名な人物によるものです。でも、西は、女子教育に強い思いと情熱をもつ人物でしたが、必ずしも先進的とは言えず、今日ではほとんど知られていません。また、現在の相模女子大学に至るまで、強い影響力をもったとは言えないのです。
このことは本学にとって重要な意味をもっています。女子教育への思いや情熱を共有した人びとが関わることで、相模女子大学を育てつづけてきたからです。その時代時代のなかでどうあるべきかを考え、情熱をもって積み重ねてきたということです。具体例を一つお話ししましょう。1945年4月、当時は東京・文京区にあった帝国女子専門学校は戦災に遭い、校舎は焼け、備品も全て焼失してしまいました。でも、校長だった田中義能は「校舎は焼けても学校は焼けない、学校には永遠の命がある」と学生や教職員を励まし、数日後には授業を再開しました。そして、翌1946年4月に現在の相模原の地へ移転し、相模女子大学として新しい一歩を踏み出したのでした。
見つめる人になる、見つける人になる
建学当時、西は教育の目標として「高潔善美」という理念を掲げました。校章のマーガレットには、清楚でやさしい女性らしさ、知性に裏づけられた勇気と強さを併せ持つ自立した女性の育成をめざすという願いが込められています。
創立110年を迎えるにあたり、相模女子大学はこの基本理念をいまという時代に照らしてもう一度問い直し、自立した女性を社会に送り出すことで大学はどういう役割を果たせるのか、議論を重ねてきました。「見つめる人になる。見つける人になる。」というスローガンは、その答えであり、相模女子大学がめざす教育の礎となるものです。
いま社会では、女性の活躍が求められています。そこで期待される役割の一つが、女性らしいものの見方、考え方です。このスローガンには、女性ならではの着眼点と繊細な感性、柔軟な発想で、社会と自分自身のいまとこれからをしっかりと見つけだす人になってほしいという願いが込められています。そして、そうした女性を育てる大学であるということが相模女子大学の使命であり、社会との約束なのです。
自分の生活や地域の現実を踏まえ、課題を見出すことができるのが「見つめる人」、その課題に対して、女性らしいしなやかな感性で新しい発想を社会に提供できるのが「見つける人」であると、私は考えています。
でも、スローガンは創って終わりではありません。学生たちが「見つめる人、見つける人になる」ことができる豊かな環境が育まれていることが重要です。学内外に発信するからには、見えるかたちで具現化し、未来へとつないでいかなければなりません。そこで生まれた一つが「発想教育」です。相模女子大学では、2012年から「さがみ発想講座」という発想法を学ぶ授業を開講しました。この授業では、複数の教員が、それぞれの領域における「発想法」を紹介し、講義とともに具体的な作業を行いながら発想技術を学び、現場での発想法にまつわる講義を展開します。また、地元企業との共催で「さがみ発想コンテスト」を開催し、学生がアイデアを競うことで発想する力を高めるとともに、地域と社会に貢献する力を育んでいます。
女子大学で地域貢献度ナンバー1
地域社会の未来をユニークな着眼点で発想し、貢献する女性を育てるカリキュラムの一つが、実際に地域へ出向き人との協働を通じて感動を体験する「地域協働活動」です。2008年に農水省が募集する「田舎で働き隊」に、全国で初めて女子大学生が参加したことがきっかけになりました。現在では、三重県熊野市の丸山千枚田(日本一の棚田)での田植え・稲刈りや福島県本宮市での苗植え・収穫など、地域の農業体験や職業体験、加工場での作業補助、特産品の販売補助を体験し、地域に伝わる歴史や文化についても学びます。
この活動を始めた当初は、「都会の子がつづくのか」と見る向きがありました。おそらく、参加する学生も一抹の不安をもっていたと思います。しかし参加した学生は帰ってくるとまた行きたいと言い、2度3度と参加する人も珍しくありません。地域での協働を通して多くの感動を味わい、「見つめること、見つけること」を実体験できるからです。いまでは地元の人との絆もさらに深まり、温かい交流が育まれています。そして、他の地域からも「来てほしい」と嬉しい声を頂いています。
学生を大きく成長させる現地での協働体験に加えて、相模女子大学では協働体験の報告会を行っています。初めは大勢の前で話すことに躊躇していた学生も、やっているうちに話せるようになります。その自信がまた、やる気を加速させていくのです。また、現地での体験時は、他の学科の学生と同じグループになり、横のつながりが自然に生まれます。このことも、ものの見方・考え方の幅を広げ、学生生活をより豊かにしていると思います。
相模女子大学は、日本経済新聞社・産業地域研究所発刊の雑誌「日経グローカル」で実施した「大学の地域貢献度ランキング」で、全国女子大学の第1位を獲得しました(雑誌「日経グローカル」の調査「大学の地域貢献度ランキング」にて、本学は2011~2017年度(※)の間、連続で全国女子大学で第1位を獲得しています。(※調査が行われなかった2016年度を除く)これにおごることなく活動をつづけていきます。また、地元での協働もさらに深めていきたいと考えています。
「夢をかなえるセンター」
相模女子大学ではこの3月に「夢をかなえるセンター」という新施設を開設しました。いまお話しした協働体験などの課外活動を含めた学生のキャリア形成をトータルにサポートする施設です。
「夢をかなえるセンター」は、アクティブラーニングの施設や、学生同士や地域の方とのミーティングが行えるスペースなどを整備しています。何より、相模女子大学の学生として経験するすべてが学べること、ここに行けばさまざまな情報やサポートが得られることが大きな特徴です。また、卒業生にも門戸が開かれています。「夢をかなえるセンター」から、どんな多様な夢が育まれ、どのような実を結んでいくのか、私も心から期待し、楽しみにしています。
【Profile】
風間 誠史(かざま・せいし)氏
1981年東京都立大学人文学部卒、1983年同大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1986年同大学院博士課程単位取得退学。1998年東京都立大学大学院より博士(文学)の学位を授与される。東京都立小松川高等学校定時制課程教諭、東京都立南多摩高等学校定時制課程教諭を経て、1993年相模女子大学短期大学部講師に就任、助教授を経て、2001年相模女子大学学芸学部教授に就任。同大学学芸学部長、副学長を歴任し、2015年学長に就任、現在に至る。趣味はトライアスロン。毎年9月に行われる佐渡国際トライアスロンには、12年連続で出場。