教えて!「大学入試は公正確保されるか」

医学部の不正入試問題を受けて、文部科学省の有識者会議が「大学入学者選抜の公正確保等に向けた方策について」の審議経過報告を公表しました。5月にも最終報告としてまとめ、6月に改定する大学入学者選抜実施要項に盛り込みたい考えです。大学入学者選抜の「公正性」については、高大接続改革の中でも「公平性」との関係で議論になりました。入学者選抜の公正性について、どう考えればいいのでしょうか。

教えて!「大学入試は公正確保されるか」

 問題の発端となった一部大学のように、募集要項に明記されていない選抜基準によって、女子や浪人生に不利となるような選抜を行ったり、果ては寄付金によって受験生を優遇したりすることは、論外です。しかし、何をもって「公正」な選抜とするかは、人によって捉え方が違うのも実情です。実際、不正のあった大学では、大学の裁量の範囲内と受け止めていた向きさえあるようです。

 審議経過報告は、大学入学者選抜が公正なものとして広く社会から理解と支持を得られるために必要なことは、①合理的で妥当な入学者選抜の実施方針・方法等を具体的に定めること、②①を社会に公表し、周知すること、③①を遵守して、入学者選抜を実施すること、④入学者選抜の実施結果の妥当性を説明できること――に集約されるとの考えを示しています。

 一方で留意点として、「大学入学者選抜の多様化や、透明性と気密性の確保とともに、公正であることの基準や考え方が国や時代等によっても変化すること」も挙げ、入学者選抜の公正確保について考える際には、関係者を含む社会から広く理解と支持が得られるよう、社会一般の感覚を踏まえて検討することが求められるとしています。

 高大接続改革をめぐる2014年12月の中央教育審議会答申は、画一的な一斉試験の点数だけで評価することが「公平」であるという既存の意識に疑問を投げ掛け、多様な背景を持つ人が積み上げてきた多様な力を多様な方法で「公正」に評価することを提言しました。ただ、昨今の入学者選抜改革の動向をみると、個別大学ばかりか、文科省自身でさえ共通テストの制度設計などで「公平」な入試へのこだわりに終始しているように感じられてなりません。

 審議経過報告が指摘するように、公正性には「必ずしも同一の概念が常に当てはまるわけではない」のも確かです。だからこそ各大学は、社会的使命を自覚しつつ、大学独自の「三つの方針」の一環としてのアドミッション・ポリシー(入学者受入れの方針、AP)を明確にした上で、その具体化が明確となるような入試区分と選抜方法・基準を募集要項に明記することが不可欠です。そうした努力の積み重ねによってこそ、多様化が進む入試において、何が「公正」かの社会的な合意が得られていくことでしょう。

 医学部の不正入試問題をめぐっては、東京大学の学部入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題となりました。しかし女性学・ジェンダー研究のパイオニアである上野名誉教授の指摘は、不正を行った大学への批判にとどまりませんでした。東大も含め広く社会に性差別が存在していること、さらには、「頑張ったら報われる」こと自体が個人の努力の成果ではなく周囲の環境によるものであることを強調しつつ、「恵まれた」環境と能力を自分の勝ち抜きだけに使うのではなく、恵まれない人々を助けるために使うよう呼び掛けました。

 上野名誉教授は一方で、東大を「変化と多様性に拓(ひら)かれた大学」だと誇りました。そうした変化と多様性をどう具現化するのかは、すべての大学に問われていることでしょう。いかに公正な社会をつくるために、大学教育を行うか。その一環として、どのように多様で、かつ公正な入学者選抜を行うか――。そんな大きな問い掛けが含まれているように思えてなりません。


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【profile】
渡辺敦司(わたなべ・あつし)●1964年北海道生まれ。1990年横浜国立大学教育学部教育学科卒業。同年日本教育新聞社入社、編集局記者として文部省、進路指導・高校教育改革など担当。98年よりフリーの教育ジャーナリスト。教育専門誌を中心に、教育行政から実践まで幅広く取材・執筆。
教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説 http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/