教えて!教科書や指導書の扱いが変わる?
学習指導要領の改訂を検討している中央教育審議会の特別部会で「厚すぎる教科書」のスリム化が求められそうな雲行きとなっており、教科書会社が戦々恐々としている……という話を小耳に挟みました。学校現場にとっても見過ごせない話です。今、どういう議論が行われているのでしょうか。

教育課程企画特別部会(企特部会)では、昨年12月の諮問に沿って「各教科等の中核的な概念等を中心とした、目標・内容の一層分かりやすい構造化」を検討しています。「個別の知識」をたくさん覚えるだけでは「概念としての習得や深い意味理解」につながらず、必要に応じて社会課題などに応用できる「転移する学力」にならない、との考えからです。知識の多さは引き続き重要ですが、全部を網羅的に覚える必要はなく、あくまで概念を獲得するための「例」であり入れ替えも可能だ、というわけです。
「カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)」という言葉が広がっているように、現行教育課程の実施が現場に過度な負担や負担感を生じさせているのも現実です。諮問は、分量が増加した教科書を「網羅的に指導すべきとの考えが根強く存在」していることを問題視。新たな学びにふさわしい教科書の内容や分量、デジタル教科書の在り方なども検討するよう求めていました。
難関大学を目指すには内容の充実した教科書でないと太刀打ちできない、というのも現場の実感でしょう。しかし6月16日の企特部会に示された文部科学省の資料によると、高校教科書の分量は、主な教科1冊当たり平均で2011年度に比べ24年度は25%増えています(教科書協会調べ)。そんな教科書を記述通り全部こなそうとすれば、教員だけでなく生徒も大変です。
昔から、授業は「教科書『を』教える」のではなく「教科書『で』教える」ものだ、と言われてきたはずです。アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び、AL)による授業の転換が求められているなら、なおさらです。しかし先の文科省資料によると、高校でも90%近くの教師が「教科書通りに教える」と回答しています(民間調査)。
教科書以上に現実の授業を縛っているのは、教師用指導書かもしれません。もちろん使う側の教師が自由にアレンジしていいのですが、教える科目が必ずしも自分の専攻分野でない場合など、配当時数から板書例まで事細かな展開例に、ついつい頼ってしまうこともあるでしょう。
しかし企特部会では、そんな教科書や指導書、さらには高校入試で「事実的知識を問う問題」が引き続き出題されている現状を問題視しています。あくまで教科書は中核的な概念等を獲得するために重点化し、内容を精選すべきだというのです。
背景にあるのが、デジタル教科書の存在です。デジタルなら、教科書の外にあるデジタル教材や学習支援ソフト、さらにはインターネット上のさまざまなコンテンツ(内容)との連動が容易になります。そうした情報に生徒が自由にアクセスできる環境を用意すれば、必ずしも教科書で学習内容を網羅する必要はない――というわけです。
そうなると、教材研究の必要性がますます増してきます。授業研究の余裕がないほどの多忙化を解消し、研究や研修を保障することも不可欠です。そうした条件整備面も今後、企特部会で本格的に検討していくようです。
【profile】
渡辺敦司(わたなべ・あつし)●1964年北海道生まれ。1990年横浜国立大学教育学部教育学科卒業。同年日本教育新聞社入社、編集局記者として文部省、進路指導・高校教育改革など担当。98年よりフリーの教育ジャーナリスト。教育専門誌を中心に、教育行政から実践まで幅広く取材・執筆。近刊に『学習指導要領「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(ジダイ社)。
教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説 http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/