Case Study 社会と共に生徒を育てる高校事例②ICTも武器に地域内外の人とつながる 鹿追高校(北海道・道立)
鹿追高校(北海道・道立)
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プロボノメンター(大学教員等各界のプロ)
鹿追町の人々・大学生
左から、熊谷綾真先生、豊田裕子先生、俵谷俊彦校長、内海ファーム代表取締役内海洋平さん、慶應義塾大学 大学院システムデザイン・マネジメント研究科 特任助教渡辺今日子さん、関西学院大学
専門職大学院経営戦略研究科 教授富田欣和さん
高校が、小さな町の最高学府となり
持続可能な社会の主体者を育てる。
その際基盤となるのがICTの力
小さな町の小さな高校が
地域創生の核となるという構想
帯広駅からバスで1時間。白樺林や牧場などの田園風景が広がる鹿追町の中心部に鹿追高校はある。生徒数は140人。小さな町の小さな高校だが、町からの支援は厚く、全員参加のカナダ短期留学費用やバス通学者対象の運賃補助ほか、寮も用意されている。
2003年の連携型中高一貫教育校化や翌年のコース制導入以降、進学指導にも力を注いできた。だが、部活動終了後などに行われていた補習「鹿ゼミ」は働き方改革の一環で廃止。少子化や生徒の都市志向には抗えず、2020年の入学者は28人となり、2クラスを維持できなくなった。その前年に赴任した俵谷俊彦校長は言う。
「例年、国公立大学に10人ほど合格するなど進学実績は高いのですが、それだけで入学者が増えるとは限りません。また、子どもたちに力はあるものの、どこか受け身。進学以外にも、生徒が主体的に取り組める教育の柱が必要だと感じました」
同校長は、前任の奥尻高校において地域協働の課題解決型学習「まなびじま奥尻プロジェクト」を推進したことで知られる。漁師など各分野のプロの力を借り、リアルな課題に取り組むなかで生徒が変容する様子を目の当たりにしていた。その経験は鹿追町でも活きるはず。そう考え、職員会議の席上、町のさまざまな課題に探究的に取り組むことで、「持続可能な社会づくりの主体者」を育む必要性を訴えた。
だが当初、反応は鈍かった。進学実績に対する自負に加え、「どうせすぐ異動するでしょう」という空気も感じた。確かに2、3年でできることは少ない。そこで俵谷校長は、道教委の校長公募制を活用し、任期を5年にしてもらうよう要望。その際にプレゼンし、後に町議会でも披歴したのが「鹿追アカデミア構想」(図2)である。
「都市における大学の立ち位置のように、鹿追高校を町の最高学府と見立て、新たな価値を創造し町民に還元するなど、地域創生の核となる構想です」
高校を社会に開くという発想ではなく、高校自体が主体となり、地域社会をけん引していくのだ、という強い意志が垣間見える。その実現の第一歩として、町に要望したのがやタブレット端末の貸与といったICT環境の整備だ。それが整えば、地方と都市の間に何ら差は生じないはず。この信念が、以降、鹿追高校が打ち出すさまざまな施策の布石となった。
俵谷校長が掲げた「鹿追アカデミア構想」の概念図。
内容は当時のもので現在も日々更新中
外部の大人がプロボノメンター
として、無償で生徒を支援
校内では、先の職員会議での経験を踏まえ、トップダウンではなく現場から自発的な動きが広がるよう「持続可能な鹿高づくり運営委員会」を発足させた。各分掌の代表に有志、管理職を交え、魅力ある高校になるためには何が必要か、自由に意見を出し合う場だ。
「仲間が真剣に考え提案することに対しては、皆すごく協力的でした。そこに、予想を超える生徒の成長が加わることで、探究に対する見方が変わることを期待しました」(俵谷校長)
そして、俵谷校長と同年に赴任してきた若手、熊谷綾真先生を中心に、本格始動直前の「総合的な探究の時間」の年間計画が練られていった。ちなみに熊谷先生の前任は三笠高校。高校生レストランで知られ、地域連携部という部活動があるほど地域交流が盛んな学校だ。前任校とのギャップに悶々としていた熊谷先生は、新年度が始まるもコロナ禍で計画通りに探究を動かせなかった時期にも、生徒有志とできることをしてきた。然別湖ネイチャーセンターと協働し観光ガイドに挑戦したり、地元サッカーチームからの依頼を受け、東京のデザイナーの協力の下、ロゴを制作したり、大学教員の助言を仰ぎながらZoomを使って町民のQOL(Quality of Life)調査をしたり。
「大切なのは、生徒が自ら考え、主体的に動くことであって、探究の時間を充実させることではありません。課外活動であれ、有志であれ、やれることからやればいいのです」(俵谷校長)
そうした取組と並行し、晴れてカリキュラムに組み込まれた「鹿追創生プロジェクト」が始まった。看護・医療、農業、観光、防災などの12分野に分かれ、町が抱える課題を発見・解決していく授業だ。特徴は、各班にプロボノメンターと呼ばれる外部の専門家が助言者として加わること。PTA会長や卒業生などの町民もいれば、十勝管外、道外のビジネスパーソン、大学教員も名を連ねる。俵谷校長の人脈によるほか、熊谷先生が一人ひとりに打診し、手探りで広げたつながりだ。
「日々、生徒と向き合う先生方に、外部との折衝をお願いするわけにはいきません。熊谷先生にも担任を外れてもらい、教務部に新設した探究推進課の専任となってもらいました」(俵谷校長)
プロボノメンターの負担にならないよう、参加をお願いしているのは、課題設定の時期、中間発表、最終発表の最低3回。基本的にはオンラインだが、直接、しかも複数回足を運ぶ人もいる。教務部長の豊田裕子先生は言う。
「外部との連携に慣れていない我々に代わり、熊谷先生がすべて準備をしてくれました。ただ内心、無償で生徒にアドバイスまでしてくれる人などいるのだろうか。頼っていいんだろうか、という不安があったのも事実です」
だが、プロボノメンターの多くは二つ返事で引き受けてくれた。同校OBで、地元で酪農を営む内海ファームの内海洋平さんは、理由をこう話す。
「自分が高校のころ、バカ話を交えながら遅くまで勉強につきあってくれた先生がいたんです。当時の鹿追高校は、少し荒れていて進学実績も高くなく、自分も家業を継ぐか迷っていました。でもその先生が、国立大学進学という選択肢に気づかせてくれたんです。そのときの恩をいつか次の世代に返したいと考えていたので絶好の機会でした」
関西学院大学教授の富田欣和さんと、慶應義塾大学特任助教の渡辺今日子さんは、俵谷校長が奥尻高校にいたときからの縁で声が掛かった。
「どうすれば島を活性化できるか、大学のプロジェクトで2年かけて探った結果、教育に行きつき、奥尻高校でPBLを始めたんです。その時、大人が適切に関わることで、生徒の目が輝き、才能が開花する瞬間を何度も目撃しました。私自身それが、何物にも代え難い喜びとなっていたので、声を掛けていただいたとき断る理由がありませんでした。学校の外側には協力を惜しまない民間の人が大勢います。連携を負担と思わず、高校の先生方の理想の実現に向けた分担と感じていただければありがたいです」(富田さん)
負担と思うか、分担と捉えるか。
学校の外にいる大勢の人との協働で
理想実現に向けたスピードはあがる
大人の関わりや見守りを通じた
想像を超える生徒の成長
教務部長の豊田先生の中で「不安」から始まった感情は、一年を通して、「驚き」「喜び」「期待」「達成感」など目まぐるしく変化した。想像を上回る成長を生徒が遂げたからだ。例えば調理製菓班のメンバー(「生徒たちの声」参照)は、乳製品の製造過程で生まれるホエー(乳清)が有効活用されていないというプロボノメンターの内海さんの話をヒントに、それを原料としたクッキーを商品化し販売するに至った。
「食品会社や菓子職人、カフェオーナーなどとつないだのは私ですが、それは彼女たちが、自分で考え、行動に移すことができる生徒だったから。商品化に至ったのも懸命さが伝わったからです。私自身、チャレンジ精神を思い出させてもらいました」(内海さん)
IT班とスポーツ班の生徒(「生徒たちの声」参照)が協力して発足させたeスポーツ部(同好会)は、新聞でも大きく報道された。「高校の知名度をあげ、入学者を増やしたい」という動機から始まり、他校の事例や関係者への聞き取り、教員への提案や話し合いを経て実現させたものだ。生徒からの信頼も厚い慶應義塾大学の渡辺さんは言う。
「メンターといっても私たちは、生徒さんの発表を聞き、『では、先生にこのように話してみたら』といった助言をしただけ。それだけなのに説得力のある素晴らしい企画書を作り、先生方にプレゼンし、本当に当初の目標を実現させた。その実行力に驚かされました」
同じくスポーツ班の生徒による、「部活動を活性化したいけれど、部員が揃わない」という問題意識から始まった部活動改革プロジェクトは、運動部・文化部・帰宅部の垣根を越え兼部を認めるなど、学校の規定を改定させた。プロボノメンターの助言でスポーツ庁の「Sport in Life推進プロジェクト」という公募事
業に応募したところ、公立高校から唯一採択。国や自治体、企業、著名なアスリートやコーチが直接関わる一大プロジェクトに発展し、今後の部活動のあり方やスポーツコミュニティのモデルとなるべく現在も挑戦を続けている。同プロジェクトにも深くコミットしている富田さんと渡辺さんは、こう口を揃える。
「プロジェクトの規模が大きくなり、高校生にとって圧倒される状況だったと思います。にもかかわらず、大人の言うことにうなずくだけではなく、『なぜ自分はこのプロジェクトをしているのか』『自分にとってどんな意味があるのか』まで腹落ちさせたうえで、堂々と意見を述べるまでになりました。それを可能にしたのは、鹿追高校の多くの先生方が生徒の成長プロセスを考え、やる気を引き出すコーチングや見守りなど、関わりの度合いを絶妙にコントロールされていたからだと感じています」
これに関連して豊田先生は言う。
「初めは自信なさ気でも、生徒の中で、『やれるのかな?』から『やるしかない』に変わる瞬間があるんです。そうなると、こちらが言うことはありません。自分たちで考え、行動しますから。もちろん、そういう子ばかりではなく、最後まで積極的に動こうとしない生徒もいます。そんな生徒でも、ほかの子の動きを見て気づくことはあるはず。将来、『そういえば、あの子はこうやって動いていた。今の自分ならできるかもしれないな』と思いだすきっかけになれば、それでいいと思っています」
小さな学校にとって地域は
同窓会組織のようなもの
2021年には、町の支援の下、町民ホールに専用学習スペースが誕生した。常勤スタッフを置かない代わりに、道内外の大学生6人がチューターとしてオンラインで対応する公設塾だ。
「相談したいときに相談できる体制です。探究同様、学習も主体的になればと考えました。町の支援には感謝しています。歴史ある学校は同窓会の規模も大きく、多様な支援がありますが、小さな学校はそれが見込めません。でも、ここでは地域自体が同窓会組織のようなものと感じています」(俵谷校長)
2021年度の新入生は、前年度の倍となる56人となり、2年ぶりに2クラスを確保した。だが改革は始まったばかり。近隣自治体には廃校になった学校も少なくない。「持続可能」の四文字が、流行り言葉ではなく自らの存在に直結している。ただし俵谷校長に、生徒を地域に縛りつける発想はない。
「学校存続や地域創生は大事ですが、一番の目的ではありません。大切なのは生徒の成長。子どもたちの力をどう開花させてあげられるか。そのために、多くの方々の力を借りているのです」
鹿追創生プロジェクトの最終発表会。
生徒の発表に対面もしくはオンラインでプロボノメンターが耳を傾ける。
生徒たちの声
地域活性化について
さらに大学で学びたい
未活用資源であるホエーを使って何ができるか。最終的にクッキーになりましたが、味噌汁の素材にするなどの試行錯誤が楽しかったし、今後の活動にも活きると思います。年上の方と接することが多く、自分の意見をきちんと伝えることの大切さも学びました。先を見据えて動く力もついたかな。外部の方といろいろな経験ができるのが鹿追高校のいいところ。経験を活かし、大学では地域活性化について学ぼうと思います。(3年生・北村梨紗さん)
鹿追町は高校生にも
寄り添ってくれる町
商品化など未知の世界でしたが、大勢の大人に支えられながら、新しいものを作りだすことの 難しさや面白さを感じました。探究の時間だけ ではとても足りず、家庭科室を借りたり、自宅で試作品を作ったり。そうした過程が楽しかったで す。教育関係の仕事に就くのですが、こうした経験を多くの人にしてもらいたいし、地域とも関 わっていきたい。鹿追町は高校生にも寄り添ってくれる町。なので、恩返ししたいという気持ちになれるんです。(3年生・林中優月さん)
あとは後輩に託すが
困ったときは助けたい
IT班としてeスポーツ部を立ち上げようとした理 由は、1つ下の生徒数が半減したこと。ショックで、高校の知名度を上げたかったんです。スポ ーツ班でも、部活動参加者をどう増やせるか検 討する過程で同様の案が出たことから一緒に活動することに。先行する通信制高校の先生 に連絡し助言も頂きました。部の発足を報じる記事が新聞に載ったことで少しは高校の知名 度が高まったかな。後輩が困ったときはいつでも助けたいです。(3年生・髙附 旭さん)
皆のお陰で成長できた。
感謝しかない
スポーツ庁の事業に採択されたときは、めちゃくちゃビビりました。でも大人の本気も伝わり、「絶対に実現させよう。今しかやれないことに打ち込もう」と決意しました。お陰で、普通では できない経験をさせていただいたし、自分の考 えを落ちついて話せるようになるなど成長できたことにも感謝です。特に富田さんと渡辺さ ん、いつもフォローしてくれる髙附君に感謝。いつか自分もプロボノメンターとして戻れるよう、経験を活かしたいです。(3年生・田村 航さん)
取材・文/堀水潤一