Case Study 社会と共に生徒を育てる高校事例③多様な生徒を複数のプロが支援 田奈高校(神奈川・県立)

田奈高校(神奈川・県立)
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NPO・地元企業
自治体・多様な支援機関

NPO法人パノラマ
代表理事/カフェマスター石井正宏さん(写真中央)

左後方から時計回りに、山崎真歩先生、山下智己先生、太田昌之先生、SCCの野坂浩美さん、上田聡子先生


生徒の力の発揮を阻んでいる
多様な壁を乗り越えるために
NPOや地域とキャリア支援で連携

力を出し切れずにいた生徒の
支援体制を構築、継承段階へ
田奈高校は2009年より、神奈川県指定のクリエイティブスクールの1校となった。入試に学力検査はなく、中学校までにもてる力を十分発揮できなかった生徒も含めて歓迎し、成長を後押しする学校だ。もともと同校は学力が伸び悩む生徒を応援してきたが、これを機に、自分の力を出し切れずにいた〝さまざまな事情〞を抱えた生徒がより集まるようになる。  

例えば、家庭の経済的な困窮、不和、介護などの問題を抱え、勉強に集中できない生徒がいた。外国にルーツのある家庭で育ち、日本語での学習に苦戦してきた生徒もいた。大多数の人とは異なる認知や感覚があり、自分の特性に悩んでいる生徒もいた。事情を知らない周囲の人から、怒られたり、低評価を受けたりするなかで、自分への自信を失い、大人への不信感を強めた生徒も多かった。  

クリエイティブスクール始動時、先生たちはそうした生徒一人ひとりの課題と向き合い、その過程で外部連携の必要性も感じていく。同校には「この先やりたいことはない」という生徒も多いのだが、本当にないのではなく、過去の経験から「何をやってもうまくいかない」と感じていたり、家庭の事情から進学できず望みに蓋をしていたりするのが実情で、教員の支援だけでは越えられない壁があったからだ。2010年にキャリア支援グループ(いわゆる進路指導部)内にキャリア支援センターを設置。その担当教員と管理職を中心に、各方面とつながりを築くことに奔走し、図のような支援体制を整えた。 

そして現在、立ち上げ期の先生は異動や退職で去り、同校は新たな段階を迎えている。キャリア支援センター3代目の担当として、外部との窓口役になった太田昌之先生は、まず思ったという。「自分に務まるのか」と。

  田奈高校ではこのほか、学習支援グループの教員が、放課後補習「田奈ゼミ」で地域住民や大学生の学習支援ボランティアと連携。
生徒支援グループの教員が、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーと共に、児童相談所や医療機関などの外部機関と連携している。

  

「生徒ファースト」のために
社会に助けを求め
丸投げせずに各方面のプロと協働

多様な人にふれて成長する
その仕組みを維持するために
太田先生からすれば、「仕組みを作った先生方はスーパーマンのような存在で、自分に同じことはできそうにない」という不安があったという。

一方で、これらの連携で「大人への不信感の強い生徒が、多様な大人とふれあって人間として成長する」のも感じ、「社会に送り出すうえで大事な取組だ」との思いも強めていく。だから自分にできることを考え、「すごい先生でなくても続けられる仕組みにして、次に引き継ごう」と意識するようになった。
具体的には、「連絡を取り続ける」ことと「ほかの先生にも役割を配る」ことを目指した。  

そもそも同校の外部連携は、「こんな困難や望みをもつ生徒がいる」という目の前のニーズに対応すべく始まった。だが、同じニーズが毎年あるとは限らない。年度によっては、外部支援に対する生徒の反応が鈍いこともある。すると外部支援者も協力に慎重になる。実際、コロナ禍の影響もあり、直近は最小限の活動にとどまった連携もあった。それでも太田先生は各担当者と連絡を取り続け、枠組の維持を確認。教員間で生徒のニーズを察知したら、改めてじっくり相談できるだけの関係を保とうとしている。  

また、外部連携の一つ、就労支援の専門家と組んだ田奈Passは、同じキャリア支援グループの山崎真歩先生に窓口をお願いした。こうした役割分担が軌道に乗り、もし各自に余裕が生まれたら、「生徒ファーストというか、今の生徒のために何かできるかをまた考え、例えばコンピュータ関係など、ニーズに合わせた新たな外部連携も検討してみたい」と太田先生は言う。

信頼貯金を貯めた専門家が
生徒と地域や社会をつなぐ
異動による教員の入れ替わりがある公立高校では、学校や地域に長く関わる専門家と協働できることの意義も大きい。NPO法人パノラマの代表、石井正宏さんは、若者支援の専門家であり、2010年から相談員として学校に入った。2014年からは他の職員やボランティアと共に、週1回、昼休みや放課後に図書館でお菓子や飲み物を無料提供する「ぴっかりカフェ」も開催。生徒と他愛もない話をしたり、一緒に楽器を演奏したりしながら「、顔の見える相談員」になることに努めてきた。
「知らない人では子どもたちが安心して相談できませんし、無理に聴き出そうとすれば尋問になります。『信頼貯金を貯める』と言っているのですが、貯金が貯まってくると、子どもたちは自分の家のことや悩みを話してくれるのです。そこから先生と情報共有をしたり、個別相談を重ねたり、別の支援者につなげたりします」  

信頼貯金は別の支援者につなぐときも効果を発揮する。例えばバイターンという取組。面接が怖くてアルバイトもできずにいた生徒に対して、支援者である地元企業の就業体験を石井さんが勧めると「、石井さんが信用する人なら会ってみます」と踏み出せたという。次いでその企業で有給のアルバイトも経験し、一歩ずつ、働くことへの自信を手にしていった。

ぴっかりカフェ

社会人や学生とゲームや音楽、会話を楽しみ、文化的な体験を得ながら、気軽に相談できる人との信頼関係も築く。

  

評価しない支援のプロと共に
生徒の就労意識を育む
スクールキャリアカウンセラー(以下、SCC)の野坂浩美さんもキーパーソンだ。人材系企業や大学キャリアセンターでの勤務経験があり、声をかけられて2012年に同校の非常勤職員に。先生と協働でキャリア支援に取り組み、進路未決定を大幅に減らした。これを受け、2017年には県内のクリエイティブスクール全校にSCCを置く制度が確立。始まりは外部人材の活用だが、今では同校に欠かせない教職員の一人となっている。連携する上田聡子先生は、その頼もしさを次のように語る。
「教員は生徒から『評価する側』と見られ、特に本校では時間をかけて関係をつくらないと、深い話がなかなかできません。そのなかで、教員とは立場が違い、就職事情にも詳しい野坂先生が、早いうちから生徒に対して、働くことについて考える場や、相談できる機会をつくってくれるのです。今の3年生の就労意識は、教員だけでは育めなかったと思います」  

進路希望を3年生の秋まで白紙にしていた生徒が、野坂さんには「この仕事に興味ある」と打ち明けたこともあった。一緒に会社見学に行き、選考を受けるも不採用。しかし「自分から動けた」ことが自信になったようで、心折れることなく就職活動を続け、ついには内定を勝ち取り、その成長で先生たちを驚かせた。

さくら咲くキャリア教室

SCC野坂さん企画の体験活動。地元工務店の協力を得て、職場で生徒がベンチ作り。
もの作りの魅力にふれた。

  

「生徒の力になりきれない」
その現実とどう向き合うか
 もっとも、キャリア支援全体では先生たちは忸怩たる思いも抱え続けている。太田先生は「成長した生徒の姿を見ると感慨深いですが、途中で辞めた生徒の顔も浮かびます」と、全員の力になれない現実を口にする。山崎先生は、卒業後や退学後の生活を気にしつつ「自分のキャパでは、次に受けもつ生徒たちがくると、どうしてもそちらに頭が切り替わります」と、目が届かない範囲に言及する。

だから山崎先生は、先々の不安が残る生徒については、連携先の一つで学校を出た後も相談ができる田奈Passに意識的につなぐようになった。  

また、野坂さんのいる進路室や、「ぴっかりカフェ」も、今では卒業生や中退生の居場所としても機能している。元生徒の来訪を歓迎する野坂さんの下には、社会に出て味わった嬉しいニュースから、命の危険が迫る悩みの相談まで舞い込むという。
「在学中からいろいろな困難があったことを知っているだけに、学校を出てからも、何かあったときにそばで話を聴いてくれる『誰か』がいてほしいのです。進路室がその一つになれたら、とは思います」(野坂さん)

同じように元生徒とも交流するパノラマの石井さんは、そもそも同校との連携で一番共感したのは「生徒ファーストの姿勢だった」と振り返る。

「生徒のために何ができるかを一番に考え、自分たちではできないことがあれば、社会に助けを求める。それを教員の力不足の露呈と捉えて嫌がる先生もいると思うのですが、『生徒のためになるなら自分が恥をかけばいい』と踏み出したわけで、その姿が僕はかっこいいと思うのです」

もちろん、助けを求めるというのは、丸投げすることではない。就労支援で「野坂先生におんぶに抱っこです」と信頼を寄せる山下智己先生は、それゆえに自戒を込めてこのようにも語る。
「投げっぱなしにせず、話し合いに同席したりと、『一緒にやる』という意識をもつようにしています」

  

卒業後も続く関係

上は進路室を訪れた卒業生の写真と手紙。下は卒業生が講師を務めたトークセッション。
卒業生が学校を訪れやすいことは、在校生のためにもなると言える。


卒業生の声

自分のなかの「普通」が広がり
悩みつつも前を向けるように  
ぴっかりカフェには1年生の時から通ってい ます。お菓子も出るよ、と先生に教えてもらい、最初は食べに行った感じです。そこにマスターや杏ちゃん(パノラマの石井さんと職員)、ボランティアの人がいて、一緒にボードゲームで遊んだりするうちに仲良くなりました。いろんな立場の人がいて、みんな、引き出しがすごく多い んです。自分は絵が好きで、今はグループ展などにも参加しているのですが、将来のことでは学校にいるときも、出てからも、焦って悩むことがあります。でも、このカフェでいろんな人を見て、働き方は本当にそれぞれなんだと知ってからは、少し気持ちが楽になり、前向きに考えられるようになりました。なんだろう、普通の範囲が広がるのかな。  

自分の場合、体は女性だけど、心は男性とい うのもあって、マスターや杏ちゃんにはその相談もしていました。生徒の前に、人として見てくれるので、話しやすいんです。卒業したけれど、ぴ っかりカフェにはまた来ます。今度は高校生と遊ぶ側にもなるので、話しやすい雰囲気でい たいと思っています。(椎橋 結さん)

世の中のことを教えてもらい
今も元気をもらっている  
私もぴっかりカフェには1年生から通ってい ます。そこにいる人とゲームをしたり話したりするのが楽しかったからです。NPOの人とか、劇団の人とか、教習所の人とか、いろんな仕事の人がいたし、結(椎橋さん)の性のことでイベントを教えてくれた人もいて、一緒に行ったりもして。勉強ではないけれど、私たちが普通に生活していたら知らなかった世の中のことを教えてもらえたように思います。  

先生との橋渡し役にもなってくれました。怪我で体育を長期見学し、単位が怪しくなったとき、泣いてカフェで愚痴ったら、文句は省いて「見学でも課題をやった」ことを先生に伝えてくれて、おかげで単位を取れたんです。すごく心強かった。私はこのカフェで担任の先生とも仲良くなれたし、授業を取っていない先生とも仲良くなれて、ここで勉強も教わったんですよ。みんな応援してくれて、めちゃくちゃがんばって、無理と言われていた専門学校にも行けました。ただ、その学校の勉強がきつくて今は落ち込み中。だからカフェに来て、また元気をもらっています。(田中佑依さん)

左から、椎橋しいばし ゆうさん、田中佑依ゆいさん(2020年度卒業)

学校データ:1978年創立/普通科/生徒数295人(男子151人・女子144人)/クリエイティブスクールとして、中学校までに力を発揮しきれなかったが学ぶ意欲のある生徒をサポート。

取材・文/松井大助