【第1回】大会、コンクール、展覧会などでの実績・成績は必須なのか?

藤岡慎二(産業能率大学経営学部教授 兼(株)Prima Pinguino 代表)

「大会、コンクール、展覧会などでの実績・成績は必須なのか?」


 一例を挙げると、早稲田大学社会科学部自己推薦入試においては、以下のような条件を満たす生徒が出願できるとあります。
高等学校または中等教育学校後期課程在籍期間の活動において、次の1つ以上に該当する者。ただし、資格に関しては、高等学校または中等教育学校後期課程在籍期間以前に取得したものによる出願も受け付ける。
・学芸系またはスポーツ系クラブなどに所属し、都道府県以上の大会・コンクール・展覧会などにおいて優秀な成績を収めた者。
・生徒会活動において、めざましい活躍をした者。
・資格(語学検定や財務・会計資格など)を有する者。
・その他、学校外での諸活動(クラブ活動、ボランティア活動など)において、めざましい活躍をした者。」
確かに、出願資格に「学芸系またはスポーツ系クラブなどに所属し、都道府県以上の大会・コンクール・展覧会などにおいて優秀な成績を収めた者。」とありますが、大学側としてはコロナ禍の中で当然ながら、この条件については考慮するケースが増えてくると思います。しかし、そもそも大学側は大会、コンクール、展覧会、生徒会活動、学校外での諸活動を通じて、受験生の何を、そして何故、見たいのでしょうか。

●大学が見たい高校生たちのコンピテンシー

 私が生徒たちを指導してきた立場からの経験で言えば、大会、コンクール、展覧会、生徒会活動、学校外での諸活動における目覚ましい実績・成績が無くとも推薦・AO入試では十分、合格できます。大学は実績・成績という結果だけでは無く、そこに至るプロセス、そのプロセスにおける受験生のコンピテンシー(思考特性・行動特性)を評価したいのです。コンピテンシーとは思考特性・行動特性を指します。要はその高校生なりの思考や行動の特性、そして思考や行動の 背後にある価値観や信念です。思考や行動、その背後にある価値観が、大学側がみたい「人となり」です。
 では、なぜ目覚ましい実績・成績があると合格しやすいと言われたり、出願条件に入っていたりするのでしょうか? 実績・成績は、あくまで人となりが結果として表出化され出てきたものです。つまり目覚ましい実績・成績があるということは、二次試験などでの面接担当者にとっては、高校生のわかりやすい人となりとなるのです。これが実績・成績があれば合格しやすいと言われ、出願条件にも入っている所以でしょう。

●そもそも推薦・AO入試で大学側は受験生に何を求めているのか

 推薦・AO入試では受験生が各大学での学びを最大化できる素養を持つか、そして大学でも主体的に周囲を引っ張るリーダーシップを発揮できるかなどを評価します。各大学が公表しているアドミッションポリシーでもありますが、大学は高校生がアドミッションポリシーを満たすかを、人となりから判断したいのです。
 であれば、目覚ましい実績・成績をコロナ禍で積むことができなくても、出願書類や志望理由書に高校生の価値観・思考・行動、つまりは人となりを示すエピソードを記述しておくと、どうなるでしょう。面接に行くまでもなく、大学側が出願書類において受験生がアドミッションポリシーを満たすかが判断しやすくなるのです。
つまり、コロナ禍で目覚ましい実績・成績が無くとも、高校生が自身のコンピテンシー、すなわち「人となり」を言語化し、出願書類や志望理由書において記述できるよう指導しましょう。そうすれば、大学側はアドミッションポリシーに照らし合わせて、評価できるのです。

 私自身、評価側に立って思ったことは、思った以上に高校生から1次試験で提出される志望理由書や出願書類には、人となりの記述がありません。せっかく、評価側にPRするチャンスなのに勿体無いと思います。
 もちろん、目覚ましい実績・成績があることに越したことはありません。しかし、コロナ禍で大会、コンクール、展覧会、生徒会活動、学校外での諸活動で実績や成績を積むことが困難な中、その時間と視線を生徒自身に向けさせてみてはいかがでしょうか。

 さて、大学側は高校生が自身のコンピテンシーを言語化できた時、その高校生が大学入学後に活躍するだろうと期待感を持ち、評価をします。なぜ、自身の言語化が期待感と評価に繋がるのか。いかに、言語化すれば良いのか。 前述した②における指導の遅れ、③における活動できない、などの問題は如何にすれば良いのか。第2回、第3回でさらに発信していきたいと思います。

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