【座談会】大学入試改革の必要性と方向性
共通一次から大学入学共通テスト(以下、共通テスト)まで、日本の入試制度は、高校教育と大学教育の接続を問いながら、改編を重ねてきた。今回は、研究大学で大学改革をリードしてきた3氏のディスカッションを通じて、今後の大学入試改革の必要性と方向性を探る。

【1】日本の大学入試制度が直面している共通課題
なぜ日本の大学入試を変える必要があるのか
小林 これまで、研究大学の学長として大学改革を推進してきた皆さんから見た、大学入試に対する現状の課題認識をお聞かせください。
三島 私が2012年から2018年まで、東京工業大学の学長として大学運営に携わるなかで感じていた課題意識は、今の学生が子どもの頃から自信や意欲を育むことができていないために、大学だけが変わっても成果を出すのが難しいということでした。
この課題の前提として、わが国の教育、経済等の社会システムが自国のためだけの視野にとどまり、世界から周回遅れとなっている実情があります。例えば東工大やAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)でも感じたことですが、わが国の科学技術の基礎研究は、医療分野を含め世界的に高いと評価される一方、その成果を社会実装し、イノベーションにつなげることができずにいます。現存技術のレベルアップはできても、それを塗り替えるような新技術がなかなか出せないのです。そして古い手法を変えられない理由は「過去に例がないからできない」という前例主義が根強く残っているためです。
こうした経験から、わが国が世界をリードする役割を果たしていくためには、もはや若い世代の育成方法を革新するしかないと思うようになりました。初等中等教育から高等教育への流れこそが大事であり、そのために「日本の入試文化を変える必要がある」と考えています。
永田 三島先生と課題認識は同じです。それに加えると、日本の入試文化というのは本当に独特であり、これを長年続けたことで、間違いなく学生の学力は低下してきています。何よりも意欲がなくなったことにショックを受けています。
今後、われわれが研究大学として高いレベルのタレントを獲得しようとすれば、当然外国人の受け入れを拡大することになります。しかし私は日本人と外国人の入試方法が異なる現状を良いとは思っていません。日本人が7教科9科目、外国人が2科目という入試では、資質や能力を公平に評価できるのかという問題があり、外国人の割合が増えれば日本人から不満が出るのは必然です。ですから入試改革が必要であり、国際基準のアドミッション制度を確立しなければ、日本はますます遅れを取ることになると心配しています。
冨永 お二人の意見は全くその通りだと思います。私は共通課題として3点を挙げたいと思います。
まず、これから少子化が進み、探究心と多様性のある人材を育てようとするなかで、1点刻みでふるいにかける入試では乗り切れない、時代の転換期に来ているのではないかというのが1点目です。
2点目は、高大接続と言われながら入試でしか接続しておらず、教育による接続の実質化を考えなくてはいけないという点です。
3点目は、現場の教員の入試にかかる負担感が非常に大きいことです。いかに教員の負担を軽減し、評価の質を保証していくかも大きな課題だと考えています。
【2】2大学の入試における理念と入試方法の現状
AO入試を早期導入、多面的評価100%へ
小林 東北大学と筑波大学は、国立大学で初めてAO入試を導入した3大学のうちの2校です。まずは2050年までに全ての入試を総合型選抜へ移行する方針を打ち出している、東北大学の冨永先生から現状をお聞かせください。
冨永 本学の場合、建学の理念である「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」を進めていくために、意欲のある学生を獲得したいというのがわれわれの求めているところです。2024年に国際卓越研究大学の認定を受けて、“Talent”を公約の一つに掲げ、今まさに世界中から多様な学生と研究者を集め、国際共修環境で育てようとしています。
以前より、学生、研究者ともに「多様性」をキーワードに、意欲があり、多様な人材を受け入れたいと考え、いち早くAO入試を取り入れてきました。令和8年度のAO入試等の入学者割合は36%までになっています(図1)。
この方向性は、われわれにとって良い結果をもたらしたと評価しています。AO入試の学生は、本学で学ぶ意欲や目的意識を多面的に評価されて入学しているので、1年次から優れた成績を上げ、卒業まで維持する傾向にあります。
さらに2027年4月からは、本学にとって新たな試みとなる「ゲートウェイカレッジ」(定員180名)を開設します。目的は、先ほど述べた国際共修環境の整備と、レイトスペシャリゼーションです。
ゲートウェイカレッジでは、入学時に専門分野(学部)を決めず、幅広い学びを経てから3年次以降に専門分野を選択します。入試方法も本学初となる学部横断型の特別選抜(総合型選抜)を採用します。高校教育が文理に分かれている現状を踏まえ、文系・理系の大くくりで選抜を行う予定です。
このように本学は総合選抜を重視する方向性のなかで、将来的には総合選抜による入学者を100%にしたいと考えています。
永田 本学も驚くほど東北大学と同じ道を歩んでいます。実はAO入試を導入した時期も同じです。
本学の状況も似ていまして、総合型入試と学校推薦型入試の合計が全体の約3割を占めます(図1)。入学後の学力が一般入試の学生と変わらない点も同様です。
一般入試の7割についても、約2割は入学時に学群を決めずに入学する「総合学域群」の学生です。入試方法は、文系、理系(I〜Ⅲ)の4区分で募集し、一般選抜の前期日程で行われる個別学力検査等を課す独自入試となっています。ですから昔ながらの一般入試は全体の5割しか残っていません。
総合学域群は2021年度にスタートしましたが、文系から情報、理系の数学や物理から芸術と、全く違う専門に変わる学生もいます。やはり高校時点で進路を選ぶのでは不十分で、実際に最先端の学びを見てから決めた方が良いという意味で、私はレイトスペシャリゼーションに賛成です。
その反面、専門選びに迷う学生も出てくるので、2024年度から1年次を対象に「学問探究チュートリアル」科目をスタートしました(コラム筑波大学の学問探求チュートリアル)。パイロット段階の初年度は、新入生36人に対し教員30名が個別指導に当たりました。これが非常に高い支持を得たので、段階的に定員を増やし、第6期中期計画(2034-2039年)には1学年につき1600人規模の実装を目指しています。国立大学は人的資源に恵まれているので、全教員で対応すれば1年生のST比をほぼ1対1にすることも可能です。
さらに2028年度入試から、一般選抜を多面的評価による入試に全面移行します。学力の3要素を判定するために面接と口述試験を導入し、入学後に必要な知識・技能の習熟度は、共通テストと論述試験で判定します。これにより、現在半分まで来た多面的評価を、あと数年で100%にしたいと考えています。


【3】高大接続の深化と多様な才能を見いだすための新たな評価軸
わが国の初等中等教育における人材育成はどうあるべきか
小林 三島先生は、若い世代の育成方法を革新するために、日本の入試文化を変える必要があるという課題認識をお持ちでした。そのためには何が必要だと考えられますか。
三島 私が注目したいのは、大学に入るまでの初中等教育のところで、子どもたちがどういう力を持っているかという点です。
これまでに世界の18歳年齢の若者について、OECDをはじめ様々な調査データが公表されていますが、日本の子どもたちは学力面で高い水準を示す一方、自己肯定感が低く、図2に示すように他国の同年代と比較して将来の夢、社会貢献への意欲と可能性においての積極性に欠けています。(図2)。
この原因として、小学校はまだしも中等教育が入試対策の準備期間になっていて、自分の得意なことに気づき、自信をつけ、将来の夢や目標を育むような教育ができていないことに大きな懸念を持っています。
AMEDでボストン地区のスタートアップエコシステム※を視察した際も、「日本は基礎研究の社会実装において、ハイリスク・ハイリターンのチャレンジが見られない」という声を各所で聞きました。小さな頃からなるべく無難に、失敗をしないようにと教育されてきたからではないかと私は思います。
※ハーバード大学やMITなど、世界有数の学術機関、病院、製薬会社、VC等が集積する、ライフサイエンス領域で世界トップレベルのスタートアップエコシステム。
また、高等教育に入ってからも、日本はアメリカの学部生に比べて、自宅での学習時間が圧倒的に少ないというデータがあります。東工大の大学院入試の面接で「大学院で何をしたいのか」と尋ねても、「まだそこまで考えていない」と答える学生が少なくありません。大学で学ぶ目的が明確に見えていない背景には、初中等教育の段階から、他者の意見を聞き、自分の考えを深めていく経験の積み重ねが足りないことがあるのではないかと、強い危機感を持っています。
小林 永田先生、筑波大学の附属校の現場はいかがでしょうか。
永田 本学の附属学校は全部で11校あり、そのうち高校は3校あります。例えば筑駒(筑波大学附属駒場中・高等学校)ではいわゆる受験のための勉強ではなく、文化祭や音楽祭等、学校の中でしか経験できない活動に精一杯時間を使うようにしています。「みんなと協働しなければ寸劇一つ生まれない」といった、学校の中でしか知りえないことこそ、社会の一段階前に経験すべきことなのだろうと思います。
日本の初等中等教育はどうしても受験が足かせになりますが、初等中等教育の段階で、受験にとらわれない挑戦的な学びをどれだけ先進的に試せるかというのが、大学の附属学校の仕事です。附属学校では自分達の好きなことや興味を持てることを見つけ出せるよう、力を使ってほしいと思っています。
冨永 お二人がおっしゃるように、受験勉強が非常に大きな足かせになっていると思います。今の若い人は、昔に比べて自分を表現することがとてもうまくなった半面、三島先生がおっしゃるように自己肯定感が低い。その背景には失敗が許されにくい社会があり、その代表格が大学受験なのではないでしょうか。
私も三島先生と同じくボストンで若手研究者と話した際に、ボストンではスタートアップで失敗した人は尊敬されると聞きました。日本は失敗が許されない文化がありますが、失敗の経験がむしろ尊敬を集めるという文化の違いに改めて気づかされました。
さらにわれわれの若い頃と違うのは、「明日は明日の風が吹かない」ということです。右肩上がりの時代と違い、今の若い人は、物心ついてからずっと、日本が成長しない環境のなかで育ってきました。先が見通せるがゆえに先々まで心配し、常に引き算で考えなければいけない。そうした精神のあり方では、自己肯定感をもって何かにトライするのがなかなか難しい社会かとも思います。
多面的評価を実現する専門組織
小林 以前の「総合的な学習の時間」が、進学校ほど英語と数学の補習になっていたという実態から、現在の学習指導要領から、探究学習が導入されました。しかし高校教員からは、探究で意欲を高めても、大学入試が意欲の評価に対応できていないので、結局テストの点を見て自己肯定感が下がってしまうと聞きます。
だからこそ入試を変えなくてはいけないという話になるわけですが、高校の学びを入試で多面的に評価し、大学の学びに接続するための「高大接続の深化」には何が必要なのでしょうか。
三島 接続段階の評価が、たぶん一番難しい問題なのだと思います。高校教員と大学教員がもっと意見交換できれば良いのですが、教育より研究を優先したいという大学教員側の問題も存在します。初中等教育から高等教育への流れがうまく接続しなければ、優秀な層は自ら意識を高く持って進んでいくのでしょうが、ボリュームゾーンがどうなるのかを私は心配しています。ですが、たとえ10年、20年かかっても、今変えていかなければいけない課題だと思います。
冨永 本学では、冒頭で挙げた共通課題のうち、2点目の「教育による高大接続の実質化」と、3点目の「教員の入試負担の軽減と評価の質保証」に対応するため、入試に特化した独立組織として「アドミッション機構」を整備しました(コラム東北大学アドミッション機構)。
背景には、高校の探究学習で身につけた能力や資質を、入試の段階できちんと評価することが、次に取り組むべき重要な課題だという認識があります。一方で、受験生の主体性を、精緻な書面審査や面接によって多面的に評価しようとすれば、教員には大きな負担がかかります。また、教員の面接評価において評価の質や基準の均一性が保てないという問題もあります。
そこで、本学が本当に求める人物像と受験生のマッチングをアドミッション機構の基本コンセプトに据え、それを担うプロフェッショナル集団として、入試専門の教員33名(兼務5名を含む)と、事務スタッフ21名の雇用を進めてきました。元高校教員の方も機構で採用し、高校教育の視点も踏まえた入試問題の作成等をお願いしています。
さらにもう一つの目的は、永田先生もおっしゃっていた、国際基準のアドミッション制度の実現です。われわれはゲートウェイカレッジを将来的には日本人学生2000人、外国人留学生4000人の計6000人規模にしたいと考えており、そのためには、海外の多様な人材をどう評価するかが重要です。そのため、統一的なフレームワークの構築も、アドミッション機構として取り組んでいるところです。これに関しても、海外からの多様な人材の資質を見極めるため、外国人の特任准教授4名を採用しました。
実はこのアドミッション機構の整備も、国際卓越研究大学として支援を受けたからこそできたことです。日本は、教育への投資が対GDP比でOECD平均を下回り、とりわけ高等教育に対する公財政支出は、OECD諸国のなかでも下から2番目という低い水準にあります。やはり未来の人材を育てる教育にこそ、国はもっと投資してほしいと思います。
先ほどの失敗が許されない文化も、今後留学生を受け入れ、海外の多様な文化と接することで、若者が希望を持てない状況を変えていく一つの方向性になるのではないかと思います。そうした意味でも、多文化学習環境をどんどん作っていきたいと思っています。
三島 今の冨永先生のお話はとても大事で、やはり日本人が海外へ出て、日本とは全く異なる考え方や文化に触れる環境を与えるための投資こそ、国がやるべきことだと思います。
永田 入試の手間を省いてはいけないという考え方には私も賛成です。本学でも、専任の教授を置いたアドミッションセンターを設けていますが、研究者にも協力してもらいながら、将来の研究者になり得る、本当にフィットする学生を見いだしていくことは必要だと思います。もちろん、事務スタッフを十分に確保できる大学とそうでない大学がありますが、基本的な考え方は同じです。
それから海外の話で言うと、本学もキャンパスの中に多文化共修の環境を整えることをもちろん重視していますが、やはり海外に出て、水の味が違う環境に身を置いて学ばないといけないとも思います。
パスカルと関孝和が同じ時期に別の微分を生みだしたように、石畳の文化で研究した人と畳の文化で研究した人とでは考え方が違うわけです。学生には、異なる環境のなかで自分のアイデンティティを求める経験をしてほしい。日本にいるだけでは均質化してしまいます。
経済的な停滞が続く今の日本から、海外留学をするのは大変です。しかし「鉄は熱いうちに打て」と言うように、若い頃の経験ほど強く影響を受けるものはありません。ですから、大学4年間のうちに一度は全員に海外へ出てほしいのですが、本学で実際に送り出せているのは全体の4分の1程度です。国にはぜひとも教育投資を期待します。


【4】社会構造の変化に対応する未来の大学入試のあるべき姿
異能を見つけ、育てる
小林 それでは「今後の入試のあるべき姿」について、未来志向での見解をお伺いしたいと思います。
三島 国立大学の入試システムを全面的に革新するのは非常に困難ですが、やるなら今しかないというのが私の意見です。
初中等教育で相当なステージを踏み、強いモチベーションを持った状態の学生のための入試改革として考えるなら、当然、現在の一般選抜のあり方を変えるべきだと思います。
具体的に、まず筆記試験は共通テストだけとし、二次試験はやめるべきです。高校の教育課程で身につけるべき力を持っているかどうかは、共通テストで十分判断できます。合格ラインの水準は各大学が判断すればよいでしょう。
次に面接を必須とすべきです。面接で尋ねることは、その大学を目指す理由と、将来の夢や展望です。東工大を例に取ると、仮に志願者が4000人いたとして、共通テストの点数をクリアした半数の2000人に面接を行います。東工大には教員が1200人ほどいますから、全教員で対応すれば不可能ではない数字です。もちろん、面接の公平性をどう確保するかという問題はあります。
これとは別に、もう一つの日本独特の壁として、一度入学させた学生は全員卒業させなくてはならないという考えが教員に根強くあることです。極端な話、二次試験は卒業できる能力を測るためだと私は見ていて、そのために難問を作り、1週間かけて採点するのは教員にとって大きな負担になっています。
もし途中で学習についていけなくなっても、退学ではなく、別のランクの大学に転校できるセーフティーネットを作れると良いと思います。アメリカにはそうした支援制度がありますが、我が国にではそのような対応は極めて難しいと考えられます。
冨永 三島先生がおっしゃるように、今、実態としては卒業がさほど難しくない状況にあります。入試の選抜方法だけでなく、「大学の教育とは何か」が改めて問われています。入学後にどのような教育を行うべきか、入り口である入試を考えることは、大学教育の質そのものを問い直すことになるのだと思います。
永田 われわれも2028年度入試改革により、3〜4年後には全員に面接する形にしなければならないと思っています。
さらに、今までの入試では面白くてユニークな学生を見つけにくいという思いが強いです。共通テストがこの国の入試の標準を形作っている一方で、それとは別に、あらゆる分野において研究をブレイクスルーさせるような、異能とも言える人材を見つけられるように入試を工夫したいと思います。
小林 かつて飛び級制度が話題になりましたが、異能を受け入れるとその学生が異能ではなくなってしまう、というのが日本の大学の特徴でした。だから異能は次々と海外の大学に進学してしまう。いわゆる“吹きこぼれ”の人をどう育てるかが日本の大学の課題のように思います。
冨永 ギフテッドの人をどう育てるかというのは非常に難しい問題だと思います。学士課程ではないのですが、本学では、特に優秀な若手研究者には教授の研究室に所属する「講座制」から出ていただき、独立研究環境を与える「研究ユニット制」を全学導入することが決まっています。欧米ではすでに行われている文化で、日本でもこうした研究体制を作っていきたいと思っています。


「選抜」から「選択」の時代が到来
小林 ギフテッドを研究体制で引き立てる一方、ボリュームゾーンにはどういう手立てが必要でしょうか。
永田 大学は社会に貢献するために存在しているので、どういう形で社会に貢献できる人材を育てているのかを各大学が明確にして発信すべきであって、そこにはレベルの差などというものはないのです。最近私は、選抜するのではなくて選択される大学になろうと言っています。
三島 永田先生の意見に大賛成です。なぜ私が初中等教育の話をしているかというと、今の初中等教育はあまりに差がなくて、違いは偏差値だけのようになっているからです。やりたいことが見つかる教育に変えていくのが一番の理想で、「あの大学でやりたいことがあるけど、偏差値が足りないから行かない」という状態だけは避けたいのです。
小林 1999年の中教審答申で示された「選抜から相互選択へ」という考え方が、ようやく現実のものとなる時代が到来したと言えるかもしれませんね。
そうすると、大学も社会にどう貢献できる人材を育てるのか、きちんとフラッグを立てていかなければいけないということですね。
冨永 そうですね、そのためには、各大学がどんな教育をしているか、社会に対してもっと「見える化」する必要があります。
小林 そうした社会への発信が、国の教育投資を引き出すためにも必要だと思います。
それでは最後に一言ずつお願いします。
永田 「教育が国を作る」というのは今も変わらぬ真実です。経済を回すのは人です。国も社会も、教育を最も重要な課題の一つとして真剣に考えるべきだと思います。
冨永 資源の少ない日本において、唯一の資源は「人」です。未来を担う人材の育成に、国はもっと教育に投資をしていただきたいと強く願います。
三島 私は日本の若者が将来より良い社会を作るための気概を胸に育ち、国際機関をはじめ世界中で活躍できるような教育が必要だと思います。国、大学、高校がそれぞれの立場で考え、実質的な連携により今こそその在り方を変えていく必要があります。
小林 高大接続や未来の入試、そして教育の根幹に関わる大変有意義な議論ができました。ありがとうございました。
(文/能地泰代)
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