【Interview】「知の探索」と「知の深化」。そのバランスがアントレプレナーシップ教育の要諦/早稲田大学大学院経営管理研究科 入山章栄教授
世界は大きな変革の時代に入っている。VUCA(「変動性Volatility」「不確実性Uncertainty」「複雑性Complexity」「曖昧性Ambiguity」)が世界規模のキーワードとなっているように、政治においてもビジネスにおいても教育においても、正解が見えないなかでどのように思考し、意思決定し、行動するかが、全ての組織・人材に強く問われている。
そこで重要視されているのがアントレプレナーシップだ。では、今、日本で求められるアントレプレナーシップとはどのようなものなのか、日本におけるアントレプレナーシップ教育の課題はどこにあるのか、その精神を備えた人材を育成するにはどのような取り組みが必要なのか。早稲田大学大学院経営管理研究科の教授であり、日本を代表する経営学者である入山章栄氏にお話を伺った。

アントレプレナーを増やすことは今や喫緊の課題
そもそも日本は主要先進国と比較して開業率(一定期間に新規開業した事業所の数がその期間の総事業所数に占める割合)が低いと言われている。図1に示した通り、2020年の日本の開業率は5.1%。フランス12.1%(2019年)、英国11.9%(2020年)、米国9.2%(2019年)、ドイツ9.1%(2019年)と、全て日本を大きく上回っている。

こうした現状を踏まえ、入山氏は、日本もさらなるアントレプレナーの創出が必要とされていると語る。
「諸外国と同様、日本でも経済成長のためにイノベーションが求められています。その担い手は主にスタートアップです。もちろん大企業・中堅企業がイノベーションに取り組むことも重要ではありますが、これらの企業はしがらみが多く、どうしても動きが鈍くなる。全くのゼロベースから、新しい組織、新しい人達こそが成長を牽引するのです。世界を見渡せば、その経済成長を担っているのはスタートアップですから。起業家達が経済成長を牽引してきたのは昔からなのですが、変化が激しくなり、不確実性が高まるなかで、今はより重要度が増してきています。日本でもスタートアップはそれなりに盛り上がってきてはいますが、まだまだ欧米や中国と比較すると数は少ない。日本経済は成長性が低いと言われるなか、このVUCA時代に経済成長を実現するためには、アントレプレナーの数を増やすことは喫緊の課題なのです」
社会構造の変革や教育によってアントレプレナーシップの養成は可能
では、なぜ日本ではスタートアップが生まれにくいのか。入山氏は、その大きな要因は、日本企業に長年浸透してきた終身雇用制度にあると指摘する。「失われた30年」を経て、終身雇用は崩壊したと言われることも多くなってきたが、そんな今でも、就社信仰は決してなくなってはいない。
「終身雇用への幻想があるために、日本には、大企業に勤めて管理職になることがエリートコースであるという考え方がまだまだ根強いです。しかし、米国などでは、今では自らビジネスを起こすことこそがエリートコースだと考えられています。日本でも、例えば、東京大学などでは、スタートアップを志す学生は多くなっていますが、地方の大学に目を向けると必ずしもそうではない。そもそも起業を志す学生や起業家が周りにいないし、保護者も反対しますよね。その結果、優秀な学生も、志望するのは都道府県庁、地元の地銀ということになってしまっています。結局、そういったメンタリティはピア効果によるところが大きい。当然ながら、東京の大学でだけアントレプレナーが増えればいいというものではありません。先ほども言ったようにスタートアップの数を圧倒的に増やしていくためには、全国の大学で、終身雇用を前提とした安定志向を払拭していくことが必要になるでしょう」
なお、日本人にアントレプレナーが少ないのは、遺伝的な要因が大きいとする考え方もある。しかし、入山氏は別の視点を提示する。
「例えば、日本人をはじめとするアジア人は、不安を和らげる効果を持つ神経伝達物質セロトニン運搬体の働きが弱いから、そもそも民族として起業には向かないという説もあります。しかし、一方で違った考え方もできないでしょうか。明治時代に社会変革を担った志士も、昭和の高度成長を牽引したソニーなどのベンチャー企業をゼロから立ち上げた経営者もみんな日本人なのですから。もちろん遺伝的要素がゼロだとは言いませんが、現状の起業の少なさは時代背景的な要因のほうがはるかに大きいと考えます。だから社会構造の変革や教育によってこうしたマインドを変えることは十分可能なのです」
会社が倒産することより恐ろしいのは個人の身に起きる「キャリアの倒産」
もうひとつ、日本で起業家が育ちにくい要因となっているのが「失敗」への不寛容さだ。前出の通り、日本は諸外国と比べて開業率が低いが、同時に廃業率も低い。これに対して、入山氏は、「もっと日本の会社はリスクを負ったほうがいい」と指摘する。
「もちろん会社を倒産させるのは辛いことではありますが、私はそれ以上に“キャリアの倒産”のほうがはるかに大きな問題だと考えます。事業が失敗しても、またチャレンジすればいいんです。それなのに、日本では、倒産を取り返しのつかないもののように捉えてしまう傾向があります。だから、失敗を極度に恐れてしまう。しかし、一度や二度失敗したところで個人のキャリアは続きます。失敗を恐れず、むしろそれを糧にして、いかに自らのキャリアを自分軸で伸ばしていけるか。このような考え方を醸成し、浸透させていくことが、これからの日本には重要になりますね」
さて、ここまで起業家を想定してアントレプレナーシップの議論を進めてきたが、アントレプレナーシップの定義は、広義にはその範囲にとどまらない。経済学者ジョセフ・シュンペーターは、この言葉を「イノベーションを起こす当事者」に必要とされる精神として定義している。当然、企業や組織に属しながらイノベーションを仕掛けるイントレプレナー(社内起業家)にもアントレプレナーシップは求められる。多くの企業で、成長のためのイノベーションが求められている今、アントレプレナーシップを自分とは無関係のものと言い切れる人はそう多くはないはずだ。「AIによって正解を出すことはできますが、イノベーションを起こすために人間に求められるのは、答えのない領域で失敗を恐れず挑戦すること。それが全てと言えます」
「知の探索」と「知の深化」。この2つのバランスがイノベーションの要諦
では、イノベーションの当事者に求められる力とはどのようなものなのか。入山氏は、「知の探索」「知の深化」というキーワードを使って次のように説明する(図2、図3)。


「知の探索とは、現在の認知の範囲外に新しい知を求めること。知の深化とは、既存の知を深掘りしていくことです。シュンペーターは、イノベーションについて、『新しい知とは常に、“既存の知”と別の“既存の知”の“新しい組み合せ”で生まれる』と説明しています。しかし、人の認知の範囲には限界がある。だから知の探索が必要となります。しかし、それだけではビジネスになりません。それによって生まれた新しい知を深掘りすること(知の深化)で、収益化を図ることができるのです。つまり、知の探索と知の深化を高いレベルでバランスよく実践できることが、イノベーションの当事者には求められるのです」
知の探索は、ビジネスパーソンであれば、異なる部門を幅広く経験すること、全く違う業種への転職、越境学習などが当てはまるだろう。学生であれば、自分の専門外の領域について学ぶこと、自分とは異なる背景を持つ多様な人から新しい知を得ることなどが当てはまる。
「ここで注意しなくてはいけないのは、多くの企業で実際に起きていることですが、不確実性が高くコストも高い知の探索をおろそかにして、人も組織も確実性が高くコストも低い知の深化に偏ってしまうことです。そうなると、中長期的にイノベーションは枯渇してしまう。これをコンピテンシー・トラップと言います。だから、知の探索と知の深化のバランスが大切なのです」
アントレプレナーを養成する大学自体にアントレプレナーシップが求められる
このような人材を育成するために、今後、日本の教育に求められるものは何だろうか。入山氏は、まず重要になるのは、小中学生など若年層に向けた、失敗を恐れないマインドや、多様性を受け入れ、自分の認知の範囲を広げる行動力などを醸成する教育が重要になると指摘する。そのうえで、高等教育機関にもアントレプレナーシップ教育の主体として、社会的な役割を担うことが求められるという。
「ただし、既存の大学教育は知の深化に偏りがちな面があります。学生に知の探索に必要な力も身につけさせるためには抜本的な改革が必要でしょう。そういった意味で、今、私が注目しているのはiU(情報経営イノベーション専門職大学)や武蔵野大学アントレプレナーシップ学部など。本気でアントレプレナーシップ教育に取り組むなら、既存の大学組織のしがらみのない、新設大学や新設学部こそがふさわしいのではないでしょうか」
アントレプレナーシップ教育に取り組む大学自体にもアントレプレナーシップが求められるということだ。
また、アントレプレナーシップは若い層だけではなく、全世代に求められる。そこで重要になるのが、MBA(ビジネススクール)など社会人を対象とした大学院だ。日本のビジネスの古い価値観や慣習から脱却し、アントレプレナーシップを養うための教育に力を入れていくことが今後より重要になってくると、入山氏は大学への期待を語る。
(文/伊藤 敬太郎)
【印刷用記事】
【Interview】「知の探索」と「知の深化」。そのバランスがアントレプレナーシップ教育の要諦/早稲田大学大学院経営管理研究科 入山章栄教授
