大学を強くする「大学経営改革」[109]マクロ経済環境の大転換と大学経営の課題~インフレが迫る変革と再編・撤退~ 吉武博通

吉武博通 学校法人東京家政学院理事長・筑波大学名誉教授

30年続いた長期デフレからインフレへの大転換

 「失われた30年」に象徴される長期デフレが一転し、物価上昇が国民の生活を直撃し、物価高対策が最重要な政策課題の一つとされている。

 消費者物価指数(CPI)前年比の長期推移をみると、1994年に1%を割り込み、0.7%になって以降、2021年までの28年間で1%を超えたのはわずか3年にとどまる。あとの25年間、物価上昇率は概ねゼロ近傍(-1.4%から+1.0%)で推移してきたことがわかる。(表1)


【表1】消費者物価総合指数 前年比の推移(1991年〜2025年)

 同様に、一般労働者の現金給与総額も、1998年に-0.9%と前年を下回って以降、2021年までは概ね前年比1%以下に抑えられており、マイナスの年も8回を数える。(厚生労働省『毎月勤労統計調査年平均結果の推移』)

 ところが一転して、CPIは2022年に前年比+2.5%を記録。それ以降、23年は+3.2%、24年+2.7%、25年+3.2と、2%を上回る上昇が続いている。同様に現金給与総額も2022年に+2.3%となり、23年にやや勢いが弱まるが、24年+3.2%、25年+2.9%とこちらも上昇基調にある。

 日本銀行も2026年1月の『経済・物価情勢の展望』(年4回公表)のなかで、「賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムは維持され、消費者物価の基調的な上昇率は、緩やかな上昇が続くと見込まれる」と述べている。

 残念ながら、足元では物価上昇に賃金の上昇が追いつかず、実質賃金の低下が続いており、国民の暮らし向きに対する認識が好転するまでには至っていない。

 最大の関心は、物価上昇が今後も続くのか、仮に続くとしたら物価上昇と賃金上昇の好循環により、国民の暮らし向きが持続的に改善するのかという点である。

 前者に関しては、日銀が2025年12月に行った『生活意識に関するアンケート調査』において、5年後の物価について「上がる」と回答した人の割合が8割を超えている。長期にわたり物価上昇が続くとの認識が広がっていることが分かる。

 マクロ経済学が専門の渡辺努東京大学名誉教授はその著書において、物価と賃金が毎年据え置かれる経済現象としての慢性インフレが1990年代半ばに始まり、30年余り続いたとし、「22年春に、ようやく、物価・賃金・金利の正常化が始まった」と述べている。そして、今回のインフレは単なる輸入インフレではなく、起こるべくして起きたインフレであるとの認識を示したうえで、「インフレの到来は日本にとって前向きな変化である」とし、持続的なインフレによる「価格メカニズムの正常化」「実質為替レートの正常化」「政府債務の正常化」への期待を表明している。(渡辺努『インフレの時代』中央公論新社,2026)

 LSE(London School of Economics)のチャールズ・グッドハート名誉教授らも、著書で「人口構成とグローバル化の決定要因(特に中国の役割)が過去30年にわたるディスインフレ圧力の主な理由である」としたうえで、「世界の多くの国々で明らかになってきている出生率の低下と高齢化のプロセスが今までの根強いディスインフレ(インフレ抑制)基調から、今後数十年にわたるインフレ圧力の復活へと転換させ、そしておそらく実質金利の上昇をもたらすことになる」と述べている。(チャールズ・グッドハート&マノジ・プラダン(澁谷浩訳『) 人口大逆転』日本経済新聞出版社,2022)

物価・人件費上昇が研究活動と病院経営に打撃

 両著の通りにインフレが今後長期にわたり続くかどうかについては様々な見方があると思われるが、日本に関する限り、30年間にわたる長期デフレの間に形成されたマインドからの転換が求められていることは確かである。

 財政制度等審議会が2025年12月に示した『令和8年度予算の編成等に関する建議』でも、わが国の経済が供給制約に直面しているとの認識を示したうえで、「GDPギャップがプラスに転じ、物価が上昇する経済状況においては、経済財政政策のあり方を変える必要がある」と述べている。

 長期デフレからインフレへの転換は、大学における教育研究活動、附属病院経営及びこれらの基盤となる法人経営にも大きな影響を与えつつある。

 科学技術・学術政策研究所『科学技術の状況に係る総合的意識調査(NISTEP定点調査2024)』は、第一線で研究開発に取り組む研究者や有識者を対象とした5年間の継続的な意識調査である。2024年度は4回目の調査に当たるが、円安及び人件費・光熱費・物価高騰が研究環境に深刻な影響を及ぼしている現状が明らかになっている。

 自由記述では、「人件費と物価の上昇により研究活動に投下する基盤的経費が減少し、基本的な活動を維持することすら困難になった」「競争的資金である科研費の金額が上がっておらず、科研費の規模で実施可能な研究プロジェクトの規模が以前と比べて小さくなっている」といった強い危機感が示されている。

 大学病院の経営も急速に悪化している。国公私立の大学病院全体の経常収支は2022年度まで費用が収益を上回ることはなかったが、2023年度にマイナスに転じ(▲168億円)、2024年度には▲508億円まで赤字幅が拡大している。(2025年10月27日国立大学病院長会議日本記者クラブ会見資料より)

 国立大学病院では、2016年より共同調達事業をスタートさせているが、近年各地の病院機構等の参加が相次いだことを受けて、2025年12月に「公共的医療機関経営力強化研究機構」を一般社団法人として設立。共同調達事業を中心に経営体制の強化に協力して取り組む方針を打ち出している。(2025年12月19日国立大学病院長会議記者会見資料より)

私立大学は3年で10%を超える経費増

 国立大学法人の経営においては、物価上昇に加えて人事院勧告への対応も極めて難しい課題となっている。2004年の法人化により国立大学の教職員は非公務員となったが、多くの大学において人事院勧告に沿った給与改定が行われてきた。

 行政職(一)職員の平均年間給与の対前年増減率を2015年勧告から辿ると、2022年までは1%未満にとどまっていたが、2023年+1.6%、2024年+3.4%、2025年+3.8%と直近2年で大きく増加している。(人事院『本年の給与勧告のポイントと給与勧告の仕組み』2025年7月)

 その一方で、国からの運営費交付金は2025年度当初予算まで増額が行われず、同年度の補正予算及び2026年度予算原案において増額措置がとられたものの、勧告に沿った給与改定を見送ったり改定時期をずらしたりすることで人件費増を抑制する大学も多い。教職員の士気や組織の活力の低下が危惧されるところである。

 公立大学は設置自治体の状況や政策による部分が大きく、私立大学についても個々の実情を把握することは難しいが、少なくとも物価上昇が収支にネガティブな影響を及ぼしつつあることは想像に難くない。

 日本私立学校振興・共済事業団『令和7年版今日の私学財政』(以下「私学財政」)収録の「医歯系大学を除く大学部門の事業活動収支」を確認すると、2020年度を100とした場合の2024年度の値は、人件費が103.4と小幅な上昇にとどまる一方で、減価償却費を除いた場合の教育研究経費は112.9、管理経費は117.1と共に大きく増加している。これに対して学生生徒等納付金は102.6となっている。(表2)


【表2】医歯系大学を除く大学部門の事業活動収支状況より

 人件費を抑制しつつ、教育研究活動に支出を振り向けたと解することもできるが、管理経費が大きく上昇していることを考えると物価上昇の影響が表れている可能性は高い。

 筆者自身も学校法人経営に当たるなか、業務委託契約等の改定時に値上げを求められることが増えており、デフレマインドからの転換を強く迫られていることを実感している。

インフレによる影響の可視化と将来財務試算

 これまで物価・賃金を中心にマクロ経済環境の変化と大学経営への影響についてみてきたが、2022年を境に日本経済が長期デフレからインフレ基調に転換しているという現実を、経営層及び教職員が直視し、教育研究や病院運営などの現場で起きていることを正しく認識しておく必要がある。

 大学が教員に配分する研究費に関しては、国立大学の場合、法人化当初の水準から既に大幅に減額されているケースが多い。加えての物価上昇であり、そのダメージは極めて深刻である。公立大学や私立大学でも配分額自体に大きな変動はなくとも、物価上昇は研究活動に少なからぬ影響を与えているはずである。学部・研究科等に配分される教育費についても同様である。

 人件費に関しては、国立大学において人事院勧告に沿った給与改定が難しくなりつつある現状を紹介したが、前掲の「私学財政」によると私立大学の人件費についても大きな増額は見られない。

 私立大学の教職員の給与水準は大学間で開きが大きいといわれている。民間企業等と比べても高い水準にある大学がある一方で、低水準の大学も少なくない。前者については水準自体が既に高いことから増額への抑制が働き、後者については厳しい財政状況から増額したくともできないといった状況があるものと推測される。

 重要なことは、先述のとおり、インフレへの転換が自校の経営及び教育研究活動に如何なる影響を及ぼしつつあるかを正確に把握することであり、それを可視化し、共有することである。そのうえで、長期化した場合に生じる事態を予測し、財務シミュレーションを行っておく必要がある。このプロセス自体が長期インフレで染みついたマインドからの転換を促すことにもなる。

人件費と外部調達コストの適正化をどう進めるか

 費用は単価と数量の積である。インフレ下で費用支出を抑えるためには、単価の抑制と数量の削減の両面での検討が必要となる。

 まず人件費について、単価の側面から考えてみたい。民間主要企業における春季賃上げ率は、2002年から13年まで1%台、14年から22年まで概ね2%台で推移してきたが、23年3.60%、24年5.33%、25年5.52%と急速に上昇しつつある。26年に関しても本稿執筆時点で前年並みの高い賃上げが実現すると見込まれている。

 これらの状況を踏まえて、教職員の採用や処遇を考える必要があるが、大学の場合、企業のように短期間に収益を増加させたり、労働生産性を向上させたりすることは容易ではない。高等教育全体あるいは競合校との比較などを通して自校の適正な給与水準をどこに置くか、慎重に見極める必要がある。

 人件費を数量の側面から考えると、教員と職員それぞれの将来的な適正数を設定し、それを実現するための人員計画を策定し、着実に実行することがこれまでにも増して強く求められる。その前提として学生本位の視点に立った教育改革と大学業務の構造改革は必須である。

 教育研究経費と管理経費についても、支出項目ごとに単価と数量の両面からの棚卸しを通して、外部調達コストの最適化を図っていく必要がある。教育や学生支援の質の維持・向上、大学に対する多様な要請への対応、教職員の職場環境の確保などを考えると、費用抑制は容易ではない。AIをはじめとするデジタル技術の活用、設置形態や大学を超えての共同調達やシステムの共通化など、従来の枠組みにとらわれない新たな発想による取り組みが求められる。

 建設費用の上昇も校舎の新設や建替えなどに大きな影響を及ぼすものと思われる。国土交通省が公表する建設工事費デフレーター(非住宅総合、2015年度を100)は、2021年4月の109.1が、2025年11月には132.2まで高騰している。建設計画の見直しを迫られるケースも増えてくるであろう。

 既存の施設を長く快適に活用するための施設管理の高度化を含む、ファシリティマネジメントの強化が重要になってくる。

学費値上げを進める大学とジレンマを抱える大学

 インフレ時代においては、学費値上げも大きな課題である。国立大学では文部科学省が定める標準年額 53万5800円を上限の120%まで引き上げる動きが首都圏の大学を中心に見られるが、値上げに慎重な大学も依然として多い。

 私立大学に関しては、文科省が私学事業団のデータを基に公表(2021年度より隔年)している初年度学生納付金等平均額を見る限り、2023年度は21年度比+0.6%、25年度は23年度比+1.2%と物価上昇に比べると抑制的な対応をとっている様子が窺える。

 物価上昇を踏まえて2年次以降に授業料等の値上げを行う学費スライド制を導入している大学も少なくない。長期デフレ下で据え置かれた学費を消費者物価等の動向を踏まえて値上げするケースも今後広がっていくことものと思われる。

 名目賃金の上昇に対して実質賃金のマイナスが続くなか、学費値上げを行うことに社会から厳しい目が注がれることも予想されるが、インフレ時代において様々な経営努力を行ったうえでの値上げであれば合理的な経営判断と言えるだろう。値上げを契機に教育研究活動を一層充実させ、学生や社会の期待に応えることこそが求められている。

 その一方で、既に定員割れ状態にあるなど、学費値上げより学生確保を優先せざるを得ない大学もあるだろう。そのためには、自校の特色を際立たせ、多様化する学生にきめ細かに対応するなど、高校生に選ばれる大学になる必要がある。相応の費用投入が不可欠であることは言うまでもないが、インフレ下において、このような取り組みの難度は格段に増してくる。ここに大きなジレンマがある。

 インフレは大学に厳しく変革を迫り、再編・撤退を加速させるだろう。だからといって易々と退出すれば良いというものでもない。わが国の将来を見据えたうえで、高等教育全体をシステムとして発展させていくなかで、自校が培ってきたリソースをどう活かすか。そのような視点に立って戦略を構想し、大胆に変革を行う必要がある。

 渡辺努氏は前掲書のなかで、「来るべき「インフレの時代」とは、価格メカニズムの復活によって経済のダイナミズムが改善する一方で、その裏側として格差の拡大を伴う時代なのである」と述べている。

 今起きていることが、氏が主張するように「前向きな変化」なのか、それとも長期デフレで染みついたマインドを転換させられず、当惑と混乱のまま「失われた30年」を40年、50年と延ばしていくことになるのか。日本も大学も大きな岐路にある。



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大学を強くする「大学経営改革」[109]マクロ経済環境の大転換と大学経営の課題~インフレが迫る変革と再編・撤退~ 吉武博通