女子大が挑む「アンコンシャス・バイアス」の打破―日本初の女子大「理工学部」開設の挑戦

2025年12月31日竣工 安田女子大学2号館
2025年4月、安田女子大学(広島県広島市)は、日本初の女子大「理工学部」を開設した。生物科学科、情報科学科、建築学科(入学定員は各60名)の3学科からなる構成で、初年度全ての学科で入学定員を充足するという、好調なスタートを切った。本稿では、「女子大がなぜ今、理工系に進出することにしたのか。そして、未知の領域においていかにして成功を収めることができたのか」について、取材に基づき考察したい。
- 「アンコンシャス・バイアス」への挑戦と社会課題の解決のための新学部設置
- 潜在層(文系選択者)をメインに据えた逆説的な募集戦略が奏功
- 「日本初」女子大による理工学部設置のインパクトを重視した経営戦略
1.これまでのマーケット戦略と「規模拡大」の系譜
安田女子大学(以下、安田女子)の歴史を振り返ると、もともとは短期大学も併設する、文系の単科大学であった。しかし、2000年代以降社会のニーズと受験生マーケットの動向を冷静に見極め、ニーズが見込めるものを手堅く設置しながら規模を拡大させてきた経緯がある。例えば2003年に設置された現代ビジネス学部は、当時の女子大としては珍しい「経済学関係」の学部設置であった。これは「総合職として企業に就職したい」という女子学生のニーズを踏まえたうえでの決定であった。また、女子学生の進路選択の多様性に対応するためにも必要な策であったといえる。その後も、医療系職種の高度化を睨み、薬学部(2007年)や看護学部(2014年)を相次いで設置してきた。これらも全て、あくまでもその分野を学びたい女子学生が増える見込みという、成熟しそうなマーケットニーズを前提として始まっている。いわば「勝てる市場」を確実に捉えるのが、これまでの安田女子の成功の方程式であった。

(提供:安田女子大学)
2.「顕在層」の不在と、進路選択の構造的課題
しかし、今回の理工学部設置は、これまでの「手堅い」路線とは異なる。背景として、広島を中心とした地元の大手製造業の「理工系の女子学生を採用したい」という強い「出口」のニーズは以前から存在していた。しかし、肝心の入口である「女子の理学・工学への進学者数」は全国的に見ても頭打ちであり、女子学生自身がその分野へ進もうとするニーズは、医療系やビジネス系ほど顕在化していなかった。
広島県内の進学環境を見ても構造的な課題がある。市内の大規模私立大学(入学定員1000名以上)は安田女子を含めて3校あるが、共学の広島修道大学には理工系学部がない。広島工業大学は伝統的に男性比率が高い。安田女子には以前から医療系や生活科学の分野はあったが、本格的な理工系の学部はなかった。女子高校生が将来の職を見すえて「地元に残る」ことを希望すると、おのずと文系か医療系の学部学科に選択肢が絞られてしまうという現象が起きていたのである。こうした状況下で、近隣の工業大学や工学部へ進学している女子(顕在層)を全員受け入れたとしても、180名という募集枠を埋めることは難しいことは明らかであった。
3.アンコンシャス・バイアスの打破
では、なぜ安田女子は、このリスクの大きな挑戦に踏み切ったのか。その意思決定において尊重されたのは、教職員達が抱えていた「現場のモヤモヤ」であった。進学相談会や高校でのガイダンスにおいて女子高校生やその保護者、高校教員と話すと、「理工系の仕事は男性が中心で、女子の仕事ではない」といったイメージが、未だに根強いことが度々話題にあがっていた。一方で、安田女子には既存の文系・生活科学系学部の出身者でも、独学や企業研修を経てSE、建築士、食品開発、あるいは研究職として理系分野で活躍している卒業生が一定程度存在し、企業からも継続的な採用実績があった。IT業界ではリモートワーク等柔軟な働き方が浸透しており、給与水準も高い。研究職であれば、一度スキルを身につければライフステージの変化に合わせて転職もしやすい。加えて中四国の製造業からも女子の理工系人材には根強いニーズがある。こうした「理工系職種への社会的ニーズ」と「女子高校生の意識」の間にあるギャップこそが、解消すべき課題ではないか。学生たちが抱く「自分には無理」というアンコンシャス・バイアスを打破し、女性の活躍の場を広げるために設置構想は始動した。
その具現化において重視されたのが、「初手のインパクト」である。「アンコンシャス・バイアスを打破する」という高い目標を掲げた以上、学生が卒業後に活躍するフィールドはできるだけ広いほうがよく、かつ学科のラインナップが多ければ、それだけ分野を横断し相互に学修できる条件も揃う。検討段階では文理融合型や副専攻制案もあったが、最終的には女性が進出しやすく、卒業後のフィールドが広い「生物科学科」「情報科学科」「建築学科」の3学科構成に決着した。女子大が「理工学部」を設置するのは日本初のことであり、1学科ずつ作っていくという慎重論もあったものの、あえて3学科同時に立ち上げた点も戦略的だ。「女性の理工系での活躍」という共通項で束ねれば3学科同時開設にインパクトが付され、むしろ今後の発展を期待してもらえるような初手であることを重要視したのである。
4.「文系こそターゲット」という逆説的な募集戦略
既存の市場序列に組み込まれることなく、いかにして新市場を定義し、開拓に成功したのか。その募集戦略の本質は、「理工系志望の女子(顕在層)」へのアプローチに留まらず、「進路選択の過程で文系を選択した潜在的理系女子」の掘り起こしを最優先課題に置いた点にある。統計(※1)によれば、高1段階で高い理系リテラシーを持つ女子生徒は約40%(20万人)にのぼるが、大学入学時に理工農系へ進むのはわずか5%(2.6万人)に過ぎない。この「17万人のギャップ」こそが、理系から離れた潜在層であり、同エリアにも十分な潜在層がいることが窺える。他校既設の理工系学部もこの層を意識はしているが、メインターゲットはあくまで「(受験科目の事情で)理数系を仕上げてきた層」に置かざるを得ず、潜在層は「不足を埋める」の域を出なかった。対して、後発である安田女子は、この潜在層を「戦略的ターゲット」と定義。彼女らの特性に最適化したカリキュラムをゼロベースで設計できる強みを活かした。(※1 Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ p15)

(提供:安田女子大学)
ここで重要なのは、「文系でも学べる」「数学が苦手でも学べる」とやみくもに入口のハードルを下げることではない。狙ったのは、理数系科目はもともと好き、苦手ではない、思い出せばできるという層。一度は離れたものの「理数系科目が嫌いではない層」を再び理系の学びへと動機付けすることだ。この戦略が奏功したことは入試結果にも表れている。一般入試において理数系科目を受験科目として選択した者は8割にのぼった。潜在的なボリュームのあるターゲットを「補完」ではなく「主軸」に据えた点が狙い通りの層を動かしたと言える。

(提供:安田女子大学)
おわりに:新たな学部学科をつくるとは?
安田女子の理工学部の成功を振り返ると、長年日本の教育現場や家庭に根ざしてきた「理工系は男性の領域」というアンコンシャス・バイアスに対し、女子大というプラットフォームが有効に機能することを示そうとする好例といえる。学生募集上のメインターゲットをサイレント・マジョリティー(潜在的多数派)に移したことも募集成功には欠かせない視点であった。顕在化したニーズは誰もが取り込みたいが、競合も多く、実績や伝統があるプレイヤーが有利でもある。ただし、そのニーズが必ずしも多数派でないことに気づいているケースは稀だろう。特に理工系においては既設学部で固定化された男女比や従前のプログラムでは拾いきれないニーズがあった。既存の理工系大学が「リケジョ」のプロモーションや入試の女子枠を設定して、女子学生の進学を後押しするも、この10年間で女子の工学系への進学者数はわずか2600人増(約8400人/2015年→約11000人/2024年)に過ぎず、社会科学系が同時期で6000人増加したことに比すと、いかに既存の枠組みに新たな層を迎え入れることが難しいかが分かる。新たな学部学科を作るとは、既存の仕組みや枠組みではやりたくてもできないことに挑戦することである。大学進学者数の減少を目前に、顕在層の取り合いでは消耗戦となり、地域に多様な教育機会が存在することを妨げる。地域とともに新たな「流れ」をつくるために、安田女子では理工系分野に「大学が覚悟をもって“かたち”を作る必要がある」と示した。3つの「初手」から大きく発展されていくことを期待したい。
文/西村紗智(2026/4/24)
