【interview】探究が拓く高大接続と教育デザインの未来


本稿では探究学習の今とこれからについて有識者・実践者にインタビューし、質の高い良い探究とは何か、どのように実現できるのか、推進校の特徴は何か等を探る。

POINT
  • 国際バカロレア(IB)は国際バカロレア機構(スイス・ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラム。世界の複雑さを理解して対処できる生徒を育成し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身につけさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格を与え、大学進学へのルートを確保することを目的として1968年から設置されている。
    引用:文部科学省IB教育推進コンソーシアム https://ibconsortium.mext.go.jp/
  • 「日本再興戦略 -JAPAN is BACK-」(平成25年6月14日閣議決定)において2018年までに国際バカロレア(DP)認定校等を200校に大幅に増加させる目標が掲げられた
  • 知識偏重の学力ではなく、社会の前線で自ら多角的に分析し、判断できる「探究学力・研究学力」を高校段階から培うために、IBの仕組みが注目されてきた
  • 「自分で問いを立てること」ばかりが重要なのではなく、自らの問いでも与えられた問いでもプロセスのオーナーシップを生徒が持っていること、教員がファシリテーターとティーチャーの良い塩梅をデザインできている活動が「良い探究」の条件
  • 大学は探究学習で共に問いに挑み、シームレスに大学教育につなぐための初年次教育設計を

岡山理科大学

教育学部 教授

Datta Shammi (ダッタ・シャミ)氏

岡山理科大学 教育学部 教授・教育学部長・IBディレクター・新学部設置座長/国立台湾師範大学・大学院、客員教授/日本国際バカロレア教育学会 副会長/文部科学省 - IB Consortium/教育委員会・学校改革アドバイザー/ International Education Lab 教育アナリスト 兼 客員研究員/ならまちリーグアドバイザー 等
(前)東京学芸大学 教職大学院 IB教員養成ディレクター/関西学院千里国際中・高IB部長
中学までインド、その後東京のインターナショナルスクールで国際バカロレア(IB)教育を受ける。物理の道に進むことが決まっていたが、深く考えさせられる高3の日本史の授業の影響を受け、社会科教諭(日本史)の道へ。国内外の大学・大学院で日本史と教育を専攻。大阪の中高で日英バイリンガル社会科とIB教諭・IB部長、専門分野は教育学と社会科学。東京学芸大学教職大学院准教授・IB教員養成ディレクターを経て、現職。複数の教育委員会や学校のカリキュラムデザインや学校改革に関わっている。



―国際バカロレア(IB)はなぜ探究を大事にしているのでしょうか。

 「なぜ今、探究が必要なのか」という問いをよく耳にしますが、IBの視点から言えば、探究は『今になって急に必要になったもの』ではありません。IBの歴史を紐解くと、特定の国に固執しないインターナショナルなカリキュラムを作ろうとした創設期の1960年代から、既に探究は教育の根幹に据えられていました。

 私の考えでは、「教育は10割モチベーション」であり、教員の最も重要な役割は学習者のモチベーションに火をつけることです。そしてそのモチベーションは、全て「問い」から生まれます。自分の中から湧き出る問いはもちろん、プロの教員が提示した問いであっても、それをきっかけに学習者自身が「知りたい」というオーナーシップ(当事者意識)を持てば、学びは学校や教師の枠組みを遥かに超えて広がっていきます。

 VUCAと呼ばれる現代社会を生き抜くためには、物事を俯瞰する「鳥の目」、細部を注視する「虫の目」、時代の流れを掴む「魚の目」、そして見えないところに道を作る「モグラの目」という多角的な視点が必要です。こうした多角的な分析を行うための「研究基盤型の学び(Research-based learning)」を支えるマインドこそが探究であり、時代を超えて普遍的に求められる教育の本質なのです。

 日本政府がIB認定校・候補校の設置を強力に推進してきた背景にも、こうした時代への対応があります。つまり、既存教育では国際社会で戦えないという危機感です。知識偏重の学力ではなく、社会の前線で自ら多角的に分析し、判断できる「探究学力・研究学力」を高校段階から培うために、IBの仕組みが注目されたのです。


IB(DP:16-19歳対象)の全体図と3つのコアカリキュラム




―IB等の実践を多く手掛けてきた先生から見て、良い探究とは何でしょうか。

 教育界では「自分で問いを立てること」ばかりが神聖視されがちですが、私は必ずしもそれだけが良い探究の条件だとは思いません。良い探究とは、アプローチの手法に応じて柔軟にデザインされるべきであり、大きく分けて二つの優れた実践例があります。

 一つ目は、教員が適切にフレームを構成する「構造化された探究(Structured inquiry)」や「チーム探究(Group inquiry)」です。

 例えば、私が関わったある高校では、生徒の学習状況に合わせて完全なオープン形式ではなく、地域課題等のテーマ例を教員側が提示する手法も取りました。教員が安心して伴走できる環境を整え、カリキュラムデザインに4〜5年をかけてじっくり取り組んだ結果、特進クラスの国公立・難関私大への合格率が飛躍的に向上しました。また、別の高校では、授業の導入で「台湾は国なのか」といった高度な「問い」を教員が提示し、歴史の背景を多角的に掘り下げていくという非常に質の高い探究実践も行われています。

 二つ目は、生徒一人ひとりが自身の「リサーチ・クエスチョン」を設定し、グローバルスタンダードや教員・学校が設定するスタンダードに挑戦する「個人探究(Open inquiry)」です。

 これを行う学校では、大学や企業も巻き込みながら個人探究を進める例も多いです。ここで極めて重要になるのが、単に事実を並べるだけでなく、「集めた資料を評価・分析しながら活用する情報リテラシー」をカリキュラムに組み込むことです。このアカデミックスキルが高校段階で身についていれば、大学のゼミにそのまま直結するハイレベルな探究となります。

 StructuredとOpenの間に両方の様相を含めたGuided inquiryもありますが、いずれの形態であっても、完璧な成功ストーリーを回すのを目的とせず、プロセスにおける「つまずき」や「うまくいかなかったこと」を隠さずに捉え、そこから新たな問いを見いだしていくプロセスこそが、深い探究サイクル(Inquiry cycle)と言えます。

―こうした探究学習を軸に大学と高校がつながるためには何が必要なのでしょうか。

 高校までの探究学習と大学教育をシームレスに接続するためには、大学側が高校の実践を「見に行く」だけでなく、高校の教育そのものに伴走するような「高大連携」の質的転換が必要です。生徒が取り組む探究のプロセスを学校の先生方が丁寧に大学側へ説明し、実際に足を運んでもらう取り組みをする結果、中堅大学から難関私大がそれらの学校の探究のプロセスを高く評価するようになります。そうすることで、高校での教育成果が大学入試でストレートに評価される好循環が生まれます。

 また、高校の現場においては「教え方の二項対立」を解消する必要があります。日本の教育現場では「探究学習では先生は教えてはいけない」「ファシリテーターに徹するべきだ」という極端な誤解が蔓延しています。しかし、世界で優れた成果を出しているIB校でも、実際は6割近くの時間で教員が質の高いティーチング(双方向の講義)を行う例も多々見受けられます。生徒が自走するためには適切な知識のインプットが不可欠であり、「ティーチング」と「ファシリテーション」の絶妙な塩梅を、教員自身がデザインできるようにならなければなりません。

 さらに、大学側にも大きな課題があります。高校時代に探究学習で「自ら問いを立て、ワクワクしながら学ぶ楽しさ」を知った生徒達が、大学に入学した途端、大教室でただ教員が一方的にしゃべるだけの退屈な講義を前にして、がっかりして大学に来なくなってしまうという「ミスマッチ」が実際に起きています。大学側は、せっかく育った探究マインドをさらに深化させられるよう、1年次の基盤教育の段階から少人数の探究ゼミを必修化する等、受け皿となる大学教育自体の質的転換を急がねばなりません。既にそれを実施している大学もあり、例えば現所属の教育学部には1年生から探究ゼミがあります。

―大学入試で探究が評価しにくいのはなぜなのでしょうか。

 近年、総合型選抜や学校推薦型選抜といったいわゆる「年内入試」の割合が半分を超え、入試の景色は大きく変わりました。しかし、現状の入試システムにおいて、探究の成果を客観的かつ公平に評価することは極めて困難です。最大の理由は、日本国内において知識学力と探究力を同時に測る共通の「客観的な評価指標」が存在しない点にあります。

 そのため、多くの大学は「どこそこのコンテストで賞を取った」という外部業者の実績や肩書きに頼らざるを得なくなっています。その結果、言葉は悪いですが、総合型選抜のために「賞を獲らせる専門の外部業者」に丸投げし、体裁だけを整えて背伸びをして難関大に合格してしまうケースが後を絶ちません。こうした学生は、入学後の追跡調査で学問への適応に苦しんでいることが明らかになっており、大学側が選抜に慎重になる一因となっています。外部の専門家を高校教育に入れるのは大いに結構なことですが、生徒自身に知識学力を踏まえた探究・研究のコンピテンシーが身につく展開であってほしいですね。

 一方で、IBがなぜ世界の大学から高く評価されるかと言えば、圧倒的な「質保証の仕組み」があるからです。IBの最終評価(DP)は、一発の試験だけでなく、2年間の学びのプロセスをよく知る学校の教員がつける「内部評価(学校ベースの評価)」が2割程度を占めます。そして、その内部評価が甘すぎたり厳しすぎたりしないよう、生徒の作品をランダムに抽出して世界共通の外部機関がモニタリングし、スコアを修正する「モデレーション」という極めて厳格なシステムが組まれています。だからこそ、大学側はIBのスコアを信頼し、安心して入学許可を出すことができるのです。

 今の日本の大学入試において、こうしたプロセスや多角的な分析力を測ろうとすれば、各大学が膨大な人件費と時間を割いて、書類や面接審査を個別に行うしかありません。多様な学生を確保したい予算のある難関大は、この「赤字覚悟の丁寧な入試」を維持し、志望理由書から学生の「つまずきと気づきのストーリー」を読み解く努力をしています。しかし、志願者数の確保や経営の安定を最優先せざるを得ない多くの中堅大学にとっては、こうした手間のかかる評価体制を構築することは非常に難しく、これが「探究を評価したくてもごく少数の出願者に対してしかできない」二極化の現実を生み出しているのです。


取材・文/研究員 鹿島 梓(2026/7/24)