【Interview】探究は自ら打席に立ちバットを振るトレーニング(前編)


本稿では探究学習の今とこれからについて有識者・実践者にインタビューし、質の高い良い探究とは何か、どのように実現できるのか、推進校の特徴は何か等を探る。

POINT

桜美林大学

学長補佐・入学部部長

高原幸治氏

大学卒業後、中高生を対象とした国際交流や留学を企画・運営する会社を経て、2002年学校法人桜美林学園入職。国際交流、改組準備室、就職支援、学生支援などの部署を経て2018年から現職。2021年からは学長補佐も兼務。
共著『探究が変わる、高校と大学のつながり』(学事出版)

株式会社DISCOVERY STUDIO代表取締役

今村 亮氏

学生時代より認定NPO法人カタリバで活動。2019年に独立し「ディスカバ!」を立ち上げ、2020年に東京都の創業支援事業に選出され法人設立。年間のべ4万人以上の高校生に探究プログラムを提供。
ディスカバ!公式サイト https://discova.jp/



―今の高校教育において探究が必要な理由を改めて教えてください。

今村氏:まずは大きな社会構造の変化があります。2000年代初頭までの人口増加や情報社会化という発展フェーズから社会の流れが大きく変わり、学習のあり方にも変化が求められるようになりました。

 さらに、ここ1〜2年で決定的な変化をもたらしているのが「生成AI」の爆発的な進展です。子どもたちは日々の生活や学習のプロセスのなかで生成AIによる影響を受けています。思考そのものの代替をAIがやってしまうようになると、自分で問いを立てて学びを組み立てる、探究のような「自分が主語の学び」の重要性が増すのは当然です。意識的に「自分で考える場」「自ら動く機会」を設けないと、子どもたちは本当に考えなくなってしまう。ゆえに、探究の重要性は大きくなっているのです。

―では、探究を通じて、私たちは生徒のなかに「何」を育成しようとしているのでしょうか。

高原氏:本質的には「大人が日々社会で生きていくためのベース」を訓練しているのだと考えています。

 私たちは社会に出て組織で働くようになると、社会課題を解決したり、誰かの不安や不満を解消したりすることをビジネスとして展開し、その対価として生活の糧を得るようになります。この一連の「課題解決のサイクル」は、今の社会構造のなかで生きていく以上、一生やり続けざるを得ないものです。

 仮に、課題解決の具体的な作業自体をAIが代替してくれるようになったとしても、「ことの発信」は人間にしかできません。人間が問いを立て、プロンプトを書くからこそAIは動きます。そしてその問いの先にあるのは、どこまでいっても「人の感情に関する課題や不安をどう解決するか」という人間的な領域です。

 これからの社会を生き抜くためには、教科主語だけではなく(教科信仰は強いので、それもあるけど、探究も大事という意味です)、子ども自身が主語となり、主体性をもって考え、自らを起点とした学びのサイクルを回す練習をたくさん積んでおくことが必要不可欠なのです。

 これまでは、ペーパーテストの学力が高い子どもたちは、結果としてこうした思考力等も自然と身につけているだろうという暗黙の前提がありました。だから大学も企業も「学力が高い人から順番に取っていけばいい」という考え方でした。

 しかし、今の時代、従来の学力指標だけでは不十分であることは、各所で指摘されていることです。社会で活躍するためのコアな能力が求められているからこそ、教師主導の教科学習だけではなく、子ども自身が打席に立てる「探究」という枠組みにフォーカスが当たっているのだと思います。

―貴学が考える、生徒にとっての「良い探究」の定義を教えてください。

今村氏:本学が探究入試Spiralで評価する「良い探究」の要件は、きわめてシンプルです。それは「体験を伴う探究であるかどうか」です。

 学校の「総合的な探究の時間」において、全体の何割の生徒が本当に自ら打席に立って探究を行えているかというと、私の感覚では、全体の5%程度に過ぎないのではないかと見ています。

 まず「総合的な探究の時間」は不人気科目であるという現実を直視する必要があるでしょうね。残りの95%の生徒たちは、悲しいかな「バットを振っていない」状態です。つまり、先生から言われた作業として、ネットで何となく検索した情報や、AIが吐き出した答えをそれっぽくまとめて終わっている。私たちはこれを「手抜き調べ学習」と呼んでいますが、多くの学校で探究がこの域を出ないまま終わってしまっています。

―情報収集のステップがネット検索やAIへの質問だけで完結してしまっているケースですね。

今村氏:もちろん、最初の予備調査やきっかけとしてAIやネットを利用すること自体はまったく問題ありません。重要なのは「そこから先」です。

 ネットに転がっている情報だけで満足するのではなく、そこを起点として、きっちりと関連する文献に当たる、実際に足を動かして現場に行ってみる、自分たちでデータを取りに行く。こうした「体験」や「一次情報へのアクセス」を伴っているものこそが、私たちが評価する「良い探究」です。


図1 桜美林大学が展開する探究支援


―成果のクオリティーよりも、そのプロセスにおける体験が重要なのでしょうか。

高原氏:身も蓋もない言い方をしてしまえば、私は高校生の探究であれば、結果として「調べ学習の域」を出なかったとしても、それ自体は大きな問題ではないと思っています。

 なぜなら、高校生の多くは探究的な学びの知識がゼロに近い状態からスタートし、まずは調べることからしか始まらないからです。重要なのは、そのプロセスのなかで本人にエンジンがかかり、どれだけ主体的に動いたかという点です。高校生のうちに完璧で高度な成果を完結させる必要はまったくありません。肩肘を張らず、課題を通して「自分なりにサイクルを回してみた」という実感が得られればそれで良いのです。

今村氏:なぜ私たちがこれほどまでに「体験を伴うプロセス」にこだわるかというと、それこそが「生成AIに最も置き換え不可能な領域」だからです。ネット上のきれいな言葉をコピペしたスライドは、AIが数秒で作ってしまいます。しかし、「実際に現場に出て行ってデータを集めた」「リアルな一次情報に触れた」という泥臭い体験のプロセスは、AIには絶対に再現できません。

 入試においても、私たちは洗練されたきれいな成果物を見たいわけではありません。どれほど不器用であっても、自分自身の足と手を使ってバットを振った痕跡、すなわち「体験のリアル」が語られる探究を、良い探究として高く評価しています。

後編はこちら

取材・文/研究員 鹿島 梓(2026/8/25)