【研究リポート】探究学習の現在地/上編:学習指導要領の変遷から見る探究学習の意義
研究員 鹿島 梓
本稿では、上中下編にわたり、「探究学習の現在地」の整理を試みる。
上編では、歴史的経緯から探究の現状に迫りたい。
- 時代を俯瞰すると、日本は詰め込み型とゆとり型で揺れ動いている
- 「予測不可能」で「変化の激しい」社会情勢に直面するたび、「自分で考えて自分で学ぶ」人材育成の必要性、生涯教育型社会への転換を模索しているのが、探究的な学びにつながる流れ
- 詰め込みが生んだ「生きる力」習得への大転換として創設されたのが「総合的な学習の時間」
初等中等教育で進む探究学習
まず、近年の高校関連主要答申をまとめた図表1をご確認いただきたい。2020年代は現行・学習指導要領を軸にしたコンセプトの浸透や、学校の特色化・魅力化の必要性、2040年の地域人材ニーズを踏まえた地域ごとの高校像・配置のあり方といった、教育や学校経営に関する施策が多い。そのなかでも、2017年告示の学習指導要領改訂以降、探究学習は高校にとって一大テーマとなった。
しかし探究は、そうした名称で呼ばれるより以前から、必要性が叫ばれてきた営みである。その経緯を教育行政・政策面から追うことで、日本の教育が直面し続けた課題とその時々の時代背景という大きな文脈を押さえたい。
80年間で7回の学習指導要領改訂
図表2に、1947年から始まった学習指導要領の改訂の概観を示した。現在、2030年の次期改訂議論のなかで再三言われている「余白の創出」「教える内容を教科・科目の中核的概念に精選する」「知識習得と思考力育成のバランス」といった論点は、過去の改訂でもかなり議論されているとも見える。
全面改訂は概ね10年に一度で、制度開始以降80年間で7回の全面改訂を経て現行課程が展開されていることになる。その7回において常に力学として働いてきたことが2点あるように思われる。
「詰め込みか、ゆとりか」という二項対立的な力学
まず、「学力かゆとりか」という点だ。時代を俯瞰すると、日本は詰め込み型とゆとり型で揺れ動いている。最初の試案ではアメリカ式の「児童中心主義」であり、現場の裁量権が大きかった教育も、読み書き能力の低下を不安視する声や科目としての系統性を危ぶむ声から、国が指導内容を規定するトップダウンへ大きく舵を切った。以降、「学力向上≒詰め込み教育」を推進しては行きすぎ、「脱詰め込み≒ゆとり教育」により戻しては学力低下を危ぶむ、というシーソーゲームの様相を呈している。基礎学力は知的体力を育む土壌であり、学力のみに囚われない知的好奇心や感性を尊重するゆとり(余白)は、子どもが子どもらしく過ごす時間の確保という意味でも重要だ。本来は二項対立ではない議論のはずだが、限られた全体の授業時数のなかでどちらに拠って立つのかという、矮小化された極端な話になりがちである。
時代の変化の潮目でたびたび叫ばれてきた「既存教育の限界」と「育成人材像の変化」
次に、「時代・社会的背景」である。特に1980年代以降の国際化・情報化の流れだ。国内のみに閉じた経済社会活動から、多様な人・国との交流を前提とした時代へ。また、1995年にMicrosoftが業務用のみならず一般家庭向けに発売したWindows95を皮切りに一気に進んだ情報化の影響は大きかった。
教育には不易と流行の両面があると置きつつも、こうした社会変化に対応して求められる能力も当然変わるというのが、学習指導要領設計では外せないポイントとなる。現代ではVUCAの時代といった表現も多いが、どの時代でも次の時代がどうなるかは未知数であり、多様な影響因子にどう対応していくのかは一大事であった。そして時代を読み切れないが故に、「どんな変化が起こっても通用する人材」として、「自ら考え、自ら判断し、自ら学び、主体的に生きていくことができる自律性」の育成が教育で求められているようにも見える。探究的な学びは、こうした文脈に位置づけられると解釈できる。
また、こうした「どんな社会でも主体的に生きていける人材の必要性」と概ねセットで提起されるのが、「生涯学習型社会への転換」だ。これは大人が必要に応じて学校教育で学び直し・学び重ねすることで自らをアップデートしていく社会を意味する。教育行政が教育設計の提言だけではなく、社会構造の転換を提起しているのは非常に興味深い。生涯で学校に通っている時だけ学ぶという従来の社会の立て付けでは通用しなくなる、という、現代とほぼ同じ課題感がたびたび顔を出す。
つまり、「予測不可能」で「変化の激しい」社会情勢に直面するたび、「自分で考えて自分で学ぶ」人材育成の必要性、生涯学習型社会への転換を模索しているのが、探究的な学びにつながる流れだと言える。
「総合的な学習の時間」創設と背景にある2答申
現代的な「探究的な学び」が教育政策上登場したのは、1989年改訂で「自ら学び自ら考える」能力が重視されたことと、1998年改訂で「総合的な学習の時間」が新設された辺りに遡る(図表2青枠)。従来の暗記型教育から脱却し、「自ら課題を見つけ、主体的に解決する」という探究活動のベースが明確に示された。
ここでは、この2つの改訂の背景にある答申をピックアップしたい。
まず、当時中曽根内閣で総理大臣直属の諮問機関として設置された臨時教育審議会(臨教審)の最終答申(1987年)である。3年間にも及ぶ審議期間を経て、少子高齢化・高学歴化の進展、経済のサービス化に伴う産業就業構造の変化、都市化の進展、国際化・情報化等の社会変化や国民ニーズの多様化等を踏まえ、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」の3つの観点に集約し、「教育改革の視点」として取りまとめたものだ。
日本の近代学校教育の基本理念は、立身出世・殖産興業、欧米化・工業化を通じた「富国」に重点が置かれてきた。こうした明治以降の制度が社会経済発展の原動力となり、国民生活向上に大きく寄与した点は高く評価しつつも、価値観がそちらに拠りがちになり、教育が画一的で個性・能力・適性を開発・伸長するという面に欠ける、受験競争の過熱で偏差値偏重となった教育が、創造性・思考力・表現力よりも記憶力を重視するものになっているといった様々な課題を指摘。
そのうえで、21世紀のための教育目標として、①ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力(子どもの心身のバランスとれた発達に最大限の努力を払うことを中心に据える) ②自由・自律と公共の精神(自ら思考し、判断し、決断し、責任を取ることのできる主体的能力・意欲・態度等の育成が必要) ③世界の中の日本人(世界的視野で国際社会の一員として貢献し信頼されるには、日本文化への造詣と、異文化理解の両方が必要)の3点を掲げた。
また、これから情報化社会が進展すると、双方向コミュニケーションによる新たな学習空間が充実するといった利点のみならず、情報への過度の依存、直接経験の減少と間接経験の肥大化、あふれる情報のなかで思考が止まり、短絡思考に陥りやすくなるといった、現代を見通したような警鐘も鳴らしている。
これだけドラスティックな方向性の変更が叫ばれていたことは、それだけ子ども達の非行・いじめ・不登校といった「社会システムとの不適合」が著しく顕在化していた事実と、既存教育体系では太刀打ちできない課題・問題が山積していた事実があったということでもある。それまでの詰め込み型教育を続けていくのではなく、「思考力」「自己責任」といった方向性で教育を転換する。そこに探究的な学びの必要性が現れているように思われる。
詰め込みが生んだ「生きる力」習得への大転換
次に、臨教審最終答申の流れを汲んだ、中教審「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」(1996年)である。1998年改訂の「ゆとり教育」強化に直結する答申で、サブタイトルは「子供に『生きる力』と『ゆとり』を」だ。
経済成長を最優先し、正解のある知識を徹底的に詰め込む教育で生活の無駄を排除してきた結果、今の子ども達は極めてストレスの高い状況に置かれ、いじめや登校拒否が急増している。生活体験・自然体験や友人との交流が著しく減少し、人間関係構築や協働性、コミュニケーション等のソフトスキルが身についていない。核家族化により家族が過ごす時間は減少し、企業中心の行動様式の定着、都市化の進行や連帯感の希薄化等から家庭や地域社会の教育力も低下している。
欧米に追い付け型の経済成長を遂げてきた日本だが、先進国の開発した科学技術を上手に活用するというこれまでの手法はもはや通用せず、「自ら科学技術を創造し、新しいフロンティアを開拓していくことが求められている」と答申にはある。そうした精神を持つ人材を育成するにはどうすれば良いのか。
こうした強烈な危機感により、「生きる力」を育む模索が始まっている。なお、答申によると「生きる力」は非常に広範な意味を有する言葉だ。例えば、「これからの変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社会生活を送っていくために必要となる、人間としての実践的な力」「単に過去の知識を記憶しているということではなく、初めて遭遇するような場面でも、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力」「理性的な判断力や合理的な精神だけでなく、美しいものや自然に感動するといった柔らかな感性を含む」「正義感や公正さを重んじる心、生命や人権を尊重する等の基本的な倫理観や、他人を思いやる心や優しさ、相手の立場になって考え共感することのできる温かい心、ボランティア等の社会貢献の精神」等の記述が見られる。
ではこうした精神や人間性をどのように育むのかについては、社会全体と子ども達に「ゆとり」が必要であり、ゆとりある教育課程編成のためには、「生きる力」の育成を軸に教育課程を厳選する必要がある。そして厳選の結果生じた時間で、横断的・総合的な指導を目的とした「総合的な学習の時間」を創設する。この時間では、近年の複合的な社会問題のほか、前述した子ども達に欠けている活動、例えばボランティアや自然体験等についての総合的な学習や課題・体験学習等を、子ども達の発達段階や地域の実態等に応じて学校が創意工夫して展開する、とある。こうした教育の実現には、学校のみならず、家庭や地域社会との協働が不可欠であるともし、「学校のスリム化」「開かれた学校」の必要性を訴えた。この「総合的な学習の時間」が現代の「総合的な探究の時間」の基盤となったのである。つまり、既存の教育で明らかに欠けていた要素を一手に担うことを期待されて設定されている時間なのだ。
見てきた通り、探究的な学びは最近始まった新しいものではなく、社会や時代が変わろうとするたびに必要性が議論されてきた。よって、今後の社会でも誰にでも必要とされ続ける学びのスタイルであろう。だからこそ、グッドプラクティスの部分最適ではなく全体最適としての形を引き続き模索していく必要があるとも言える。
図表1参照
- 子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(答申)(中教審第178号)
- 新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号) (①② 2014年12月22日)
- チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について(答申)(中教審第185号)
- これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について ~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~ (答申)(中教審第184号)
- 新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)(中教審186号) (③~⑤ 2015年12月21日)
- 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)(2016年12月21日)
- 新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)(第213号)(2019年1月25日)
- 新しい時代の高等学校教育の在り方ワーキンググループ(審議まとめ)(2020年11月13日)
- 「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号)(2021年1月26日)
- 「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について~「新たな教師の学びの姿」の実現と、多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成~(答申)(中教審第240号)(2022年12月19日)
- 「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について(答申)(2024年8月27日)
- 高等学校教育の在り方ワーキンググループ(審議まとめ)(2025年2月12日)
- 高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン(仮称))骨子(2025年11月28日)


