大学を強くする「大学経営改革」[86] ドイツの高等教育との比較を通して大学改革を問い直す 吉武博通

規制緩和を進めながらどう変革を促し、質保証を機能させるか

 「改革」の名のもとに様々な政策が示され、大学は疑問を感じつつも、資金や評価を得るために競うように新たな取り組みに励む。

 このような状況が、少なくとも国立大学が法人化された2004年前後から続き、近年さらに過熱しているように思われる。一方で、政策当局や改革に奔走する大学本部の熱量に比べて、現場の熱量は総じて低く、真に必要な変革が進み、教育・研究の質の向上につながっているかと問われれば、否定的な見方のほうが多いのではなかろうか。

 規制緩和を進め、大学の自律性を高める一方で、社会・経済環境の変化に即した変革を促し、質保証をどう機能させるかという課題は、我が国に限ったものではない。

 このような問題意識に基づき、本号ではドイツの高等教育システムをとりあげ、大学改革のあり方を問い直すための視点を探ることにしたい。

 米国をとりあげた前号に引き続き、今号では筆者が客員教授を務める独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の二人の研究者にインタビューを行った。一人は比較教育学が専門でドイツの高等教育に詳しい吉川 裕美子教授、もう一人はドイツ近現代史が専門で、同機構ではドイツの大学の学内マネジメントや大学財政を中心に研究を行っている竹中 享教授である。

 16州からなる連邦国家のドイツには、2019年現在394の大学があり、その内訳は総合大学121、専門大学216、芸術大学57、設置形態別には、州立240、私立115、教会立39となっており、約290万人の学生が在学しているが、約9割は州立の学生である。

 インタビュー要旨部分の記述は前号と同様に丁寧体によることとした。






吉川 裕美子 大学改革支援・学位授与機構教授
上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業、
フランクフルト大学・ドイツ国際教育研究所への留学を経て、
お茶の水女子大学人間文化研究科(博士後期課程)修了。
お茶の水女子大学助手、学位授与機構助教授などを経て現職。
博士(学術)。専門は比較教育学、日独高等教育研究。


システムの違いを踏まえた包括的な検討が必要

 私の専門は比較教育学ですが、教育事象を文化的、社会・経済的、歴史的文脈に照らして考究する学際的な研究領域だと考えています。教育は実験ができません。また、他国の実践を単に取り入れるだけでは効果を期待できません。しかし、その国の教育が置かれている文脈を背景に、政策や取り組みの効果を読み解くことによって、日本に置き換えた場合にどういうことが起きるのか、というシミュレーションを可能にするのが比較研究の強みであると思います。

 日独の最大の違いは、ドイツは連邦制であり、各州が小学校から大学まで教育に責任を負い、財政負担を行っているという点です。そのため、ドイツ全体がどこに向かうのか見えにくい面があります。

 他方で、ユニバーサル化、教育の質の確保、少子高齢化、教育に投入される公的資金の抑制など、先進各国の高等教育が抱える共通の課題もあります。

 州を超えたドイツ全体の政策に関しては、「常設各州文部大臣会議」、「大学学長会議」、「学術協議会」などが調整機関としての役割を果たしています。

 例えば、高等教育に係る基本的な事項は、各州大臣を構成員とする常設各州文部大臣会議が協定を結んだり、ドイツ全体の大学が加盟する大学学長会議と連名で勧告を出したりします。それが各州の議会に諮られ、法制化されてはじめて効力が発することになります。

 学術協議会は、いわば学術と政治の対話の場です。行政と学術の2つの委員会が置かれ、前者には連邦と各州の担当大臣が加わり、後者は研究者を中心とする専門家で構成され、総会で勧告が決議されます。

 そして、大学学長会議は必要があれば議長声明を出し、政策に対する意見をはじめ大学共同体としての考えを表明します。

 昨今、日本の研究力の低下を懸念する声も増していますが、このような日独間のシステムの違いを踏まえたうえで、高等教育政策だけではなく、科学技術政策や学術政策全体を包括的に見ていく必要があるのではないかと考えています。

州単位で大学・研究機関・企業が連携

 そのなかで、私が着目しているのが大学と大規模研究機関の関係です。ドイツには、マックスプランク、フラウンホーファー、ヘルムホルツなど世界的に名高い大規模研究機関があり、これらの機関の研究施設は分野ごとに各州に分散しています。また、これらに属さない比較的小規模な個別研究機関を束ねるライプニッツ学術連合もあります。

 これらの研究機関は、連邦とそれぞれの研究施設が所在する州からの公的資金で運営されています。州ごとに大学と近隣の研究施設が共同研究など連携をとりやすく、博士課程の学生が研究施設で指導を受けつつ研究を行い、学位は大学が出すという仕組みも整っています。日本でも連携大学院という同様の制度がありますが、ドイツほど研究施設が全土に分散していないなど条件も異なります。

 一つの州の中で、大学と大規模研究機関が密に連携し、そこに企業が加わる形で、研究が産業発展に貢献し、産業が教育研究の高度化を支えるといった関係が形成されているのではないかと考えています。

 このことを明らかにするためにはさらに検証が必要ですが、企業は開発にあたり地域の工科大学の教員に相談し、教員の指導の下、修士課程レベルの学生がプロジェクトに加わり、また、より小規模な専門大学が中小企業の機器開発に取り組むというような事例は少なくありません。工業分野にとどまらず、人文社会系でも産官に関わるプロジェクトが行われています。

 ドイツの大学といえばフンボルト理念に基づき純粋研究が重視されるという印象が強いかもしれませんが、第三者資金の獲得を見ても分かるように、総合大学であっても、純粋な基礎研究のみならず、地域に根づいた形で実践的な研究が行われており、そこに学生が関わっています。

少ない教授職と中等教育段階での準備教育

図表 ドイツの高等教育に関する基礎データ(出典:大学学長会議(HRK) Hochschulen in Zahlen 2019)

 教授職が極めて少ないという点もドイツの大学の大きな特徴です。大学において教授が持つ権限が日本とは格段に違い、責任も重くなります。当然、その職に就く人の資質・能力が厳しく問われます。

 大学がユニバーサル化し、規制緩和に伴い様々なニーズに対応した多様な学位プログラムが生まれるなか、これまで大学が重視してきた理念が共有され、教育の質が担保できているのも、教授の数が限られていることが背景にあると考えています。

 また、少数であるがゆえに見なければいけない教育研究の範囲も広くなります。教授資格を得るためには、博士の学位を得た時の専門だけでなく、周辺に幅を広げた形で研究を行い、教育を担当できる能力を持つことも要件の一つになります。さらに、第三者資金を獲得して講座を運営する能力も求められます。

 高等教育を考える際に中等教育との関係を避けて通れません。ドイツの場合、総合大学に進むルートと中等教育を終えたら職業訓練を受けて社会に出ていくルートに分かれます。総合大学へはギムナジウムの卒業試験に合格してアビトゥーアという大学入学資格を得て進学しますが、この段階で、一定程度の教養的な事柄、大学での学習に必要な論理的文章の書き方や考え方を学んでいることが当然だとされているので、大学進学後も連続して学習を進めることができます。

 そして、大学で何を専攻し学んだかを、実力として証明する資格が学位です。大学での専門教育を通じて身につけた実力こそが即戦力の基礎をなすものであり、欧米が資格社会といわれる所以でもあります。

 日本の場合、設置形態も規模も多様な大学を一つの括りにしていることの難しさが様々な形で現れているように感じています。機能別分化や個性化が求められ続けてきましたが、個々の大学が自らの役割や方向性をより強く打ち出していく必要があるのではないかと考えています。






竹中 亨 大学改革支援・学位授与機構教授
京都大学大学院文学研究科前期課程修了、
ミュンヘン大学哲学部への留学を経て、東海大学文学部助教授、
大阪大学大学院文学研究科教授などを経て現職。
博士(文学)。大阪大学名誉教授。
専門はドイツ近現代史、日独文化移転史。


規制緩和に対する評価が異なる日本とドイツ

 私は、ドイツ史を専門にしていますが、研究を進めるなかで、ドイツにおける日本研究の方が日本におけるドイツ研究よりも国際的なプレゼンスが高いのはなぜなのだろうかと考えるようになりました。そのような問題意識を出発点にして、日独の高等教育システムに関心を持つようになりました。

 日本のドイツ史研究者のドイツ語能力よりドイツの日本研究者の日本語能力のほうが高いという言語能力も一因ですが、日本の研究者は細部に力を注ぎ、大きな枠組みを論じることが少ないという、日独の研究姿勢の違いも大きいように思います。ドイツ側からかつて、日本から呼んでも面白い話をしてくれる研究者が少ないと耳にしたことがありますが、これなど人文学一般に当てはまるかもしれません。

 前任校では国際化の仕事に関わりました。海外の相手校との交渉では、しばしば先方の事務系職員が、博士の学位を持ち、大きな権限を有しているのを見ました。大学職員の役割・責任や経験・能力が日本とは大きく異なることを痛感した次第です。

 現職では評価に関する調査研究に携わっていますが、目下最も気になっているのは、日独ともほぼ同時期に高等教育の規制緩和を実施しながら、日本では、例えば国立大学の法人化について否定的な見方が少なくないのに対し、ドイツの大学関係者は規制緩和に概ね肯定的だという点です。決定的な答はまだ見つかっていませんが、法人化が有するプラスの可能性を、日本は十分に活かしきれなかったのではないかというのが目下考えているところです。

日本における規制の残存とドイツにおける業績協定

 例えば、日本では法人化を含む規制緩和が、上からの改革として強制される形で進められたのに対して、ドイツの場合、従来の事前規制行政のままで新たな環境条件と社会的要請に対処できるのかとの問題意識から、大学側が規制緩和に積極的に対応しました。

 加えて、規制の残存の程度と大学の経営能力上の差が、規制緩和に対して日独間で評価が異なる大きな要因になっているようです。

 ドイツの大学にも日本の中期目標に似た業績協定があります。中期目標は、国立大学法人の意見を聴いたうえで文部科学大臣が決定するのに対し、ドイツの業績協定は、州政府と各大学が合議のうえで結ぶものです。

 また、日本では目標だけでなく、具体的な取り組みも中期計画として文部科学大臣の承認を得る必要がありますが、ドイツの業績協定では目標を約定するだけで、如何にその目標を達成するかは大学の裁量に委ねられます。また、将来構想として大学がどの領域や機能を強化するかについて、日本の場合、国の関与が少なくありませんが、ドイツの場合は、州全体の学術グランドデザインのなかで、各大学が個性化を模索します。

 運営費交付金についても、日本では予算額も配分法も年度ごとに変動しますが、ドイツの場合、3年から5年の予算期間中は固定されます。ですから、計画的な財務運営が可能です。交付金の配分や事後評価にあたって、日本では数値指標が重視され、多用される傾向にありますが、ドイツの場合は、指標に過度に依存することの副作用も考慮し、アウトプット指標は少数に絞り込んでいます。

高度な専門能力のスタッフと厳格な学内質管理

 ドイツの大学では、業績協定が戦略的経営の鍵にもなっていると考えています。州政府と大学の間での業績協定で約定した目標は、本部-学部間で結ばれる学内業績協定に反映されるのが通例です。こうして目標設定において本部は学部と意思疎通を行い、目標達成に向けて、大学の戦略を全学的に貫徹します。

 日本では近年、学長のリーダーシップが強く求められています。本部と学部の関係については、日独でさほどの違いはなさそうです。ドイツの学長にも強制権はなく、学内を動かすには説得力しかありません。ただ、説得を可能にする仕組みは日本より整っています。

 その一つが、学長や副学長を補佐するスタッフです。博士の学位を持った比較的若い学術マネジャーが専任で学長や副学長を支えます。日本でいえば事務系職員に相当しますが、日本の大学職員と比べて役割も求められる能力も専門化しており、キャリアパスも異なります。

 事務総長や学部の事務長にも、日本でよりも大きな権限と責任が課されていますが、高度の経営能力と、長い在職期間から来る豊富な経験でこれに当たっています。

 注目すべきなのは学内統制・監査の体制を持つ大学が多いという点です。例えば、ハイデルベルク大学にはハイクォリティheiQUALITY制度とよばれる、学内認証評価があります。ここでは、学長直属の質管理部門が軸になって、学内の学位プログラムに対して7段階の厳格な評価を行います。

 ドイツでは、学位プログラムを単位とする大学運営が徹底しています。その新陳代謝こそが、教育の質保証だという考えです。実際、ドイツ全土で2014年から5年間に約2万の学位プログラムのうち1割に相当する2千が廃止されています。学内での厳格な質保証が新陳代謝を促しているのです。

 最後に指摘したいのは、大学の経営能力強化を支援する体制です。大学職員用に実践的な学位プログラムを開講する大学や、大学や教育省向けのコンサルティング、職員向け研修ワークショップを提供する団体などがいくつもあります。このような助言・支援や人材育成の体制が大学経営を支えています。当機構を含めて、日本もこのような機能を強化していく必要があると考えています。

 もっとも、ドイツの大学も万事うまく行っているわけではありません。その点は、われわれとしては冷静に見ておく必要があるでしょう。

 ベルリンの街を歩くと、各国大使館に混じって各州の大使館を目にする。ドイツのStaatが州より国に近いものであることを実感する。この点だけとっても諸外国との比較研究が如何に難しいか理解できる。

 米国で有効とされる手法を並べて、改革を促す動きが強まる一方で、研究と教育の統一に象徴されるフンボルト理念の一面のみを主張して、変革を拒む体質が根強く残る。極端な対比かもしれないが、俯瞰的な視野を持ち、より大きな文脈で制度や事象を捉え、現実に向き合いながら本当に必要な改革とは何かを追求し続ける姿勢こそ、いま求められている。



【参考文献】
竹中 亨「大学教育の内部統制・監査」川口昭彦編著『内部質保証と外部質保証−社会
に開かれた大学教育をめざして』(第2部第3章)ぎょうせい、2020年1月予定
竹中 亨『ドイツ大学教育の質保証−プログラム認証からシステム認証へ』同上(第3部第2章)
吉川 裕美子『ドイツの高等教育における職業教育と学位』
『高等教育における職業教育と学位』(第5章)大学改革支援・学位授与機構、2016年8月
【外部リンク】https://niadqe.jp/wp/wp-content/uploads/2018/02/c002-1608-syokugyo.pdf




(吉武 博通 公立大学法人首都大学東京 理事)


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