産学連携で取り組む「反転授業」/山梨大学

 山梨大学は、富士山を望む甲府市と中央市の2カ所にキャンパスを置き、教育人間科学部752名、医学部1003名、工学部1891名、生命環境学部274名の3920名の学士課程学生と、大学院修士課程及び博士課程、教職大学院の課程の934名が学んでいる。同大学では、富士ゼロックス社との共同研究として、学生の主体的な学びを引き出すアクティブラーニング(AL)手法の開発に取り組んでいる。その取り組みの一つとして、工学部を中心に、学生との双方向型の授業形態であるICTを活用したフリップト・クラスルーム(FC、反転授業、反転学習、フリップト・ラーニングとも呼ばれる)を複数の工学部専門科目で試行している。山梨大学の反転授業に対する考え方や具体的な取り組み内容、実際に行って明らかになった課題、今後の方向性などについて、大学教育研究開発センターの日永龍彦教授、工学部電気電子工学科の塙雅典准教授、産学官連携・研究推進機構地域連携室長の還田隆准教授、及び富士ゼロックスの篠㟢謙吾氏、田丸恵理子氏に話を伺った。

山梨大学と富士ゼロックス連携の経緯

 山梨大学と富士ゼロックスとの共同研究は、同大学工学部の出身者である富士ゼロックスの山本忠人社長が、2009年6月12日の山梨工業会(山梨大学工学部等の同窓会)東京支部において「富士ゼロックスがコピー機企業から情報メディアサービス提供企業に生まれ変わる」と題する講演を行ったことが契機となった。この講演を聴いた、山梨大学の前田秀一郎学長、及び総合情報戦略機構総合情報戦略部長の土屋治彦特任教授から、山本社長に「意見交換会が実現できないだろうか」と持ちかけたことがきっかけとなった。

 これを受けて、富士ゼロックスの研究者と山梨大学工学部の間での共同研究が始められることになったという。

 山梨大学と富士ゼロックスの共同研究は、当初、アクティブラーニングや反転授業を主眼に置いたものではなかった。ただし、富士ゼロックス側としては、共同研究の以前から、文教事業の開拓を製造・販売一体となって模索していた。「それまでの大学と富士ゼロックスの関わりは複合機サービスを通じてであったが、やはり大学側としては教育の質の向上に対する関心が高かった」と篠㟢氏は話す。また山梨大学側からも、共同研究を進めるなかで、富士ゼロックスの技術をアクティブラーニングに活用しようとする機運が生まれてきた。

 このような、ICTを駆使した教育方法及び教育環境の高度化に向けた共同研究を推進するのが、図1に示す連携プロジェクトであり、メンバーは30名程度である。プロジェクトは、「山梨大学からは学術研究・産学官連携担当理事、富士ゼロックス側からは統括執行役員が、双方のトップとしてプロジェクトに参加することで、全学的及び全社的な位置づけで活動する体制となっている」と、還田准教授は話す。また同プロジェクトには、共同運営会議の下に3つのワーキンググループが設けられ、それぞれのテーマの下、産学共同での研究開発が進められている。このうち塙准教授がリーダーを務めるWG1「学生自身の自主的な学びを引き出すアクティブラーニングの推進」が、反転授業の開発・推進を主導するグループである。

図1 山梨大学・富士ゼロックスの連携プロジェクト体制図

音声付スライドショーで配信

 共同研究が開始された当初から、反転授業のアイディアが、山梨大学ないし富士ゼロックスの側にあったわけではない。当初は、「アクティブラーニングとは何か?」といった原理的な問いの段階からの模索が始まった。このような中、スタンフォード大学医学部での反転授業を紹介した記事や、富士ゼロックスの研究所を訪問した際の技術紹介を契機として、次第に反転授業活用の具体像が固まっていったという。WGの中で行われた議論では、「大学教員側が“ビデオを撮るのが大変だね”と話すと、富士ゼロックスの技術者から“こういう技術もありますよ”といった提案があるといった具合に、草の根的に立ち上がっていった。まさに富士ゼロックスのR&D拠点のコンセプト“あつまる、ぶつかる、うまれる”の通りだった」と、塙准教授は話す。

 山梨大学において反転授業が実際に試行されたのは2012年度の後期からである。その際に用いられた富士ゼロックスのシステムは、「音声同期スクリーンキャプチャ技術」ないし「音声付スライドショー」として表現することができる。同システムは、PC上で実施したプレゼンテーションに対し、マイクから入力された音声を同期させ、紙芝居のような動画を作成するシステムである。実際の記録手順としては、例えば事前に作成した講義スライドを研究室のPC上で提示しながらマイクに音声を吹き込むだけで、講義動画を作成することができる。一般的なビデオ作成に比べると、カメラ、三脚、スタジオといった専用機材が不要である点にメリットがある。またビデオ動画に比べ、データ量が少なくて済むため、配信の際にサーバや通信回線に求める要件も低く、閲覧環境を選ばない点も大きな長所である。

 この他、同システムにおける特筆すべきメリットとして、教員側の精神的負担の軽さが挙げられる。ビデオ配信に慣れていない教員の場合、自らの姿が映像として記録・配信されることに対しては抵抗がある。これに対し、「音声付スライドショー」の場合、記録・配信されるのは講義スライドと音声のみである。加えて編集も容易であることから、導入にあたっての教員側の負担感は軽い。実際、富士ゼロックスの研究所にて同システムを提示した際にも、「はじめ教員側は事前のビデオ作成に要する多大な負担を心配していたようだが、いざシステムに触れてみて、トライアルを重ねた結果として、“講義動画を作るのは思っていたほど大変じゃないね”との声が得られた」と田丸氏は話す。

 同システムは、2012年度後期に4科目、2013年度前期に1科目、2013年度後期に7~8科目で活用されている。いずれも、従来は座学中心であった一般的な工学専門科目での試行である。担当者や受講者、及び反転授業を用いた回数は試行例ごとに異なるが、いずれの科目でも、15~30分程度の講義動画を事前配信(URLを学生に通知)し、授業時間にはアクティブラーニング(実践演習、学生同士の議論、プレゼンテーションなど)を行う形式である。

 例えば3年次前期必修科目「情報通信Ⅰ」(受講者数約50名)では、ほぼ全ての回において反転授業とアクティブラーニングを取り入れた。具体的な事前課題としては、20~30分の講義動画を配信するとともに、各回の内容に応じたワークシートを配布し、学生に講義動画のポイントと疑問点を記入させている。授業中には講義動画の内容説明は行わない。代わりに、学生同士の意見交換、教員への質問、演習問題の答案作成、学生による解答例の発表などを繰り返し実施している。その他にも、90分中の30~60分にアクティブラーニングを導入し残りの時間は従来の講義とした科目(3年次後期必修科目「コンピュータネットワーク」、受講者約50名)や、中間試験以降に反転授業を導入し、アクティブラーニングの中で答案採点にグループワークを取り入れた科目(3年次後期選択科目「基礎統計学」、受講者約40名)など、様々な形式での実践が重ねられている。

成績は向上、教員側の技量が課題

図2 反転授業(FC)導入による成績向上の一例(「情報通信Ⅰ」中間試験結果の幹葉表示)

 反転授業の効果は、成績の向上に顕著に表れている。例えば「情報通信Ⅰ」について、同程度の内容・難易度で行われた前年度の中間試験の成績と比較すると、反転授業を導入した平成25年度の中間試験では、60点未満の低得点者が減少し、80点以上の高得点者が増加した(図2)。成績の向上は、他の試行例(「コンピュータネットワーク」及び「基礎統計学」)にも共通する傾向であった。

 また、授業評価アンケートの結果からは、学習時間や学習方法の変化もうかがうことができた。例えば、「情報通信Ⅰ」での授業時間外の学習時間について学科平均と比較すると、予習・復習ともに1時間未満とする学生が少なくなり、1~2時間と回答した学生が多くなっている(図3)。授業が分からない時の対応について尋ねた設問でも、「情報通信Ⅰ」では「講義ビデオを見た」と回答する学生の割合が顕著に高かった。その他、実際の学生の声としても「講義ビデオを繰り返し見られるのが良い」との意見が挙がっているという。

 さらに、反転授業の導入により、授業参加の姿勢も変化した。「情報通信Ⅰ」の授業評価アンケートへの回答では、授業中に力を入れたこととして、「級友との議論」を挙げる学生の割合が非常に高かった。これら反転授業がもたらした効果について、塙准教授は「目指したものは“学生にビジョンを持たせ、インタラクティブな学習を通じて、主体性を身につけさせる”ことであったが、今回の試行では、ビジョンとまではいかないまでも、主体性とインタラクティブについてはある程度達成できたように思う」と評価する。他方、本当に「主体性」が身についたかどうかについては、検証するだけの材料が不足しているのが現状だ。主体性の可視化は、富士ゼロックスの側での技術的な課題でもあるという。

 また、グループワークを中心に取り入れた授業では、メンバーの特定の人物に負担が集中して、予習をしない学生もいたという。他方、別の試行例では、予習をしないと対応できない授業設計、運営を行うことで、学生の事前学習への取り組みを確保できた。このような授業の運営上の課題について塙准教授は次のように話す。「今後、富士ゼロックスのシステムもブラッシュアップされていくことが期待できる。あとは授業運営、方法をどうするか。反転授業を取り入れ、アクティブラーニングを実践することで、教員は“教壇上の賢者”から“寄り添い手、ファシリテーター”になる必要がある。しかし、これが難しい」。反転授業のシステムを上手く活かすうえでも、アクティブラーニングについての教員側の技量の向上が、今後ますます重要になるといえるだろう。

図3 授業評価アンケートにみる時間外学習時間の増加(学科平均と「情報通信Ⅰ」の比較)

全学部展開に向けて

 山梨大学における反転授業は、現在、工学部の授業のみでの試行であるが、今後は、同取り組みを全学部に広めていく方針だという。このため山梨大学では、2013年12月、共同研究とは別に、アクティブラーニング導入ワーキンググループを学内に立ち上げた。このワーキンググループには、これまでの共同研究のメンバーに加えて、医学部を含む全ての学部から構成員を集めている。共同研究において開発された手法を、どのように全学に普及していくのかが、同ワーキンググループを中心とした、これからの山梨大学の課題となる。

 その他、全学的な普及を見据え、プロジェクトでは、「アクティブラーニングガイドライン」を作成している。アクティブラーニングとは何か、から始まるプロジェクトの議論の成果を形にしたものであり、学内でのアクティブラーニングに関する理解の促進、反転授業の活用、普及を狙う。2013年9月には、全学FD研修会「ICTを活用したアクティブラーニングの取り組み」でも、工学部での試行例の全学共有が図られた。反応は上々で、他学部から「やりたい」との声や質問が相次いだという。さらに反転授業に適した授業環境を作るためにも、アクティブラーニング教室の建設も進んでおり、3月には供用開始が予定されている。

初めは“とにかくやってみる”

 山梨大学における反転授業の実践からは、パイオニアならではの試行錯誤の跡がうかがえた。このような新たな取り組みのインパクト、成果は多岐にわたると考えられるが、一点、工学系におけるアクティブラーニングの導入促進という点が特筆されるべきであろう。山梨大学では、今回の反転授業の導入以前からも、大学教育研究開発センターの取り組み等を通じて、アクティブラーニングの導入が進められてきた。しかし、相当量の知識伝達を伴う工学系の専門教育科目に対しては、アクティブラーニングの導入による知識伝達量の減少と不足に対し、教員側の危惧と不安があったという。これに対し、反転授業の導入は、事前事後学習による知識の修得と、授業内でのアクティブラーニングの両立を可能とする。「反転授業は、知識伝達の確保に関わる技術的な問題の解決に大きなメリットがあった。反転授業の有用性は工学系に限った話ではないが、“工学系でもできる”という点が大きかった」と日永教授は話す。

 将来的に反転授業の取り組みが、他系統の学部や、他大学に広まっていくにはどうすれば良いか。塙准教授は、次のように話す。「はじめは“とにかくやってみる”くらいの位置づけだった。結果としては、目指した以上の効果が得られたように思う。やはり集まって成果を議論することが大事。山梨大学の場合、今はプロジェクトのワーキングや、全学FDの場が、その受け皿となっている。ざっくばらんに話ができているように思う」。2月には、大学を超えた反転授業に関する公開研究会も行われた。先進的な取り組みから明らかになった成果や課題が共有され、今後の普及と発展につながっていくことが期待される。


(丸山和昭 福島大学 総合教育研究センター 特任准教授)


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