高大接続型「特色入試」で基礎学力と学ぶ意欲を備えた学生を選抜/京都大学

京都大学キャンパス


 どんな能力を持った学生をいかなる方法で受け入れるのか。大学にとって、入学者選抜の設計は自らの今後を左右する古くて新しい課題だ。大学進学者の多様化が進む昨今、大学は留学生を含めた優秀な学生の獲得に知恵を絞る必要がある。

 他方で、入学者の側に視点を転じてみれば、今や進学先の選択肢は、国内外に広がっている。グローバル化時代だ。何も自国の大学にこだわる必要はない。

 確かに、学生獲得競争はグローバルなレベルで展開されつつある。安穏と待っていれば学生がやってくる時代ではない。ただ、学生獲得数の多寡で勝負が決まるというほど、ことは単純でもない。量だけでなく質も重要だからだ。いかに大学の理念に沿った、大学が欲しい優秀な学生を集められるかが鍵だ。大学が求める人材像は何か、明確に且つ積極的に発信し、受験生にメッセージを届ける努力が大学には求められている。

 そこで本稿では、京都大学(以下、京大)の事例に注目したい。京大は、今年度(2016年度入試)から「特色入試」と呼ぶ新しい選抜方式を導入した。特色入試は、入学定員2900名弱のわずか4%程度(108名)を占めるに過ぎないが、学力のみを判断基準にする従来型入試では測れない受験生の能力や可能性を読み取ろうとする、新たな試みだ。そこには、受験生に対する京大からのメッセージが込められている。「特色入試」が導入された経緯、実施初年度の手応え、そして今後の展望について、山極壽一総長、有賀哲也副学長にお話をうかがった。

高大接続への課題感から生まれた「特色入試」

山極壽一 総長

 言わずと知れた日本を代表する国立大学の一つだ。何につけ、京大の動静は世間の耳目を集める。特色入試も話題を集め、メディアでも度々取り上げられてきた。しかし、特色入試に込められた大学の意図は必ずしも十分に理解されていない。それを理解するには、過去20年余りに生じた大学教育をめぐる変容から説き起こすことが必要だ。

 特色入試は、京大が1990年代以降、高校教育と大学教育について二つの改善点を模索してきた作業が結実したものだと山極総長は説明する。

 一つ目は、高校教育と大学教育がうまく接続しなくなったことだ。そもそも、国立大学は一貫して5教科7科目の筆記試験を課すことで、総合的な能力を有する学生を受け入れてきた。しかし、1980年代あたりから高校教育で個性重視が称揚されるようになり、教育の弾力化や多様化が進行した。同時に、偏差値重視の大学入試が大学を序列化し、受験生が「入りたい大学」でなく「入れる大学」を選ぶようにもなった。こうした結果、高校教育に偏りが生じるとともに、高等学校間で評価の基準が異なり、高等学校が出す成績や単位認定の判定が困難になったと山極総長は語る。

 これは、高大接続の繋ぎ目に綻びが生じたことを意味する。近年、京大が高校生向けの科学講座として、「グローバルサイエンスキャンパス 科学体系と創造性がクロスする知的卓越人材育成プログラム(ELCASエルキャス)」を進めてきたのは、こうした高大接続を強化するためだ。高校生が京大の研究室に月2回通い、教員や大学院生から直接指導を受けながら実験等を体験する。大学側からみれば、こうした機会は高校生の能力に直接触れる好機だ。高校生の能力を見ながら入試のあり方を考えることが必要だと思ったと山極総長は述べる。

 もう一つ、大学教育において教養教育がやや軽んじられるようになったことが指摘できると総長は言う。1990年代前半に教養部が解体されて以降、大学において教養教育を支える組織体制が弱体化した。1993年に教養部を廃止した京大でも、それまでの一般教育を担っていた教員が研究科に配属することとなった。さらに大学院重点化が進められたこともあり、学部教育なかんずく教養教育が軽視される傾向が生じた。そこに危機感を覚えた関係者は、教養教育をいかに立て直すか、議論を始めた。

 学内の議論は、教養部廃止のちょうど20年後、2013年4月に教養・共通教育の企画及び実施を担う「国際高等教育院」の設置に結実する。国際高等教育院の設置をめぐっては学内に慎重論もあったが、教養教育の改善の必要性の認識とその方向性はかなり早い段階で合意されていたという。

 こうしてみれば、高校教育と大学教育との結節点に位置づく大学入試が鍵となることは論を俟たない。そこに手を入れることで、高校・大学の両者に刺激を与えることが可能だ。「特色入試」は、高校教育から大学教育へ、生徒や学生の連続的な学びと育ちを実現する仕掛けだと言っていい。

教育理念を根底とした入試設計

 特色入試の設計思想の根底には、創立以来、京大が維持してきた教育に対する基本理念「対話を根幹とした自学自習」、それを基盤に培ってきた「自由の学風」が位置づいていると山極総長は強調する。

 京大は、1897(明治30)年、当時の帝国大学(現東京大学)に続く第二の帝国大学として創設された。京都帝大の創立には、明治国家の官僚養成を担っていた東京帝大の役割を補完する意味も込められていた。京都帝大の構想を作った西園寺公望は欧米の大学に学び、東京帝大とは違う大学として、当初から自由な研究、自由な思想を育む大学たることを目指した。その伝統が現代にも受け継がれていると山極総長は語る。

図表1 受験生向け告知ポスター

 ここで重要なのは、教育理念に掲げられた「対話」だ。単に「自由」というだけでは不十分だ。総合的な学力を持った者同士が対話をしながら領域を超えて自由に討論することこそが大切だ。一つの能力に秀でた学生が多くいるだけでは対話になりにくい。基礎的・総合的な学力を基盤に、教養教育を通じて多様な学問を横断しながら教養を高めていく、その中で独創的な精神、新しいことに挑戦する意欲が育まれるはずだと山極総長は言う。

 「対話」を通して学生を一貫して育てるという点では、高校教育の役割も見逃せない。高校の先生に向けてメッセージを出すとしたら、山極総長は「基礎的学力を担保したうえで個性重視をしてほしい。そのためには、高校の先生も大学の先生と対話をして引き出しを増やす必要がある。今世界で何が考えられているかを高校の段階からやれば、高校生の力も格段に伸びるはずだ」と期待を掛ける。

 もちろん、学生の教育を担う大学の責任も軽視できない。山極総長は、大学にもっと「生意気な学生」に入ってきてもらい、「従順な学生ではなく、常識を疑って世界観を独自に作ることができる学生を育てたい」と語る。そのためには、ドグマに陥らないように対話を続けていくことが必要だ。対話には、学生同士はもちろん、学生・教員間のそれも含まれる。京大では、特に研究の場において学生と教員は対等だという意識が強い。学生は教員の考えを鵜呑みにするのでなく、自分の考えを述べながら新たな考え方を提案していく。そんなフラットな関係性を構築しながら、分野を超えて異なる能力と出会い、対話を通じて「野生的で賢い学生」に育っていってほしいというのが総長の思いだ。

 だからこそ、特色入試では、学生の学ぶ意欲や志を尊重することに重きを置いている(図表1)。自ら学ぼうという意欲のある学生は、放っておいても教員に話しかけ、学問の現場に主体的に働きかけていくはずだ。特色入試の目標はそんな学生を集めることだ。その意味で特色入試は「落とす」入試ではない。むしろ、受験生の学ぶ意欲を買い、「希望を受け入れる」入試だと山極総長は説明する。

「学びの設計書」で意欲を評価

 では、実際に、特色入試はいかなる構造で実施される入試なのだろうか。

 特色入試は、高校教育における成果を意識し、「高大接続型」に入試を改革することを目指した学力型AO入試だ(ただし、医学部医学科と工学部は推薦入試)。図表2にみられるように、特色入試は、センター試験によって基礎学力の有無をみたうえで、次の二つの観点で合否の判定が行われる。

図表2 「特色入試」の狙い

 一つは、高等学校での学修における行動と成果の判定だ。判定材料となるのは、学業活動報告書、学びの設計書、調査書等だ。高等学校が作成する「学業活動報告書」では、高等学校における学修の顕著な活動歴や学びの実績が、志願者自らが作成する「学びの設計書」では、これからの学びと専門分野への志が評価される。

 もう一つは、個々の学部におけるカリキュラムや教育コースへの適合力の判定だ。ここでは、能力測定考査(大学入試センター試験の成績、論述試験、小論文、数学等)、口頭試問・面接等が課される。

 即ち、特色入試では、高等学校段階までの学ぶ力と、大学教育を受けるにふさわしい能力や意欲・志を有しているかが問われる構造になっている。ただ、この二つの観点が合否判定の軸となることは全学共通だが、具体的にどうやって学ぶ意欲や志をみるかは学部によって異なると有賀副学長は説明する。「求める人物像」や専門分野の特性が異なる以上、評価方法が学部・学科によって異なることはある意味当然だ。

 といっても、ほとんどの学部が課した「学びの設計書」で記載が求められる内容は、①当該学部(学科)への入学希望理由、②高校在学中の達成事項、③入学後の学びの設計、④卒業後における学びの活かし方だ。しかも、全ての学部が志願者に自筆での記入を課した。では、これらを使ってどのように、志願者の学びへの意欲や志を評価したのか。

 実際、学びへの意欲や志を定量的に測定するとなれば、それはなかなかに困難の伴う作業となることは想像に難くない。しかし、志願者が自筆で真摯に向き合って書いた「学びの設計書」が持つ意義を、各学部は評価していたと有賀副学長は語る。豊かな経験を重ね、将来に対する目的意識もしっかり備えた志願者が多く、一般の学力試験では測定できない「意欲」を直接見ることができたという。

 さらに、今までと異なる地域・高校の志願者が出願してきたことも注目されると有賀副学長は指摘する。その意味では、京大が発したメッセージがある程度受験生に伝わったと判断してもいいだろう。

初年度の課題と今後の見通し

 ただ、特色入試はまだスタートを切ったばかりだ。初年度の取り組みを振り返りつつ、次年度以降の改善につなげていく必要があると山極総長は述べる。もとより、今年度の出願状況は必ずしも期待した通りのものではなかった。志願倍率は、文系学部では後期日程である法学部を除けば平均3~4倍、理系学部(学科)では倍率の高かった理学部(11.8倍)や農学部(6.7倍)を除いて、総じて低調なレベルにとどまり、定員割れした学部学科もあった(図表3)。

図表3 「特色入試」出願・選考状況(2016 年度)

 その背景には、高校在学中の顕著な活動歴の例として挙げられた「数学オリンピックや国際科学オリンピック出場」が注目され、特色入試はハードルが高いというイメージが先行してしまったこともあるという。そうした経験はもちろん特筆に値するが、あくまでひとつの事例に過ぎない。むしろ、学ぶ意欲を見せてもらえるような募集や試験の方法を模索していきたいと有賀副学長は述べる。

 さらに今年度の特色入試では、意欲のある学生をどうやったら獲得できるか、特に理系学部が試行錯誤をしながら進めたところがあったという。まずはスモールスタート、今後うまく進んでいけば入口は必ず広がっていくはずだと有賀副学長は期待を込める。

 他方で、京大にとって今後の焦点は、特色入試で入学してきた学生達の成長をいかに保証するかだ。

 特色入試で入学した学生の意欲や夢が入学後にどう変遷し実現されていくのか、彼ら・彼女らの活躍が楽しみだと山極総長は言う。それを支援するためにも、京都で過ごす4年間の間に能力を試し伸ばすことのできる多様な機会を提供したいと山極総長は考えている。例えば、京都全体をキャンパスに見立てた「京都大学キャンパス計画」だ。京都市や京都府にも呼びかけながら、学生が利用できる施設や参加できる試みを増やしていきたい、そして学生には京都という地で学べることの良さや可能性を追求していってほしいと語る。

 その意味で、特色入試を通して発信しようとしているメッセージは、何も日本の高校生だけに限るのではなく、世界の優秀な高校生にも届けたいという。さらに、18歳だけでなく社会人にも届けたいと山極総長は言う。

 始まったばかりの特色入試。それが射程に収めるのは、世界も視野に入れた京都大学の教育戦略だと言っていいのかもしれない。

(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構 教授)



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