高校教育改革の本質と高校現場の現状②(荒瀬克己 大谷大学教授)

VOL①より続き

――ありがとうございました。続いて「指導方法の改善」についておうかがいしたいと思います。冒頭、アクティブラーニングの話題がありましたが、高校での取り組みはうまくいっているのでしょうか。

 高校現場でも当初、誤解がありました。本来アクティブラーニングとは、知識が定着するとか、学びが深まるとか、学習意欲がわくといった目的を持った手法のはずでしたが、型と受けとめる先生方が大勢いました。そもそもオールマイティーな型などなく、ある場面で有効でも、別の場面で有効であるとは限りません。そのため今は、型ではなく視点が大切だと強調しています。前述した教育課程企画特別部会の「論点整理」でも、アクティブラーニングにおける3つの視点を示しています。即ち、

ⅰ) 習得・活用・探究という学習プロセスの中で、問題発見・解決を念頭に置いた深い学びの過程が実現できているかどうか。 ⅱ) 他者との協働や外界との相互作用を通じて、自らの考えを広げ深める、対話的な学びの過程が実現できているかどうか。 ⅲ) 子供達が見通しを持って粘り強く取り組み、自らの学習活動を振り返って次につなげる、主体的な学びの過程が実現できているかどうか。

 つまり、深い学び、対話的な学び、主体的な学びの過程が実現できているかどうか。教わったことをテストまで記憶するだけの学び、閉じた学びからの脱却です。他者との関わりを深くする中で、例えば、「あいつがいると、すんなりいかないところが面白い」という気づきが生まれたり、場合によっては、「いや、よく分からないんだけど」と頻繁に口にする人物の存在価値が高まったり、というこ総合的な学習の時間については、うまくいっていないのが実情です。とりわけ進学校を中心に、大学入試に役立たないという見方が根強くあるように感じています。しかし、この時間は学びを定着するうえで大きな効果を発揮しますし、結果的に大学進学へのモチベーションにもなります。
 自分たちで課題を設定し、解決していく過程で「面白かった。もっと続けていきたい」という気持ちになることがあります。また、分からないものに出合ったとき、分からないけれどワクワクするということがあります。総合は、そういう時間として力を入れていく必要があります。分からないものに対して向き合う力、分からないけれど、あきらめずにやり続ける力、やってみて、面白いかどうか、その意義を判断できる力。これは、高校までに身につけておくべき大切な力です。
 言語活動の充実についても、思考力・判断力・表現力等を育成する観点から、引き続き重視する必要があります。相手に何か伝えようとすると言語が必要なわけで、それは教科・科目を問いません。自らの学びを言語化する作業は、単なる体験を経験として定着させることです。経験した
ことは次の学びへとつながります。
 大学入試に戻りますが、堀川高校の生徒が、京都大学の現代文の問題を読んで「美しい問題」と表現したことがありました。文章の面白さはもとより、問題を解いていくことによって文章により深く入り込んでいくことができる、と言います。生半可な理解では解けない。でも、設問が読解を後押ししてくれる。そうしたことを感じとったようでした。こういう気づきを生むような入試問題こそ本物です。高校としては、大学での学びにつながる言語活動についても重視することが必要です。


――高校教育改革に取り組まれてきて、実感値として改革は進んでいると思いますか。

 改革が進んでいるかどうかと問われれば、進んでいます。しかし、まだまだ。また、高校全体が同じ歩幅で変わっているかといえば、そんなことはありません。いずれにしろ、省察的というか、自分達のしていることを常に振り返る学校は、確実に前に進んでいると思います。
 その際に大切な視点が、学力の3要素であり、今回提示した育成すべき資質・能力の3つの柱です。「取り組みを振り返ったとき、こうした視点が見えていますか。もう一度見直してみませんか」という提案だと思っています。


――たびたび話題にあがる学力の3要素ですが、学校教育法の30条第2項では、前段に文言があるのですね。


 そうです。「基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない」というところばかり引用されますが、その前には、「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう」という文言があります。ここを見落としてはいけません。学校教育法は、初等中等教育に関わる法律ですが、生きるためには学び続けなければいけないわけで、高校教育で終わる話ではありません。生涯にわたり学び続けていくために、今、何をしないといけないのか。それが高校はもちろん、大学にも問われています。そこをつなぐことが、真の高大接続だと思います。