リカレント教育と日本の大学[14]/最先端を担う人材を育成するためのサポートとは?~北陸先端科学技術大学院大学の場合
社会人プログラムにおける「誰に」「何を」の設定の重要性
社会人を対象としたプログラムを創設することは、18歳入学者を主たる対象とする現在の日本の大学にとっては「多角化戦略」。これまでこの連載で述べてきたように、この戦略を成功させるためには、建学の理念や大学が持つ資源と社会が求めることを考え合わせて、「誰に」=ターゲットを明確に定め、「何を」=そのターゲットへの提供価値を設定することが肝要だ。社会人から評価され、安定的に募集を成功させているプログラムはどれも、「誰に」「何を」が明確であり、かつ、教員・職員にそれが浸透している。
どのようなカリキュラムを組み、どのように社会人学生をサポートし、どう学習コミュニティーを構築していくか…。こうした教育内容や教育方法は、設定された「誰に」「何を」に基づいて考えることでおのずと定まる。修了生との継続的な関係を構築し、そのフィードバックをもとにプログラムを更新していく取り組みも、「誰に」「何を」を設定したことで進みだしていく。
一方で、18歳入学者がほとんどである多くの大学では「誰に」は自明のもの。これまであえて意志を持って設定することがなかったからか、「誰に」=ターゲットを明確に設定することをためらう大学は少なくはない。しかし、社会人学習者は、学ぶことを促されているわけでもなければ、必ずしも大学・大学院に進学する必然性もない。それでも自らの意志で学習・研究の道を選んでいる(だから社会人学生には基本的に「不本意入学」という行動は存在しない)その意志に応えるのならば、大学の側にも、明確に応えようとする意志が必要になる。
言わずもがなのことではあるが、ターゲットを絞り込むということは、それ以外の社会人を拒否することではない。ターゲットを設定することは、年齢や性別、職業といったスペックを限定することではないからだ。社会人プログラムのターゲット設定において重要なのはそうしたスペックではなく、どのようなキャリア課題を持った社会人を対象とするのかということ。学習コミュニティーが形成されるのも、効果的なサポートを行うことができるのも、大学側がどのような課題を持つ学習者に応えようとしているのかが明確だからこそである。
今回は、社会人学習者に効果的なサポートを行っている社会人大学院のケースとして、1990年石川・能美市に開学し、2003年より東京・品川において社会人学生を対象としたプログラムを開設した国立大学法人北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)に注目する。ご自身も社会人学生としてJAISTで学ばれた経験を持つ内平直志教授(副学長・東京サテライト長)にお話を伺った。
内平直志
北陸先端科学技術大学院大学
副学長・東京サテライト長・教授
―国際的な学会で発表される社会人学生もいらっしゃるとのことですが、どのようにサポートされておられるのでしょうか?
内平教授:
本学の「学生へのサポート」として特徴的なのは、学生が国際学会で発表を行う際のサポートでしょう。まずは資金面。学会参加費、あとは交通費、学会の間、3日とか4日とかの宿泊費…海外の場合だと、安くても20万円くらいかかりますかね、そういうかかったお金を大学がサポートする制度があるのです。もちろん予算的な制限はありますが、この制度を利用することで、所属企業のお休みさえとれれば自分のお金を使わずに行くことができるんです。領収書をとって精算する。これは基本的に、教員・研究員の場合と同じです。それに加えて、英語論文の書き方のセミナーがあったり、国際的な学会誌への投稿を行うための指導があったり、まさに、研究成果を世界に問うという人に対するサポートになっている。本学では学生への支援が本当に充実していると思います。
学生による国際学会での発表風景
―教員の先生方が学会で発表されるのと、学生の方が発表するのと、JAISTにとっては同じことなんですね、発表される研究の質が重要だ、と。
内平教授:
そうです。今、日本の研究力が落ちているというのが大きな課題になっています。その課題を解決するために、社会人で優秀な実績を上げてきた方がちゃんと研究して発表していく。そうやって日本の研究力の向上につなげていくというのが本学の考え方ですし、実際に貢献できていると思います。
そもそもなのですが、今、日本の博士課程在籍者のうち約40%は社会人なんですよ、既に。社会人なくして、日本の博士課程というのはなりたたない、そういう状況になっているんです。JAISTはもともと、基礎研究を担う大学等研究者の養成とともに研究開発を担う企業の高度技術者の育成を目指して開学した大学院大学です。社会人が自らの質の高い研究を世界に発信して日本の研究競争力のアップに貢献してもらい、かつ、その成果を企業に持ち帰って、ビジネスに役立ててもらう。これが一番理想的なかたちです。
―学ぶ社会人の側から考えた時、「研究」はどのような意味を持つものと内平先生は考えておられるのでしょうか。
内平教授:
そこは非常に大事な点です。我々は研究というものを非常に重視しているわけですけれど、研究というのは、単に外にあるものを学んで身につけるんじゃなくて、自分のなかで新しいものを生み出していくということなんです。これは、社会人にとって、博士課程はもちろん、修士課程においても非常に意味があることだと思っています。
学んだことをそのまま応用するというだけだと、結局それ以上のことはできません。たとえばビジネスのいろんなフレームワークを学んで、自分の職場で適用してみる。そうするとだいたい、そんなに簡単にばっちりはまりません。結果、これもう使えない、とそういう話になってしまう。ところが、そのフレームワークを自分なりに研究して、新しく自分ならではのフレームワークを作る、という訓練をした人は、「あてはまらないのならここをこういうふうに工夫して、こっちのこの情報と組み合わせてみればいい筋道ができるんじゃないか」、そんなふうに考えていくことができる。応用力が圧倒的に違うんです。私は企業へのインタビューも行っていますが、はっきりと言われますね、単に最先端を身につけてもらいたいのではなく、本当の応用力を持つ人材を育成してほしいと。それは、自ら研究することを通してでないと実現できない。
そして、実は「最先端」ということについても同じことが言えます。我々のところに多くの方がご応募いただいているのは、IoTとかAIとか、デジタルトランスフォーメーションをITからマネジメントまで一貫して勉強できる、そういうところを評価してもらっている。特にこのデジタルの分野は、最先端がどんどんどんどん更新されていきます。既存のものを教科書で勉強していくのでは全く追いつかないし役に立たない、研究の最前線で何が行われているのかということをつかまえなければならない。AIなんて3年前は大昔なわけですから。でもそれは、自分が最先端の研究をしているからこそ捉まえられるわけです。
専門職大学院では必要としていないところも多いですが、我々のところでは修士論文を書いてもらいます。A4にして80ページ程度でしょうか、論文として価値のあるものをまさに書き上げるということ、そのなかで訓練が自然にされていくという感じですね。修士論文の発表会っていうのは、ほとんど学会発表と同じレベルですから。
修士論文を作成するというのは大変なことです。ですから、我々が対象としていて、実際に来られている方は、自ら最先端を担おう、研究して新しいものを生み出そうという意志を持っておられる人。そうではない方は入学試験を通過するのも難しいと思います。説明会の時にも、勉強したいだけの方は別の場所に行かれたほうがいいとはっきり言っています。ですから、自ら悩み考え創造することが重要で、指導も手取り足取り、というわけではありません。教員が学生に一方向で知識を提供する、指導するというイメージを持たれるとちょっと違う。
―となると、指導というのは具体的にはどんなことを行っておられるのですか?
内平教授:
私の研究室にも、いろんな分野のプロ、その世界の一流の方がいらっしゃっています。今はグローバルにいうとPh.D.がないとまともに相手にしてもらえないという状況もありますから、博士課程へ進むことも視野にいれておられる方も多いですね。
皆さん現場のプロフェッショナルで、ドメインの知識は我々以上にお持ちです。一方で、それを研究していくときのフレームワーク、あるいはどんな先行研究があるのか、どう探していけばよいのか、などの学術上の知識やスキルはない。我々が提供し訓練していくのは、そういう研究の方法やスキルです。
例えば学問的なフレームワークや理論、モデル…教員側は様々な論文を読んだり、過去の研究の経験からもそうしたものを持っていますから。「この現象はこの論文のこの理論、モデルを使うとうまく説明できる可能性があるよ」「こちらの方法ならこういう効果があるよ」といったような引き出し、料理の仕方の選択肢を提供していくのです。
次に重要なのは「お互いの学び合い」です。社会人コースの場合、その点はきわめて重要です。研究室のゼミにおいても、半分は博士課程の方だったりする、そういうなかで議論をしながら、意識も知識もあがっていく。修士課程の方々にとっては目指すべき将来像、それこそ国際学会での発表を成し遂げた方も身近にいる環境です。応用力と最先端を身につけたうえで、研究っておもしろいね、もっと続けたいという方が博士課程に進み、研究を進めていく。そういう雰囲気、校風も、我々が提供しているものでしょう。
研究を進めるという面ではもちろんアドバイスや指導を行いますが、むしろ、協働でいろいろやっている感じになってきます。私のほうが得ることもすごく多いんです。おもしろいことをやられている方がいると、楽しいですよ、こっちもね。たとえば自動車会社で自動運転のリーダーをされている方、ネットのビジネスでAIの部門を取り仕切っている方だとか、そういう方々ですから、個別に手取り足取りっていうよりも、お互いに「おもしろいね」「それいいじゃない」という感じで、一緒になって切磋琢磨しながら、こちらも学ぶ、むこうも学ぶ、でいい研究を進める。すごくいいものができあがっていく。さらに、学会発表においては我々教員との連名になりますから、共同研究という意味で、自分のアイデアもどんどん議論の中で出していきます。そういう、一緒にいいものを作りあげていくという雰囲気なのです。
演習形式の講義風景
―そうやって、最先端が身近なものになっていくのですね。それはどの研究室も同じ雰囲気ということなのでしょうか?
内平教授:
非常に特徴的なのが、複数教員による指導が行われるゼミだと思います。
これは、2003年に我々の社会人コースが創設された時からある、もう20年になる伝統なんですね。実は私自身が、その当時にまさに学生として入学して学んでいたんですよ。ですのでその狙いも有効性も実感しているところです。
社会人学生はそれぞれがプロフェッショナルですから、いろんな知識・知見を持っている教員から自分で取捨選択して、自分の中で統合していくことが可能です。これが若い学生の場合だと、あんまりいろんな人がいろんなことを言うと混乱してしまうでしょうが、自分の中に研究したい核を持っている社会人であれば、専攻を異にする複数の教員の持つさまざまな観点から指導を受けることで、効果的に研究を磨いていくことが可能になります。
最先端の領域は基本的に学際的です。たとえば私の属している知識科学。そこは、マネジメント系の社会科学、データマイニングやAIの技術的な側面、デザイン的な発想支援など、多種多様な観点を組み合わせることが前提となるといってもいい。
そこで、月に1回か2回、何曜日のこの時間は、この教室でデータサイエンスのこの教員、経営学のこの教員、デザイン系のこの教員が待っています、と、そんな機会を設けているのです。学生は自分の研究テーマに応じてそこに参加して、さまざまな分野の最新の状況や問題意識を学び、アドバイスをうけることができる。また教員のほうからも、ぜひこの件に関してはこの複数教員ゼミに参加してこういう先生の指導をもらってください、そういうアドバイスもします。
学際性を標榜していても、ただ複数分野の研究室が寄せ集められているだけでは仕方ありません。学際性を実質化するための、研究室の枠を超えた指導の仕組みなのです。
複数研究室による合同ゼミ合宿
―領域の異なる先生方が同時に指導するというのは大変なことではないでしょうか?
内平教授:
逆に、この複数教員指導のシステムというのは、実は教員間の大きな学びになっているんです。
一人の学生さんに対して、30分間、同じ部屋で3人の教員がアドバイスするんですよ。そうすると、こういうテーマに対してこの先生はこういうふうにアドバイスをするのか、ということを、私も聞けるわけです。その3人がどんどん入れ替わる。今日はこの3人、来週はこの3人っていう感じで。そこから自然に、それぞれの先生方のいい指導法が勉強できるんです。教員全体のレベルアップにつながっていると思います。何か問題が起こったとしても一人で抱え込まなくて済むという利点もあります。
研究のレベルを高めるという意味においても、教員、学生が一体となったコミュニティーを作るという意味でも大きく寄与している、JAISTのあり方を代表する仕組みです。
―専門的な経験を持ち、最先端の研究を担おうという意志を持った社会人に対し、海外の学会で発表できるレベルの研究ができる力を提供していく。教育の内容、方法、教員・学生一体となったコミュニティー、そして学生のサポートまで、それを実現するために形作られているということですね。
内平教授:
JAISTは、「日本の研究力を高める」という狙いのもと開学した大学院大学です。その目的の実現のため、例えば学生の収容定員も教員一人あたり10以下となるように制度設計されているなど、一般的な大学とは質の異なる環境が整えられています。一人ひとりの研究を個別にじっくりと指導し、最先端の研究成果を上げられるところまで高めるために、本学ではこれまでお話ししてきたような社会人向けの教育・研究体制を整えていることをぜひご理解頂き、本学に関心を持って頂ければありがたいです。
文/乾 喜一郎 リクルート進学総研主任研究員(社会人領域)
(2021/12/21 取材日2021/9/9)