自ら課題を発見し、イノベーティブな解決策を導き出す人材を育成する/武蔵野美術大学 造形構想学部クリエイティブイノベーション学科

POINT
  • 1929年創立の帝国美術学校を前身とし、東京都小平の鷹の台キャンパスで造形学部11学科の教育を展開。2019年に創立90周年を迎え、2学部12学科体制に移行
  • 「教養を有する美術家養成」を建学の理念に掲げ、美術家とは、技術的専門性だけではなく総合的人間形成をもって成るものとする
  • 2014年に第一次中長期計画を策定し、中長期的戦略に「都心キャンパス」「グローバル化」を掲げる


 武蔵野美術大学(以下、ムサビ)は2019年に市ヶ谷キャンパスを開設し、造形構想学部クリエイティブイノベーション学科(以下、CI)と大学院造形構想研究科を同時開設した。その趣旨について、長澤忠徳学長・CIの井口博美主任教授にお話をうかがった。

問いを立てて解決への道筋を見出せる人材を育成する

 CIの設置目的について、大学HPにはこうある。「現代社会における諸問題に対して、既存の考え方にとらわれず、自ら課題を発見し、イノベーティブな解決策を導き出す人材の養成」。社会変革期にあって「何が問題か」「今何を解決すべきか」という問いを発し、解決の方向性を見定め、そのために手を動かす技術とクリエイティブな感性を備えた人材を育てるのが趣旨だという。こうした能力を「創造的思考力」と称し、実社会での応用を前提にした学問体系を新たに構築したのがCIだ(図参照)。「ムサビでは主体性・人間性・思考力・表現力を培う人間形成を含めた美術教育を行ってきた実績がある。CIではそれに加えて、社会問題の解決に資する人材育成にフォーカスを当てていきます」と井口教授は言う。

 「美大教育は特定の一分野に秀でた発掘・養成だけでなく、答えのない未知の課題に創造的解決を創り上げていく柔らかな知性の開拓であることを存在として示す必要がある」と長澤学長は続ける。一般的に美大と聞くと、「センスの世界」「徒弟制度」等、ハードルの高さを感じる人は多いだろう。しかしその実は、社会で養成が必要とされる能力を総合的に学ぶ場であり続けてきた。また井口教授は、昨今の風潮についてこう話す。「今は『デザイン』を実社会に応用する有用性を認めた総合大学のデザイン系学部学科設置が一方で増えてきている。これまで美大が実践してきた領域が、美大以外の大学に語られる。美大がそれを静観していて良いのか、という思いがありました」。そうした葛藤が1つの方向性を生んだ。即ち、次代に即応する美大教育の体現。それが新学部であり大学院であり、都心キャンパスなのだという。

図 CIカリキュラム概念図

デザインの本質が根付かない国、日本

 構想の背景に再度焦点を戻そう。

 理解を深めるには、まず、日本におけるデザイン振興の経緯を知っておく必要がある。長澤学長は話す。「世界的潮流から見ると、日本は昔からとにかく遅れている。美術は理解する文化水準も必要だし、よりよく自分らしく生きるには、という命題に真摯に応えるQOL(Quality Of Life)の領域。必然的に、国の文化的成熟度と時代変遷に左右される性質があります」。

 1980年代の産業振興を経て、名古屋で「世界デザイン博覧会」が開かれた1989年はデザインイヤーと呼ばれた。様々な活動の質を高めるデザインの有用性が叫ばれたが、その直後にバブル崩壊が起こる。QOLは基盤が不安定な状態では広がらない。産業が盛り上がらなければ人材育成も進まない。2000年台に再び復活の兆しがあったが、2008年にリーマンショック、2011年には東日本大震災があった。日本では不景気や災害等がデザイン振興に歯止めをかけてきたとも言える。しかし、昨今は既存の学術だけでは打破できない社会問題の山積から、先に挙げたような総合大学の動きが表すように、デザインを筆頭に美術教育に注目が集まっている。「デザインは本来、課題を設定して解決する一連の行為ですから、それ自体は当然とも言える」と井口教授は言う。「しかし、日本は未だに欧米の模倣に飛びついたり、小手先の技術や実践の流行り廃りに振り回されたりしがちで、本質的なアプローチを模索するスタンスに乏しい。このタイミングで美大として動くことは大きな意味があると考えました」と長澤学長は話す。

非美大志望層を獲得する

 もう1つ考慮すべきは美大がマイノリティ(少数派)である点だったという。昨今の大学改革の背景に少子化があるのは周知の事実だが、それに加えて、美大は長らくマイノリティ(少数派)分野であった。「特に震災を機に、日本全体が命や社会貢献を重んじる風潮になった。美術はすぐに人を救う資格職ではない。では、デザインを学ぶことは、生きるか死ぬかの世界で、あるいは震災後の社会再生において、何の役に立つのか。すぐに役立つ医療職の方がいいのではないか。そう考える高校生が増えました」。本来デザインとはこうした局面でこそ必要な領域なのだが、その本質が理解されていないこともこうした風潮に拍車をかけた。また、震災後の不景気で堅実な就職を望む保護者からすると、ただでさえ学費が高いと敬遠されがちな美大よりも、実学系の総合大学が人気となるのは道理かもしれない。

 こうした状況を背景に、ムサビでは「これまで美大を選ばなかった」属性を獲得する必要性に迫られる。ファインアートを好む従来の美大進学者は、比較的経済的余裕がある家庭や、美大を目指して早期に実技を磨いてきた層が中心だったが、経営的な観点のみならず、社会ニーズに即した美大の在り方を模索し、存在意義を再考したい。「非美大志望層の獲得」は1つのテーマとなった。本来のアートとは「術」であり、社会課題を解決する手段であり、普遍的な思考フレームであるはず。今回の新学部開設も当然そうした検討の延長線上にある。

 そして、デザインに注目が集まる中で、CIのコンセプトはそうした層に届いたのであろう。一期生の様子を聞くと、総合大学との同時合格を経てCIを選んでくる学生、コミュニケーション力と行動力があり、積極的で規律を守る学生、概ね狙い通りこれまで美大を選ばなかった層が揃ったという。

100周年に向けたムサビのイノベーション

 ムサビが2014年策定した第一次中長期計画では「美術、デザインを専門とする大学として高い教育・研究力を発揮し、専門性と豊かな教養を備えた人材を育成するとともに、学術・文化を世界に発信する拠点としての地位を確立すること」を目標に、その戦略として、①都心キャンパスの開設、②グローバル化を掲げている。長らくの1学部体制に新学部を設置し、キャンパスも鷹の台と市ヶ谷の2つとなり、大学運営上も多くの変化が起きた。現在、ムサビは事務組織の変革も含めた新しいムサビを模索しているフェーズにある。今回の改革をきっかけに、100周年に向けて、「教育・研究・サービスの3機能を拡充すること」が大きなテーマだという。今回の改革は単なる拠点整備や新増設ではなく、100周年に向けたムサビのイノベーション、次代の美大創りのステップとも言えるのだ。

 市ヶ谷キャンパス1階には無印良品との共創実験スペースを設けたほか、立地を生かした産学連携のプロジェクト型授業の推進、企業のオープンラボをキャンパス内に設置する等、これまでにないチャレンジが続く。「我々が掲げるコンセプトは『Beyond the rules』とも言える。ルールを破るという意味ではなく、既存の社会システムが通用しなくなった後でルールを構築する側に回れるかどうかが、今後の人材育成の鍵です」と、長澤学長の言葉は力強い。井口教授も言う。「美大が得意とするものづくりは、発想力や造形力、他者に伝える論理力や伝達力等、あらゆるものの統合的活動です。これらを実社会で応用するための具体的な方法を学ぶ試みの場として、CIが都心で根づくことを期待したい」。

 取材を通して何よりも印象的だったのは、話をしている長澤学長と井口教授がとても楽しそうなことである。実践者の本気のわくわくの先に、果たしてどんな人材が送り出されるのだろうか。

カレッジマネジメント編集部 鹿島 梓(2019/8/6)