次代を見据えた分野横断型「AI活用人材」育成プログラムの開発/関西学院大学

関西学院大学キャンパス


 政府は2019年6月、「AI戦略2019」の中でAIを使いこなせる人材を年間50万人育成することを目標に掲げ、そのために、標準カリキュラムや教材の開発といった教育改革を推進しつつある。確かに、近年IoTやAIの普及には瞠目すべきものがあり、社会実装の試みが急速に広がっている。我々はすでにAI技術が基盤となる新たな社会へのとば口に立っていると言っていい。

村田 治 学長 巳波弘佳 理工学部教授

 そんな歴史的転換期を前に、AI基盤社会を生き抜く力を備えているかどうかを問うだけでは十分であるとは言えない。より積極的に且つ戦略的に、AIのメリットを十分に活用できる力を備えているのか、少なくともそのための準備ができているのかを真剣に問うべきだ。その問いに答えを出す責任の一端は、言うまでもなく、社会の負託を受けて高度な教育研究活動を営む大学にある。

 本稿では、そうした社会的変化と社会的ニーズをいち早く感知し、文系・理系の壁を越えて全学的にAI活用人材の育成に乗り出している関西学院大学(以下、関学)の事例を紹介したい。詳細は後述するが、関学のAI活用人材育成プログラムは、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)との包括的な産学連携AI共同プロジェクトを推進する中で開発されてきたものだ。しかも、現場における「AI活用」を担うことのできる人材育成を特徴としている。

 プログラム開発意図や目標・内容について、村田治学長、そして実際にAI活用人材育成プログラムの開発に当たった巳波弘佳(みわひろよし)・理工学部教授にお話をうかがった。

2039年の世界から描く長期戦略──理系再編とAI人材育成

 関西学院は1889年、キリスト教主義に基づく全人教育を理念とし創立されたが、創設時はわずか教師5人と生徒19人の小さな学校にすぎなかった。それから約130年を経た現在、7つのキャンパスに設置された11学部・14研究科に加え、高等部、中学部、初等部、幼稚園、インターナショナル・スクール等を擁し、約2万7000人の学生・生徒や1000名を超える教職員を抱える総合学園へと成長した。これまでに輩出した同窓生は22万人を超える。まさに日本を代表する私立学校の一つだ。

 それらを支えてきたのは、長い歴史の中で培ってきた伝統であることは明らかだが、それだけにとどまらない。時代の先を読み、新たな学校・大学のあるべき姿を追求し続けてきた長期戦略が機能してきたことも見逃してはならない。

 関学は、2010年に国際学部を開設、2014年には文部科学省の「経済社会の発表を牽引するグローバル人材育成(GGJ)」(全学型)、「スーパーグローバル大学創成支援事業(SGU)」等の採択を実現させる等、国際化を大きく進めてきた。そうした実績を基盤に、2018 年3月には「Kwansei Grand Challenge 2039(KGC2039)」が策定されている。創立150周年を迎える2039年までの20年間を見据えた「超長期ビジョン」(ありたい姿・あるべき姿)と、前半10年間(2018~2027)の方向性を定めた「長期戦略」からなる将来構想だ。興味深いのは、未来予測に基づく演繹的アプローチがとられている点だ。即ち、20 年先の未来予測を基軸に外部・内部の環境分析を踏まえる形で策定されていて、長期戦略の成果指標の中から最も重要なものをKPI(Key Performance Indicator)として抽出するとともに、将来構想全体の最終目標の成果を測る総合指標としてKGI(Key Goal Indicator)も設定されている。それらをさらに、学院全体の基盤計画や実施計画からなる「中期総合経営計画」へと落とし込み、実行に移す仕組みとなっている。

 こうして体系化された長期戦略の一環として、関学は2021年4月、神戸三田(さんだ)キャンパス(KSC)に理系4学部を新設する。長期戦略に謳う「理系の強化・充実」を具現化したものである。これにより、現在の理工学部と総合政策学部の2学部から「理学部」「工学部」「生命環境学部」「建築学部」「総合政策学部」の文系・理系5学部で構成されるキャンパスへと進化を遂げることになる。

 KSCでは、国連SDGsの掲げる「持続可能なエネルギー」をキャンパスの重点研究テーマの一つとして設定し、海外学修科目(PBL、フィールドワーク、実習、インターンシップ等)を拡充させると同時に、文理の境界を越えた分野横断型のアントレプレナーシップ教育を展開していく計画だ。その柱の一つが「AI活用人材育成プログラム」であり、2039年の世界を予測する超長期ビジョンから演繹的に導き出された取り組みである。そこには、まさに超少子高齢化が進む中でAIが劇的に変えているであろう未来社会を前提に、AIを現場で活かしていける人材を育成しようという戦略性が具現化されている。

日本IBMと連携してプログラムを共同開発

 関学がAI活用人材育成に向けて本格的に動き出したのはここ数年のことだ。その契機は、日本IBMが主催する天城学長会議の世話人を務める中で、2017年、日本IBMが開発した世界最高クラスのAIの一つであるWatsonが急速に社会で実装化されているのを知ったことだったと村田学長は語る。村田学長は、Watsonがチェスの世界名人に勝利するといったことだけでなく、例えば白血病を正確に診断し治療方法を提案できるようになる等、Watsonの実用化が本格化してきていることに驚いたという。

 しかし肝心なのはその先だ。AIの本格導入は、社会を、そして職場環境を変えていくに違いない。関学が多くの卒業生を送り出してきた業界の環境も当然変わる。例えば、金融業界にAIが実装されれば金融や保険業務の多くがAIに代替される可能性が高い。事実、金融業界の現場にAIが分かる人材、AIを理解し活用できる専門家がいないことが課題になりつつあった。そうであるなら、未来を見越した人材育成に転換を図っていく必要がある。今関学が有する強みが弱みに変わってしまわぬよう、強みをさらに強化していく取り組みが求められる。そんな危機意識を抱いたと村田学長は振り返る。

 もとより村田学長は経済学者という一面を持つ。関西生産性本部副会長として、生産性の研究も行ってきた。そんな村田学長の目には、かつてIT革命に乗り切れなかった日本が再びAI革命に乗り遅れ、生産性向上の機会を逸するのではないかと映る。米国は1990年代にIT革命で生産性を高めることに成功したが、日本は2000年代IT革命による生産性向上につなげることはできなかった。それは、日本社会が無形資産としての人材の育成・確保や組織改革を実現できなかったからだと村田学長は見る。日本はIT技術の研究開発には膨大な額を投資したが、ITを活用する人材の育成が進まなかった。人と組織が変わらなかった。AIもITの延長線上にある。AIを活用できる人材がいないとIT革命時の二の舞になりかねない。現場でAIが分かる人材がいないと日本はAIを使える国にはなれない、AIを活用できるボリュームゾーンを育成してくことがカギになるはずと村田学長は確信した。

 そう考えた学長の動きは速かった。即座に日本IBMと連絡をとり、AI活用人材育成プログラムの共同開発を提案したという。2017年7月から話し合いを始め、9月には人材育成や産学連携を含めた包括的な共同プロジェクトを開始し、翌年4月には学内でのプログラム設置検討が始まっている。日本IBMが社内に有するプログラムも参考にしながらプログラム開発を進めたと村田学長は語る。

 育成を目指すのは「AI活用人材」だ。最先端のAI技術を研究開発する「AI研究開発者」というより、AIを活用してビジネスの課題を解決に導く「AIユーザー」であり、そのユーザーにAIを活用した新しい問題解決手段を提供できる「AIスペシャリスト」だ。日本IBMと共同開発した同プログラムは、今後AI活用人材へのニーズが高まる企業にも使ってもらえるものになっていると村田学長は言う。

AI活用人材育成プログラムの展開と成果

 当初から現場でプログラム開発を統括してきたのが、学長補佐も務める理工学部情報科学科の巳波教授だ。

 巳波教授によると、プログラム開発当初、様々なAI人材育成プログラムを調査したが、AI技術を研究開発する人材は育成されているものの、現場でどう「活用する」かを考え、実装していける人材育成に焦点を当てたものはなかった。それゆえ、何をどう教えるべきか、膨大な教育内容をどう体系化するかを考えながら、一から作り上げたという。重視したのは、知識修得だけでなく、実践的なAI活用力が身につくよう、自分なら現場でどうするのかを考えさせるアウトプット重視のPBL(Project Based Learning)型演習を多く入れること。日本IBMの若手社員にも大学生の時に学びたかったことを提案してもらいながら開発を進めたと話す。

 こうして2019年4月から開講が始まった「AI 活用人材育成プログラム」の全体像は図1にみる通りだ。入門→基礎→発展へと段階的に構造化された、10科目からなる積み上げ型プログラムである(全20単位で卒業単位として認定)。初学者であっても、つまり文系・理系の境界を越えてAIやプログラミング等に関する特別な知識やスキルがなくても、履修可能なように設計されている。

AI 活用人材育成プログラム全体像(カリキュラムツリー)

 また、どの学部の学生でもあっても受講可能だ。それゆえ受講希望者も多い。入門科目の「AI活用入門」は初年度480人だった受講定員を、2年目の今年は900人(春学期・秋学期合わせて)までほぼ倍増させたものの、それでも倍率は約2倍で抽選から漏れた学生も少なくなかったという。ただ、1年生だけでも全学部合わせて5700人となる状況を考えると、もっと受講枠を広げる必要がある。今後は、受講希望の全学生が受講できるよう、e-ラーニング教材を開発中だと巳波教授は言う。

 本プログラムは全学部に開かれたものとして設計されていて、学生らもその特徴を十分に活用してくれていると巳波教授は語る。つまり、受講生が理工学部に偏ることなく、むしろ経済学部や商学部をはじめ文系学部からの受講生が大変多いそうだ。巳波教授は、意欲的な学生が集まってきていると感じている。「学生の学ぶ意欲に点火できたことが大きな成果ではないでしょうか」。巳波教授はそう語る。村田学長は、こうしてAIに対する学生の関心を高めることが成功できている背景には、学生自身も将来に対する危機感を持っており、激動の時代の中で生き抜くために自ら価値を高めようとしているのではないかと見る。

 このプログラムの受講生たちに求められるのは、「AI活用」という新しい考え方を身につけることだが、それだけでは十分ではない。巳波教授は、授業でも、各学部で学んでいる専門的な知識・スキルとAIとの組み合わせを常に考えることの重要性を強調するという。例えば、一見AIと無縁であるかのように思える法学部であっても、司法や行政の場でのAI活用はこれから重要になってくる。「AI×〇〇」によって専門性をパワーアップし、新しい価値観を生み出してほしいと巳波教授は期待する。

 プログラムで育成を目指すスキルは図2の通りだ。AIやIT、データサイエンスに関するスキルだけでなく、論理的思考力、課題解決力といったビジネス基礎スキルの獲得も想定されている。つまりは、「課題」に対して、様々な知識を組み合わせ、他者と協働しながら実際にAIをいかに活用していくのか、問題解決に向けて総合的にアプローチできる人材となるよう設計されている。

AI 活用人材育成プログラムで育成するスキル一覧

AI活用人材育成のその先へ

 もちろん、このプログラムの成果について、育成されたAI活用人材が社会で今後どう活躍するかを見るまでは確定的なことは言えない。しかし、関学にとって日本IBMとのAI共同プロジェクトが一つの画期となったことは間違いない。今後の社会の行方を左右するAI技術やその教育を大学に導入する覚悟を明確に表明するものだからだ。

 日本IBMとのAI共同プロジェクトでは、既にキャリア支援分野におけるAIの実装も行っている。キャリアセンターがWatsonを用いた「KGキャリアChatbot」を開発し、学生から来る質問の8割に適切な回答を与えているそうだ。このように高い回答率のAIを実現するためには、AIにどんな質問を与えて学習させていくのかがカギとなる。学生からどんな質問が多く、どのように回答すべきか分かっているのは現場の人間だけだ。つまり、より良いAIを実現するためには、現場の人間がAIを理解して活用できなければならないと村田学長は語る。AI技術の変化は極めて速く、今後ますますAI活用人材育成が重要性を増すに違いない。入試説明会でも高校生からAI教育についての質問が出るし、保護者の関心も高いと村田学長は言う。

 ただ同時に、関学が目指すのはAI活用人材の育成だけではないことを学長は強調する。これまで関学が強みにしてきたグローバル化や就職支援をさらに強化していくことに加え、2021年に理系4学部が開設されるのを機に理系人材育成にも力を入れていきたい、それは課題となっている日本社会の生産性向上にとっても重要だと村田学長は語る。

 さらに、2019年には関学の卒業生が身につけるべき10項目からなる知識・能力・資質を「Kwansei コンピテンシー」として定め、長期戦略(2018〜2027)に掲げる「質の高い就労」「学生の質の保証」「学修成果の修得」の実践に向けて動き出している。

 総じて、関西学院大学の目線は未来を生き抜く学生を育てることに焦点化されていると言える。その先に見えるのは、スクールモットーであるMastery for Service(奉仕のための練達)を実践する関学人の姿だ。



(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)



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