これからの社会に向けた「新しい教育改革」(安西祐一郎)

本誌は、中央教育審議会会長である安西氏に、教育改革の背景とその必要性について、高校や大学に何が求められているのかを聞いた。
(聞き手 小林 浩 本誌編集長)

日本学術振興会 理事長
文部科学省 中央教育審議会会長
安西 祐一郎

安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう)
1946年生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。北海道大学文学部助教授、慶應義塾大学理工学部長などを経て、2001年慶應義塾長(~2009年)。2011年10月より独立行政法人日本学術振興会理事長。中央教育審議会会長、日本ユネスコ国内委員会会長ほか役職多数。

20年後の日本と社会を見据えた教育改革

小林 中央教育審議会で議論されている教育改革の目的はどこにあるのでしょうか。

安西 今回目指している教育改革は、今のためではなく、未来の人材を育成するための改革です。まずは20年後の時代を見据えた教育の姿を思い浮かべなければいけません。それを高校の現場の先生方、また大学の先生方、教職員の方々が共有していくというのが最も大事なことだと思っています。これからの時代に生きていく子ども・生徒・学生達のために、今、何をしておくべきかということです。

小林 20年後の社会は、どのように変わっているのでしょうか。

安西 1つ目は、グローバル化とともに起こる世界の“多極化”です。これまでの米ソ冷戦二極構造やアメリカ一極集中の時代に比べ、世界が多極化してきています。このため20年後には、多極化し複雑かつ厳しくなった世界の影響が、日本に浸透してくることを意味しています。2つ目は、少子高齢化がかなり進んでいると思います。しかし、子どもの数が少なくなるということは、若い人達にとってはチャンスが広がるとも考えられます。自ら力をつけていけば、好きな仕事を選び取っていける可能性が出てくるということです。

求められる「主体性・多様性・協働性」

小林 そういう社会ではどんな人材が求められますか。

安西 私は、①「主体性」、②「多様性」、③「協働性」という言葉に集約されると思います。この3つの言葉は、高校生・大学生あるいは子ども達に贈る言葉であり、また高校や大学の教職員の方々にもぜひご理解頂きたい言葉です。そして実は20年後の社会が要求している言葉でもあるのです。これからの時代は、一人ひとりが独立して主体的に生きるということと、異なる背景を持つ多様な人達が互いに認めあって生きるということと、そういう人達が協力して生きるということ、この3つが必ず要請されます。少子高齢化・多極化世界が進むに従ってますます必要になるということです。

 もっと踏み込んで言うと、よく高校や大学の先生方は、「うちの学校では自主性を重んじています」「本学はAO・推薦入試で多様な学生が入学しています」と言われるのですが、では世界のどこかで全く知らない人の中に一人で放り出されたときに、主体的に自分のやりたいことが本当にできるのかということです。多様についても、本当に多様な人達の中で学んでいるのかというとそうとは思えない。ご存知の通り、日本の大学は、学部学生の3%しか社会人がいないという異常な世界です。極端に言えば、同じレベルの学力で、同じような家庭環境(所得)で育った、18〜24歳ぐらいの特定の年代層の人達だけが一緒に学んでいるというのが、日本の大学のキャンパスの姿です。ですが20年後には、一般の高校生だけでなく、社会人や編入学希望者、海外在住者、留学生など、様々な背景を持つ多様な人たちが学ぶ世界が来るでしょう。20年後の多様性は今の多様性とは全く違うのです。

小林 同質性の中での多様性ではなく、20年後は文化や言語、年齢など、背景が違った中での多様性、ダイバーシティがもっと進んでいくということですね。

大学入学者選抜だけでない一体的な教育改革を

小林 高校・大学・入学者選抜の一体的改革の必要性が言われていますが、具体的にはどのようなことが議論されていますか。

安西 20年後の「新しい高大接続」を実現するためには、「高校教育」と「大学入学者選抜」と「大学教育」を一体的改革で進めなければ意味がありません(図表1)。

 第1には高校教育の目標を持つことです。高校教育が、これまでのような大学受験ではない目標を持てるかどうかが大変大きなポイントだと思います。私は、一人で何でもできるようになるには、高等学校において大人になる準備をもっとしっかりやるべきではないかと思います。それは主体性・多様性・協働性ということの基礎をきちんと身につけるということです。

 第2は大学教育の目標です。大学教育においては、「主体的に学ぶ力を本格的に身につける」ことだと思います。主体性とは、自分で目標を見つけて、その達成に向けて実践する力です。

 しかしこれには、高校生の時点で既に自分で目標を見つけることができにくくなっているのではないかという課題も感じています。せっかく「僕は音楽がやりたい」と目標を見つけても、高等学校の教育方針の中では、なかなか実現されないことが多いのではないかと思います。むしろ職業・専門高校のほうが自分のやりたいことをやっているように見えるのです。もっと普通高校で自分がやりたい方向が伸ばせるような教育改革を行うべきです。この点で言えば、専門学校を選ぶ人はある程度の主体性を持っていると思います。これに対し、普通高校から大学に行くときには、なぜこの大学に行くのかがあまりない。アメリカの大学入学者選抜の面接で定番の質問に「あなたは私どもの大学にどんな貢献ができますか」というものがあります。こうした質問にまともに答えられる日本の高校生がどれくらいいるでしょうか。高校教育・大学教育・それをつなぐ入学者選抜を一体的に改革することで、生きる力と確かな学力を備え、自分でキャリアパスを作っていけるような若者を育てていくことになるのです。

 図表1の中央に「社会人」とありますが、20年後に社会でどういう生き方をしているかを、この一体的な改革の上にきちんと見据えておかなければいけないということを示しています。主体性・多様性・協働性は、高校から大学、専門学校などを経て、社会に出て活躍していく人達に共通する目標です。人は誰でも、生まれながらにして多彩な能力を持っています。その能力を見つけて、磨いて、他者に尽くしながら自分の糧も得て暮らしていくことは、自分の人生を幸せにすることだと思うのです。日本では、この自分で食べていくという点が抜けがちなのですが、それこそ多極化世界・少子高齢化が進んできたときに、若い人達にとっては、高齢者や世界の人が働く上でのライバルになるわけです。自ら糧を得られる仕事の力を身につけることができる高等教育機関となれるかが本当に大事だと思います。

個別の入学者選抜を主体性・多様性・協働性の評価に

小林 少し前は均質的な答えを早くだす能力が求められてきましたが、これからは自分の意見を持ち、主体的に行動し、糧を得る力が必要になるということですね。それを実現するために入試をどう変えるべきですか。

安西 まずは「個別大学の入学者選抜」の目標について述べたいと思います。もう入試という言葉はなくなってもいいかなとも思っていますが、大学入学者選抜のあり方を抜本的に変えていく必要があると考えています。個別大学の入学者選抜では、前述の主体性・多様性・協働性をどう経験してきたかということを見てほしいのです。さらに、そのポテンシャル(潜在力)を、当該大学における学びの場でどう生かしていけるか、そしてその先にどういう卒業生になるであろうかを見てもらいたい。

 個別大学の入学者選抜においては、面接、集団討論、論文等や、高校の調査書、受検者自身の活動報告書等から、主体性・多様性・協働性を多面的に評価することになります。調査書の様式も変えていくべきでしょう。個別の大学においては、面接・集団討論等の評価方法や調査書等の評価方法などの入学者選抜方法の開発や、入学者選抜に関わる人材の育成も含めて、20年後30年後を見据えてぜひご尽力頂きたいと思います。国もそれをバックアップし、予算的措置もきちんと確保していかなければいけません。

 またその選抜に対して、大学教育がきちんとフォローできていなければいけません。推薦・AO入試がおかしいのではないかと言われてきました。経営が難しい大学が青田買いで囲い込みを行うため、選抜機能を果たしていないという論点です。しかしもう一方で、大学に入ってからの教育カリキュラムが推薦・AO入試に対応していないということがあるのではないかと思います。つまり推薦・AO入試で入るということは、「これまでこういうことをやってきて、今後はこんなことがやりたい」。それを大学が「いいね、自分達の方針とあっているね」と学生を受け入れるのが本来のあるべき形です。では、そういう学生が入学してきた後で、これまでの継続とポテンシャルを伸ばしながら、他の学力も身についていくようなカリキュラムが多様に用意されているかというと、そんなことはあまりないのです。そこのギャップが大きいと思います。結局は、入学者選抜に一種のアメリカ風の入試をAO入試という形で接ぎ木したけれど、大学の中身は今まで通りだったために、AO入試がうまくいかなかったという面もあると思うのです。こうしたことから、大学入学者選抜と一体的に、主体性を重んじる学びの場を大学教育において作っていかないとだめだと思います。

 それと共に、当然学力が必要になります。学校教育法を基礎にした、学力の3要素があり、法律的にも学力の中に学習する態度まで入っていますが、その学力の中の「基礎的な教科の知識・技能」は達成度テスト(基礎レベル)※で評価しようというのが趣旨です。そして大学入学者選抜においては「知識・技能の活用力」の評価を重視していくべきなので、これを達成度テスト(発展レベル)※で評価します。では活用力とは何かというと、単に知識の暗記ではなくて、それを色々な状況や文脈、様々な場で臨機応変に使うことができるかどうかということです。

新たな共通テストの具体的な方向性

小林 共通テストの話が出ましたので、まずは基礎レベルと高校教育の関係についてお聞かせください。

安西 全国区の受験校から、なかなかそうはいかない学校まで、高等学校がかなり多様化しています。基礎レベルのテストは、高校生が自分の高校で身につけた力がどのくらいあるのかを自分で測るテストなので、ある程度広範囲な難易度のテストに設計すべきと考えています。それに発展レベルのテストを接続すれば、基礎レベルと発展レベルでかなりの幅の知識・技能とその活用力の評価を支えることのできる、ハイレベルな評価テストにすることができます。この2つの関係性を図表1の矢印で示しているつもりです。

 もちろん、知識・技能は基礎レベルで担保するので、主体性・多様性・協働性を個別大学がしっかり評価してくれるということが大前提になります。個別の大学もいわゆる基礎知識やその活用力に深く踏み込んでしまうと、全部が同じものになってしまうので、今までと全く同じになってしまうのです。

小林 多様化した高校の中で、コアの知識・技能とその活用力をきちんと測っていくということですね。

安西 知識・技能やその活用力の部分を測るときに、専門高校・職業高校などで進んできた生徒達にどう対応するかという未解決の議論があります。多様性を重んじるとすれば、いわゆる基幹科目を何教科と設けてしまうと、一様になってしまうのではないかと思います。専門高校・職業高校の生徒は、主要何科目以外のことを毎日一生懸命勉強しているわけです。工業数学を学んでいるのに、その問題がテストに出ないとなったときにどうなのかという課題があります。だから、できるだけ広範囲にしたいのです。音楽大学や体育大学、あるいは専門学校、社会に出たいなど、あらゆる志向の高校生が受けたいと思う基礎レベルのテストが望ましい。日本の世の中というのは往々にして、これまでの伝統から主要何教科と決まると、その点数で生徒を順位づけしてしまう。それを止めてもらいたいわけです。本当に大きな高校教育改革の目標というのは、達成度テストだけではありません。受験勉強ではない目標を高校教育で設定することなのです。

小林 もともと高大接続は、高校側できちんと質の保証を進める手段として達成度テストを導入し、基礎レベルで教育改善をしていきましょうというのが目的ですよね。

安西 今までの学力観の経緯は、「ゆとり教育」と「詰め込み教育」を行ったり来たりで戦後ずっと来ている。けれども、そのゆとりか詰め込みかという二項対立の時代ではないということです。基礎と発展で知識・技能とその活用力を担保しながら、個別大学が行う主体性・多様性・協働性の評価を組み合わせることによって、知識・技能と主体性・多様性・協働性の両方を前面に出した教育を行うべきです。

小林 発展レベルでは何を評価するのでしょうか。

安西 発展レベルのテストについては、国レベルで知識・技能の活用力を評価する技術や方法を至急検討しなければいけません。これについては、単なる教科のテストではなく、例えば教科を組み合わせた合教科・科目型の「問題領域」テストを中心に、総合的な学習の時間の学習指導要領に準拠した問題や、記述式の問題など、もう少し広い作問の仕方等がありうると思います。そうすると、CBT(Computer Based Testing)などをいれるか、複数回答とするかなどの案が出てきます。活用力を問われた時には、的確な情報を抽出したり、抽象化したり、組み合わせたりといろいろな力が試されます。あるいは、科学的なリテラシーや読解力、社会についてのリテラシーなども組み合わさると思います。例えば、国語の長文を読解し、英語の250ワード以内で要約しなさいという記述式にすると、文法や語彙など、英語のあらゆる力が分かるでしょうね。

 こういうことを言うと、「作問と問題の蓄積をどうするのか」「50万人分の採点をどうやるのか」といった質問が必ず来るわけですが、日本のアドバンストテクノロジーを駆使すれば、近い将来には実現できると思います。それには、民間のノウハウとパワーを含め、みんなの知恵を結集しなければなりません。それは何のためかというと、20年後の若い人たちが幸せに暮らしていくためなのです。

発展レベルと個別大学の入学者選抜の関係性

小林 共通テストと個別大学の入学者選抜をどう位置づけるのか、大学関係者は非常に気にしている部分だと思いますが。

安西 ペーパー入試に類する知識・技能の活用力テストについては発展レベルに任せて、個別大学の入学者選抜では、主体性・多様性・協働性を評価する方法に特化すべきというのがここでの考え方です。大規模私立大における入試の数や志願者は非常に多いので、知恵を絞らなければいけません。今、高校からの調査書や活動報告書について、多くの大学で実際には入学者選抜の判定に十分に使われているとは言い難いのではないでしょうか。こうした情報を将来を見据えてフォーマットも改め、活用できるような仕組みも必要です。そうなるとアドミッションオフィス、アドミッションセンターを充実していくことが必要になります。そうした面について国がサポートする必要性も議論しています。

小林 入学者選抜は、その大学に入る準備ができているかどうかを見るものになってきますよね。そうなると、アドミッションポリシーも今までのように曖昧ではなく具体的に作ることが求められますね。

安西 ええ。部会においては発展レベルのテストの成績基準をアドミッションポリシーの中に明示していく方向性で議論しております。本学部の受検資格は、「数学の評価A、英語の評価B…」など、学部・学科ごとに個別で示すことです。

小林 最後に大学へのメッセージをお願いします。

安西 20年後の世界をイメージしてみて下さい。受け身の教育から能動的な学習へ、入口から出口へ、考えを変えていって頂きたい。また、人生は一本線ではなく、複数の道があるのだということを、教える側が心から腑に落ちる形で認識する必要があります。そうでなければ、子ども達の未来は開けないと思っています。

(文/本誌 能地泰代)

※テスト名称については、その役割を明確化するために「達成度テスト(基礎レベル)」は「高等学校基礎学力テスト」、「達成度レベル(発展レベル)」は「大学希望者学力評価テスト」に名称変更が検討されている。(2014年10月10日中央教育審議会高大接続特別部会)