高大接続×改革工程表のトータルパッケージで未来を生きる子どもたちに必要な教育を実現(文部科学大臣下村 博文)
文部科学大臣 下村 博文
昨年12月に中央教育審議会より、2年半ほどの審議を経て「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」が答申された。1月には「高大接続改革実行プラン」が発表され、2月には「高大接続システム改革会議」が発足するなど、抜本的な教育改革の実行に向けた準備が着々と進められている。将来の日本社会のために、そしてこれからの未来を生きていく若者のために、今後どのような教育が行われるべきなのか、下村文部科学大臣にお話をうかがった。
聞き手
小林 浩 本誌編集長
“待ったなしの改革”の理由
ー 現在国が進めている教育改革について、文科大臣はよく“待ったなしの改革”と表現されていますが、今それが必要とされる背景は?
近代工業化社会を経て、社会全体が高度な情報化社会に変わりつつあるのに、教育は明治以来のまま大きく変わっていないことが大問題だと考えています。基本的には先生の板書を学生が一生懸命ノートに書き写して暗記するようなスタイルが中心。世の中の産業が製造業中心で、一定の品質のモノを大量に生産することが求められた時代には、そうした画一的・均一的な授業も有効だったのでしょう。しかしこれからは個別ニーズに即したモノやサービスを、いかにきめ細かくクオリティー高く生み出すかが問われる時代になります。「今の小学生が社会に出る頃には、その65%が現在は存在していない職業に就くだろう」と予測する学者もいます。別の学者は「今後20年程度で現在の仕事の半数がロボットによって取って代わられる」と予測しています。私達今の大人が想像するよりもはるかに大きな変化が、子ども達の時代には訪れる。そうした時代を豊かに生きるためには、それに対応する能力を今から子どもたちに身につけさせておかなければなりません。
ー 日本社会特有の少子高齢化の問題もありますね。
労働人口も消費人口も、GDPもこのままではどんどん減っていく。放っておいたら日本は世界に立ち遅れ、経済的にも凡庸な普通の国になってしまう。このことに私は強い危機感を抱いています。もちろん労働人口の減少を全て移民労働力で補うことなどできません。となれば、一人ひとりが持てる能力を今まで以上に発揮し、生産性を高めなければならない。子ども達の潜在能力を引き出すのは一にも二にも教育の力であり、役目だと思うんです。
職業の形も、会社の仕事も、人々の生活も変わる。そういう社会で生きようとするとき、若者に求められる能力は何か。まず求められるのが、課題に対して主体的に取り組む能力でしょう。これがあれば、どんなに時代が変化しても、それに対応していくことができる。課題を解決するためには、単に言われたことをやるだけではだめで、よりクリエイティブな企画・創造力が求められます。その一方でロボットやコンピュータには持ちようのない、優しさや慈しみといった人間特有の心や感性も忘れることはできません。
また、グローバル化が進む時代には、それに対応する能力の形成も重要な課題です。国際共通語としての英語力はもちろんのことですが、同時に自国の歴史や文化についての知識、つまりアイデンティティの形成といったことも欠かすことはできない。両方を身につけることで初めて世界どこででも仕事ができるようになるのですから。
子ども達のそれらの能力を最大限に伸ばすためには、暗記して終わりというのではなく、色々なテーマを子ども達自身に議論させながら考えさせる、アクティブ・ラーニングと呼ばれるような授業形態がもっとあるべきだと思いますし、入学試験も、単に知識の量を競うのではなく、思考力、判断力、想像力、表現力などを多面的に評価できるようなものに変わるべきだと考えています。
ノーベル賞受賞者の差は何を意味するか。利根川進氏の提言
ー 海外の大学と比べたときの国際競争力の強化も、重要なポイントになりますね。
今回の大学改革をめぐっては象徴的なエピソードが一つあります。1年ほど前のことですが、文科省が大学改革に取り組んでいることを聞き、ノーベル賞受賞者の利根川進さんがわざわざアメリカから私を訪ねてこられた。利根川さんが言うには、日本では最難関の大学学部といえば東大の医学部だが、この100年間、ノーベル賞受賞者は出ていない。ところがアメリカのシカゴ大学は受賞者を89人も輩出している。この違いはまさに、自分の大学・学部がどういう人材を育てるのかを明確にしたアドミッション・ポリシーがあるかないかの違いだと言うのですね。
日本の大学では、18歳時点での暗記能力をピークに入学者を選抜している。ところがシカゴ大学をはじめ多くの欧米の大学では、その学生が大学入学後、どのぐらい伸びるのか、入試ではその伸びしろを測っていると言うんです。その学生を入れたら、大学にとってどのぐらいプラスになるのか、社会にどれだけ貢献する人間になるのか。それを測るために、学力試験だけではなく小論文や面接試験を課して、高校時代のボランティア活動やリーダーシップ経験までも問う。大変手間のかかる入学者選抜の方法ですから、実施に当たっては大学の教員だけでなく、アドミッションの専門家や大学OBにも協力してもらっているというのです。
なるほどなと思いました。もちろん日本の大学の全てがノーベル賞の数を競う必要はない。ただ、東大の医学部ぐらいだったら、それを一つのバロメーターにしてもよいなとは思いますね。
私は、これからの時代は「オール5」タイプの子ばかりでなく、例えば数学オリンピックでメダルを獲ったとか、特定分野に秀でているといった異質な能力の人材も必要とされるようになると思う。そのためには知識の多寡だけではない、高校時代までの多様な経験や能力を評価するような選抜方法が不可欠になるのではないでしょうか。
3つのポリシーの明確化が大学の質を高め、個性化を促す
ー こうした考え方を背景に、高校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革を進める高大接続答申が出されたわけですが、そのポイントはどこにありますか。
まず重要なのは、大学入試の改革です。ただ、それだけで終わりではない。大学に接続する形で、高校以下の教育も含めた総合的な改革を、一つのトータルパッケージとして進めることが重要です。これを、一時の政策としてでなく、大臣や政権が代わっても継続していくような、ある程度長期的な計画をもって進める必要があります(図表1)。
大学にはまず、自分の大学・学部がどういう人材を育てるのかを明確にしたポリシーを作ってもらいたい。先ほど申し上げたアドミッション・ポリシーのほかにも、4年間でどういう知識を身につけさせるのか(カリキュラム・ポリシー)、何を身につければ卒業させるのか(ディプロマ・ポリシー)の策定を法的にも義務づけるようにする。この3つをパッケージにすることで、大学は入学する学生に対して責任を持ち、かつ社会に対しても、人材の質を保証することができるようになります。
そして、大学入試ではそのポリシーに基づいた個別選抜試験をやって頂く。さらに、これまでのセンター試験に替えて、思考力・判断力・表現力を中心に評価する「大学入学希望者学力評価テスト」を導入し、この結果を入学者選抜に活用するようにすれば、より多様な学生を受け入れることができると思います。
ー 大学入試をトリガーにして、そこから日本の教育を変えていこうとされているわけですね。これまでは、公平性の観点もあって、一律の試験でかつ1点刻みで合否を決定するようなことが重要視されていたわけですが、本当に変えることができるでしょうか?
世の中が変わり、海外の大学もそれに併せて進化しつつあるとき、日本の大学だけが昔の科挙のような試験制度のままで21世紀に通用するのかというと、それはありえない。つまり、文科省が変えるというから動くのではなく、本来、大学が社会の変化にどう対応したいのかという話が先なんです。大学自身が時代の変化に対応するための自己改革ができるかどうかが、今問われています。
多様な能力を評価すると同時に、学力も担保していく
ー 一方で今、私立大学の46%は定員割れ。実質的に学力試験を経ずに大学に入る子もいます。
まず、定員割れにしないためには大学の数を減らせばいいかと言ったら、そんなことはない。私は一つには、これからの大学は学生のターゲットを18歳に絞ることはもう止めたほうがいいと思っています。日本は25歳以上の大学入学者の割合が2%と低いのですが、ヨーロッパは20%近いところがたくさんあります。つまり社会人の学び直しが一般的に行われている。今後の日本社会でも、それに対応した大学改革が求められていくでしょう。
大学入学者の学力についても、大学の勉強についていけない子を無理やり大学に入れるというのは無駄なことです。しかし、日本の子どもが他の国に比べて基礎力が劣っているのかと言ったら、そうではない。ただ、勉強しなくても高校を卒業でき、大学にも入れるという現状が問題なのだと思います。そこで今回の改革では、高校生自らが高校段階での学習成果を把握するための「高等学校基礎学力テスト(仮称・以下同)」の導入を計画しています。多様な能力を積極的に評価して行くと同時に、基礎基本の学力もきちんと担保していくことが必要との考えからです。
大学は、AO入試や推薦入試を実施する際にはこの基礎学力テストの結果を参考資料の一部として用いることも可能です。基礎学力テストは、民間の検定試験で一部代用することも含めて検討しており、英検だったら何級以上あればよいとか、TOEIC®であれば何点から何点の範囲であればよいなど、一種の段階別評価や基準点のようなイメージで捉えてもらえればよいと思います。
これからも「選択され続ける」大学であるために
ー このあたりは、従来の入試方法に慣れている大学人は、考え方を大きく変えなければならないところですね。
まさに人材の多様化が求められる時代だからこそ、入学試験も一律である必要はないんです。ただ、そうした対応をやれる大学もあるけれど、やらない、できない大学もあるでしょうね。では、対応できない大学が、これからも選択され続けるかというと、私はそうではないと思います。
うちの大学はこういう学生を育てる、こういう学生に学位を与えて社会に送り出すのだということをポリシーに明確に謳い、同時に入試改革にも熱心な大学が結果的には選択されていくはず。もちろん、これには相当手間がかかりますから、国としてはそういう大学に対してはインセンティブ、財政的な支援もしながら応援していくことになると思います。
ー これまで日本は大学入試がゴールの国だったような気がします。偏差値とか、どの大学に入った人だから優秀だというような。しかしこれからは“卒業の国”になる。何ができるようになったかとか、どんな人材として社会に出て行くかということが重要になってきますね。
それはもう30年前からそうなっていないといけなかった。今の企業だって、東大出ているから出世が早いなんてことはないんじゃないですか。もしまだそうした考え方に囚われている人がいるとすれば、それは“幻想”だと申し上げたい。
課題解決能力、企画創造能力、人間としての豊かな感性、国際コミュニケーション能力、日本人としてのアイデンティティ…これらを総合的に身につけていかないと、これからは生き残っていけない。
つまり今まで以上にこれからの時代は厳しい。厳しいけれど逆にいえば、それだけ自分の多様な能力を伸ばすチャンス、可能性のある時代でもあると思うのです。可能性を活かせる人にとっては面白い社会が到来しつつある。そのチャンスを活かせるかどうかは、自分の心といいますか、自分自身に対する自己評価によって決まるんです。自己評価を高めればその通りになれる。こうして、全ての人達にチャンスや可能性を提供できるように教育を改革していけば、日本という国は必ずピンチをチャンスに変えていくことができると思っています。
(まとめ/広重隆樹 撮影/西山俊哉)