大学を強くする「大学経営改革」[16] 大学ごとに自らの将来像を確立する 吉武博通
大学ごとに将来像の確立が求められる背景
本号が発行される9月は多くの大学が夏季休暇中であり、この原稿を執筆中の7・8月は3学期制を採る筑波大学の夏季休暇期間でもあることから、実務的な内容を避けて、長期的な視点から大学の将来像を描くということについて考えてみたい。
最近、その必要性をあらためて強く認識させられる意見を耳にし、また、我が国と大学の将来のあり方について考えさせられる機会や情報に接したことも、このテーマをとりあげるきっかけとなった。
【大学は自らの見識で未来を描けているか】
その一つが、科学技術政策や学術振興に関わる二人の有識者の言葉である。
経済財政諮問会議など政府の様々な政策会議で大学をめぐる問題がとりあげられていることを受けた大学関係者の反応に対して、一人の有識者は「国立大学の財政面での厳しさは理解できるが、それでは仮に運営費交付金が増えたら、あなたの大学は何ができますかと聞き返すようにしている。」と話す。
世界的にも著名な研究者であるもう一人の有識者は、「運営費交付金の使い方にせよ、大学の重点施策にせよ、国立大学はまだ十分に知恵や特色を出し切っておらず、みな東大と同じようなことをやっている。法人化前と本質は変わっていないのではないかと感じる。」と指摘する。
叱咤激励の意味を込めて率直な感想を述べてくれたものである。国立大学に対する発言ではあるが、その本質は国公私立を問わず全ての大学に通じるものがあると考え、ここに紹介することにした。
【日本は世界の田舎になってしまわないか】
二つ目は、世界の中で日本の企業や大学がどうあるべきかを考えさせられる話題である。
NHKスペシャルでも特集され注目を浴びた、インド人経営者ラクシュミ・ミタル氏が率いるアルセロール・ミタル社による企業買収の脅威に新日鉄が如何に対処するかという話題である。ミタル氏はインドネシアで起業して以来、旧共産圏をはじめとする世界の鉄鋼メーカーを安い価額で次々に買収し、昨年欧州最大のアルセロール社を買収。現在世界第2位となった新日鉄の3倍の生産規模を誇る世界最大の鉄鋼メーカーを一代で築き上げた。奇跡とも思われるこの出来事の背景には、地球規模でビジネスを捉えるミタル氏の発想と、急速に高度化した金融技術がある。鉄鋼関係者に会うと「このままでは世界の田舎の会社になってしまう。」と危機感を募らせる。
「世界の田舎」という言葉は、小宮山宏東京大学総長の発言の中でも使われたことを記憶している。「このままいくと東京大学が世界の田舎の大学になってしまう。」という趣旨であったと理解している。
そのことを予感させるような光景を中国で目の当たりにした。清華大学、北京大学に次ぐランクにあると言われている淅江大学(杭州市)を7月に訪問したが、市街地にあるいくつかのキャンパスだけでなく、郊外に200haの広大なキャンパスを有し、中央付近には25階建ての本部棟が聳える。最上階の応接スペースの外側に展望回廊があり、300haの次の建設用地を含む約500haの広大な敷地が見渡せる。キャンパスに隣接する形で、オフィスビルやマンションが林立するケンブリッジ・タウンの建設も進む。淅江大学と連携を強めたい企業が数多く進出することを想定したもので、淅江大学が東のケンブリッジと呼ばれていることに因んで開発地一帯の名前が付けられたとのことである。
政治や経済と同様に、大学の世界でも日本の頭越しに米中が交流するケースが増えてきているし、欧州においても中国やインドに関心が集まっているようである。BRICsの一つとして注目されるブラジルでは欧州企業の存在感が圧倒的に大きく、次いで韓国企業の健闘が目立つが、日本企業のシェアは極めて低いと言われている。
人・モノ・資金・情報などが国境を越えて大量に行き交うグローバル化が進む中で、日本が作り上げてきた自動車、電子・精密機器、工作機械、建機、高付加価値素材などの工業製品の高い競争力に比して、日本という国、あるいは日本にある様々な組織や日本人自身がむしろ内向きになりつつあるのではないか気掛かりである。
【大学自身の社会的存在価値を強力に主張すべき】
世界が急速に変化するから、大学もそれに合わせて変わるべきだと主張している訳ではない。ただ、資源の多くを海外に依存し、経済力に比べると決して大きな政治的・軍事的プレゼンスを持たない我が国が、持続的・安定的に発展を続けるためには、人材の育成、人類社会の諸課題解決に資する知の創造、質の高い文化の形成が何にも増して重要であり、これまで以上に大学がそれらの期待に応えていかなければならないと考えるからである。
さらに付け加えると、財政構造上の制約や18歳人口の減少など、我が国の大学を取り巻く環境は急速に厳しさを増している。その中で、高等教育機関として必要な資金を安定的に確保し続けるためにも、社会の理解と支援が不可欠である。つまり、大学自身が自らの将来像を描き、社会的存在価値を明確かつ強力に主張していかなければならないのである。
どのような社会を目指すべきか
大学の将来像を描くということは、大学自身が高い社会的存在価値を持ち続ける、あるいはその価値を格段に高めていくということを大学の内外に宣言することである。
そのためには、社会が大学に何を求めているか、より積極的な表現を採れば、大学自身がどういう社会を望ましいと考えており、そのためにいかなる貢献をすべきか、その使命をそれぞれの大学ごとに明確にしなければならない。使命の中には全ての大学に共通する要素もあるであろうし、それぞれの大学の個性を強く打ち出した要素もなければならない。
最初に、我が国がどのような社会を目指すべきか、ということについて考えてみたい。ここでは壮大な国家像のようなものではなく、現在の我が国が抱える諸問題を少しずつでも改善の方向に導くという立場で、いくつかの課題を提起してみることにする。
【一人ひとりがより良く生きる社会】
一つ目は、全ての国民が、自立した一人の人間として、家族の一員として、学校・職場など組織の構成員として、社会を形成する市民として、より良く生きる状態を作り上げることである。
日本には世界の人々から賞賛を得るに値する美徳と呼ばれるような要素が至るところに見られる。しかしながら他方で、家庭・組織・社会のそれぞれにおいて活力や健全性が損なわれ、荒廃ともいえる事象が増え始めてきたのも事実である。
様々な要因が複雑に絡み合うこれらの問題を短期間に改善方向に導くことは困難であるが、これらの問題解決にどう取り組むかの方向性が示され、そのことが社会の中でより広く共有されることが重要である。
【持続的・安定的で均衡ある発展】
二つ目は、競争と効率を追求する市場経済の意義と課題を正しく理解し、持続的・安定的で均衡ある発展をどのように実現していくかという問題である。
我が国の場合、市場メカニズムをより重視した政策を採り始めたことと、人・モノ・資金・情報が集まる東京に居れば安心という意識構造が相俟って、東京一極集中、地方の地盤沈下が加速しているように思われる。世界に目を転じると、市場メカニズムによる経済発展は豊かさをもたらす一方で、格差拡大や環境・資源問題などを急速に深刻化させている。我が国だけで答えを出せる問題ではないが、少なくとも国内において生じている様々な歪みを解消するため、社会・経済のシステムを再構築するとともに、国民の意識構造の転換も図らなければならない。
【ブレークスルー・イノベーション・起業家精神】
三つ目は、ブレークスルーとイノベーションが活発に繰り返され、起業家精神に富んだ人材が次々に現れる社会をつくりあげることである。
人々のニーズや社会が直面する課題が高度化し複雑化すればするほど、それを解決するために様々なブレークスルーが必要になり、その知的成果を実用化するためのイノベーションが重要になってくる。さらに、イノベーションで生まれた成果をより多くの人々が享受するためには、製品・サービスやシステムとして社会に広く普及させる必要がある。その担い手が起業家(アントレプレナー)である。
この一連のプロセスが重要であるのは産業の分野だけではない。教育、医療、福祉、治安、防災、環境など様々な分野でブレークスルーとイノベーションの重要性が増し、それらの成果の普及に、自らリスクをとりながら果敢に取り組む起業家精神に富んだ人材が求められているのである。
これらの基盤となるものは個の自立である。組織のために個人が存在するという考え方から、個々人の能力をより自由かつ最大限に発揮させるために組織やシステムがあるという方向に転換していく必要がある。
【真の国際化と質の高い文化の形成・発信】
我が国においては、国際化が繰り返し叫ばれているにも拘わらず、企業や大学など歴史や実績を誇る組織ほど日本人中心に運営され、国境や国籍を超えたグローバルな視点・発想・活動・交流のいずれもが総じて不十分であるように思われる。
また、世界からの賞賛に値する文化的基盤を持ちながらも、国民がそのことを明確に認識した上で、さらに質の高い文化を形成し発信するという努力が、社会全体で十分になされているとも言い難い。
経済活動における極めて高い海外依存度を考えた場合、世界の動きを的確に捉える力、戦略的な思考力、行動力、国籍や民族を異にする人々への理解などの要素を、組織や個々人のレベルで高めていかなければならない。それと同時に、世界の様々な文化を知ることにより、日本の文化をより深く理解し、その質を高め発信する努力を、社会全体で続けていかなければならない。
高等教育に関するパラダイム転換が必要
以上述べたような社会を作り上げることを目指した場合、大学はどのような役割を果たすべきであろうか。2005年1月の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」では7つの機能を挙げて、機能別分化の必要性を謳っている。
今後その動向を注視していきたいが、我が国の大学において真の意味での機能分化や個性化が進まなかったのは、東京大学を原型であり範として多くの大学のシステムが作り上げられたことに最大の要因があると思われる。教員人事においても、研究業績に基づく任用が繰り返される限り、東大を頂点とするヒエラルヒー的構造は容易には解消しないであろう。
しかしながら、現在は、大学・短大を合わせた進学率が50%を超え、大学数が700を超える時代である。そのような状況においては、大学というものの概念やシステムがより多様であるべきであり、そのことも含めて我が国の高等教育に関するパラダイムの転換が強く求められているのである。
そして、それぞれの大学が、あるべき社会の実現に向けて如何なる役割を果たすべきかを考え、それに相応しい人的構成とシステムを備えた大学を作り上げていかなければならない。
大学の将来像の確立と発信
大学の将来像を描く場合、その大学の特色を活かし個性化することが強調されがちであるが、全ての大学に求められる基本的かつ共通の役割を確実に果たし、良質の成果を実現することが、全てに優先して求められるべきである。
【学校教育の仕上げと生涯学習の基盤づくり】
その役割とは、学校教育の仕上げであり、生涯学習の基盤をなす自ら学ぶ態度と基礎的知識・方法論の習得である。
この役割自体は過去も現在も変わらないが、進学率が上昇し、高等教育がエリート段階、マス段階を経てユニバーサル段階へと発展するのに対応して、役割の果たし方、つまり教員の意識や資質、教育の内容や方法、その他諸々のシステムも変化することが求められていたはずである。しかしながら、確かに変化してきた面も見られるが、全体を見渡せば、本質や実態が変わってきたとは言えないのではなかろうか。
学校教育の仕上げと生涯学習の基盤づくりは、職業教育を主とするものでも、教養教育を主とするものでもよい。初等・中等と積み上げてきた学校教育の足らざるところを補い、それらの意味づけを行いながら、自立した人間として、家族・組織・社会の構成員として、職業人として必要な素養を身につけさせることが、高等教育機関たる大学が果たすべき基本的役割である。
それぞれの大学がこの役割を果たすために、教育の質の向上を競い合う中で、大学ごとの特色や個性がより確かなものになり、社会に広く認識されることになるのではなかろうか。
【地域の自立への貢献と真の国際化の促進】
もう一つの役割は、地域の自立への貢献と真の国際化の促進である。
東京や愛知など経済活動が活発な地域を除くと、地域の地盤沈下が進み、社会全体の活力や生活の基盤に関わる構造問題として深刻さを増してきている。この背景には様々な国内要因があるが、同時に市場経済の急速な発展とグローバル化という国際的要因も大きな影響を与えている。
このような状況を打開するためには、財源や権限の委譲と併せて、地域自らが広く世界の情報・動向を把握し、自らの意志と知恵で、自立した経済基盤と健全で安定した社会を築き上げていく必要がある。国際化が叫ばれながら閉鎖性を打破できないのは、権威への追従、地域の中央への依存という根強い体質が変わらないからである。
このような認識に立って、地域の自立と真の国際化を一体として進めていくためには、それぞれの地域において大学が主導的役割を果たす必要がある。人材育成のみならず、地域の社会・経済システムの再構築への貢献、国内外の様々な知識・情報の収集・発信、国際交流など、地域において大学が果たす役割は極めて多岐にわたる。
多くの大学が地域貢献や国際交流を重要な柱の一つに位置づけて意欲的に取り組んでいるが、教育研究をはじめとする大学のあらゆる活動が地域の自立と真の国際化に結びつく形で総合的・多面的に展開されることが必要である。
それらを通して、起業家精神に富んだ人材や世界的視野で発想できる人材の育成、イノベーションの創出なども進んでいくものと思われる。
【人類社会の未来と文化の形成に資する知の創造】
以上述べた2つの役割に加えて大学には、学問を進化させつつ深みと広がりを持たせ、それに基づいてより高度で良質な教育を行うとともに、人類社会の諸課題解決と質の高い文化の形成に資する知を創造するという使命がある。
前述の中教審答申で掲げた機能のうち「世界的研究・教育拠点」としての役割を期待されている大学は、そのことに特に大きな力を投入しなければならない。同時に、それ以外の大学においても、個々の教員による学問の深化や知の創造への取り組みを支援するとともに、例えば信州大学の繊維、鳥取大学の砂漠のように、その大学の特色を活かした世界水準の学問領域を一つまたは複数有することが望まれる。
大学の個性化といいながら、本質が変わらないまま、教育組織の新設・再編・改称など外に見える部分だけの変更が行われていないであろうか。また、交付金・補助金の縮減や志願者の減少に直面して、目先の対策だけに追われていないだろうか。それだけでは当座は凌げても、根本的な解決にならない。
人類や社会が様々な課題を抱えていること、それ自体が大学にとっては役割発揮の大きな好機である。トップマネジメントから教職員までが、これらの課題に真摯に向き合い、自分の大学は何ができるのかを昼夜を分かたず考え抜く中で、大学の将来像が描かれるはずである。それを発信し、社会と対話を繰り返す中で、それぞれの大学の社会的存在価値が確かなものとなるのではなかろうか。
(吉武博通 筑波大学理事・副学長 大学院ビジネス科学研究科教授)