大学を強くする「大学経営改革」[17] ユニバーシティ・ガバナンスを考える 吉武博通

はじめに

 近年、「ユニバーシティ・ガバナンス」をめぐる議論が盛んになり、それに関する記事や論文などを目にすることも少なくない。また、研究会やセミナーのテーマに取りあげられる機会も増えているようである。

 「大学のガバナンス」とも言われているが、各論に入っていくと「教育のガバナンス」や「研究のガバナンス」という用法を目にすることもある。ガバナンス(Governance)の和訳は、支配、政治、統治、統括、管理などであるから、教育や研究にガバナンスという概念が馴染むのかどうかは議論のあるところであろう。その意味からも、いわゆるカタカナ語を用いる場合、厳密な定義づけは別にしても、その概念を明らかにした上で、議論を進めることが不可欠であると考える。

 このような認識に立って、本稿では、ユニバーシティ・ガバナンス(=大学のガバナンス)の概念を明らかにするとともに、そのあるべき姿と課題について論じることとする。

ユニバーシティ・ガバナンス論の背景

 最初に、ユニバーシティ・ガバナンスをめぐる議論が盛んになった背景を考えてみたい。主たる要因を整理すると以下の5点になるのではなかろうか。

 第一は、18歳人口の減少をはじめとして大学を取り巻く環境が悪化する中で、経営の巧拙が当該大学の収支やその存続自体に、これまで以上に大きな影響を与える状況になってきたことである。1990年代の長期不況期にコーポレート・ガバナンスの議論が盛んになったことと同様である。

 第二は、経営状態の悪化に直面する大学の増加が懸念される中、大学経営の破綻という深刻な事態を回避するとともに、大学経営に対する信頼性を確保する観点から、経営の健全性と透明性を担保するガバナンスのあり方が問われているということである。

 第三は、大学・短大を合わせた進学率が50%を超えるユニバーサル段階といわれる時代となり、国際的な大学間競争も激化する中、新たな高等教育像の構想・実現や教育研究の質の高度化に資する大学の運営システムを如何に作り上げていくかという点である。経営と教学の関係、学長・理事長や役員会・理事会などのトップマネジメントといわゆる教授会自治との関係をどのように考えるかが大きな論点になる。

 第四は、以上の点も踏まえた制度的枠組みの変更である。すなわち、2004年4月に実施された国立大学法人化であり、翌2005年4月施行の私立学校法改正による学校法人制度の見直しである。これらの動きに併せて公立大学の法人化も進められた。このような国公私立大学の運営に関わる制度的枠組みの変更こそユニバーシティ・ガバナンスのあり方に大きな変革をもたらすものである。また、ガバナンスに関する議論が高度化し成熟することにより、これらの制度的枠組みの変更もより大きな成果をもたらすことになると考えている。

 第五に、大学に対する社会的関心が高まり、企業経験者をはじめとする多様な人材が大学経営に参画するなど、大学と社会の交流が活発になるに従って、企業経営上の概念や手法が大学に持ち込まれつつあるといった背景があることも踏まえておかなければならない。但し、CSR(企業の社会的責任)に対するUSRのように、本来公共性を帯びた社会的存在であるはずの大学に、そのような概念が必要かと問われれば、疑問なしとしない。企業経営上の概念・手法の正しい理解と大学の本質を踏まえた冷静な取捨選択が不可欠である。

コーポレート・ガバナンス論の背景と主たる論点

 ユニバーシティ・ガバナンスという概念やそれに関する議論に少なからざる影響を及ぼしていると考えられるコーポレート・ガバナンスについて、それをめぐる議論が盛んになった背景について整理しておきたい。

【1990年代半ば以降議論が活発化】

 コーポレート・ガバナンスという用語が我が国の企業関係者や関連領域の研究者などの間で頻りに使われ始めたのは1990年代半ば頃からであろう。

 1990年代に入り、世界では東西冷戦構造の終結と情報技術の発達を背景にした経済のグローバル化、国内においてはバブル崩壊による経済の長期停滞という状況が同時に進行することになる。マネーがより有利な投資先を求めて世界を駆け巡る中、我が国の市場や企業の不透明性が問題視される。また、不良債権問題は金融機関の信用力を低下させるとともに、企業間取引をはじめとする経済活動全般における信用の収縮をもたらすことになる。

 コーポレート・ガバナンス論が1990年代半ば以降盛んになった背景にはこのような事情があるが、より長い時間軸で眺めた場合、株式会社の進化の過程で、その仕組み自体に内在する本質的・構造的な問題が顕在化してきたという点も踏まえておく必要がある。

 我が国における初期の株式会社においては、少数の大株主が直接経営に参画することが一般的であり、株主の意向が現在以上により直接的に会社の意思決定を左右していた。そのような中で短期的な株主利益の増大だけを追求する風潮を戒めたのが高橋亀吉の著書「株式会社亡国論」(1930年)である。

 その後、事業の拡大に伴って株主数が大幅に増加し、所有と経営が分離した現在の姿が形作られていくことになる。ただ、メインバンクシステムや株式の持ち合いにより、株主による経営監視が不十分な状態が長く続くことになる。

 この構造が崩れたのが先に述べた1990年代である。企業の資金調達手段が多様化するとともに、株主構成も変化し、外国人投資家や年金資産運用などを担う機関投資家の発言力が高まる。企業の不透明な経営や不公正な活動が投資家・顧客・取引先などに大きな損失を与え、企業に対する社会の視線も厳しさを増す。

 このような中で盛んに議論されるようになったのがコーポレート・ガバナンスであり、併行して会社法の改正、国際標準に沿う形での会計基準の変更なども進められた。個別企業においても経営体制を見直すとともに、財務体質の健全性や経営の透明性の確保、株主・投資家との対話などにこれまで以上に大きな関心と努力を払うようになる。これらの点に関する限り、1990年代までと比べて、企業経営の質は格段に高まったと言っても過言ではない。

【コーポレート・ガバナンスは経営者の規律づけ】

 今日では「コーポレート・ガバナンスは経営者の規律づけに関する概念である」という理解が一般的になりつつある。

 それを前提に議論を進めるとして、誰の利益のために経営者を規律づけるのかという問題に最初に行き当たる。「株主の利益のため」とする考え方が有力であるが、「ステークホルダー(利害関係者)全体の利益のため」とする考え方も根強い。

 どちらの考え方を採るべきかについて、本稿では深く立ち入らないが、筆者は、コーポレート・ガバナンスの目的を「公正かつ健全な経営により、企業価値を増大させ、長期的な観点から株主の利益を確保するため、経営者に対する規律づけを行うこと」と理解している。

【ガバナンスが有効に機能するための要素】

 そのような理解の上に、企業においてガバナンスが有効に機能するための要素を考えると、以下の5点に要約することができる。

  • 経営の責任者たる代表取締役の任免
  • 株式会社としての最終意思決定
  • 代表取締役の業務執行に対する監督
  • 経営状況や事業活動成果の開示
  • 市場による評価や敵対的買収の脅威

 このうちの(1)・(2)・(3)は、取締役会の役割であり、(3)については監査役もその役割を担っている。従って、これらが有効に機能するためには、取締役会や監査役が、経営者たる代表取締役から如何に独立性を保つかがポイントとなり、社外取締役や社外監査役の参加はそのための重要な手段となっている。(4)については、1990年代までの情報開示と現在のそれを比較すると、質・量ともに大幅に充実していることが明らかである。(5)については、自社の株価や債権格付け、敵対的買収の脅威などが経営に緊張感を与え、それによって経営者が規律づけられることを意味する。

 法の建前とは異なり、代表取締役が取締役や監査役の実質的な任命権を有することの多い日本企業の場合、取締役会や監査役の独立性には自ずと限界があるものと考えざるを得ない。従って、(4)・(5)のように会社の実態を外部に晒し、外部の評価や外部からの脅威で、直接的に経営者を規律づけるとともに、取締役会や監査役にも緊張感を持たせることで、経営者に対する牽制機能を強めていくことが、現実的かつ実効性ある方法ではないかと考えている。

大学におけるガバナンスの目的

 コーポレート・ガバナンスの目的が経営者の規律づけだとしたら、大学におけるガバナンスの目的はどう考えればよいのであろうか。仮に経営者の規律づけとした場合、国公私立大学の場合、誰がその経営者にあたり、株主の存在しない大学においては、誰の利益を守るために経営者を規律づけるべきなのだろうか。

 筆者は、大学においてもガバナンスの目的を経営者の規律づけと理解すべきであり、その経営者とは国立大学法人では学長、公立大学法人や私立大学を設置する学校法人では理事長であると考えている。

 誰の利益を守るためのガバナンスかという点については、コーポレート・ガバナンス論の中でも紹介した「ステークホルダー(利害関係者)全体の利益のため」という考え方が大学の場合にも当てはまるのではなかろうか。ここでいうステークホルダーとは、学生・保護者、卒業生、教職員、その他様々な関係者に加え、地域や社会を含む、極めて広い概念である。その公共性に着目して「社会の利益のため」と言い換えることもできる。オーナー経営的色彩の濃い学校法人であったとしても、高等教育機関としての公共性に鑑み、そのように考えるべきであろう。

ユニバーシティ・ガバナンスの現状と課題

 その上で、前述のコーポレート・ガバナンスが有効に機能するための要素を参考に、ユニバーシティ・ガバナンスの現状と課題を述べることにする。

【学外理事と監督機能の積極的活用】

 第一に、国立大学法人における学長、公立大学法人や学校法人における理事長の任免についてであるが、国立大学においては学長選考会議がその役割を担っており、ある程度の独立性が確保されているが、教育研究評議会選出の学内委員と同数を占める学外委員がどれだけ運営実態や課題を把握できるかが重要なポイントとなる。公立大学法人や学校法人においては理事会がその役割を担うことになるが、理事長と理事会の実態上の関係は大学ごとに大きく異なっているものと思われる。学外理事を増やすなど、理事会の独立性を高めるような工夫が必要である。

 第二は、最終意思決定と業務執行に対する監督についてであるが、国立大学法人の場合は、役員会の議を経て学長が決することになり、企業の取締役会や学校法人の理事会に比べて役員会の権能が一段低く置かれている。公立大学法人や学校法人では理事会を最終意思決定機関及び業務執行監督機関として位置づけているが、理事長と理事会との実態上の関係によって、大学ごとに実質的な機能に差があるものと思われる。

 このような意味からも、学外理事の積極的活用、経営協議会・評議員会の活性化などにより、意思決定の適正性・公正性の確保に努めるとともに、監事の業務を充実させ、業務執行に対する監督機能を強化することが求められる。

 筑波大学では、東京大学工学部長や独立行政法人環境研究所理事長を務めた合志陽一監事、日本監査役協会会長を務めた吉井毅監事の2氏が、担当理事や学内各組織との対話を計画的に実施し、運営状況を把握した上で、四半期に一回程度、学長・理事に対して業務監査の報告と課題提起を行っている。法人化後3年目からそのような仕組みが定着し、有効に機能しつつある。監事業務を補佐する独立性の高い監査室が整備されたことも重要な要素となっている。

【ガバナンスの最大の基盤は情報開示と評価】

 第三は、経営状況や事業活動成果の開示についてであるが、情報開示こそ法人に対する信頼を高め、法人の経営力や大学の教育研究の質の向上を促す最大の基盤であると考えている。「晒す経営が企業を鍛える」という言い方もあるが、それは大学にも当てはまる。

 国立大学は法人化に伴い年度業務実績報告書、それに対する評価結果、財務諸表などを開示し、ホームページ上にも公開しており、情報開示のレベルは法人化により格段に高まっている。それに対して、私立大学は私立学校法の改正などにより財産情報等の公開が強化されたが、ホームページ上での公開は学校法人ごとに大きな違いがあるように思われる。また、国立大学法人や学校法人に固有の会計基準に基づく財務諸表で経営状況を理解することは一般には容易ではない。社会や受験生が大学を厳しく選別する時代にあって、経営状況を正確かつ分かり易く伝える財務情報の開示は急務である。

 また、財務情報と併せて、大学の組織や陣容、教育研究活動の成果、教育研究の質を高める仕組みや取り組みなどの情報を幅広く開示することも不可欠である。法人ごとの努力のみならず、文部科学省や関係団体を含む幅広い関係者が協力し合い、開示すべき事項や基本となる様式の共通化などを進めながら、情報開示の充実とその徹底を図る必要があると考えている。

 最後に、ガバナンスのもう一つの基盤である評価について触れておきたい。企業が絶えず市場の評価に晒されているように、大学も社会の評価に晒されている。しかしながら、経営・教学のいずれについても納得的な評価方法を確立することは難しい。国立大学法人評価や認証評価が本格化したばかりである。これらを契機としつつ、学長・理事長による経営を規律づけるにたる評価の仕組みを工夫し、着実に定着させていくことが重要である。

ガバナンスとマネジメント

 これまで、ガバナンスを経営者の規律づけと定義し、学長・理事長という法人トップに対する規律づけに焦点をあてて論じてきたが、ガバナンスを充実させただけで法人の経営や大学の運営が上手くいく訳ではない。ガバナンスが十分に機能している状況の下で、適切なマネジメントが行われて、はじめて経営や教育研究の成果の向上が期待できるのである。

 ただ、マネジメントはトップからミドル、そして現場レベルに至るまで実に広範な領域に関わる概念である。両者の区別を曖昧にしたままガバナンスを論じることは、その本質の理解を妨げ、議論の拡散を招く恐れもあることから、両者を別個の概念として明確に分けて論じることにした。

 その上で、当該法人におけるガバナンスの考え方や仕組みが組織内のマネジメントの有り様に大きな影響を与えるという事実を踏まえておく必要がある。また、その逆に、当該組織のマネジメントの質がその法人のガバナンスの質を大きく左右することも十分に考慮しておかなければならない。

 前者は、学長・理事長というトップがステークホルダー全体の利益を常に重視しつつ、緊張感を持って大学経営にあたれば、その価値観が組織全体に浸透し、マネジメントの質も高まるということを意味する。また、後者について述べると、トップが積極的に情報を開示し、広く社会にメッセージを発信するためには、組織内で経営や教学の成果が正しく把握・共有され、方針に関する意思統一が図られていることが前提となる。それらが可能となるマネジメントの質が確保されていなければならないのである。

 ガバナンスとマネジメントの関係はこのように考えるべきではなかろうか。

おわりに

 大学のガバナンスを論じるにあたっては、もう一点、教授会自治との関係を整理しなければならない。

 本稿では、ガバナンスに焦点をあてるという考え方と紙数の制約から、それに言及することは避けたが、大学が健全なる経営の上に、高い教育研究成果を実現するためには、ガバナンス、マネジメント、教授会自治の3つの概念を区別した上で、3者の関係を明らかにし、全体として最適なシステムを構築する必要がある。そのことについては、別の機会に論じることとしたい。



(吉武博通 筑波大学理事・副学長 大学院ビジネス科学研究科教授)


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